平成3年3月15日に富加町教育委員会が発行された「とみかの石造物」という本があります、この本の59ページには
  
「62 龍福寺の地蔵菩薩」の説明で、
  「無縁仏なのか、水を供える人、花を手向ける人
  も無く雑草に覆われている」
とありますが、この仏様の法名は「省覚了南信女・宝永2年8月15日」とあります。ところが過去帳の記録では「自覚凉南信女・宝永2年8月15日」で、同じ日付での記録は他に全くないところからこれには若干の記録の間違いがあったものの、同一の仏様と見られ、「井高のMさんの初代ご先祖の奥方」の法名であると見ていいと思われます。

その他、同じ本の55ページ「55 清水寺の地蔵様 露球童女」は「片町の幸右衛門の娘」とあり、現片町Kさんのご先祖と見ていいと思われます。

さらに、54ページ「53 愛宕山の地蔵菩薩、施主一松空心菴主」は1684年貞享元年929日寂の長沼助右衛門で、富加町にある70躯あまりの地蔵さんの中で、一番古い造立のようです。

苔むして忘れられていた石仏様も誰を供養
するために作られたものかが判ってきた

自覚凉南信女
井高源十郎内

一松空心菴主   法輪道性禅定門  露球童女     槿景童女
片町長沼助右衛門 下町長右衛門倅  片町幸右衛門娘  片町忠助子