アーカイヴ
ARCHIVES PHOTOGRAPHS |
641-2984
形式/K-CPA550(1982年)
撮影場所/愛媛県松山市(松山駅前)
撮影日/-
松山高知急行線「なんごく」号。
641-5981
形式/P-LV219Q(1985年)
撮影場所/-
撮影日/-
貸切車。これも撮影場所を完璧に忘れてしまいました。
641-6922
形式/P-LV219Q(1986年)
撮影場所/岡山県岡山市
撮影日/1991年
高松・琴平~岡山・倉敷間の「瀬戸大橋高速バス」で、JR四国は在来車を塗り替えて使用していました。
「「アーカイヴ」(Archives)…「公文書、古文書」と私の英和辞典にありますが、ここはそんな大げさなものではなく、私の古いアルバムから引っぺがした古い写真を画像化してご覧頂こうという所です。気に入っていただけるかどうか分かりませんが、よければご覧になっていって下さい。
なお、スナップ的な写真ばかりなのと、写真自体の劣化によって、より見苦しい画像になっているかもしれませんが、ご了承下さい。
古いアルバムを整理した所、これだけの古い写真が出てきましたのでここに公開いたします。全てJR四国(四国旅客鉄道)直営時代のものです。上でも取り上げたが、JR四国はバス分社の前にほとんど全てのローカル線を整理したため、今では見られなくなった路線が大半です。その辺も楽しんで頂ければうれしいです。
(車両は全部いすゞ)
531-9425
形式/BU04(1979年)
撮影場所/-
撮影日/-
撮影場所も忘れました。スミマセン。予讃線の伊予大洲、卯之町のどちらかの駅前だったはずです。
641-8908
形式/P-LV719R(1988年)
撮影場所/高知県高知市(高知駅前)
撮影日/-
「なんごく」号の特急便車両。一般道経由ながらマルチステレオが装備されていたりして、結構豪華でした。
531-1417
形式/K-CJM470(1981年)
撮影場所/高知県高知市(高知駅前)
撮影日/-
大栃へ行くバス自体は土佐山田駅からかろうじて残っているが、当時は高知からも直通運転がありました。
641-6907
形式/BU20KP(1976年)
撮影場所/-
撮影日/-
これも撮影場所を忘れてしまいました。松山高知急行線「なんごく」号。
20年前の1989年1月、昭和→平成と時代が変わった直後で、まだその混乱の余韻が残る最中でしたが、初めて四国に行ってきました。当時のJRには「ワイド周遊券」「ミニ周遊券」というものがあり、鉄道の他、JRバスも乗り放題で多くの鉄道ファンの旅の定番になっていました。私はこの内、四国ワイド周遊券を利用し、鉄道だけでなく、JRバスもかなり乗ってきました。今思うと、撮影した写真はそれ程多くはないですけれど、その中には、いまやほとんど見られなくなったJRバスの画像が何枚かありました。
〔左上〕 南予線。すれ違うJRバスは、逆光でわかりづらいが、「急行 宇和島」という行先を掲げています。
〔右上〕 松山高知急行線。当時は特急が2往復あり、全線一般道経由ながらマルチステレオも装備したデラックス車両が投入されていました。(下に画像があります)映画も上映していて、乗車した日には田中裕子主演の「二十四の瞳」を上映していました。ただ、トイレはなくて、松山発高知行は高知県に入って引地橋で休憩を取っていました。その時にドライバーに撮っていただいた画像です。言うまでもなくバスの前に立つのは管理人です…。
〔左下〕 西讃線。観音寺駅前。もう夜だったし、雨も降っていて、あまり強い記憶はないのが正直な所です。
〔右下〕 窪川線の終点志和。太平洋に面した漁村の一角。山の上からぐんぐん下っていきます。下にも書きましたが、種村直樹著「さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅」に触発されて行った所です。現在は四万十交通によって運行が続けられています。
331-7018
形式/CCM410(1977年)
撮影場所/高知県窪川町(窪川駅前)
撮影日/確か1989年2月
「窪川⇔興津」という行先表示。窪川のJRバス路線は、2006(H18)年からは四万十交通が運行しています。
331-1407
形式/K-CCM410(1977年)
撮影場所/高知県窪川町(窪川駅前)
撮影日/確か1989年2月
上に書いたように、種村直樹著「さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅」に触発されて乗りに行った記憶があります。
531-8412
形式/BU10(1978年)
撮影場所/徳島県池田町(阿波池田駅前)
撮影日/-
川池本線川之江行。逆行気味でフレアがキツく、見づらいのは申し訳ありません。
641-8903
形式/P-LV719R(1988年)
撮影場所/香川県高松市(高松駅前)
撮影日/-
貸切車。高松駅付近は駅の移転・再開発で、撮影当時とは随分様相が変わってしまいました。