龍福寺の過去帳に記載されている一万余名のうちで最も古くて、最初の仏様は今から520年ほど前の、1496年明応5年3月13日寂、栃洞の「山田曽兵衛」さん、法名「善水宗源居士」というお方であることが判っていましたが、以前から墓地は何処にあるのだろうか、と気になっていました。
 先日、栃洞地区の墓地で、その墓地を写真にすることができました。
たまたまお盆の時期と重なったことから、お墓へお参りに来ておられた方々も多くあって、「私たちのご先祖で、この地域の山田家何軒かの一番のご先祖として、墓を守っています」という山田さんにお会いすることが出来ました。
 「龍福寺で一番の古い仏様です」と説明申し上げたところ、ご存知なかったようで、あらためて驚いておられました。
 大きな自然石に法名が刻まれた風格の高い墓石で、手入れも行き届いていて、「私たちの一番のご先祖さまで、みんなが大切に墓守をしています」、と言っておられた山田さんの言を裏打ちしているような立派なお墓でした。

 1496年というと、龍福寺ができる40年も前のことであって、寺の過去帳には「後の世」になって添え書きで追加してあります。
 また、最近になって日立の墓地を調査していると、前記の「山田曽兵衛」さんは、神野の日立のお方で、平成9年10月に逝去された「山田 栞」さんのご先祖でって、この家の墓地にも記録があって1496年明応5年3月13日寂の「山田平太夫」さんと同一のお方であることが分かってきました。
 ところが、残念なことにこの山田家は「栞」さんに継嗣が無く、500年以上続いたお家が最近になって絶家になっているのです。

龍福寺で一番古い仏様