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A&Kカンパニー 始業午前9時― 。

鳴り響く電話。やり取りの営業マンの声。アシスト女子の声。


「一日の勝負は朝で決まる!もたもたするな!
椅子に座って仕事が出来るか!!さっさと出て
行けー!!」


園田一喝の号令の元、営業部は朝からすでに臨戦態勢で臨む。

営業マンたちは行き先をホワイトボードに書き込み、それぞれのアシスタントを連れて
外回りに出る。


「そこ!いつまでデスクに座っているんだ!ボーッとするな!!」

少しでも手が止まっていると、園田から厳しい叱声が飛ぶ。

「あっ、もう出ます!ちょっと・・・高野さん。早くしてくれないかな、園田さんが睨んでるんだよ
ね・・・」

園田から注意を受けた男子社員が、真紀の腕を引っ張りながら慌てて立ち上がった。

「あの・・もうちょっとですから。・・・松本女史ぃ・・・早くお願いします」

真紀は真紀で腕を引っ張られても、席を立つ訳にはいかない。相手は松本女史なのだ。


「何なの、少しくらい待てないの?せっかちはだめよ、真紀ちゃん。お客様の前で出ちゃうでしょ
う」

焦る二人を尻目に、松本女史は優雅にカタログをめくっている。


新入社員の真紀にとって松本女史もそうだが、園田にも睨まれるようなことは極力避けたい。

「でもぉ・・園田さんがこっち見てるんです・・・」

あちらを立てればこちらが立たず・・・そういう時、女性社員は必然的に松本女史に泣き付く。

松本女史と園田の力関係は、営業部内の公然の秘密だった。


「園田くん・・・?」

松本女史がカタログから顔を上げて園田の方を見た。と、同時に園田はふいっと視線を逸らせ
た。

もう慣れっこだ。園田は出来る限り松本女史を無視する。

視線を合わすとややこしい。


「園田くん、どこ見ているの、あさっての方見ているんじゃないわよ!営業は今日が勝負よ!」

が、視線を逸らせた先が悪かった。五十階、窓から広がる展望は素晴らしい。

「ほんとにいつまでたってもシャンとしないんだから・・・。
ちょっと、誰があなたも待っていろと言っ
たかしら!さっさと先に行って車回して来なさいよ!」

真紀の腕から男子社員の手がパッと離れた。

「はいっ!!」

二つ返事で部屋を出て行った。園田の時よりも迅速だった。

カタログをめくっていたはずの松本女史の手に、いつの間にか定規が握られている。

それも松本女史ご用達『ステンレス定規』男子限定お仕置きの道具と化している代物なの
だ。

「全く、段取りが悪いから営業成績も伸びないのよ」

コトンと松本女史は定規をデスクの上に置いた。

鬼に金棒。力関係は園田だけではない。

園田含む営業部男子全員が正しい。


「そうねぇ、じゃあ真紀ちゃん、これとこれ。・・・メモした?ちゃんとドライアイスも付けてもらって
ね」

再びカタログをめくって、一点を指差し真紀に指示し始めた。

「はい、えっと、白玉いちご詰め合わせと抹茶本蕨(まっちゃほんわらび)黄な粉もちですね」

「四越の地下名店街は、京都本舗の和菓子が最高なのよ」

『四越名店 厳選!夏の菓子カタログ』

今日真紀がアシスタントに付く営業コースは、四越百貨店の前を通る。

松本女史はその日に出かける部員の各営業コースをチェックして、外回りのついでにお客様
用お茶菓子の購入を言い付けるのだった。

コースが合わなかったり、めぼしいものがなかった
りした時はネット販売を検索する。


「はい!それじゃ行って来ます!」

ハキハキと返事を返しながら、真紀は席を立った。

「行ってらっしゃい。ねっ、ちょうど車が下に来ている頃でしょう」

にっこり微笑みながら真紀を見送る姿だけを見れば、松本女史は聖母のようだった。







「なぁ、兄ちゃん・・・じゃねぇや、杉野さん。なぁってば・・・」

秘書課では、朝から明良が遼二の後ろにくっついて離れない。

和也と橋本は朝一番に、それぞれの所用で外出してしまった。長尾・進藤も席を離れている。

秘書室は現在高田、吉川、遼二、そして明良の四人だけだった。

学校が夏休みに入った明良は、朝から会社に来ていた。


上四人がいないので必然的に明良のお守りは高田と吉川になるのだが、明良が遼二に付きま
とっているのをこれ幸いとばかりに知らん顔を決め込んでいる。

遼二はまるで仕事にならない。


「あの・・・明良君、仕事中ですから。君は君ですることがあるでしょう。部屋に戻って下さい」

戻りなさいとはっきり言えないところを、さらに明良はつけ込んでくる。

「別にすることなんかねぇもん。・・・佐伯のおっちゃんのとこ行ってこようかな」

こんな朝っぱらから迷惑この上ないのは、明良でも承知している。

半分脅しで、遼二が困ると
わかって言っているのだ。

和也や橋本の前ではそんな事は言わない。わかっていて、する。

明良が遼二にいかに甘えて
いるかという証拠ともいえる。

案の定、すぐに遼二は困った顔を見せた。


「それは、ちょっと・・・明良君。佐伯さんも仕事が・・・。第一こんな朝早く・・・」


「ダメだよ、明良君。部屋に戻りなさい。秋月さんたちがいないからと言って、勝手な行動は慎
みなさい」

さすがに高田も明良のワガママに、そこまで知らん顔は出来ない。

何かあれば、今は高田が
一番の責任者なのだ。

高田にしてはきつい口調で明良のワガママを叱った。


高田から注意を受けた明良はそのまま口を噤んで、通路側遼二のデスクに背もたれて座り込
んでしまった。

部屋には戻らないまでも、一応は静かになった。

吉川はもとより、高田もまた明良のことはそれ以上構わず仕事を始めた。

遼二も明良に声を掛けることはしなかった。


―君さぁ・・・、ホントいつまでも行動が先に出るんだよねぇ。もう少し周りの状況を見て、考える
ことが必要だよ―


明良のことは高田がちゃんと見ている。

過去にさんざんそれで失敗して来ている遼二は、以前高田から受けた注意を思い出し
ていた。


しばらくは仕事の準備に掛かっていた遼二だったが、やはりどうにも横の明良が気になってし
ょうがない。

声こそ掛けないが、いたって動作が不自然になる。ぎこちない。

黙ったまま座り込みを続ける明良の方が、よほど落ち着いている。


「高田さん、橋本さんから営業部に書類を渡すよう頼まれていますので、届けに行ってきま
す」


朝から出掛ける橋本は、遼二に書類を預けた。

午前中なら園田がいるので、それまでに届け
るようにとの指示だった。

遼二は朝の仕事を片付けてから届ける予定にしていたが、ここはともかく自分が抜けた方が
良いと考えた。


「あっ、待って、オレも行く!」

ストライキのように座り込んでいた明良が、慌てて立ち上がって遼二の後を追った。

明良から離れようとしているのに、ついてこられたのでは意味がない。


「ダメです。明良君、さっきも高田さんに注意されたばかりでしょう。戻りなさい」

今度は毅然として明良に対した。いつまでも甘い顔を見せてはいけない。

先ほどの高田の注意は明良だけではない

。言うべきところでは言う、遼二にも良いお手本とな
った。


「行っていいよ、明良君。たまには違う部署も見学させてもらうといいね」


当然明良を止めてくれるものとばかり思っていた高田が、 あっさり明良の営業部行きを認め
た。

「た・・高田さん!」

「僕はいいと思うよ、杉野君。何事も勉強だよ。
明良君、ちゃんと杉野さんの言うことを聞いて、
間違っても!デスクの上になんか乗るんじゃないよ」

明良自身、高田から許可が出るとは思っていなかったようだった。

へへへっと大きな目をにっこりカマボコ状にして、笑顔を遼二に向けた。





「明良坊ちゃま!おはようございます」

「おはようございます、坊ちゃま」

「明良坊ちゃん、どちらへ?」


朝は人の行き来が多い。営業部へ行く廊下で、社内の人間にすれ違うたび明良に声がかか
る。

遼二はとても居心地が悪かった。普段と位置が逆なのだ。

営業部へ行く遼二の後ろに明良がついて来ている。


「何だか落ち着きませんね・・・。明良君前へ来て下さい」

遼二が立ち止まって後ろの明良を見た。

「あーっ、山岸のおっちゃん!」

突然明良が叫んだ。


―うわっ!常務!!―


ぐいっと明良を前へ引っ張り出して、遼二は明良の後ろへ廻り、一歩下がって頭を下げた。


「おぉっ、明良か!久し振りだな。元気か」


A&Kカンパニー 取締役常務 山岸(やまぎし)。


A&Kカンパニーは社長、常務数名、専務数名以外の他、役付けはない。

いわゆる課長とか係長などというたぐいのものである。

能力主義に役付けはほとんど用をなさない。こなす仕事でおのずとポジョンが決まる。


常務、専務はA&Kカンパニーの基礎を築いた功績の人達なのだ。

中でも山岸は、社長一谷の古くからの腹心の部下だった。

明良のことは赤ん坊の時から知っている。

当然、明良にしてみればおっちゃん以外の何もので
もなかった。


「今日はかず・・秋月と一緒じゃないのか?」

山岸はその辺を見回して言った。

「和也さんは、朝からどっか行ってんだよ」

「そうか、そりゃちょうど良かった。ほら明良、この前やれなかったから」

山岸は背広の内ポケットから財布を取り出して、1万円札を明良に握らせた。

「やった!サンキュ、おっちゃん!小遣いもらった」

明良は嬉しそうに遼二に1万円札を見せながら、ズボンのポケットにしまった。


「秋月には内緒だぞ。君も言うなよ」

いきなり振られて、緊張の増す遼二だった。

そのうえに釘を刺されては「はい」としか言いようが
ない。


「言うわけねぇじゃん。オレとおっちゃんと杉野さんの三人の秘密だよな」


「明良はいくつになっても可愛いなぁ、あのクソ生意気な秋月と違って。もう中学生になったんだ
な」

山岸はぐりぐりと明良の頭を撫でながらしみじみと言った。


しみじみとする山岸の言葉に遼二はえっ?と反復し、頭を撫でられた明良はムッとした。


―ク・・クソ生意気・・・?―


「オレ、来年は高校だぜ。もう・・・頭撫でんなよ、子供じゃねぇってば」

小柄な明良は実際年齢より低く見られることが多かった。しかし、それは小柄だからと言うだけ
ではない。

子供じゃないと本人は主張するが、相手をしてもらえないからといって、その場に座り込むこと
自体まだまだ子供なのだ。


「山岸のおっちゃん、この間オレに小遣い渡そうとして和也さんに怒られてんだよ。
おっちゃん、
和也さんの親代わりとか言ってっけど、てんで頭上がんねぇんだからさ」


―親代わり・・・―


「すまん、すまん」と、笑い飛ばして去って行く山岸を遼二は目で追った。



和也は現在の明良の歳に、母由紀子を病で亡くしている。


―秀行は和也の意向を聞いてひとり暮らしを許したが、20歳になるまで自分の腹心の部下を
和也の傍に付けた―


腹心の部下、それが山岸だった。



和也は母を亡くしてからずっと一人で暮らして来た。

経済的には何の不自由もなかったが日常
生活においては、未成年であることの不便が多かった。

山岸は親代わりとなって、和也のその
部分を補ったのだった。

また社長である父は、アルバイトという形で高校生の時から和也を自分の目の届く範囲に置い
た。

和也が大人になってほんとうの意味で社会に出た時、それまで精一杯サポートしてくれた父と
常に寄り添い親代わりになってくれた山岸に、どれだけ自分が守られてきたかを改めて知ることとなった。


遼二は遠くなる山岸の後姿を見つめならが、憎まれ口に隠された和也への愛情を感じるのだ
った。







「・・・高田さん、営業部に長尾さんがいるの知ってて、明良君行かせたでしょう」

遼二と明良が秘書室を出た後、吉川が身体を高田の席に寄せ顔を近づけて言った。


「だから行かせたんだよ。もしまた明良君が暴れても長尾さんがいるんだから、何とかなるじゃ
ない」

「ですよね。長尾さんなら明良君抑えられますけど、高田さんじゃまた書類踏まれちゃいます
ね。
さっきから出しっ放しですよ」

吉川はさりげなく高田に注意したつもりだったが、高田にはちっともさりげなくなかった。

先日の明良印の決済は非常に堪えた。思い出しただけでも疲れる。


「君ってばとっても頼りになるんだけど!いつも、いつも、いつも、いーつーもー!ひと言多いん
だ!」


「うぎゃあぁぁっ!ひゃにひゅるんれすか―――!!」(何するんですか―――!!)


言うが早いか高田がデスクから身を乗り出して、吉川の口に両人差し指を突っ込み思いっ切り
左右に引っ張った。

ほとんど子供の喧嘩と変わらない。


高田と吉川、先輩と後輩ながらこちらも長尾・進藤同様、仲の良いコンビだった。







その長尾は営業部にいた。

朝の喧騒も一段落した頃。


「先輩、僕はね営業部に入り・・・」

「帰れ」

「・・・先輩、僕はね営業部に入り・・・」

「聞こえなかったか?帰れ」


相変わらず先輩、先輩と慕う長尾だが、園田は露骨に顔をしかめ話など聞こうともしない。


「先輩は酷い人だな・・・僕をA&Kに誘うだけ誘っておいて。
仕事のこととかいろいろ相談した
いことがあるのに、いざ部署が違ったら知らん顔で・・・」

園田の横、長尾は空いた席の椅子にドカッと腰掛けながら愚痴をこぼした。

帰るどころか、すっかり腰を落ち着けている。

「・・・・・・お前は昔から人の話を聞かないな」


ここで園田はひとつ大きく溜息をつき、そして気を取り直すように深呼吸をした。

一呼吸おいて、

「俺はお前の仕事の愚痴は散々聞かされたが、相談は一度として受けたことはない!!」

園田は両手で長尾の胸ぐらをつかみ、真正面から大声で叫んだ。


「園田さん、ちょっと相談があるんですけど」

「相談?・・・・・・・進藤!!お前からも受けたことはない――!!」

長尾だけでも頭の血管が切れそうなのに、長尾と反対側、園田の横の席に進藤が座ってい
た。

挟みうちの状態だった。


「そんなことより、進藤!何でお前までいるんだ!社長はどうした!!」

「社長は幹部会議に出席中ですよ。・・・おいっ、園田さん何かあったのか?」

進藤が園田を避けて、その向こうの長尾に聞いた。

「さぁ・・・昔から時々訳もなく怒る時があるから、俺にもわからん」


「お前らは・・・」

二人の会話に怒髪天を突く思いの園田だが、長尾も進藤も悪気がないだけに始末に負えな
い。



先日、進藤が社長から髪を切れと言われた日である。

不本意だが仕方ないと、進藤は営業部にいた長尾にもその旨を伝えた。

当然長尾は進藤よりもっと不本意である。しかもこの二人、お互いの考えていることがよくわか
るらしい。


「何で俺まで言われるんだ・・・。どうせお前がよけいなこと言ったんだろ、進藤!」

「人聞きの悪いことを言うな!お前の方が俺よりずっと長いから、目立ってんだよ!」


完全に素に戻って派手な言い合いを始めた二人だったが、周囲も止めようにも止められなか
った。

デカすぎる。長尾185cm、進藤184cm。

さらに夕方の営業部は、続々と外回りから帰って来る営業マンとアシストたちで部署内はごっ
た返していた。

男子社員は今日のまとめと明日の準備で、女子社員はアフターファイブが待っている。


「明日はこの契約書を持って行って・・・あぅっ!コーヒーが!!大事な書類に何しゃがん
だ!!」

隣のコーヒーカップが倒れて中味が書類に飛び散った。

「すっ・・・すみません!進藤さんに背中押されて手がコーヒーカップに・・・」

「長尾!謝れ!お前が小突いたからだろ!」

「人のせいにするな!進藤!」

「うるせぇ!!耳元で怒鳴るな!!電話が聞こえねーだろうが!!
・・・あっ、いえ、こちらのこ
とでございます。はいっ!はいっ、それはですね・・・」


長尾、進藤から始まった言い合いは、園田が外回りから帰って来た時には営業部を巻き込ん
での大乱闘に発展していた。

一日外で神経をすり減らし帰って来たら、この有り様である。

園田は掴み合いをしている男子社員の尻を叩きながら、順々に首根っこを掴んでは引き剥が
した。

断片的な話を総合すると長尾と進藤に行き着いた。

しかしその時には、もう二人はいなかった。


「しまった!こんなことしている場合じゃない、社長の退社時間だ!」

「俺も、美容院を予約しておかないと・・・」

「じゃ長尾、俺も予約しておいて。これからだと20時頃だな」




園田が露骨に顔をしかめるのも無理からぬことであった。大迷惑な二人だった。


仕事で煮詰まると営業部に入りたかったと愚痴る長尾と、何の相談か、相談と言いながら一方
的に話を持ち掛けようとする進藤。

園田は今日も朝から忙しかった。







「やーん!もう・・・忘れ物!忘れ物!早く行かなきゃ・・・」

松本女史から外回りのついでに買い物を言い付けられていた真紀が、また戻って来ていた。

最初に出て行った時間からすると、一旦車に乗り込んでから引き返したようだった。

朝は仕方なかったとはいえ担当者を待たすのは二度目で、さすがの真紀も焦っていた。

忘れ物を取って、大急ぎでまた部屋を出た。



「真紀!」

「遼ちゃん!」

部屋を出たところで営業部に行く遼二と鉢合わせした。


「ごめんね、遼ちゃん!急いでるの!・・・明良坊ちゃま!!」

真紀の拝むように口元に上げた手が、次の瞬間その口元を覆っていた。


「営業部の高野です」

いくら真紀が急いでいるからといって、明良に挨拶をしないわけにはいかない。

遼二が紹介し
た。


「知ってる。杉野さんの彼女だろ。今度の緑の制服可愛いな、姉ちゃんによく似合ってんぜ」


A&Kカンパニー女子社員の制服が、今年の夏服から新しいデザインになった。

白を基調とした会社のカラーに合わせて、癒しの緑を配したベストスーツだった。

緑色のベストに、スカートはその緑をベースにしたタータンチェックのタイト。

胸のリボンもスカートとお揃いのタータンチェックで胸元を飾り、白のブラウスで全体を上品に
まとめている。


明良は前に社員レストランで遼二と一緒の真紀を見ている。明良はちゃんと真紀の顔を覚えて
いたのだ。


―「オレ人の顔とか名前覚えんの得意なんだ」


当たり前のように言う明良だったが、それはとても大事な資質に他ならない―


「ありがとうございます。そんな彼女だなんて・・・。杉野とは同じ大学の同級生だったんで
す。友達です」

はっきり否定しないまでも微妙に言葉を濁す真紀に、遼二は内心面白くなかった。

自分も前に明良に聞かれた時には、はっきりと言えなかったのだからおあいこなのだが。

しかし本人から直に聞くと、どうしても疑心が出てくる。

ひょっとして明良以外の他の誰かに自
分との関係を聞かれても、真紀は今と同じように答えているのではないか・・・。


「真紀・・・急いでるんだろ?早く行けよ」

遼二はそんな気持ちを打ち払うように、あえて笑顔で言った。


「今度杉野さん、オレんとこ泊まりに来るんだけど、姉ちゃんも来る?」


行きかけようとした真紀の足が止まった。驚いたのは遼二の方だった。


「真紀!何でもない!行け!!」

あきらかにむくむくと好奇心が湧き上がる表情で遼二を見た真紀だったが、もうこれ以上は担
当者を待たせられない。

そのまま駆け足で去って行った。



「明良君、誰が泊まるなんて言いましたか」

遼二が強い口調で明良を睨んだ。

「・・・姉ちゃんと一緒ならいいだろ」

エヘヘッと笑いながら明良に言われて、どうやら遼二の強い口調も睨んだ顔も、あまり堪えて
はいないようだった。



近々和也は三日間の有給休暇を取るのだが、その間は会社からもマンションからも離れるの
で、明良一人になる。

明良は和也がいない間の三日間を、遼二と過したいと考えていた。

それを今日は朝からしつこく遼二に付きまとって、誘っていたのだった。

もちろん遼二がうんと言うわけがない。


「秋月さんのマンションになんて、泊まれるわけがないでしょう」

「じゃ、オレん家は?」


オレんとこ≠ヘ和也のマンションでオレん家≠ヘ自分の家のことらしかった。


明良にとっては自分の家だが、遼二にとっては社長の家なのだ。

気を使う以前に一介の社員
の立場では考えられない。



「その話はもうなしです」

遼二は明良にひと言そう告げて、営業部のドアをノックした。


この時営業部には、園田、長尾、進藤、少し離れた所に松本女史、居残り男子社員二名、電話
当番女子社員数名がいた。


「秘書課、杉野です。園田さんに書類を届けに来ました」


「あれっ、杉野君」

「長尾さん、営業部にいらしてたんですか」


「明良君!何で君までついて来てるの?高田君はどうしたの」

明良がここにいると言う事は、たった今から明良の責任者は長尾と進藤になる。

進藤も立場が変われば、今度は自分が言う立場となる。

「高田さんが行っていいって言った」

進藤の細い眉がピクッと動いた。



「明良坊ちゃん、いらっしゃい。営業部はどうですか」

園田が笑顔で明良を手招きした。

「オレ、女がいる方がいいと思う。オレんとこいないから、つまんね」

この場合のオレんとこ≠ヘ秘書課を指す。

電話番の女子社員が「きゃーっ」と黄色い歓声を上げた。


「まぁ、明良坊ちゃま。嬉しいことを」

聖母の笑みをたたえながら女子社員の代表松本女史が、少し離れた席から明良の方に歩み
寄って来た。

たたでさえ背が高いのに、今日は8cmヒールを履いている。ほぼ180cmに近かった。

フロアにヒールの音が響く。

カツ、カツ、カツ、カツ・・・・・・


「鬼子母神」

明良がボソッと呟いた。


・・・・・・カツッ!

ヒールの音がピタッと止まった。


「・・・!」

絶句する遼二。


「こらっ!」

咄嗟に叱る長尾。


「明良君!」

思わず立ち上がる進藤。


園田にいたっては、もはや神頼みの心境であった。


―鬼子母神か・・・。一回真剣にお払いを頼んだ方がいいかも知れんな・・・・・・―







※コメント

A&Kは遼二、明良、和也の三人が主人公ですが、今回は朝の数時間という枠の間で、
いろい
ろな人達がそれぞれの立場と持ち場で、直接的、間接的に主人公に絡んでいます。

会社のみならず、社会で生活するということは、多くの人達との係わり合いの中で自分の人生
が成り立って行っているのだと改めて思う次第です。

自分の人生はもちろん自分が主人公で
すが、友達の人生においては、自分は大切な脇役でいたいなと思います。


A&Kカンパニー脇役陣は、そんなふうに思いながら書いています。



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