〔参考文献〕
「バスマガジンvol40・125」(講談社ビーシー/講談社).
「バスラマインターナショナル183」(ぽると出版)

〔参考サイト〕

「竹バス資料館」(現在は閉鎖の様子)
「終点の記憶」 上竹仁 2008年3月6日撮影
〔福山22く537〕
福山22く537
広島駅前で,確か1990年の春の撮影だったと思います。西条行なのですが、画像ではわかりにくいのですけれど福山ナンバーでした。どういう運用だったのでしょうか。
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2024. 7. 1
日野・その他(新設)で画像を合計4枚追加しました。
終点の記憶 - A memory of bus terminus -

上竹仁
Kami-Takeni
広島県東広島市
Higashi-Hiroshima City, Hiroshima Pref.

 西条駅〜篠〜上竹仁線は昼11時58分西条駅発が始発、折返し上竹仁13時30分発が最終という、1日2往復、しかも休日は全便運休というローカル線。最近では珍しくもないか…。
 県道から1本外れた小道の行き止まりの近くに位置する終点では、東京付近では皆無に近くなった小ぶりな車庫と、荒れ果てた廃車体が到着を待っていてくれました。しかし付近は人通りもほとんどなく、折返し「最終」の乗客は私1人。果たしていつまで持ちこたえてくれるのか、正直心配も…。沿道で工事中の「福富ダム」「しゃくなげ湖」がこの終点、この路線の運命を決めるのかも知れません。
〔撮影日/2008年3月6日〕

 中には古タイヤなど、何だかわからない資材もそのまま置かれていました。車庫がある位だから、昔は夜間の滞泊もあって、この廃車体も何らかの形で車両の整備にも使われていたのでしょう。しかし現在、この路線は1日2往復だけ(休日は全便運休)であり、しかも現在のダイヤでは日中はすぐの折返し、始発の上竹仁発及び最終の上竹仁行は豊栄〔営〕からの直接の出入庫のはずですから、ここはもはや単なる折返場に過ぎません。
 ここまで荒廃が進むともはやレストアも考えられず、会社としても存在意義はないはずです。集落の人通りもほとんどない中、このまま人知れず朽ち果てていくだけなのでしょうかそれ以前にこの折返場、そしてこの路線自体がどうなるかわからないのですが…。
 せめて、ほんのわずかな回数ではありますが、いつまでもこの光景が残ればいいなと思っています。
「終点の記憶」 上竹仁 2008年3月6日撮影
「終点の記憶」 上竹仁 2008年3月6日撮影
「終点の記憶」 上竹仁 2008年3月6日撮影

 芸陽バス・竹仁線の終点、上竹仁には三角屋根の車庫があり、その隣には極端に色あせた廃車体が「放置」されています。
 割れたフロントガラスから覗き見た限りでは、この車両は三菱ふそう製で、窓ガラスには「10月10日広島バスセンター移転」なんて事も書かれていたようです。バスセンター移転は1974年の事のようだから、30〜40年ほど前に広島市内で活躍していた車両のようです。

 訪問後、磯松線が竹仁線を統合し、上竹仁を途中経由地(往復運行)とする形態に改められたことで、平日は増便・土休日も運行が確保された時期もありました。しかし結局、2017(H29)年10月を持って上竹仁経由は取りやめとなり、2024(R6)年現在では、上竹仁付近は公共交通の空白域となってしまっているようです。
芸陽バス GEIYO BUS