―杉野 遼二(すぎの りょうじ)

平成○年六月六日より

A&Kカンパニー 本社 秘書課 秘書室 勤務を命ずる―



「・・んだよ、これ・・・。第3三希望まで書いたのに・・・。
秘書課なんて・・・なんでこんな女の仕事の部
署に配属されんだよぉ・・・」

三ヶ月の研修期間を終え、明日からいよいよ正社員としての第一歩が始まる。

緊張と期待の
中で受け取った配属通知書を見て、杉野遼二はガックリと肩を落とした。


本社の本会議室で順番に通知書を受け取る。

先に配属通知書を貰っていた遼二の彼女高野
真紀(たかの まき)も、浮かない表情で遼二のところに来た。


「遼ちゃんはどこだった・・・。私なんて全然希望じゃない部署に・・・ぎゃぁぁぁ!!」

遼二からひったくるように取り上げた配属通知書を見た真紀の絶叫が、会議室中に響き渡っ
た。

直後、会議室からつまみ出された二人だった。



「何だよ真紀、あの大声は!カッコ悪いし、睨まれただろ。だいたい大声出したいのは俺の方
なの!」

追い出された廊下の隅で、遼二が真紀にぶつぶつ文句を言っている。

真紀にとっては遼二の文句など二の次だった。というよりもまるで聞いていなかった。


「何で遼二が秘書課で私が営業よぉ!私なんて弟一希望から弟三希望まで秘書課って書いた
のに!」


お前のその性格は、まさしく営業向きだろ・・・遼二自身は真紀のように、絶対にここの部署という思い入れはなかった。

ただ、秘書課という
のが自分の視野の中になかっただけのことだ。


だけど、あながち人事配属も間違ってはいないよなぁ・・・遼二は憤慨する真紀を見て妙に納得した。






翌日、遼二は気を取り直して出社した。

どうしても自分に合わない時は人事部に部署異動の
申請をすればいい。

それはちゃんと就業規則の社員の欄に権利として記載されている。

とりあ
えず精一杯頑張ろうと、羨ましげに見る真紀とフロアの入り口で別れた。



A&Kカンパニー。

各企業が入っている五十階建ての最上階、その階の全フロアを所有してい
る。

レストラン経営とその資材を賄う。

まだまだ新興企業としてのイメージが強いが、ここ数年の急
成長で学生達の間では人気の就職企業のひとつになっていた。



フロアの入り口には受付があり、常時二名の女子がインフォメーションを務める。この受付けは
総務課に属する。

各部署の配置は、受付から、右側に広報課、資材部、秘書課、左側に営業
部、総務課、企画部となっていた。



「あの・・・すみません」

秘書課も入り口は受付になっている。

会社の窓口の受付が広く清潔感のある雰囲気なら、こ
の秘書課の受付けは、重厚で豪華VIP対応といった雰囲気だった。

それだけに遼二はやや緊
張していた。


「君が杉野君ですね」

受付にいた男性がにっこり微笑んで遼二を迎えた。

「は・・はい!杉野遼二です!」

遼二は深々と頭を下げた。

「よろしく、橋本(はしもと)です。遅かったですね。じゃ、こっちへ」

「えっ・・・?」

遼二は、にこやかに微笑んではいるものの橋本の言い方にトゲを感じた。


―遅かったですね―


始業時間は午前9時からなので、今は8時30分。30分前には着いている。

研修期間中など、い
つも30分前の出社を褒められていた。


「遅かったですか?研修期間中は30分前の出社は褒められてましたけど」

「君はもう研修生じゃないでしょう」

橋本はやんわりとした口調で言った。やわらかい口調の割には反論出来ない言葉だった。

「・・・すみませんでした」

また遼二は深々と頭を下げた。

頭を下げたとはいえ、内心は悔しくて仕方なかった。

今まで褒められ続けた朝の30分前が通用しなかったのだ。

しかも研修期間中のことなど問題
外のように言われた。

顔を上げた遼二に橋本がくすくすと笑った。

「・・・何がおかしいんですか?」

悔しくて仕方ないところにダメ押しのような橋本の笑いで、一度は我慢した遼二もつい感情的
に言葉を発してしまった。

「あー、ごめんね。いやそれにしても君、表情豊かですね」

笑いながら部屋のドアを開けて手招きする橋本に、すかされたような遼二は朝の意気込みも
早々とくじけそうになった。





手招きされて通された部屋は広く、窓は全てブラインドが降りているにもかかわらず明るかっ
た。

机の上も見事なほど整頓されていて、雑然とした仕事場を想像していた遼二はつい今しが
たのくじけそうな気分も忘れてしばし見とれてしまった。


「何突っ立てるんですか、ここが君の席です」

六つのワークディスクがそれぞれ二列並びに、単独で入り口に向いて配置されている。

遼二は入り口に一番近い席だった。

秘書室には遼二、橋本の他に三人がいた。全員男だった。しかも橋本を筆頭にみんな若い。

きちんとスーツを来て髪の毛もきれいに整えている。

遼二はまず三人に順々に挨拶をした。

「よろしく、長尾(ながお)です」

男性には珍しいセンター分けヘアスタイルの長尾だった。

「よろしくね、高田(たかだ)です」

くっきり二重まぶたと長い睫毛が印象的な高田が、その睫毛を伏せて遼二に微笑んだ。

「吉川(よしかわ)です、よろしく」

童顔でありながら、キリリッとした太い眉毛が凛々しい印象の吉川だった。

みんな一様にゆったりと構えている

。朝の始業前の騒々しさや、まだ寝ぼけまなこで目をこす
っているような雰囲気などみじんもなかった。

「あと進藤(しんどう)さんがいますが、社長付なので今社長と出張中です。
そこの後ろの席で
す。そしてこの部屋の両隣、向かって右が社長室、左が秋月さんの執務室です」

秋月さん・・・遼二は橋本の説明に入社試験の面接を思い出していた。

「あの・・・面接の時にいた方ですよね」

「良く覚えていましたね。ああでも、年寄りばかりの中にいたから印象に残っているんでしょ
う」

橋本は遼二の記憶力は会社の年寄りのおかげとばかりに言った。

その言い方にも遼二はカチンときたが、それよりもむしろ橋本がこともなげに会社の重鎮たち
を年寄り呼ばわりしたことに驚いた。

遼二は常にニコニコと笑みを絶やさない、一見人当たりの良さそうな橋本をまじまじと見た。





急に長尾たちが席から立ち上がった。

遼二は咄嗟のことにわけがわからず、とにかくみんなと
同じ体制をとった。

「9時です。常に時間を計ることを忘れないように」

橋本が早口で遼二に言った。

どんなにゆったり構えているように見えても、彼らはちゃんと時間を計っているのだ。

遼二は橋本の注意に今度は素直に頷くことが出来た。



始業開始とともに執務室のドアが開いて、秋月和也(あきつき かずや)が出てきた。

おはようございますの挨拶と共に一斉に頭が下がった。

みんなよりワンテンポ遅れて遼二が頭を上げると、正面に和也の顔があった。


「うわぁっ!」

いきなりの大アップに思わず遼二は声を上げて仰け反ってしまった。

「・・・面白い挨拶の仕方だね。よろしく」

にっこり微笑んで、和也はまた執務室に戻った。



「び・・・びっくりした・・・」

「杉野君、君ってほんとリアクションの大きい顔ですねぇ・・・」

橋本がちょっと困ったような笑顔で遼二に言った。

「はぁ?」

橋本の言葉を三回頭の中で反芻して、リアクションの大きな顔ってどんな顔だ!と、また感情も
あらわに突っ込もうとした時、

「ほら、こんな顔です」

橋本に両方の頬を挟まれてグリグリとされた。

「ちょっ・・・やめ・・!」

「仕事中です。大声を上げないように」

やわらかい口調の橋本が、少しだけ厳しい言い方で遼二に注意した。

上げさしてんのはてめーだろ!怒鳴りたい気持ちをかろうじて飲み込んで、遼二は頬を抑えな
がら橋本を睨みつけた。



「杉野君、スマイル」

橋本が遼二の頬を両サイドから引っ張った。


「うぎゃぁぁぁっっっ・・・・!」


「・・・今年の新人は騒々しいよね」

センター分けの長尾がため息をつきながら言った。しかし、その顔は怒ってはいない。

「全く・・・あんまり騒ぐとお仕置きしちゃうよ」

二重まぶたくっきりの高田がメッとその長い睫毛を揺らす。でも口元は笑っている。

ひとりケラケラと笑っていたのは吉川だった。

凛々しい太い眉毛が見事なほど八の字に変わっ
ていた。


涙目で呆然とする遼二に、橋本がにこやかに柔らかいその口調で言った。



「杉野君、いちいち人の言うことに顔色を変えていてはいけません。みっともなく取り乱してもだ
めです。
何があってもスマイルです。お客様に不安感を与えないこと。よそはどうか知りません
が、これがうちの秘書課秘書室です」







*コメント

教育繋がりとは言え、会社が舞台の大人社会です。1話〜5話くらいまでは話の長さを短くして
います。

出来る限りわかりやすく書き進めて行くよう努力いたしますので、どうぞ宜しくお願い致
します。


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