アーカイヴ
ARCHIVES PHOTOGRAPHS
日  野
HINO
「アーカイヴ」(Archives)…「公文書、古文書」と私の英和辞典にありますが、ここはそんな大げさなものではなく、私の古いアルバムから引っぺがした古い写真を画像化してご覧頂こうという所です。気に入っていただけるかどうか分かりませんが、よければご覧になっていって下さい。
 なお、スナップ的な写真ばかりなのと、写真自体の劣化によって、より見苦しい画像になっているかもしれませんが、ご了承下さい。

 ここでは、1980年代後半に撮影した京浜急行電鉄バスの旧型車輌の画像をご覧頂きます。昔の話でかなり記憶があやふやになっていて、説得力のないコメントになってしまっていますが、暖かな目で見ていただければ幸いです。
 車両メインではないが、同じ時期に撮影した南高校の折返所の画像があるので、ご覧頂こうと思います。
 南高校は神奈川県横浜市港南区にあり、上大岡駅から〔上1〕系統で約15分、急坂をあえぎながら走ってたどり着きます。付近は横浜市営バス(2006年1月に廃止)や神奈中バスのエリアで、京急のバスは何となく場違いの感じもして、歴史的な興味を感じさせます。
 スイッチバック方式の折返所で、バスが到着すると誘導員が小屋から出てきて笛で車両をバックさせるシーンが見られます。また、営業所から離れた系統である事からここにはバス3台分の駐車スペースがあり、ダイヤによっては運転手の食事等による長時間の休憩で停車している車両の姿を見る事ができます。
南高校
〔H5868〕 三菱ふそうP-MP618P(1988年)
〔SE5602〕 三菱ふそうP-MS725SA(1986年)
 日産ディーゼル
NISSAN DIESEL
〔F3830〕 日野P-HT235BA(1988年)
〔E3825〕 日野P-HT235BA(1988年)
〔E3826〕 日野P-HT235BA(1988年)
〔S3847〕 日野P-RU638BB(1988年)
〔F3831〕 日野P-HT235BA(1988年)
〔D2159〕 いすずK-CJM500(1981年)
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 この〔上1〕系統は途中の道が極めて狭く、当時は準大型のナロー仕様車が専用で運用されていました。
(現在でも中型車が使用されています)
 停車している車両はA2403号車・いすゞP-LT312J。ご覧の通りの細身のボディです。フロントには夜行高速バス宮古線(ビーム・1)、徳島線(エディ)の運行を告知する横断幕が掲げられています。

南高校
三菱ふそう
MITSUBISHI FUSO
〔H2448〕 いすずP-MR112F(1984年)
A7905
型式/P-U33L(1989年)
撮影場所/神奈川県横浜市西区(横浜博覧会会場)
1989年に開催された「横浜博覧会」では、横浜駅西口~博覧会会場間を首都高速経由で結ぶバス路線が設定され、6者共同で運行されました。(京急の他横浜市・神奈中・相鉄・東急・江ノ電)京急は相鉄の専用車と同じ博覧会カラーの車輌を投入していました。ただし、相鉄とは違って車両の仕様そのものは一般車と同じだったようです。
F3830
型式/P-HT235BA(1988年)
撮影場所/神奈川県横須賀市(京急久里浜駅前)
このカラーは貸切車でも試用されていたようです。
E3826
型式/P-HT235BA(1988年)
撮影場所/神奈川県三浦市(三浦海岸駅前)
このカラーはゴージャスな感じはするが、あまり京急らしくはないし、一般路線バスとしては重い気がします。正面の方向幕は三浦海岸駅発着の物ではないが、クルクル回転させている途中だったかも知れません。
E3825
型式/P-HT235BA(1988年)
撮影場所/神奈川県横須賀市(衣笠駅前)
創業90周年を前にして新塗装採用の動きがあったようで、路線車では横須賀・三浦地区の日野の新車でいくつかのパターンの試験カラーが施されました。このカラーは他に三崎〔営〕のG3829号車にも採用されていました。
S3847
型式/P-RU638(1988年)
撮影場所/鳥取県米子市(米子駅前)
1988年に運行を開始した品川~鳥取・米子線夜行高速バス「キャメル」号の専用車。塗装は現在の京急の夜行高速バスの統一カラーとなり、一部のミニバスにも採用されています。
F3831
型式/P-HT235BA(1988年)
撮影場所/神奈川県横須賀市(京急久里浜駅前)
試験塗装ではカラーそのものだけでなく、「KEIKYU」のロゴについても検討がなされていたようです。結局路線車では試験塗装は全てボツになり、伝統のカラーが引き続き使われる事になります。
 い  す  ゞ
ISUZU
H5868
型式/P-MP618P(1988年)
撮影場所/東京都大田区(羽田空港
ターミナル)
横羽線や羽田空港~川崎駅間の専用車。カラーは東京空港交通(リムジンバス)の色違いでしたが、短命に終わりました。
ここは1993年10月までのターミナルで、今はこの場所のすぐ近くに、新しい国際線ターミナルがオープンしました。
SE5602
型式/P-MS725SA(1986年)
撮影場所/神奈川県横浜市西区(横浜博覧会会場)
呉羽ボディを架装したスーパーハイデッカー「エアロクィーンK」。「スーパーカスタム」の愛称があります。塗り分けも普通の貸切車とは異なっていました。

南高校

〔A7905〕 日産ディーゼルP-U33L(1989年)
D2159
型式/K-CJM500(1981年)
撮影場所/神奈川県逗子市(逗子営業所)
「ワン・ロマ」車。広告の影に一部が隠れていますが、側面の「KEIKYU」のロゴが今のものとは違います。
※営業所敷地外の公道から撮影
H2448
型式/P-MR112F(1984年)
撮影場所/東京都大田区
    (京急空港線羽田空港駅〔旧〕)
当時の羽田空港駅は空港(旧)ターミナルから遠く(今の天空橋駅より蒲田寄り)、電車も線内折返運転だったため、空港アクセスとしては機能は低いものでした。とはいえ、湾岸線開通前の首都高速は慢性的に渋滞が激しく、乗り換えの不便はあっても時間に正確な電車を利用する空港利用者も少しずつ増えてきていたため、ターミナルとのアクセスを確保するため小型車による路線が運行されていました。