扉の向こう





ハルトの交遊関係を把握しているわけではないが、あとハルトが声を掛けそうな人物と言ったら──。
「……駄目だ、わからない」
一緒に暮らしていた時ならまだしも、別々に暮らし始めてからのハルトの交友関係など研究所に篭りっきりのカイトにわかるはずがない。
予想をするのは諦めてカイトはため息混じりに扉を開いた。
「……」
ドアの向こうに立っていた人物の装いにカイトは暫し言葉を失う。
玄関先にいた人物は目立たない色合いの帽子を目深に被っており、黒渕の眼鏡と口元を隠すように巻かれたマフラー。
体型を隠すかのようなコートに身を包んでいるが、その出で立ちはまさに不審者が服を着て立っているかのようである。
バタン。
とっさにカイトはドアを閉め、即座に鍵をかけた。
「白昼堂々と大胆な……物騒な世の中だ」
突然の出来事ではあったが何とか侵入は防げた。
気取られぬようこっそりと覗き穴からドア一枚隔てた向こうの様子を伺うと、不審者はドアの向こうで何やら喚いている。
「こら、てめえ……何で閉めんだよ!」
何故と言われても、怪しい奴を家に入れる程カイトは無用心ではない。
無言のカイトに焦りを募らせたのか、はたまた周囲の人目が気になるのか。
男はきょろりと辺りを見渡し、おもむろに被っていた帽子を脱いだ。
その下から現れた見覚えのある頭髪に、カイトは思わず声を漏らす。
「W?」
そこにいたのは紛れもないWだ。
金髪に赤毛の派手なツートンカラーなどそうそういるものではない。
扉の前に立つ男が知り合いだと判明し、カイトはがちゃりと鍵を解錠しドアを開いた。
鍵の開けられる音に気づいたのか、Wは開いたドアの間から今にも射殺さんばかりの眼光でぎろりとカイトを睨みつけている。
「てめぇ……門前払いとはいい度胸してんじゃねえか」
「生憎だが不審者の訪問と新聞の勧誘はお断りしている」
「誰が不審者だ誰が!」
荒い口調でカイトと口喧嘩を交わしながら煩わしそうに黒渕眼鏡を取り去ったその顔は、正真正銘、カイトの見知った人物であるW本人に間違いない。
知人を不審者扱いしたとなればとんだ失礼にあたるが、カイトは見るからに怪しい人物を家に入れたくなかっただけである。
言うなればこれは正当防衛。
そもそもこんな妙な格好のWに文句を言われる筋合いはないというのがカイトの見解であった。
「何だその格好は」
「これか?変装だよ、へんそう」
口元を覆っていたマフラーを緩めながらWは堅苦しそうに息を吐いた。
外界から隔離された空間に籠ることの多いカイトがテレビやネットを目にする機会は少ないが、それでも人づてにWがデュエルの大会で優勝したというニュースは聞いている。
そして未だにあまり実感はないのだが、どうやら世間ではWはちょっとした有名人になっているらしい。
それで先程の妙な変装というわけなのかと咄嗟にカイトは把握したが、目の前のWは特に変った様子もない。
人目を憚るほど有名なのかと意外に思いながらも、依然としてカイトの中ではWが有名人であるという事実にはピンとこないままだ。
「で……何の用だ?」
カイトにとってはWはただのWである。
これまでの経験から凡その答えは予想していたが、一応念のために尋ねた。
「嫌ですねぇ。自分から呼びつけておいて何の用?とは…」
カイトの問いに答えたWの普段耳慣れない丁寧な口調にカイトはピクリとこめかみを震わせた。
「……俺じゃない。お前を呼んだのはハルトだ」
「そうでしたか?まぁどちらでも変わりありませんけどね」
Wとはそれなりの付き合い…腐れ縁と言うべきか……いや、悪友といっても過言ではないであろう。
そんな彼に妙な言葉遣いで話され、カイトは何とも言いがたい薄気味の悪さに盛大に眉を顰める。
見るからに不愉快そうな反応を見せたカイトにWは可笑しそうに口角をつり上げた。
「トリックオアトリート?」
いたずらを仕掛ける子供のような表情そのままでWはカイトに問いかける。
「……本当に菓子をねだりに来たのか」
「ねだりに来たとは人聞きの悪い。どんなもんか味見してやろうって言ってんだよ」
ほら、さっさと寄越せ。と要求するWの言葉にカイトは諦めに似た溜息を吐き出した。
良くも悪くもこれが自分の知っているWという人間である。
ニヤリと質の悪い笑みを浮かべるWを一瞥し、こんな男の何が良いのだろうかと決して少なくないであろうWのファンを思うと慰めの言葉も出ない。
「どうしたよカイト?もしかして、イタズラがお望みなのか?」
Wもカイトも似通った身長だ。
目線があっているからこそ、至近距離でぐっと覗きこまれると言い知れぬ圧迫感に襲われる。
なまじ半端な付き合いではない為か、揶揄のつもりなのであろうが全く笑えない。
まったく下世話な男である。
かと思えばたまに育ちの良さを見せつけても来るのだから余計に質が悪い。
いい加減どちらかに決めて欲しいくらいだとげんなりするカイトに第三者の声が投げかけられた。
「よぉカイト」
会話に割りこむように降ってきた声にカイトとWが振り向くと、そこにはカイトの良く見慣れた2人の人物の姿があった。
「ゴーシュ……それに、ドロワ」
いつの間にかすっかり玄関前で話し込んでしまっていたカイトとWの2人に遠慮することなく、ゴーシュは大手を振って近づいた。
「よくも俺らを置いて帰りやがったな?今日はきっちりもてなしてもらうからそういうノリでいろよ?」
文句を言っているわりには随分と楽しそうな様子でゴーシュはWを押しやりカイトの眼前に人差し指を突きつけた。
突然の訪問者にカイトは面食らっている。
ゴーシュとドロワは謂わばカイトの同僚だ。
共に父であるDr.フェイカーの研究所で働いており、最後に姿を見たのは今朝のこと。
分析を終えたカイトが研究所を出た際にはまだドロワは仮眠室。ゴーシュは机に突っ伏して睡眠を貪っていた。
デカイ図体で馴れ馴れしく肩を組んでくるゴーシュをカイトは飼い主にじゃれる大型犬のように感じていたのだが、どうやらそれが面白く無い人物がいるようだ。
「おい。何ベタベタしてんだよ?」
「あ゛ン?」
一瞬にして全てを地の底へ叩き落とすかのようなドスの利いた声に、ゴーシュの地を這うような低音が響く。
「ん……お前、確か…バイロンとこの」
バイロンは今でこそ製薬会社を立ち上げ独立しているが、以前はDr.フェイカーの研究所で共同研究をする仲間であった。
その関係で度々バイロンの家族とは面識があり、バイロンの3人息子の次男であるWのことを覚えていたのであろう。
バイロンの研究を手伝おうと日々勉学に励んでいる長男や三男と違い、ただ一人父バイロンの興した家業を継ぐかどうか未定であるWは、何度か駆りだされたパーティーで見た些細な顔など気にも止めていなかったのであろう。
やたらとカイトに馴れ馴れしく振る舞うゴーシュに不穏な空気を隠しもしない。
「いい大人がトリックオアトリートってか?」
Wはゴーシュに向かって挑発するかのようにクツクツとせせら笑った。
対するゴーシュはあからさまなWの挑発にくっきりと額に青筋を浮かべ、負けじとWに食って掛かる。
「俺がいい大人ならテメェはどうなんだよW?…確かテメェ、俺と2つ違いじゃなかったか?」
「2つ?何かの冗談だろ?」
残念なことに両者とも沸点は限りなく低い。
このまま扉を閉めてしまおうかと頭をよぎったカイトより早く、場に凛とした制止の声が響いた。
「やめないか2人共。人様の玄関先でやることではないだろう」
正論すぎるドロワの声にゴーシュとWは互いに舌打ちする。
「中で騒がれても困るが、近所から苦情が来る前にさっさと入れ」
カイトに言われ、渋々靴を脱ぎ廊下を進むWと、その後を気持ち間をとってWに続くゴーシュの背中というのが何だか奇妙である。
ゴーシュとWをリビングへと進ませた後、カイトはドロワを振り返った。
「ドロワも──」
「あぁ。……すまないな騒がしくて」
「いや…」
同じ空間で働いていても十分感じてはいたが、ドロワは本当に有能な人間である。
ほぼ一日中同じ部屋で一緒に作業をしていても、これまで外部での交流は皆無に等しかったのだ。
この場にドロワがいなかった時の展開を想像してカイトは薄ら寒さに背中を震わせた。
「ドロワのおかげで助かった」
「…っ、いや、私は別に……」
カイトが礼を言うと、几帳面に脱いだヒールを揃えていたドロワの肩がびくりと震えた──気がした。
「ドロワ?」
「お、…お邪魔します」
彼女の長い前髪に隠れてカイトにはよく見えなかったが、心なし慌てた様子でドロワはゴーシュとWの後ろを歩いて行った。




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