各地にある墓地を調査

 寺の過去帳に記載されている個々の仏様のデーターは5項目だけです、過去帳をデータ化しただけでは、ある程度の家別のグループ化はできても、現在の施主と繋がる資料が無く、その何かが欲しいのです・・・・・・・
そこで、つながりを求めて、近郷の各地に散在する集合墓地を廻っています。

 龍福寺檀家の墓地は、富加町を中心に隣接の美濃加茂市、関市内の集落ごとにまとまっているものが大部分ですが、美濃加茂市三和町川浦のように山間部に行くと、個々の家の裏山に石碑を並べた墓地がたくさん見受けられます。
美濃地方では、ごく最近まで、仏様の埋葬は土葬が主流で、山間部の樹林に囲まれた集合墓地に埋葬しました。
 一方で別の場所や自宅の裏山に、いわゆる「ひき墓」といって、石碑を並べた墓地があります。

 ここ10年くらいの間に、龍福寺境内の墓地、亀洞墓地、巾上・井高・夕田・大山齢峯寺裏・大平賀・川小牧・上羽生・下羽生・今泉・稲辺・下蜂屋・野地原・川浦日西洞・上麻生・東神野・下日立・納古口・坊地・勝・柿が野・平といった地域の共同墓地を訪ねて、手持ちの過去帳と照合しながらの調査を実施してきました。
残すは、伊深大洞・川浦の一部のほか、明治時代はじめまで檀家が多くあった、平成・百々目木・柳瀬・神坂・・・・などにも足を延ばして調査を続けたいと計画しています。

 これらの調査では、まず墓地内の一角で比較的古い墓石を対象にして、手持ちの過去帳の中に、その墓石に書かれた「法名があるか」を照会し、あれば、その墓地は古くから龍福寺の檀家さんのお家であるとして、すべてを写真に撮り、記録するのです。
 更には、その区画内でいわゆる「塔婆」を探します。
この塔婆があれば幸です。塔婆には現在その墓地を守っている「現在施主」のお名前が墨書してあり、容易にその区画内の墓石の仏様との関係が判ってくるのです。
こうして、古い時代から現代に至る親族関係を探し出して、個々のお家のご先祖様を探すのです。
そのほか、昨年まで龍福寺本堂奥の位牌堂にあった大量の位牌の写真を所有しており、この写真を参考にして探すことにも努力しています。
 調査活動には、写し書きは付き物ですが、私はデジタルカメラを駆使して、とにかく現場では大量の写真を撮ります、そして帰宅後、パソコン上で写真を大きく引き伸ばして確認作業を続けて居ます。

 現在までに、14,700余仏様のうち、約52パーセントの仏様の現在施主を確認す.ることが出来ました。
次ページで個々のお家の仏様の確認数を一覧表にしましたが、檀家さんのうち一番多くの仏さまがあるお家は、上町のHさん一族で180以上の仏様を確認しています。