学生時代は野球部に所属していた。バッティングは良かったけど、守備が悪く名選手と云うわけにはいかなかった。体力はあったので、長い距離を泳いだり、自転車に乗って遠くまでツーリングすることは好きだった。
22才でスキューバダイビングを始めてからはのめり込んで、医者として働くようになってからは少ない休暇の全てをダイビングに費やした。医師会のゴルフは好きになれず、2年で引退してしまった。
1996年、突然マラソンの世界に没入した。当時、長野県の諏訪中央病院と云うところに勤務していたが、近くにある諏訪湖でハーフマラソン(21キロ)の大会が行われ、病院の仲間が数名出場すると云う。「一緒に走りませんか、、。」と誘われて何気なく申し込んでしまった。大会まで2ヶ月あまり、練習しようと思うけどなかなか忙しくて結局5〜6キロのジョギングを数回こなしただけで大会本番になってしまった。初めて走る21キロは膝が痛くかなり辛い思いもした。それでも2時間20分かけてなんとか這うように21キロを走り切ることが出来、大きな感動と満足感を覚えた。数週間後レースの結果が送られてきた。参加者7000名中6300位程度の順位である。「随分年輩のランナーにも抜かされたなあ。」と思っているうちに今度は俄然悔しくなってきた。頑張ればもっと速く走れるはず。それから徐々に練習を重ね、体重を減らし、色々な大会に出場するようになった。
1999年のシーズンからはトライアスロンの大会にも参加するようになり、2002年には、快適なトレーニング環境をもとめて山梨県河口湖に移住した。
マラソンを始めて約10年、飽きるどころか益々その奥深い魅力に取り付かれてしまった。早朝、深夜を問わず、湖の周りを、樹海のなかを、富士山に向かって、また国内、海外の旅先でも、時には都会のネオンの中を、時間を見つけては走り続け、様々な大会に出場しています。