17



八月、ギラギラと照りつける太陽も、盆の時期を過ぎるとその位置が高くなっている。

まだまだ汗ばむ気候ながら、一段高くなった空を見上げて和也は麻理子を待った。


麻理子がアメリカへ行って一年。麻理子と会うのは今年二回目だった。

正月と今回の休暇。

休暇は麻理子の方がまとめて取れる。

初めての長期休暇は正月を挟ん
で三週間、この夏季休暇も二週間を取っての帰国だった。

和也は三日間。正月の外食産業はかき入れ時なので、その時は二日間だけだった。

二日間が三日間に、一日増えただけだ。

いくらメールや電話でやり取りをしていても、それは近況報告程度にしかならない。

お互いの将来のことを話し合うには、やはり会う時間が必要なのだ。

二日や三日では、話にもならないのが正直なところだ。

良く見限られないものだと思いながら、和也は第一ターミナル屋上の展望デッキから到着ロビ
ーに向かった。


時間通りに到着出口に現れた麻理子は、小振りのボストンバッグひとつの軽装備だった。


「相変わらず時間に正確だね。荷物はそれだけ?」

「向こうではそれが一番役に立ったわ。荷物?一足先に家に帰っているわよ」

麻理子は冗談めかしに言うと、和也の腕をとって胸元に顔をつけた。

「ただいま・・・和也さん」

ふわりと掛かる麻理子の黒髪にそっと手を当て、和也は「言ってなかったね、ごめん」と微笑ん
だ。

「お帰り、麻理子」












今日から三日間和也の休暇にともなって、明良は遼二のマンションに泊まることになった。

まることになったと言えば聞こえはいいが、ほとんど押しかけに近い。


「明良君いいですか。私も今日と明日居ませんので、長尾さんたちの言うことを良く聞い
て・・・」

「わかってる!さっきから同じこと何回も言ってるぜ、橋本さん」

耄碌じじい、と明良は小声で付け足した。


和也がすでに休暇に入っているため、今朝は橋本が明良を迎えに来ていた。

「・・・・・・泊まり先の杉野さんの家では行儀良くして、それでなくても気をつかわせるのですか
ら・・・」

「それもわかったってんじゃん!さっきも和也さんが同じこと言ってただろ!二人ともしつけぇん
だよ!!」

明良より後に出発する和也に、見送りがてら細々と注意されていたことだった。

昨日から荷物の確認だの何だの同じ事を何度もやらされ言われれば、いくら明良でもたまった
ものではなかった。

ムスッとして、後部座席に背中を叩きつけるようにしてもたれた。

ボスンとくぐもった音がしたが、シーマの背もたれのクッションは明良の衝撃など軽く吸収し
た。


「しつこく言われるのは普段がそうだからですよ。来年は高校生でしょう。
もうそろそろそのくら
いの事は、言われないようにしないといけませんね」

橋本は明良の機嫌などまるで気にする事なく、ゆっくりと語りかけるような口調は変わらなかっ
た。




明良を乗せたシーマがビルの玄関口に着くと、出迎えには長尾と進藤がいた。

橋本は明良を長尾たちに任せて、自分は車を駐車場に置き、その足で営業部へ向かった。

営業部では園田がすでに出張の用意をして待っており、橋本が部屋へ入って来るなり席から
立ち上がった。

「さすがに用意が早いな、園田。じゃ、行こうか」

「ああ。社長室へ寄ってからそのまま直行だな」

橋本と園田の今回の出張は、商談が成立したホテル森之宮の最終調査が目的だった。

調査後正式に本契約の運びとなり、すぐ出店の準備に入る。

商談成立から本契約までの一番
大事な繋ぎの部分を、二人が執り行う。

橋本は秘書課には寄らず園田と正面扉から社長室に入り、これからの予定を兼ねた挨拶をす
ますと、早々に会社を出た。




A&Kカンパニーは、午前9時が始業開始時間だった。

和也のマンションから会社までは、車で10分ほどの距離にある。

橋本が午前8時に和也のマンションを出て車を駐車場に入れるまでに8時20分。営業部に8
時30分。

園田がすでに準備万端で待っており、その約10分後に社長室。

それを考えると、社長は遅くとも8時30分には出社しているということになる。


社長付きの進藤は当然社長より早く、橋本、長尾も社長より遅いなどということはない。

高田はもちろん先輩である橋本、進藤、長尾より遅く来られるはずがなく、後輩の吉川はさら
に高田より早い。

遼二が橋本から遅いと言われた配属初日の午前8時30分は、秘書課では重役出勤なのだ。

今では遼二の出勤時間は午前7時となっている。


初日に8時30分。翌日に8時でも和也を除く全員がいた。

翌々日7時30分高田・吉川がい
て、さらに次の日7時15分で吉川。

いったい始業時間は何時だ!と死に物狂いで7時に出社
して来て、ようやく一番乗りを果した遼二だった。




和也は明良と暮らすようになってから、8時30分の出社になった。

和也の時間ではなく、明良
の時間に合わせている。

明良はそれまでの野放図な生活が矯正されたことで、自分の生活時間が和也の時間に合わ
されていると思っている

。窮屈この上ない。

しかしこの三日間は、久々にその窮屈さから解放されるのだ。




明良の夏休みも残すところニ週間を切った。

宿題もこれまでの学校生活でたぶん初めての快
挙であろう、ほとんど出来ている。

後はしてもしなくてもいいような宿題だけだ。と、明良は自分
で思っているだけなのだが。


「他はみんな出来てるぜ。それにこんなのあんまり受験に関係ねぇもん」

明良は手付かずの書き取り問題集を横に除(の)けて、漫画本を取り出した。

どうやら宿題の恰好だけ持って来ただけで、する気は全くないようだった。

長尾と進藤は橋本の代わりに、明良に連れ添って執務室に居た。

「書き取りは大切な勉強のひとつだよ。一生のものだからね」

長尾は明良が横に除けた問題集を手に取り、進藤は無言で明良から漫画本を取上げた。

「読んでんだろ!返せ!!」

いきなり漫画本を取上げられた明良が、進藤を睨んで怒鳴る横から、

「君が今しなければいけないことは、漫画本を読むことじゃないだろ」

長尾は手に取っていた問題集を、もう一度明良の前に置いた。

明良が長尾と進藤に逆らえるのは、ここまでだった。

不承不承、明良は問題集を開いた。

「それじゃ明良君、また後で来るから。それから昼まで部屋から出ることは禁止だからね。
出来
てない分頑張りなさい」

しばらく様子を見ていた長尾は明良にそう告げて、進藤と執務室を出ようとした。


「・・・・・・・どこ行くんだよ」

「・・・・・・?隣の秘書室にいるよ?仕事だからね」

「営業部に行くんだろ?オレも行く」

「何言ってるの。用もないのに行きません」

進藤が即座に否定した。しかし内心、二人ともギクリとしたのは間違いない。


「この前行ってたじゃん」

「・・・仕事だよ。君こそあれは見学とは言わないだろ」

「君はもっと自分の立場を考えた行動や発言をしなきゃだめでしょ」

明良に注意しているつもりが、少しずつ明良の言葉に引っ掛かっているのに気付かない二人
だった。

「でも、松本のおばちゃんから叱られたのは長尾さんと進藤さんじゃん」

「・・・・・・松本女史でしょう」

使い分けてやがる・・・進藤はやられたとばかりに、つい言動に悔しさがにじみ出てしまった。

んだんレベルが明良に近づいて来ている。


「親父は?」

またもや唐突に明良が進藤に聞いた。

「・・・・・社長室に居(お)ります。今日は一日居られますが、午前中はダメですよ。
君はするこ
とがあるでしょう。午後からなら少しお会いしても・・・」

進藤の説教交じりの返答を半分も聞かないうちに、明良は携帯を取り出して電話を掛け始め
た。


「もしもし、おっちゃん?オレ、明良!今日さー、親父一日居んだって。
最近忙しくて会ってない
だろ、どうしてるって言ってたぜ。おっちゃんは今日暇?」


「明良君・・・・?おっちゃん?佐伯さんのことかな、長尾」

「さあ?」

二人とも怪訝な顔で明良を見た。

明良はいったん電話を切ると、もう一度携帯のプッシュボタンを押した。


「親父ー?オレ!この前さー、久々に山岸のおっちゃんに会ったぜ。うん、元気にしてた。
今電
話したら今日は特別な予定はないとか言ってたけど・・・えっ・・いいじゃん、それ!
オレがちゃ
んと留守番しておいてやるよ。じゃな」


「山岸常務のことだ、長尾」

「・・・のようだな」

ブツッと電話を切って、エヘヘヘと実に子供らしい笑顔で明良は二人を見た。

長尾と進藤には、その明良の子供らしい笑顔が一番信用ならなかった。

進藤の細い眉がぐぐぅーっとつり上がったその時、

「あっ・・携帯が鳴ってる」

鳴っていると言っても、着信音が流れるわけではない。社内での携帯はマナーモードが義務付
けられている。

進藤は上着の内ポケットから携帯を取り出した。


「・・・社長!もしもし!・・はい!メンバー二人確保?はいっ!
カントリークラブ、キャディ
が・・・はい!はい?今からですか!・・いえ!はいっ、すぐに」


社長からだった。明良が山岸と父親交互に電話してから、ものの10分も経っていなかった。

い立ったら即行動、社長の気性が窺い知れる。

そして長尾、進藤の明良を見る目は確かだった。


―その子供らしい笑顔が一番信用ならない―


「親父何だって?進藤さん。ゴルフ行くとか言ってなかった?山岸のおっちゃんも、たぶん行くと
思うぜ?」

明良の疑問系の言い方が、思惑通りにはまったことを証明していた。

社長が動くということは、進藤も動くということだった。

「そうですね、ご一緒だそうです。それよりも今日は社長の代わりに君が留守番するとか?
任ですよ。長尾、よぉーく監督しておけよ!」

進藤は柳眉をつり上げたまま長尾に言い置いて、急いで執務室を出て行った。



「なぁ・・・もうそろそろ長尾さんも隣の部屋に戻っていいぜ。仕事あるんだろ、オレどこにもいか
ねぇよ」

「そうですか。でも、ここでも仕事は出来るからお気使いなく。それに社長代理の君の監督も仕
事の内だからね」


執務室、和也のデスクに座る明良とソファのテーブルにPC(ノートパソコン)を置いて仕事をす
る長尾。

明良は首尾よく進藤を追い払うことに成功したが、その反対に長尾に居座られてしまった。

長尾は長尾で、明良にべったり付いていなければならなくなった。

結果として、明良、長尾、進藤
の三人ともが、せっかくの和也・橋本不在の貴重な日を、いつも以上に窮屈に過す羽目になってしまった。







「ねぇねぇ、吉川君。何だか平和だよねぇ・・・」

こちら秘書室では、高田がのんびりほのぼのとした笑みを浮かべていた。

それもそのはず、明良×長尾・進藤互いの足の引っ張り合いから、思わぬ平和が高田に転が
り込んで来た。

これを漁夫の利と言う。


「そうですか、いつもと変わりませんけど」

吉川は誰が居ようが居まいが、あまり関係なかった。どんな時でも誰に対しても、真面目なの
だ。

「え〜っ、そうかなぁ?ねぇねぇ、杉野君はどうなのさ・・・杉野君?」

「あっ・・はい、何がですか?」

「何がって・・・君どうしたの?・・・見苦しい」

それまでのほんわかした高田の表情が消えた。

「あっ・・どこか乱れてますか・・・髪・・かな。今朝はちょっとバタバタして」

普段は長尾、進藤、吉川たちと違って当たりの柔らかい高田だが、そこはやはり秘書課三年
目。

長い睫毛の揺れがピタッと止まり、一転厳しい眼差しで遼二に対した。

「もう・・・仕方ないな、鏡を見て来てごらん。顔が乱れてるんだよ。目の下に隈(くま)なんか作っ
ちゃダメでしょ。
いかにも疲れてますって顔してるよ。そんな顔でお客様の応対をするつも
り?」

遼二は昨日の夜から一睡もしていなかった。明良を迎える緊張感と責任感、それに部屋の掃
除など。

今回の件については真紀には話していないので、手伝ってもらうわけにはいかなかっ
た。

狭いとはいえ、ひとりで隅々まで掃除するのに明け方まで掛かってしまった。

「隈・・・すみません。明良君を迎える準備であまり寝られなかったので・・・」

遼二も和也たちがいないことで、多少のリラックス感があったのかも知れない。

どっと疲れが出
たようだった。


「聞き苦しい。それは君個人の理由でしょう。会社は関係ない。お客様はもっと関係ないよ」


もっともだった。明良が泊まりに来ることと、遼二の寝不足は無関係なのだ。

遼二は高田から言い分を一喝されて、目が覚めたような思いだった。

こうしてひとつずつ、A&Kカンパニー秘書課の一員としての心得が遼二に付いて行く。


「・・・肌も荒れてるよ。顔を洗い直しておいでよ。僕のパック貸してあげるから」

「パ・・パック!?」

「顔パックだよ。君したことないの?それもダメだな。ちゃんと手入れしておかなきゃ。
身嗜みも
大切な仕事のひとつだよ」

身嗜みも大切な仕事・・・確かにそうなのだが、さっきと同じ高田の言葉でもこれには微妙に承
服しかねた。

「パックまでは・・・。とりあえず俺、顔洗って来ます」

「・・・素直じゃないね、杉野君。何?何?何?その顔。君三大ご法度の二つまで破ってるんだ

。三つ立て続けに破ると後がないよ」

高田、誰かと似たような迫り方で遼二に詰め寄った。

後がない、つまり会議室行きを示唆されて冷や汗の出そうな遼二だったが、出れば確実に三
つめご法度の暑苦しい≠言われるに決まっている。

汗も掻けない。


「高田さんの言う通りだよ。顔パックまでは余分だけど、うちはお客様相手の仕事だってことを
忘れるなよ」

吉川は遼二に念押しすることで、高田の注意が違う方向へ行きそうになるのを修正した。

「はいっ、すみませんでした。気をつけます。俺、顔洗って来ます」

吉川の助け船のような注意に、ほっとしながらもしっかり肝に銘じる遼二だった。


収まらないのは高田だった。遼二を取り逃がしてしまった。

話の途中で腰を折られたようなもの
だ。

「吉川君、どうして顔パックが余分なのさ!肌を綺麗に保つのも身嗜みのひとつだよ」

「身嗜みは清潔にしていればいいんです。過剰な手入れは不必要ですよ。そんなホストクラブじ
ゃあるまいし。
だから長尾さんも進藤さんも社長から髪の毛を切れなんて言われるんです。高
田さんもその髪の色抜きすぎ・・・」

高田のひと言が三倍になって返って来た。言い合いで高田が吉川に勝てるわけがない。

勝ち目のない言い合いなど疲れるだけだ。

高田は吉川の話の腰を自分が折られた以上に、思
いっきり折った。

「あーっ、吉川君!ニキビ見―っけ!いや、二十歳過ぎたらニキビじゃないよね。
吹き出物だ
よ。顔ちゃんと洗ってる?」

「し・・失敬な!ちゃんと洗ってます!」

吉川は思わぬところを突かれて、狼狽した。こうなると高田は強かった。

「どれ〜・・・よっと・・・うわっ、うわっ、うわぁ〜!」

「ちょっと・・・!何?顔に押し付けたんですか!」

顔を洗った遼二が化粧室から戻って来ると、今度は高田が吉川に迫っていた。

しかしそれは半分おふざけ程度のようなもので、遼二は気に止めることもなく自分の席に着い
た。

今夜のことは今夜のことだ。今は仕事に集中すべきなのだ。

気持ちを奮い立たせて、遼二は書類ファイルを広げた。



「ほらぁ、吉川君、すっごい脂。君も顔洗って来れば?」

「・・・何ですか、それ?」

「これ?顔の脂取り紙だよ。そら、もう一回こうして、ぎゅぅぅ・・鼻の頭に当てて・・・」

「そんなもの持ち歩くな・・・やめ・・やめろぉ!ふんぎゃあぁっ!!」












和也と麻理子は空港から、これから三日間を過す旅館へと向かった。

和也の愛車プジョーで走ること数時間。

ドライブがてら休憩しつつ、旅館に着いたのは夕暮れ
時だった。

旅館は郊外の静かなたたずまいの中にあった。

和也たちが通されたのは、幾つか点在する離れの部屋だった。

旅館だが寝室はダブルベッドで十畳ほどの洋間と、同じく六畳の応接間。

日本間は八畳が一
(ひと)部屋とサンルームが有り、続く縁側から中庭の景観を臨めた。

水周りもひと通りの設備はもとより、風呂は個別に岩風呂が有り、サウナも完備している。

麻理子は自分のテリトリーでもあるのか、興味深そうに各部屋を見て回った。


和也はサンルームで、暮れ行く中庭の風景を見ながら運転の疲れを癒していた。

都会に比べて気温が低いのもあるが、冷房を入れなくても開け放たれた縁側から、自然の風
が涼を運んで来た。

麻理子が来て縁側に腰を降ろした。

興味深げに見ていた割には、インテリアや調度品のことに
ついて何も触れることはなかった。

中庭の方を見ていた和也は、いつの間にか縁側に座る麻理子の方を見ていた。


「静かな所、美しい景色・・・それだけなのに、何だか贅沢ね」

麻理子は前方の中庭を見つめながら言った。

「贅沢と感じるほど、普段は忙しいのかい」

「・・・あなたの方こそどうなの?静かな所は退屈だって言っていたのに」

振り向いた麻理子の笑顔はとても柔らかだった。

柔らかさを確かめたい、今さら知らない関係でもないのに。

和也は時々、自分でも驚くほど麻理子を抱きたくなる衝動に駆られる。


「・・・和也さん?こんなところで・・・誰か来たらいやだわ」

「誰が来るの?こちらから呼ばない限り来ないよ」

麻理子の羽織るカーディガンを剥ぐと、タンクトップから出た白い肩が夕焼けの空と同じに赤く
染まった。

和也は後ろから麻理子の肩に唇を当てた。


「・・・・・・しょうのない人ね」


麻理子は軽く溜息をついたが、あえて逆らうことはせず身を任せた。

和也に抱かれる視界の端で、中庭の小さな池の水面(みなも)がキラキラと光っていた。












「光がメインだ。光の洪水で行く」

「それじゃあ、名前は決まったなlumiere(リュミエール)≠セ。次の幹部会議で出すぞ、園田」

橋本は眼前の巨大シャンデリアを見上げなら、隣の園田に言った。

橋本と園田は、出張先のホテル森之宮にいた。正式契約に向けて、最終調査に訪れていた。

話し合いも滞りなく済み、食事の招待は受けたが、その後の接待は断った。

ラウンジあたりで気楽に飲む方がいい。


ホテル森之宮のロビーは五階建て高さのビルをくり抜いたような吹き抜けになっている。

その見上げた中心に巨大シャンデリアがあった。

五階の天上から三階部分までの吹き抜けは
電球の光で飾られている。

眩いばかりの光の洪水、園田の言葉はここから来ていた。

巨大シャンデリアはホテル森の宮の顔でもあった。

園田は新店舗のイメージを光≠ニすることで、森之宮側の巨
大シャンデリアを効果的に自分たちの店舗に使う算段を考えていた。

夜は接待を断ったので、ホテルのラウンジで橋本と園田は久し振りにお互いのことをゆっくり話
す時間が出来た。


「来年、二人目が産まれるんだってな。これからますます忙しくなるのに、大丈夫か?」

園田と橋本、和也も含めて、彼らは同期生だった。その中で、橋本だけが既婚者だった。

「何が?会社が忙しいのとそれは別さ。むしろ原動力になる、家庭はいいぞ。園田、彼女
は?」

橋本から反対に切り返されて、園田は答えに詰まった。

園田は女性との付き合いが苦手だった。

本人は苦手と言うよりも、忙しくてその暇がないと思っ
ている。


「・・・・・・忙しくて、そんな暇なんかあるもんか」

「忙しいのとそれは別だって言ってるだろ。営業は出来るのに、彼女は出来ないんだな。
もたも
たしていたら、松本女史に嫁さんを決められてしまうぞ」

園田は思わずぞっとした。橋本の冗談に聞こえないところが怖かった。

「よくそんな恐ろしいことを言うな・・・。もしそんな事になるんだったら俺は一生一人でいい!」

「・・・・・冗談だよ、もう酔ってるのか?まぁ・・・お前だけじゃないけどな。
秋月も結婚はまだ先の
ようだし・・・」

橋本も園田も、和也が休暇を誰と過しているのかは知っている。


ピアノの生演奏とハスキーボイスのジャズボーカリストの歌声。

レアモルトのウイスキーをオン・ザ・ロックで飲みながら、忙しい合間のわずかな休息を取る二
人だった。












―しょうのない人ね―

和也のことをそんなふうに言うのは、麻理子だけだった。

会社でも友人同士の間でも、和也はしょうのない人だったことはない。

母親を十五歳で亡くして
からは、特にそうだった。

几帳面でルーズなことは嫌った。話し方は穏やかだが、言うべきことははっきり言葉にする方
だった。

時にそれが疎ましがられることはあっても、総体的には頼られることの方が多かっ
た。



いぐさの薫る畳の間に、和也と麻理子はいた。

陽は落ちて、縁側から吹き抜ける夜風が汗ば
んだ体の熱を取ってくれるようで心地良い。


「いつまでこうしているつもり・・・。食事だってまだよ。あまり遅くなったら迷惑なんじゃなく
て・・・」

電気をつけてなかったので、部屋もすっかり暗くなっていた。

時間が気になったのか、麻理子
は体を起こした。

上半身を起こした麻理子の体は、暗闇に白い肌が浮き立つようだった。

なだらかな肩のラインからピンと張った背中は、横から見ると乳房の形の良さが引き立った。

麻理子は両腕を後ろに回し、ハーフカップブラのホックを止めようとした。


「・・・僕が着けてあげるよ」

和也も上半身を起こした。

そして麻理子の後ろに回る手の隙間から両腕を差し込んで抱きしめ
た。

柔らかな乳房の感触が和也の手のひらに広がる。

「ふざけないで、和也さん。着けられないじゃない」



―由紀子は笑って大丈夫と、上げて見せた両手で後ろから和也を抱きしめた―



片方だけでなく両の手に広がる感触を、何度でも確認するかのように。

それでも、もし仮に麻理子が母と同じになったとしても、やはりこうして変わらず抱きしめるだろ
うと和也は思う。



―背中に当たった母の乳房の感触に和也は衝撃を受けた。柔らかな乳房は片方しか感じるこ
とが出来なかった。
それでも和也はただ黙って、母の乳房を背中に受け止めていた―



今はもう、ただ黙って背中に受け止めることしか出来なかった15歳の少年ではないのだ。





「食事の用意が出来るまで、少しその辺を散策しようか」

和也は、今度は真面目に麻理子がブラを着けるのを手伝った。


二人が服を整えて出掛ける用意をしていると、和也の携帯が鳴った。

和也はディスプレイ画面を見ていたようだったが、そのまま電源を切った。

「いいの?切ってしまって。・・・もし明良君だったら出てあげればいいのに」

「電源を切り忘れてた。休暇中は例え社長からでも出ないよ。持たないことにしているんだ」

和也は部屋の隅に重ねて置いてある座布団の上に、携帯をポンと放り投げた。












和也、橋本が居ない秘書課では、長尾が明良の監督に付いて、何事も無く就業時間を終える
ことが出来た。

遼二にはこの三日間、明良が居ることで和也と同じ出社と退社の時間が認められる。


「杉野さん、5時だぜ!帰ろうぜー!!」

明良が執務室から飛び出して来た。

「あっ、もう5時・・・。明良君、もう少し待ってくれますか?この仕事を片付けたら・・・」

まだ遼二の仕事はファイル整理程度だが、種別、項目別、企業別、個人別など、整理して行く
ことで、顧客の客層を把握する。

心得がひとつずつなら、仕事は一段一段の積み重ねだ。


「いいから!杉野君、後はするから。さっさと!終わりなさい」

執務室からPCを抱えて出来た長尾が、追い立てるように遼二に言った。

一刻も早く明良から
解放されたいようだった。

「そうだよ、杉野さん。するってんだから、そんなの長尾さんに任せりゃいいじゃん。
北山さんも
5時に迎えに来てくれるし」

「・・・・・北山さん?」

「社長付きの運転手の方だよ。カウンターのところでお待ちですよ、明良君」

受付けにいた吉川が帰って来て、明良に報告した。


「社長付き・・・!!えっ・・えぇっ!?」

社長付きと聞いて、遼二は急いで受付けに行った。

「あの・・!すみません!!社長は、外出中じゃないんですか!!」

カウンターのところに、人の良さそうな五十年配の男性が立っていた。

「ええ、外出中です。今日は明良坊ちゃんがご友人宅にお泊まりになるというので、
ご友人の方もご一緒
にお送りするように社長から言われまして。お迎えに上がりました」

未だ社長には、遼二は明良の友人という認識のようだった。


「北山さん、こんちは!久し振り」

「明良坊ちゃん!私も久し振りに明良坊ちゃんを、お乗せ出来て嬉しいです」

明良と社長付き運転手の北山が大喜びしている横で、ひとり悲壮な顔の遼二だった。


「・・・北山さんがここに居るってことは、じゃ社長の方の運転は進藤?」

去年社長付きだった長尾には、それなりに様子がわかるようだった。

「ええ、そうです。ゴルフ場まで片道2時間30分なので少し大変ですが。社用車で行かれてま
す」

悲壮な顔は遼二だけではない。

「やっりぃ!!じゃオレたちがキャデラックだ!社用車は狭いし乗り心地悪りぃんだよ」

往復五時間。しかも社用車運転の進藤は、悲壮を通り越して悲惨だった。


「キャ・・キャデラック!!」

遼二が驚くのも無理はない。まず遼二クラスでは乗れる車ではなかった。

社用車にしても乗り心地が悪いわけではない。明良が乗りつけている車と比べれば、の話なの
だ。


「すみませ〜ん、ああっ、良かった!間に合いました、明良坊ちゃま!」

「姉ちゃん!良かったな、一緒に車で行けるぜ」


遼二は軽い眩暈を覚えた。ボストンバッグを提げた真紀が走って来る。

それも遼二ではなく、明良に向かって手を振っていた。







※ コメント



季節が・・・。一巡してなおさらに半年、ついこの間まで夏だったのに・・・汗。

今回は、和也と麻理子、橋本と園田の二人が書けて良かったです。

A&Kカンパニー会社が舞台ですが、仕事のことだけでなく、友人、家族、恋人、いろいろな場
面でその関係が出てくる、
或いは絡み合う、そんなふうに書いて行ければと思っています。



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