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「ねぇ、吉川君、進藤さんはどこに行ったのかなぁ?社長は昼まで会議中でしょう?吉川
君・・・」


現在、秘書室は高田と吉川の二人だけだった。

和也と橋本はそれぞれの所用で朝すぐ外出してしまったし、長尾は営業部に行っているのは
わかっている。

遼二は橋本から預かった書類を園田に届けに明良と営業部に行った。

進藤の所在だけがわからなかった。


進藤は社長の幹部会議に随行していたが、会議には出席しないので秘書室に戻る途中営業
部に立ち寄っていたのだった。


高田が進藤の不在を何気なく吉川に言うのだが、

「吉川君ってば!・・・・・」

斜め前の席の吉川はまるで反応がない。

高田を全く無視してひたすらPC(パソコン)の入力に
余念がなかった。

「もう・・・、だからごめんって言ってるのに。ごめんね!」

高田は席を立って、吉川の顔を覗き込むように謝った。


「・・・・・接近しないで下さい。PC画面が見えません」


むぅっと頬を膨らませた吉川は、高田の顔が真正面に来ても目も合わさない。

高田に指を突っ込まれて思いっきり引っ張られた両口の端が、まだジンジンと痛かった。

ちゃらんぽらんな高田とひと言多い吉川。

どっちもどっちの喧嘩なのだが、吹っ掛けた高田の
方がすぐ折れた。

この場合、先輩・後輩という立場より、面倒を見てもらっている立場の方が圧倒的に弱い。


吉川は目の前の高田を片手で横へ押し払った。


―カシャンッ・・・―


「あーっ、CDケースが!」

吉川が叫んだ。

押し払った拍子に、バックアップ用に置いていたCDが高田の腕に当たってデスクから落ちた。

ケースのフタが外れて中のCDが飛び出してしまった。

「・・・君が押すからだろ」

もう、CDくらいで大げさだな・・・と高田がぼやきながらケースと飛び出たCDを拾い上げた。


「あっ・・・」

高田の声がして

「・・・あっ」

やや遅れて、吉川が続いた。


高田がケースに直そうとした瞬間、ポロッとCDの半面が欠け落ちた。

真っ二つに割れていた。


高田は欠けたCDの半面を持ちながら

「・・・落っこちたくらいで割れるものなの?」

吉川は欠け落ちたCDの半面を拾いながら

「しかも割れ方が変ですよね、こんなに真っ二つに割れるなんて・・・」

二人、顔を見合わせて呟いた。


「不吉だよね」

「不吉ですね」







高田と吉川が割れたCDに何となく不吉な予感を感じている頃、営業部では二人を除く全員が
実態ある不吉さを目(ま)の当たりにしていた。

除く二人とは明良と松本女史であり、不吉の元凶が明良で実態ある不吉が松本女史だった。


―鬼子母神―


松本女史を前にしての明良の言葉に、大方は凍り付いてしまった。

沈黙すること・・・やけに長く感じるところではあるが、数十秒程度に過ぎない。


「ホント!鬼子母神そっくりだな!!」


「明良君!誰に言っているの!」

ガタンッ!

長尾も席から立ち上がって、さきほどよりもさらに強い口調で明良を叱った。


「こっちへ来なさい!」

すでに席から立ち上がっていた進藤が、急いで明良の腕を取り自分の方へ引き寄せようとし
た。


「ホント!キレイだぜ!!松本女史・・・何だよ、っ痛てぇな!」

「何だよ、じゃないでしょう明良君!失礼なことを!キレイだぜって!キレ・・・えっ?」

緩まった進藤の手をブンッ!と振り払って、今度は明良が松本女史の方へ行った。

大きな目がカマボコ状に、明良最高の笑顔で女史の正面に立った。


「鬼子母神って、女の神さんなんだよな。ウエーブの掛かった長い髪がなびいてて、赤い口紅
がすっげ似合ってて。
この間読んだマンガの絵とソックリだ。とっても!キレイだぜ!!」


どうやら明良にとって、鬼子母神は美の象徴だったようだ。

あまりの極端な展開に、長尾と進藤は虚を突かれたようにその場に立ち尽くした。


坊ちゃま≠ゥら、しかも最高の笑顔で殺し文句を言われた松本女史は、花綻ぶような笑み
を満面に浮かべた。


「あらっ、いやですわ!明良坊ちゃまったら、お口のお上手な!大人をからかうものではありま
せんよ」


「ほ・・ほんとうに!明良君の言う通りですね。松本女史綺麗ですから!」

多少声が上ずっているものの、ここは遼二が必死の笑顔で明良に同調した。


「あらっ、あなた確か真紀ちゃんの・・・杉野さんね。真紀ちゃんに怒られるわよ。」

一度しか会っていなくても、名前と顔はきっちり覚えている。営業の基本は出来ている。

基本が出来ていること。それがA&Kカンパニー、躍進のひとつに繋がって行く。


「さすが明良坊ちゃまですね!そうなんですよ、松本女史は綺麗で、優しくて、時に鬼!のよう
にキビシイのですが。
私たち営業部の母!のような存在なんです!!」

機を見るに敏な女子社員たちの、さきほどの沈黙とは打って変わった変わり身の速さであっ
た。


「まあぁぁっ!みなさんまで!!・・・坊ちゃま、私言葉がございません!」


明良のひと言でみんなの絶賛を浴びることになった松本女史は、とうとう感極まってぎゅうぅぅっ
と明良を抱きしめた。

180cmが158cmを抱きしめる。

ちょうど明良の顔が松本女史の胸の辺りに埋(うず)もれ
た。



「・・・・・・それに引きかえ、長尾さん?こら!って、あなたこそ誰におっしゃっているのかし
ら?」

そしていつまでも感激に浸っていないところが、松本女史の営業部で抜きん出ている証拠でもある。

栄誉は受けた時からすでに過去のもの。すぐ次の課題にとりかかる。

これは園田にも受け継がれている。



―園田は今、一番大事なホテル森之宮との商談成立を抱えていた。

互いに挨拶を交わし始まったところだった。園田はとても忙しい。

園田がパークビルuniversity 21≠フテナントを取り付けたのは、もうすでに過去の実績なのだ




と言うことで、女史の次の課題は・・・長尾と進藤。

「進藤さん?何が!失礼なことなのかしら?
あなた方、明良坊ちゃまに対する理解が少ないよ
うだけど、そんな事でよく秘書が務まることね」

キッ!と二人を睨む姿は、ともすれば鬼より怖い。

鬼の金棒は聞くだけで見ることはないが、松本女史の金棒はいつでもデスクの上に見えてい
る。

長尾も進藤も松本女史の機嫌を損ねたら、営業部に来にくくなるのは承知の上だった。

ここは穏便にやり過ごそうと、殊勝な顔で頭を下げた。



「園田さん?・・・あの・・すみません!園田さん!」


一方では、一時はどうなることかと肝を冷やした遼二が、本来の業務に戻って園田に書類を渡
すべく声を掛けていた。


「・・・えっ?あぁ、これね」


ずっと明良と松本女史のやり取りを見ていた園田は、遼二に何度か名前を呼ばれてようやく気
がついたように書類を受け取った。

その顔はニコニコと実に嬉しそうだ。

あの松本女史を意図も簡単に手なずけ、大迷惑な二人が殊勝な顔をして黙っている。

松本女史が鬼子母神なら、明良は園田にとって福の神だった。

神頼みの必要はなくなった。明良がいる。


「園田さん、書類をお渡ししましたのでこれで帰ります。・・・明良君、帰りますよ」


「もうお帰りですか、名残惜しいですわ。明良坊ちゃま」


松本女史を先頭に、電話番の女子社員、居残りの男子社員全員が明良の前に整列した。


「エヘヘヘ・・・みんなもその緑の制服、よく似合ってて可愛いぜ」


ぎゅうぅぅっと押し付けられた柔らかい胸の感触が心地よすぎたのか、明良は頬をピンクに染
めながら、後ろに並ぶ女子社員たちにも声を掛けることを忘れなかった。



「・・・僕もそろそろ帰ろうかな」

長尾が誰に言うでもなく、独り言のように漏らした。

「何だ、帰るのか!長尾、もっとゆっくりして行ってもいいぞ。進藤は?相談って何だ?聞いて
やるぞ!」


園田は楽しくて仕方がない。こんなに大人しい二人など滅多にお目に掛かれない。

精々、和也や橋本と一緒の時くらいだ。


「・・・いえ、もういいです。僕も帰りますから」

長尾、進藤が帰ると言えば、電話番の女子社員たちが輪になって取り囲むのだが、今日はみ
んな明良にさらわれてしまった。


「坊ちゃん、いつでも営業部に来て下さい」

最後に園田が明良に挨拶をした。







A&Kカンパニーは五十階建て最上階の全フロアを占める。社内は平面だが広い。

遼二は橋本の用事を済ませて営業部を明良と共に出た。

帰りはいつも通り明良の後ろに付いているのに、行きの時よりもさらに居心地が悪かった。

遼二の後ろに長尾、進藤が付いていた。

本来なら明良の後ろに長尾、進藤。その後ろに遼二となるのだが、明良が遼二から離れな
い。

振り返っては、長尾、進藤を無視して遼二に話し掛ける。

仕方なく長尾、進藤が遼二の後ろに回った。

前からはべらべらと話し掛けられるし、後ろからは妙に押し黙った雰囲気が背中に突き刺さる
しで、身の置き場に苦慮する遼二だった。


「明良君、ちゃんと前を向きなさい」

長尾が明良に注意する横から

「そう言うことは君が注意しなきゃだめだろう、杉野君」

進藤が遼二に注意する。


「はいっ・・・すみません」

「気にすんなよ、杉野さん。無視、無視」

「あ・・明良君・・・」


広い社内、営業部と秘書課、部署の位置は端と端だった。

注意された尻から、またもや振り返ってしゃべり続ける明良。

秘書室に帰るまでに、延々と今
のような会話が繰り返されたのだった。







秘書課では、所用を済ませた橋本が帰社していた。


「高田君と吉川君だけ?高田君、他のみんなは?」


「はい、杉野君は明良君を連れて営業部へ書類を届けに行っています。
長尾さんは別件で営
業部に・・・その・・・」


「ただいまぁ!!」

「ただいま!!帰って参りました!」

ガチャッ!とドアを開けるなり、ドカドカドカと明良。大股で長尾が入って来た。


「・・・静かに。君も営業部に、長尾君?」

「はい、別件で園田さんに話があったので、ちょっと行っていました」

「そう」

橋本はいちいち細かな仕事の内容まで、聞くことはなかった。

各自きっちりと仕事の結果さえ
出せば、過程は本人のやり方次第だ。

但し、それも程度の問題はあるが。


橋本は明良が執務室に入って行ったのを追って、席を立った。

隣の席の高田が、ちらちらと長尾を見ながらこっそり言った。

「長尾さん、危ないですよぉ。もう少し早く帰って来てくれなきゃ・・・」

「そうか?高田君の方が危ないみたいだけど」

忠告したつもりが、反対に忠告された高田だった。

長尾は高田の方を見ることもせず、バタバ
タと書類やらPCやら仕事を広げた。


「人にお守りを押し付けておいて早く帰って来いだなんて、高田君ちょっと勝手なんじゃな
い?」

高田の背後から声がした。

「進藤さん!・・・進藤さんも営業部に・・・?」

高田は進藤も営業部にいて、一緒に帰って来ているとは知らなかった。

しかも進藤は秘書室で
はなく社長室側から入り、用を済ませたのち暫くして横扉から秘書室に入って来たのだった。

「仕事中だよ。ちゃんと前を向きなさい」

高田の後ろの席は進藤だった。

「君にまで同じことを言わなきゃならないなんてね」

進藤は大げさに溜息をつきながら着席した。

「同じことって・・・?やっ・・僕は明良君の勉強のためと営業部行きを・・・」

背後で聞こえよがしに溜息やら気になる言葉を言われて、振り返らないほうがおかしい。

「ほらっ、また。言った尻から、それまで同じだな」


「し・・しっ・・進藤さん!!」

「三度目!仏の顔も三度までだ!!」


高田にとって進藤は最初から鬼にしか見えない。

進藤がガタッ!と席から立ち上がったと同時に、高田もガターンッ!と椅子を引っくり返しなが
ら席から立ち上がった。

完全に追う体勢と逃げる体勢の二人だった。


「・・・静かに。何度言わせるんですか」

執務室から出て来た橋本は、進藤、高田をちらりと見てひと言、しかし充分過ぎるほどの迫力
で注意した後、吉川を呼んだ。

「吉川君、君はずっと居ましたか」

「はい」

呼ばれた吉川は橋本のデスクの前で直立不動である。

「そう。じゃ長尾君が席を外していた時間は?」

「はい。1時間45分です」

長尾の席は橋本の前なので、後ろのやり取りが聞こえないわけがない。


「おいっ!吉川!!」

「何ですか」

答えたのは橋本だった。

「あっ・・・いや、吉川・・・君・・・」

「何ですか」

二度目は吉川が答えた。

長尾には吉川の返事が、憎たらしいくらい橋本と同じ口調に聞こえた。

もっとも吉川には、告げ口をしているなど、まるでそんな意識はなかった。ひとえに真面目なの
だ。



長尾の誤算は、橋本の帰りが思ったより早かったことだった。

本人も昼頃になると言っていた
のが、午前11時だった。

橋本が帰る前に秘書室に戻って来ていればベストだったのだが、特に聞かれることもなく長
尾はギリギリセーフとばかりに席に着いた。


「長尾君、君のちょっとは1時間45分なんですか。
誰かの1時間を大幅に破る新記録ですね。
覚えておきます」

明良と比較されての橋本の痛烈な嫌味なのだが、弁解の余地はない。

自業自得の長尾だっ
た。







営業部からの帰還組、長尾が橋本、吉川、進藤が高田を相手にしている頃、遼二は秘書室に
は入らずそのまま受付けに立っていた。


秘書課に着いて、ようやくあの一団から解放されたのに、部屋でまた明良に付きまとわれたの
ではたまらない。

受付けは遼二にとって、やっと心落ち着ける場所なのだ。

ところが、それも束の間―。


―・・・?・・・・・社長!!―


昼まで会議中のはずの社長が、共も連れず一人で帰って来たのだった。

進藤を呼びに行こうにも、あっと言う間に社長は受付けを通り過ぎ、自ら正面秘書室のドアを
開けて中へ入って行った。

遼二は頭を下げるだけで精一杯だった。


「社長!!」


驚いたのは進藤だった。まだ会議中とばかり思っていた。


「予定時間ほど当てにならないものはないぞ。様子ぐらい見に来んか、ばか者!」


入って来るなり、社長は会議の資料の入ったバッグを進藤に投げるように手渡した。

一転緊張が走り、そして橋本以下、そこにいる全員の意識が社長に向く。


「橋本!社長室!」

「はい」


「長尾!ホテル森之宮、新店舗の資料を揃えて社長室!」

「はい!」


「進藤は'Etoile'(エトワール)の見取り図と資料!」

「はい!」


「・・・秋月は?高田!」

「はい!所用で外出中です!」


「帰って来たら社長室!言伝(ことづて)たぞ、高田!」

「はい!」


「吉川!昼まで取次ぎはなし!」

「はいっ!」


余計な言葉は一切ない。

ここで「あの・・」とか「それは・・・」などと言うためらいの言葉はない。

常に「はい」の返事しか聞こえない。


全員総立ちでピリピリとした雰囲気の中、執務室のドアが大きな音を立てて開いた。


「親父ー!帰ってんの!?オレねー、話あんだけど!!」

この瞬間、ピリピリとした雰囲気がブチッ!と切れた。

「明良か、何だ?父さん、今時間がないんだが・・・手短な話なら聞いてやるぞ」

時間がないと言いつつ、明良には厳しい社長の顔は見せない父であった。


「オレ、和也さんのいない三日間は、杉野さん家に泊まることになったから!」

秘書室入り口に立っていた遼二は、咄嗟には何のことかわからなかった。

社長以外、一斉にみんなの視線が遼二に向いた。


「杉野・・・学校の友達か?」

真顔で明良に聞く父であった。遼二、まだ名前すら覚えてもらっていなかった。


「・・・社長、新入社員の杉野のことです」

橋本が小声で説明した。


「 おう、君か」

ここは覚えてもらっていなかったと言うショックよりも何を考えているんだ!≠ニ、叱られる方を覚悟した遼二だった。


「はい!申し訳ございません!」

ブワッと汗が噴出すのを感じながら頭を下げた。


「いや、こっちこそすまんな。迷惑じゃないのか?迷惑なら言ってくれよ」

「・・・はっ?」


確実に迷惑なのだが、言えるわけがない。

しかも遼二には社長としてではなく、明良の父として話し掛けているようだった。


「良かったな、明良。何なら、母さんにも挨拶を頼んでおくか?」


―母さん?・・ひっ・・社長夫人!!―


社長からみるところの遼二は、ほとんど明良の友達状態だった。


何がなんだか整理のつかない遼二を尻目に、明良は絶好調に嬉しそうな顔を父に向けた。


「じゃあもういいな、明良」

ポンと息子の頭に手を置いて、身を翻すとすでに社長の顔だった。

そのまま横扉から社長室へ入って行った。その後に橋本が続く。

長尾、進藤、高田、吉川、彼らも切り替えが早い。もう誰一人無駄口を叩くものはいなかった。


遼二はまだ部屋の入り口に立っていた。

他の四人と同じように気持ちを切り替えろと言うには、あまりにも酷だった。

一社員が社長の息子を受け入れるのだ。





「ただいま。・・・どうしたの、杉野君?こんなところに立って」

「秋月さん!あっ、すみません、お帰りなさい」


所用から帰って来た和也に、早速高田が用件を告げた。

「お帰りなさい、秋月さん。社長より言伝です。帰社次第社長室にとのことです」

「わかりました。・・・どうしたの、明良君?そんなところに立って」

「どうって・・・親父に話があったんだよ。・・・お帰りなさい」

和也はそれ以上は言わず、一旦執務室に入った。



一方遼二は、整理のつかない頭を必死に働かせながら和也に相談することを考えていた。

「杉野さん、親父にOK貰ったぜ!姉ちゃんはどうすんの?誘うよな?」

和也を見ていた遼二に自分の方を見ていると勘違いした明良が、指でOKマークを作りながらニカッと笑った。

さすがの遼二も甘い顔は見せず厳しい表情で睨んだが、はっきり言って今さらだった。

明良には全く通用しなかった。



「明良君、ちょっと来なさい」

執務室のドアが開いて、和也が明良を呼んだ。

「・・・何だよ」

思い当たる節があるのか、明良は執務室へ行こうとしない。

和也は二度は言わなかった。

ズカズカと明良の方へ向かったかと思うと、ぐいっと襟首を掴んで執務室に引き摺って行った。やはり手荒かった。

「やめ・・・!苦し・・・っ、オレが何したってんだよ!!」

暴れ手繰(たく)ったらちょうど入り口のところで、和也の手が離れた。

「君、午前中は何をしていたの?勉強道具が全然出ていないけど」

しまった、教科書とノートだけでも出しておけば良かったと悔やむ明良だったが、後の祭りだった。


「・・・杉野さんと営業部に行ってた。高田さんが勉強になるから行けって言った。後・・・読書?」

行っていいが、行けに変わっている。読書で?≠ネのは例の鬼子母神が載っていた漫画本のことらしい。

要するに何もしていなかったのがバレバレの明良だった。


「お尻叩くから、こっちに来なさい」

するべきことをせず、さぼることについての和也は厳しかった。

「・・・!!何でだよ!!午後からするからいいじゃんか!!」

明良の大声は、そこら中に筒抜けだった。


揃えた資料を抱えて社長室に向かう長尾が、執務室の開いたドアからにやりと笑って明良に言った。


「明良君、前にも言ったろ。言うことを聞かなかったりサボったりする悪い子は、うちの会社ではお仕置きされるんだよ」


同じく進藤も、長尾の言葉に付け足すことを忘れない。切れ長の目を思いっきり細めて。


「反省出来るまでたっぷりとね」


お互いの考えていることがわかるこの二人、子供相手に嬉しいことも同じらしい。



「早く」

和也はおかまいなしだった。


「あぅ・・・待った、待って!親父呼んでんだろ!待たしてていいのかよ!!」

「ご心配なく。特例の場合、仕事の優先順位として最優先が認められているから」

どうやら明良の尻叩きは特例らしい。


「ふざけ・・・おわっ・・と!たっ・・・助けて!杉野さ―――んっ!!」

再び和也に襟首を掴まれて引っ張られた明良は、遼二に助けを求めた。


遼二が明良の傍に駆けつけた。しかし、助けるためではない。

明良も必死なら、遼二も必死なのだ。

もっとも明良の場合はほとんど身から出た錆であるが、明良の勝手な段取りに巻き込まれた遼二はとんでもなく災難だった。


「秋月さん!実は明良君が俺の家に泊まりに・・三日間!
・・・そしたら社長がOKで・・・迷惑だったら言っていいと・・その・・・はっきり言って!・・・迷わ・・・」

事態がひっ迫して気持ちが動転している遼二は、相変わらずお粗末な説明しか出来なかった。


「・・・・・・杉野君、まだ時々落ち着かないようだね。明良君が君の家に?
私のいない三日間?迷惑じゃないの」


―そうなんです!迷惑なんです!!―


「いちいちうっせぇんだよ!親父が言いつってんだから、いいじゃんか!
オレと杉野さんのことだろ!離せよ!迷惑なのはオレだー!!」

遼二が一番肝心なことを言おうとしたところに、明良から横槍が入る。


「明良君!君は少し黙ってて下さい!秋月さん、あの・・・」


業務中は忙しいのだ。わけのわからない説明に付き合っているほど暇ではない。

業務報告の中で「あの・・」とか「その・・」とかためらいの言葉が続くと、後はいっさい切って捨てられる。


報告、連絡、確認或いは相談の類は、簡潔に要点を伝達するのが基本なのだ。

それが出来ない限りは、いかなる理由があろうとも聞き入れられることはない。


「社長の許可を頂いたのなら、私は何も言わないけど・・・」


―こ・・困るし!言ってくれないと・・迷惑!・・俺・・・言って下さい―――!!―


遼二、ためらいの言葉が続き、後はあっさり切って捨てられた。



和也はぐいーっと明良の上半身を脇で抱え込むように抑え付け、尻を叩いた。


バチ―――ンッッ!!


「うへぇっ!痛てぇ――!!す・・杉野さん!助けてってば!!」


「あっ・・秋月さん――!!」


遼二の目の前で尻を叩かれる明良。

以前ならカルチャーショクを受けるほど驚いた尻叩きも、今では当たり前の光景に見える遼二だった。


A&Kカンパニー、時に特例の尻叩きは社長命令より優先される。


さすが社風尻叩き<gップから浸透している。







※ コメント

一時(いっとき)は遼二マシだったのですが、ここへきてまたもや巻き込まれる運命に。

しかも社長には秘書課の一員として、まだ半人前のようです。


みんなそれぞれ良いことも悪いことも身に降りかかっていますが、たくましく乗り越えて楽しい会社ライフを送っているようです。

・・・今のところ一名除く(笑)



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