軍艦と海軍機

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歴史写真
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参考資料
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戦艦大和
戦艦大和
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  最終型大和をモデル化する人の多くは、天一号作戦時の壮絶悲壮な瞬間を
設定している場合が゛多いのですが、私は、太平洋の荒波に元気溌剌で健康
な精神のなかにあるはずであった栄光の最終型戦艦大和にしたかったので
す。呉にある大和ミュージアムの1/10戦艦大和を見ていると、あの大和に
は、菊水マークや土嚢はなく、ペイントはしっかり塗装され保守不足による錆の
表現もなく、木甲板はよく磨かれ、通常の軍艦のあるべき姿であります。健康な
軍艦は、どこの国の海軍であれ、これであります。

 マザーキットは、1966年頃に販売され40年を経過していまだに市販されて
おり、プラモデルとしては当時世界最大、今も変わっていないと思います。名作
キットですが、今回の作成時代設定が違うことと、もともとラジコン仕様も考慮し
てかかなりあっさりと出来ていること、さすがに40年の歳月には研究解明され
た部分もあることから、かなり自作改造が入っています。それにしても、基本的
には40年も前にこのようなりっぱなキットが開発されたとは驚きであり、また売
れ続けている事実からして、日本人の戦艦大和に対する思いの深さを感じま
す。

 沈没地点は長らく徳之島沖とされていましたが その後の調査で鹿児島県坊
の先沖と判明しました。

 大東亜戦争戦没者のご冥福をお祈り申し上げ
合掌。

戦艦大和
竣工 1937年11月04日
進水 1940年08月08日
就役 1941年12月16日
戦没 1945年04月07日
戦没地点
北緯30度43分 東経128度04分
長崎県男女群島女島南方176Km水深345m

除籍 1945年08月31日


1980年7月11日NHKによる第一次調査隊出航。
1981年5月二次調査隊出航。
  以後海上自衛隊も非公式ながら参加、ついにP3C対潜哨戒機が哨戒中に鉄の塊を発見
1982年5月、大和発見。
第三次調査船に対し、P3Cは翼をバンクさせながら現場を旋回し海面に花束を投下。
1985年「海の墓標委員会」が設立され第2回目の潜水調査。
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モデルの時代設定
1945年2月頃
sc1/200
制作開始2005年10月。現在進行中

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