13



黒い革張りの大きな椅子が、グルングルン右に左に回転する。

両足を椅子に上げ、両手は肘付きに置いてグルングルン、つまらなさそうに社長室の椅子に
座る明良がいた。



A&Kカンパニー 社長室。

広さ約二十畳。ブラインドの掛かる窓側を背に、デスク。右側一面にガラス張り書籍棚。

経済
を中心に小さな本屋ほどの量の書籍が並ぶ。

秘書課と通じる左側には、飾り棚と生花を置く台。

生花は直径50cmの大きな円形の花瓶に、季節の花々が競合し咲き誇るさまをイメージして
いる。

癒すというより、力強さを重視した生け方のようだった。

飾り棚には、全体をそのまま縮小したA&Kカンパニーの模型が飾られている。

模型は、外観の所属するビルと五十階部分の見取り図。



デスクから正面を臨んで応接ソファ。配置として若干右、書籍側に寄っている。

そして正面の扉。秘書課以外の社員、来客は正面扉を使う。



秘書課は受付を正面に行くと秘書室、右側の廊下を通れば社長室、左側が和也の執務室とな
る。

挟まれた恰好の秘書室は、中でそのどちらの部屋とも繋がっている。





「・・・何で男ばっかりなんだよ」

グルンと椅子を回転させながら、明良が不服そうに呟いた。

しかし、応答が無い。

さっきもこれで散々いやな思いをした明良だったが、今度は我慢する必
要のない相手だった。


「なぁっ!聞いてんのかよ、親父ってば!!」


「うん・・・、何でなんだ・・・?」


忙しい合間のほんのひと時、応接ソファで新聞でも読みながら寛ぐつもりが、いきなりノックもな
しに飛び込んで来た息子の愚痴に付き合うはめになってしまった。


A&Kカンパニー代表取締役社長 一谷 秀行(いちたに ひでゆき)


「オレが聞いてんだろ!」

もう!と明良の口が尖る。

「・・・誰が決めたんだ?」

新聞を読みながら、しかし息子の横柄な口の利き方などまるで気にしない父であった。


「誰って、親父が決めんだろ?」

今度は椅子に反対向きに両膝を付き、背もたれに両腕を掛けて腰を浮かせる。

落ち着きのな
い行動が、今の明良の気持ちを反映していた。


「父さんが決めるのか・・・?」

「・・・・・・・・・もういい」



明良には、父が半分上の空で自分の相手をしていることくらいわかっていた。

それでも父はし
ゃべりかければ応えてくれる。

秘書課の連中のように、無視などしない。

明良はそれだけでよかった。



普段から忙しい父であった。

明良が自分の家で暮らしていた時は、一週間くらい父親と顔を合
わさないことなどざらだった。

和也の家で暮らすようになってからの方が、父親と顔を合わす機会が多くなった。

明良
が頻繁に会社に来るようになったからだ。

和也は明良の時間が許す限り、明良を会社に来させるようにした。


会社で明良は「坊ちゃん」と呼ばれるが、秘書課は明良のことを「明良君」と呼ぶ。

特別仰々しい扱いもしないし、そこにいるからといって常に相手をするわけでもない。

しかし明良の送迎や社内移動の時は、必ず秘書課の誰かが後ろに付く。

それははっきりと立場の違いを明確にするものでもあった。

和也はそうやって明良を会社の組織に触れさせ、自分がどの立場にいるのかを把握させる手
段とした。


最初の頃、明良は有頂天になった。どこへ行くにも大の大人が自分の後ろに付く。

まだ15歳になったばかりの少年には、自分は特別なのだと錯覚してしまうのも無理からぬこと
ではあった。

ところが有頂天は長く続かなかった。

彼らにはそれ以上がなかった。

彼ら、すなわち橋本にしても長尾にしても、秘書課全員は明良に対して特別気を使って話しか
けるとか機嫌を取るとか、ましてやお世辞など誰も言うものはいなかった。

けして日々の仕事の中に、明良に対しての私情は交えない。

時にそれが、今回のように無視されたような状況を作り出すのだった。

もっともそれは明良だけではない。行く行くは明良のブレーンとなる彼らなのだ。

裏を返せば秘書課全員も、和也から明良に対する厳しさと同じだけの姿勢を要求されている
のだった。


他の部署の社員たちは、明良を見れば「坊ちゃん」「坊ちゃま」と声をかけてくれるし、何かと構
ってくれる。

明良にとって心地良いことが、優しい人たちと感じるは無理からぬことと言えた。


これがこの間の日曜日、新装オーブンしたショッピングセンターに行った帰りの車中で、和也に
問われるも黙秘した明良の答えだった。



『 「他の・・・秘書課の人たちは優しくないの」


  「・・・・・・・・・・・・」


  ―明良はそれには黙ったままだった―  』



ちやほやと無視。

その両極端な扱いに明良はジレンマを感じ、和也は明良がジレンマを感じは
じめたことが、さらなる自覚の第一歩と思うのであった。







―コン、コン・・・

秘書室側の扉からノックの音がした。

咄嗟に明良は窓側ブラインドの方向にグルンと椅子を回転させた。

黒い革張りの大きな椅子は背もたれも高く、小柄な明良がすっぽり埋まるくらいは充分にあっ
た。



「失礼します。社長、明日のご予定ですが・・・」

社長付きの進藤が扉を開けるなり真直ぐソファの前まで歩み寄り、システム手帳を広げながら
明日の予定を読み上げた。


明良は椅子の背に体を埋めながら、進藤の読み上げる父親の予定を何となく聞いていた。

何も隠れる必要はないのだが、威勢よく会議室の椅子を蹴り倒して飛び出てきたものの、社長
室に逃げ込んだみたいに思われるのがまた悔しい明良だった。

事実逃げ込んだのだが。


「・・・・・・次に、午後7時からホテル森之宮様オーナーご夫妻と'soleil'(ソレイユ)にて、ご会食でございます。
談については順調と営業部から途中報告が入っておりますので、明日は仕事抜きでご歓談をお楽しみ下さいますようにとのことです。以上です」

進藤のパーマ気のないサラサラの黒髪が、顔を上げた拍子にパサリとサイドに流れた。


「・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・あの、何か?」

予定を読み終えて顔を上げると、まじまじと社長が進藤の顔を見ていた。


「ほんとだな・・・。いつの間にか秘書室に女がいなくなった」

「・・・はぁ?」

今度は進藤が怪訝な顔をして社長を見た。


「色気がないって話だ。進藤、お前その髪の毛切れ」

「えぇっ!!」


秘書課に四年もいると、少々のことは顔に出ない。常ににこやかに、お客様に不安感を与えな
い。

そんな訓練が進藤クラスになると出来ている。

出来ているはずの進藤が、思わず身を仰け反らした。

どうやら自分のことになると打たれ弱か
った。


「社長、お言葉ですが私身嗜みには充分・・・」

「髪の毛が肩に掛かってるぞ。チャラチャラと男の色気なんか気色悪いだけだ。予定は以上だ
な」

まるっきり言い分など聞いてもいない。社長にとっては進藤の言い分などどうでもいいのだ。

しかも明良に言われて気が付いた程度のことで、進藤は災難といえば災難であった。


「・・・はい、申し訳ございません。今日にでも切ります」

さすが秘書課四年目、いつまでも動揺は無い。

もう落ち着いた物腰に戻って進藤は頭を下げ
た。


―長尾の方がまだ長いのに・・・くそっ!―


心の中はまるで子供のような低レベルの悔しがり方ではあるが。



―オレなら秘書課の奴らみんな丸坊主にしろって言うのにな・・・―


社長である父と進藤のやり取りを聞いていた明良は、自分ならと想像を働かせながら会議室
での溜飲を下げるのだった。





「予定は以上ですが、来週秋月さんが三日間有給休暇を取られます」

社長の予定ではないが、和也、橋本クラスになると有給休暇の報告義務が生じる。


―えっ!オレ聞いてない、オレの飯どうなんだよ!―


相変わらず身を隠したまま、明良は聞こえる声にいちいち反応した。


「三日間?明良はどうするんだろうな・・・。まぁ、橋本がいるからいいか」

ぽつりと呟いた父の言葉に、明良は思わず身を乗り出してしまった。


「オレ嫌だ!絶対嫌だからな!!・・・・・・・あっ」


進藤と目が合った。

進藤は明良がそこにいたのを知っていたかのように、ニコリと笑顔を見せた。


「何だよ・・・・・・」

明良は少しばつの悪そうな、それでもまだ上目使いに意地を張った表情で進藤を睨み上げ
た。


「橋本さんは来週ニ日間営業部の園田さんと出張に行かれますが、日程は秋月さんの休暇と
被っています」

進藤は明良の睨みつけなど気にする素振りも見せず、橋本についても報告した。


「そうか・・・、明良どうする?二人ともいないらしいから、家に帰って来るか?」


隠れる必要の無くなった明良は、再び椅子をグルングルンつまらなさそうに右に左に回転させ
ながら返事をした。


「・・・・・・・・考えとく」



「会社では私や長尾!たちがいますので、ご心配はいりません」

やけに長尾を強調する進藤だった。

「長尾・・・そう言えばあいつも髪の毛長かったな。切るように言っておけ」

「承知いたしました。では私はこれで」

巻き添えを喰った形の長尾だが、進藤はやったとほくそ笑んだ。

仲の良い同期であった。



進藤が退室すると社長は父親の顔に戻り、再び新聞に目を通し始めた。

明良はそんな父の姿を退屈そうに眺めていた。


一年前、'soleil'(ソレイユ)のレセプションに出られなかった時でさえ、最初の言葉が残念だっ
たな≠ニしか言わなかった父だった。

父の方から何かあったのかと聞いてくれれば、話すことはたくさんあるのに。


「・・・・・なぁ親父ってば、何かオレに聞くことない?」

しびれを切らしたのは、やはり明良の方だった。

「聞くこと?そうだなぁ・・・」

バサリバサリと新聞をめくりながら、息子の相手をする。

半分上の空のところはあるが、これっ
ぽっちも鬱陶しそうな顔はしたことのない父であった。


「そんなに橋本が嫌いか?」

さっきの橋本の名前に、明良が盛大に反応したことを言っているのだ。


そう言うことを聞いて欲しいわけじゃないのに。

明良は橋本が嫌いと言うわけではなかった。腹が立つだけだ。

橋本だけではない、秘書課全員に腹が立った。中でも今日は橋本に一番ムカついた。


「嫌いじゃない・・・、腹が立っただけだ」


―どうして腹が立ったんだ?―


そこを聞いて欲しかったのだ。


「そうか。安心した」

明良の意に反して、あっさり父は納得した。

「何でオレが腹立つって言ってんのに、安心すんだよ!」

あっという間に話が終わってしまった。明良は父にも腹が立った。


「友達にだって腹立つことくらいあるだろ。父さんにだってあるだろ。違うか?」

「そうだけど・・・」

その通りなのだが、明良は何だかごまかされている様な気がしてならない。


「もうそろそろ終業時間だな・・・。明良どうする?一緒に帰るか?」

珍しく社長である父が定時に帰ると言う。それも一緒にと言う。


「・・・・・・どこに帰んの?」


一緒に帰るかと言われると、それはそれで不安になる明良だった。


―このまま親父と一緒に帰ったら、オレもう戻れないかも知れない・・・―


一年前だとそんな風には思いもしなかったのに。

和也の家に無理やり行かされて、父親から掛かってきた電話に怒鳴り散らした。


―最悪に決まってるじゃんか!オレいつそっち帰れんの!・・・めどが着くまで?何だよそれ!
はっきりしろよ!!―


一年前と現在、自覚は明良の思考に如実に現れていた。





「どこって・・・どこに帰るつもりなんだ?」

「・・・・・・・・・・もういい、オレ帰る」


問い掛ければ問い返される。今まで強制されていたことが、選択に変わる。

連れ戻されるのではなく、自分で帰るべきところに帰るのだ。


明良は左側秘書室の扉ではなく、正面扉から社長室を出た。







「あれっ、長尾は?」

社長付き進藤が、明日の予定をひと通り伝え終わって社長室から出てきた。

明良が社長室を出る30分ほど前のことだった。

「営業部に行ってます。ホテル森之宮の件だそうですが」

吉川がそつなく答える。

高田はそれどころではなかった。もう進藤は社長室から出て来てしまった。

進藤からの書類の催促に、必死でキーボードを叩いていた。

「ふ〜ん、じゃあ僕もちょっと営業部に行ってくるから」

少しほっとしたのは高田だった。

横でまだかまだかと急かされたのではたまったものではな
い。

やれやれとひと息ついた高田を、進藤が見逃すはずはなかった。


「高田君、僕が帰って来るまでに報告書の下書き完成させておいてよ。
う〜ん・・・一誤字10発
ね。出来てなかったら一誤字分×10ね」

百叩き宣告をして、進藤は秘書室を出た。







午後五時。A&Kカンパニー就業時間終了。

とうとう明良は執務室には帰って来なかった。

和也は、しかし待つことはしなかった。いつものように、さっさと帰り支度をする。



明良と暮らすようになってから、定時に退社するようになった。

その代わり在宅での業務が増えた。会社との連絡は常に取れるようになっている。


時々和也はまとめて有給休暇を取る。

橋本にしてもそうだが、普段の彼らはほとんどプライベ
ートな時間は無いに等しい。

有給休暇は彼らにとって、唯一の私用時間であった。



「後、宜しくお願いします」

和也は橋本に後を任せて、そのままビル地下の駐車場に向かった。


秘書室を出る時、受付には遼二が立っていた。

社長室から出て来た明良とすれ違いで受付に立った遼二には、会議室を飛び出して行ったま
まの明良がどこにいるのかわからなかった。

だが遼二は和也に挨拶をしただけで、明良のことについては何も聞かなかった。

自分だけが明良の心配をしているのではない。皆が明良を見ている。

遼二は、まだ自分はその領分ではないと思った。


―もう少し周りの状況を見て、考えることが必要だよ―


先輩たちに任せ信頼して様子を待つべきなのだと、高田の言葉に教えられた遼二だった。







ビルの地下駐車場は3Bまであり、各企業の駐車スペースがきちんと割り振られている。



プジョー607 黒。 和也の車。

流線型なのと、外車にしたら全体がコンパクトなところが和也のお気に入りであった。


「・・・明良君」


明良が地べたに座り込んでプジョーにもたれていた。帰る和也を待っていたのだ。


「オレも帰る」

明良がパンパンと尻の埃を払いながら立ち上がった。


「私はこのまま帰ってもいいけど、君はそれでいいの?」

和也は明良の前に立って、ひと言だけそう言った。


―それでいいの?―


ここでも明良は、選択を余儀なくされる。

いいわけがない。このまま帰るということは、秘書課全員に背を向けることになる。


和也は黙って明良を見つめているばかりだった。


明良がいきなりダッ!と走ってエレベーターに駆けて行った。

高速ノンストップで一気に五十階到着。自社の受付を走って抜ける。


「まぁぁっ!明良坊ちゃま!」

「坊ちゃま!会社の廊下を走ってはいけませんよ!」

日頃仲の良い受付嬢も目に余る時は明良に注意するが、全く効果はない。

秘書課受付に着くと遼二が立っていた。

「明良君!」

安堵の遼二が、明良を迎えた。

「へへっ・・・」

明良はもう普段のままだった。

いつもの少し照れたような笑顔を遼二に返して、秘書室へ入って
行った。







今度は和也が駐車場で自分の車にもたれていた。

明良のように地べたに座ることはない
が。

中の運転席ではなく、和也も外で明良を待っていた。

十分が過ぎ、二十分が過ぎる。


駐車場のエレベーターが開いて、一団が降りて来た。

和也はもたれていた身を起こした。


明良を先頭に、その後ろに橋本、高田、遼二がいた。


橋本が後ろに付くということは、明良が自分できっちりけじめをつけたことを意味する。

和也には、明良がどのようにして橋本にけじめをつけたのかはわからない。

少しずつだが、自分にもわからないところで明良が動くようになった。


不安定ながらも確実に前へ進んでいることを確認しながら、一団を引き連れてこちらへ向かう
明良を、和也は身の引き締まる思いで見ていた。


大切な後継者の育成に携わる者としての責務と自覚が、厳しく和也を律するのだった。







※コメント

会議室の椅子の蹴り倒しでは、明良は尻を叩かれることはありませんでした。

充分に考え自分
でけじめをつけたことに対して、わざわざお仕置きする必要はありません。


次は、明良対橋本?とか長尾・進藤の同期がまた営業部にご迷惑?とか、遼二、明良につき
まとわれ?などなどです。



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