歴史写真

2007年10月05日

大和工事中の有名な写真


主砲形状の研究に多用されている写真

2007年10月05日

1941/12 公試中



2007年10月05日

1941/10/20 豊後水道で公試中。



2007年10月05日




2007年10月05日

沖縄で米艦載機の攻撃を受ける大和



2007年10月05日

特攻出撃5時間前



2007年10月05日

戦艦大和の46センチ砲弾



2007年10月05日

1944年レイテ突入作戦時の大和



2007年10月05日

海底の戦艦大和



2007年10月06日



旗竿の中にある黒い塊2個は、人物。
A クリートの頭は切れている。 B 第二の補強材らしき物がかすかに見える。 C 第一の補強材の角度。 D 空中線の艦内取り入れ線。 E テス リの端の 取り付け位置。 F 収納した錨見台。F! 錨見台のテスリ支柱とその補強支柱。
G ポラードの中心は穴が開いているように見える。
H くびれがある。 J 投鉛台が収納状態。 K パラベーン展開用三方ローラー。  L 号令台への階段。 M フェアリーダー 

2007年10月06日




2007年10月06日




2007年10月06日




2007年10月06日




2007年11月13日

94式高射器  2008/2/28 間違い これは5m測距儀


耳の根本部分がわかる写真。
大和最終時には取り外されているもの。

2007年11月13日

94式高射器の写真からの形状考


この写真は高射器の正面なのか裏面なのか・?青矢印が正面か裏面かが決め手になりそう。

青矢印物体の影の濃い付き具合から、この部分が少し高さがある台状の上に乗ったオーバーハング状のカバーに思える。カバーの開状態 の裏面写真のように思える。赤矢印の影は、本体の側壁と思える。

(2008/2/20 これは指揮官用の観測窓(塔)カバーですが、その位置が問題。ちょっと目には、中央より手前にあるように見えるが、 高さを考慮すると、中央より奥に位置しているようにも見える。そうだとすると観測窓は、正面向かって左にあったことになるが、、、、、。)

したがって、これは耳にカバーがかかった写真で94式高射器の裏面と推定。上部のカバーはほぼ全開状態。下部のカバー上に見える白楕円内の線 は、上部カバーの影が下部カバー上に映っている物と推定。

白矢印の部分の影の付き方から、カバーは半円形でなく約1/4の円形の感じがする。黄色四角枠内の黒い部分は、高射器の前にある何かの工作 物と思われる。したがって2個の白矢印間あたりはそれによって遮断され影になっていると思われる。
その向かって右の灰色の部分は、主艦橋の基部の壁と思える。

赤四角部分は、舷灯カバーの裏面と推定。よってこの写真は、左舷側の高射器と判断する。

そうすると、完全にカバーを閉にしたとき、完全に内部をカバーするには内カバーは3/4円形でなければならないと推定。

以上より、全閉状態の94式高射器の両耳はほぼ頂点が削られた円錐形と推定される。
2008/01/18 青楕円 この影の付き方は、この中が空洞であることをおもわせるのですが、、、。

2007年11月13日

古文書における94式高射器と高角砲塔甲板へのラッタル考


1.白枠内に94式高射器側面図。
  赤矢印   指揮官用の観測窓が天上に開けられているが、右舷側は、向かって左にある。
          ニチモのキット部品は、この位置にあるが、1/10大和は逆にある。
2.青枠内、向かって左に扉があったとされている図面。
3.右、ラッタルが書かれているが、梯子状ではなくモンキーラッタル状である
4.青矢印、ここに梯子がかかっている。

2007年11月13日

古文書におけるマスト下の94式高射器と高角砲下の扉 考


白枠のマスト下の94式高射器。指揮官用観測塔の位置に注意せよ
青枠に扉が書かれている。
2008/01/17
黄色 150センチ探照灯の形状に注意。

2007年11月25日

有名な戦艦武蔵艦尾の拡大写真


白丸内の造形物は、フェアリーダー? ポラード?
円柱形の造形物には見えにくいが、特に頂点部分の両肩がとがっていることは注意に値する。
舷側に非常に接近している。模型で確認したら。この角度からはポラードであっても十分に舷側にくっついているように写る。
隣のスタンションの高さから見て、中間てすりのちょっと下までの高さがある。フェアリーダーにしたらちょっと背が高い。

以上から、特にフェアリーダーであれば、頂点部肩が特に向かって左部分の肩がなだらかに写ると思える。
結論として、これはポラードに思えるのですが、そうすると武蔵のフェアリーダーはどこにあったのか?

白矢印は何?もしやフェアリーダー?
艦尾方向には、大和とちがってなにも内容に見える。


2008年01月07日

武蔵の主艦橋背面


一枚目と二枚目の写真は、両翼のアンテナ張り出し台ですが、両側の補強梁ば上側についています。三枚目の写真は中央のアンテナ台張り出しで すが、両側の補強梁ば下側についています。
2008/01/17
この張り出したアームのようなものは何だ!!!

2008年01月10日

大和飛行機格納庫の前の写真


一枚目写真・格納庫の扉が閉じた状態ですが、一部の図面にあるようなシャッターではなく、かなり丈夫そうな扉です。
軌条が途中で切れていますが、左右の長さが違っています。
二枚目写真・ これも同じ場所の写真ですが、梯子が斜めではなく垂直にあり、かつテスリはありません。斜めに付けてテスリありとする解説が多いと 思います。
白半円・ここが扉の反対側の壁と思われる。 このコピー写真には枠外にはみ出ているが、軌道の艦尾端が青棒の方向に写っている。したがって  (赤枠)梯子は艦尾左舷隅にあったことになる。

2008年01月10日

艦橋背面の詳細 (武蔵)


青枠 四個の肉抜き穴がある。 赤矢 補強材の取付位置に注意。
黄色 溶接痕らしきものあり。
緑 てすりあり。
白 角の隅切りがない。
黒矢印 2008/2/20 補強用のワイヤーがある。

2008年01月10日

クレーンのアーム先端の滑車


外側にかなり大きなプーリーみたいなものが付いている。

2008年02月28日

右舷艦橋下前から2個目の機銃台座下部


赤 膨らんでいる。キットには膨らみ無し。要修正。

2008年02月28日

射撃制限線 武蔵


Lアングルの棒で構成。いろいろな方向で組み合わされている様に見える。
赤 ここにリベットの痕跡あり。要追加工作。

2008年02月28日

右舷艦橋直下の壁面 武蔵


白 この線はリベットの線ではなく、溶接痕である。溶接痕がかなりはっきり写っています。
H20/3/25 
溶接痕とする自信が揺らぎ出しています。
黄色 よく見ると帯金の上からリベットのようにも見えてきました。帯金はほぼ間違いないと思えます。
H20/3/30
その後、昭和天皇御幸時の武蔵の記念写真を見ると、完全に溶接痕が写っています。

2008年03月25日

後部艦橋下の唯一の写真


一枚目 現在発表されている唯一の後部艦橋下の記念写真。
二枚目 黄色 補強材が3本見える。水色 巨大な通風口の様な物ですが、少し艦尾よりで且つテスリとの位置関係に注意。
          奥に二個の通風口らしき物が見える。
三枚目 黄色 巨大な管が見える。電線の束を通しているという説があるようですが、、、。
      白  何かタンクのように見えますが、用途不明な付属物あり。
      黒  配管が上部の観測室に延びているように見えます。
      赤  換気用開口部。
      青  梯子を視認。
      緑  用途不明の管が見えます。

2008年04月03日

戦艦武蔵の主艦橋最下部の壁の溶接痕


白矢が溶接痕です。1+2+3枚の写真は、下から二段目の溶接痕の筋。4枚目は最下段の溶接痕の筋。
赤矢 ラッタルですが、これは武蔵だけの感じがします。大和の写真では、ここには無いようです。
H20/4/9
緑 モンキーラッタルの幅と下方曲量について。幅は300mmぐらい有りそう。下方曲量は50〜100mmぐらいか。
   1/200で換算すると、1.5〜2.0mm 下方曲量0.25〜0.5mm
   0.4〜0.3mmの真鍮線を使っているので 下方曲をおこなうと曲げた分オーバースケール気味になる。したがって下方曲量  はゼロが妥当 か。



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