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ホテル森之宮'lumiere(リュミエール)'オープン記念前夜祭

秘書室ホワイトボードに書かれた本日の予定。


タキシードを着た遼二が、長尾、進藤、高田の順に、前夜祭出席についてのアドバイスを受け
ていた。


「杉野君、汗をかくな。暑苦しい」

「どう見ても、タキシードに着られている感じだね。見苦しい」

「地味なんだよねぇ・・・。だから僕の譲ってあげるって言ったのに」


アドバイスというよりも遼二には無理難題に思えることばかりなのだが、三人の表情は真剣そ
のものだ。


「何だ、その顔は。どうせまた難癖つけてとか思っているんだろ」

「よ・・吉川さん!そんなこと・・俺・・・」

咄嗟に否定しようとしたものの、その通りなので語尾が続かなかった。

図星を指されて言葉を詰まらす遼二に、そんなことは百も承知と吉川がさらに詰問する。

「秘書課三大ご法度を言ってみろ」

今さらながらのご法度を問われて、しかしこれまで言葉を詰まらせるわけにはいかない。

遼二は速やかに答えた。

「暑苦しい∞見苦しい∞聞き苦しい≠ナす」

「常に次に対処すべきことを念頭において行動していれば、冷や汗なんてかくことはないんだ。

ほら、蝶ネクタイ!もっとしっかり締めろ、歪んでるだろ。きちんと着ていれば、服に着られるなんてこともないんだ。
長尾さんも進藤さんも、それを言っているんじゃないか」

「・・・吉川さんっ!ありがとうございます!俺、いつも吉川さんには・・・」

「はい≠ナ充分。よけいな言葉は聞き苦しい≠セけだ。
それよりも向こうではわ・た・し
≠セぞ。君は肝心なところが抜けてるからな」

最後にやっぱり聞き苦しい≠ェ出て、伊達に三大ご法度があるわけではなかった。

それも今さらどころか、本来の持つ意味を全く把握していなかった。

「はいっ!化粧室でもう一度身嗜みの点検をして来ます」

遼二は四人の先輩を前に起立すると、一礼して席を立った。


負けられない、絶対。素晴らしい先輩達だからこそ・・・込み上げてくる胸の熱さに拳を握り締
めた。



一方遼二が席を外した後の、素晴らしい先輩達は―――。


「吉川君、随分先輩らしくなったじゃないか」

「後輩だけじゃなくて、先輩の面倒も見ているからじゃないの」

「別にそこまで・・・僕は気がついたことを言っているだけです」

滅多に褒められない二人から褒められて頬を紅潮さす吉川だが、以前長尾に注意された頃か
ら思えば本当に先輩らしくなった。

長尾・進藤が目を細める横で、高田だけがひとり面白くない。

ついいつもの調子で吉川に愚痴を零してしまった。

「吉川君さぁ、長尾さんと進藤さんだけじゃないでしょ。僕だってちゃんと杉野君にアドバイスし
たのにさ」

高田はあくまでも吉川に言ったのだが、タイミングが悪かった。

肉食系(高田から見て)の長
尾・進藤のコンビが草食系(長尾・進藤から見て)の獲物(高田)を逃がすはずはなかった。

「何がアドバイスだ、あんな派手なタキシードなんか着れるか」

「杉野君に譲ろうとしたって?迷惑な話だよねぇ。
最近の君は、どうも先輩って自覚に欠けてる
よね。久々僕たちと会議室に行くかい?」

「かっ・かっ・かっ・会議室!って・・・いっ・・いきなり、二人がかりで卑怯でしょう!!」

「卑怯?君が新入社員のときは僕たち二人がかりでも大変だったんだけどね。
初心まですっか
り忘れて・・・長尾が甘やかすから、困ったもんだね」

「それは悪かったな。これからは可愛い後輩といえども、心を鬼にするよ。
初心忘るべからず、
さっ会議室に行くよ」

バキボキバキッ・・・と長尾が指を鳴らす。

長尾の席は高田の横なのだ。威嚇以外の何もので
もない。

「僕はっ、吉川君と話していたんですよ!そっ・・それに、お二方に服のセンスを言われたくあり
ません!
長尾さんや進藤さんだって、公式行事の服装については橋本さんから言われていた
じゃないですか!」

さすがに草食系でも、窮地に追い込まれれば反撃する。捨て身覚悟で。

「・・・その口答えは許されないな。進藤の言うとおりだ、俺は甘かったようだな」

「高田君、パンドラの箱を開けたことを、会議室で後悔してもらおうか」

どうやら本当に捨て身になってしまった。

肉食系の二人は橋本(パンドラの箱)で、スイッチが入ったようだった。

高田の横と後ろから、185cmと184cmの大きな影が牙を剥いて忍び寄る。

「ひいぃ・・・っ・・・」


「皆さん公式行事の服装については、橋本さんに散々注意を受けたのに自覚されていないの
ですか?」


いままさに長尾の手が高田の腕に伸びたときだった。

三人は硬直したように、顔だけ声のする
方に向けた。

「長尾さん進藤さんは、その格好でどこを練り歩くつもりだ、ちんどん屋かって言われていまし
たよね。
高田さんは売れない演歌歌手でしたね」

「・・・吉川?」

長尾は体を硬直させたまま、一瞬何を言われているのか理解出来なかった。


「皆さん橋本さんから似たようなセンスで注意されているんですから、長尾さん進藤さんも高
田さんのことは言えないんじゃないですか」


「よっ・・うぅっ・・吉川君っ!!」

「吉川!!」

高田の悲痛な中にも喜びの入り混じった叫び声と?≠フ取れた長尾の怒声が上がった。


「そういうの目くそ鼻くそを笑う≠チていうんですよ」


「ありがとうぅ!!・・・って、えっ?えっ?僕、鼻くそ!?・・・いやあああぁぁっ!!!」

やっぱり吉川君!と窮地を救ってもらった高田だったが、彼の美意識の中では有り得ない代
物に例えられて絶叫した。

長尾・進藤も、美意識は高田と変わらない。

「たとえ千歩譲ったとしても!!ちんどん屋の方がまだ受け入れられる!!カッパだって受け
入れるぞ!!!」

目くそ呼ばわりの進藤に至っては、軽いパニックに陥っている。

「別にそこまで・・・僕は気がついたことを言っているだけです」

吉川はどんな時も誰に対しても真面目なのだ。

時にそれが、さらなる憎たらしさをもたらそうとも。・・・いや、すでに憎さ百倍?

唯一正気を保っていた長尾でさえ、我を忘れて素に戻ってしまった。


「吉川!!このクソガキッ!!!」


素晴らしい先輩たち!?・・・・・・彼らも生身の人間なのだ。

前夜祭に出席できないストレスが、かなり溜まっているのかもしれない。










「なあ・・・オレ、先に杉野さんと行ってっからさぁ。いいだろ」

執務室では、明良が退屈そうに出発の時間を待っていた。

「あまり早く行っても、何もすることはないよ」

「ここにいたって、同じじゃん」

デスクに明良、和也は橋本と応接用ソファにいた。

明良はせっかく土曜日で学校が休みだというのに、和也と一緒に出社させられて朝から執務
室に軟禁状態だった。

去年の'soleil'(ソレイユ)レセプション欠席が、大きく関わっていることは否めない。


「書き取りでもしていればどうですか」

同じことを二度も言わない和也に代わって、橋本が答えた。

「・・・わかった」

少し間があったものの明良は和也の時のような口答えはせず、素直に返事をした。

暫くして和也が静かになったデスクを窺うと、明良は黙々と練習問題用らしきプリントにシャー
プペンシルを走らせていた。


「橋本さんの方が、よく言うことを聞くみたいですね。あの一件が効いているのかな」


あの一件。

今回のホテル森之宮新店舗を含む秘書課全体会議の見学中において、明良は癇癪を起こし
て会議を中断させてしまった。

そのまま会議室を飛び出した明良は、怒り収まらず橋本の車を
ボコボコに蹴り倒した。

悪戯ではなく腹いせなので、証拠を残さず自分の仕業と思わせなけれ
ば意味がない。

明良はわざわざ靴底に泥を擦り付けて、車のボディに運動靴跡を残した。

例え靴跡が同じだと言われても、運動靴くらい誰でも履いている。ましてや名前が書いてある
わけでもない。

警察の鑑識ならいざ知らず、明良は突っぱねられると計算した。

しかしあっさり橋本に証拠を握られてしまう。

明良の運動靴がスポーツメーカーの一流ブランド
NIKUの記念限定品だったため、靴底の模様と一緒に型取られた製造番号も映っていた。

ねたあげく、結局百叩きの憂き目にあってしまった。



「どうでしょうねぇ・・・」

二人は特別声を潜めて話しているわけでもないので、明良にも聞こえているはずだ。

橋本は手元の書類から顔を上げて、明良の方を見た。

視線が合った。

二人の会話に反応したというよりも、プリントの書き取りが終ったようだった。

明良が二つ折りのプリントを持ってデスクから立ち上がった。

「オレ、トイレ行ってくる。橋本さん、採点しておいてくれよ」

「いいですよ」

と、橋本がそれを受け取って開いたときには、ドアの開閉音がしてもう明良は部屋にいなかっ
た。


「・・・やられた。あの程度で懲りるようなら、楽だけどね」

橋本はプリントをひらりとテーブルの上に落とした。

プリントは書き取り用などではなく、会社の書類だった。

漢字部分に全て読み仮名を振ってい
る。

必要書類なのだが、契約書や誓約書のように、絶対落書きの許されない書類というわけで
もない。

それにシャープペンシルなので、消せば済む。


「まあでも・・・そういったことをわかって書類を選んでいるところは、なかなか感心だな」

「・・・全く、君まで馬鹿なことを言わないでくれるかい。しっかり採点してもらわないと困るね」

橋本はこの程度の悪戯には鷹揚だが、和也は認めない。

その辺の二人の性格が、仕事上に
おいては二本柱として上手く融合している。


「ん・・・ああ、それと、明良君の言葉使いだが、まあ今さらとってつけた矯正はさせなくていいだ
ろ」

橋本は返事を濁しながら、話を切り替えた。

「そうだね、明良に付け焼刃は無理だからね。言葉使いまで手が回らなかったのは僕の責任
です。
来年の'Etoile'(エトワール)グランドオープンまでには・・・」

明良の言葉使いについては、和也も気になっていたことだった。

どうしても勉強や生活の矯正
が先決だったため、言葉使いは後手に回ってしまっていた。

「いや・・・俺はむしろ今のままでいいと思っている」

思いがけない橋本の発言に、和也は珍しく驚きの表情を見せた。

橋本は熱く語る。

「無理に言葉使いを矯正させることで、明良君本来の個性が隠れてしまっては意味がない。
まの彼に求められることは、言葉使いではなく気持ちを表現することだ。
美味しいという気持ち
が美味しいです≠ニ言うよりも、彼の言葉で美味い!≠ニ言う方がより相手に伝わるのなら、それでいい。
今までのように、自由に。押し付けは気持ちに蓋をする。目に余るところは注
意すればいい」

相手への信頼は、柔軟な姿勢を生む。和也は橋本の意図することに耳を傾けた。

「明良の気持ちを塞がないように、自分の言葉で発言させることが第一だと」

「我々は後継者を育てるのであって、作るんじゃない」

真直ぐに見据えた橋本の眼差しの向こうに、和也は明良を見る思いがした。

同時にそれは我
が身をも引き締めることだった。

思い上がってはいけない。

明良を育てているのは自分ひとりではないのだ。





聞く耳を持つということは、自分を向上せしめるためのキャパシティ(能力あるいは受容力)を
備え持っているということだ。

備え持つものだけに、本来誰にでもあるものなのだ。

ただそれが広いか狭いか或いは深いか
浅いものになるかは、個人の努力次第だ。


「常に次に対処すべきことを念頭に・・・・・・。蝶ネクタイは・・・よし、歪んでない!
わた・・
わたし・・・?・・・わ・た・し。わたしは・・・」

設備に高い水準を誇るA&Kでは、各化粧室に全身が映る鏡が完備されている。

その姿身の前で、タキシード姿の遼二が入念に身嗜みのチェックを繰り返していた。

上下とカマーバンド(腹帯=サッシュベルト)、蝶ネクタイは黒で統一。

ポケットチーフは白のシ
ルク、カフスには定番のオニキスを。縁取りのゴールドがオニキスの黒を引き立たせている。

高田に地味といわれたタキシードだが、さすがにオーダーメイドだけあって遼二の身体にピッタ
リフィットしていた。


「杉野さん、何してんの?」

退屈に痺れを切らしトイレに行くと言って執務室を抜け出して来た明良が、怪訝な顔で遼二を
見ていた。

鏡の前で口と身体を動かしてチェックしている遼二の姿は、さながらひとり芝居のようだ。

「明良君!・・・身嗜みのチェックを・・・」

「ふうん・・・オレなんて、上着は汚すからってまだ着せてもらえねぇ」

明良は胸のサスペンダーをバチン、バチンと指で弾きながら、遼二の傍に来た。


「どっこもおかしくないぜ。よく似合ってんじゃん」

「・・・そうですか?ありがとうございます!」

ニコッと笑顔に変わった明良に褒められて、遼二は素直に喜んだ。

着慣れている明良だからこ
そ、その目は正しい。笑顔にお世辞がないのだ。


「前夜祭っても、そんなに気ぃ遣うほどじゃないぜ。飯食うだけだし」

新店舗オープン記念前夜祭は、規模からすれば去年のソレイユの方が断然大きかった。

今回は来年のEtoile'(エトワール)グランドオープンのシミュレーションなのだ。

もちろん明良の≠ネのだが、特別本人に言っているわけではない。

明良には過去の場数(経験=公式行事出席回数)から、大よその規模や重要度が判断出来
るようだった。

しかし規模が小さいからといって、舐めて掛かっては大事に繋がりかねない。

「小さくても大切なパーティであることには変わりありません。
過度な気遣いは必要ありあませ
んが、俺は・・・あ・・いえ・・わた・・私は・・・」

ここは明良にしっかり言い聞かせておこうと話し始めた遼二だったが、さっそく使い慣れない言
葉で咬んでしまった。

「・・・何言ってんの?」

「す・・すみません!ですから、俺・・じゃない私!」

「私って、誰のことだよ。全然杉野さんらしくないぜ、しかも思いっきり噛んでんじゃん。
普通でい
いんだって。それが過度な気遣いってやつだろ」

言い聞かせるつもりが反対に言い聞かされてしまった。それも明良に。

「・・・はい」

遼二は自分の不甲斐無さに、力なく返事をした。

しかし明良はそんな遼二にも、ニカッと笑顔のままで普通だ。

明良の遼二への信頼は揺らがない。

遼二は心の中で呟く。

―その笑顔に、何度救われたことだろう・・・―


「オレ、ちょっとトイレ行ってくっから、待ってて」

「はい」

張りのある遼二の声が戻った。







秘書室では遼二を除く四人が、先ほどの騒動など微塵も感じさせないほど静かにデスクワーク
に勤しんでいた。

それもそのはず、和也が橋本の席に座っていた。

明良がトイレに立って少しして、橋本も執務
室を退室した。

橋本は社長室へ、和也は明良と遼二を連れて一足先に出発するべく、二人を待っていた。

明良を連れて秘書室に戻った遼二は、和也が出発態勢で待っていることに慌てた。

「秋月さん!すみません!すぐ車を回して来ます!」

「遅い。車は吉川君が行ってるよ」

すかさず答えたのは長尾だった。

「いくら吉川君の運転で行くといっても、車を回しておくのは君の仕事だろう」

当然続いて進藤の注意も入る。

高田はもう口は挟まない。明良たちを見送る準備のため、受付へ行った。


「少し早く出発することにしたので、かえって杉野君を慌てさせてしまったね」

和也は笑いながら席から立ち上がった。手には明良の上着を持っていた。

「杉野さんは、オレを待っててくれたんだぜ。長尾さんたちこそ早く着替えなきゃ間に合わね
ぇ・・・。
あっ、そっか!今回は留守番!!なんだよな!」

「あ・・明良君!」

庇ってくれようとする気持ちだけは嬉しい遼二と、さっきの吉川とはまた別の憎たらしさに顔を
顰める長尾と進藤だった。


「そうだ、行く前に長尾君、これをちょっと、すみません」

和也は手に持っていた明良の上着を、長尾に預けた。

明良がんっ?≠ニ思った時はすでに遅かった。

しっかり和也の手が明良の尻に回っていた。

バシッ! バシンッ! バチィンッ!!

「――ッ!!っ痛てぇな!!何すんだー!!」

「橋本さんから、書き取りの採点だよ。君が頼んでいたんでしょう?」

「くそぅ・・・」

と、明良は尻を押さえながらも、文句は言えない。


「さあ、行ってらっしゃい。向こうでは今のような点数をもらわないようにね」

憎たらしいと顔を顰めても、そこは長尾。

和也から預かっていた上着を明良に着せてやりなが
ら、仕事としての苦言は呈すが挑発に乗るようなことはない。


白のタキシードに身を包んだ明良。

衿、蝶ネクタイとカマーベルトもオフ白の拝絹地(ハイケン
ジ=光沢のある高級素材)で、清潔感をアピール。

和也は遼二と同じスタンダードな上下の黒に、蝶ネクタイとカマーベルトは黒地に水玉のものを
チョイス。

水玉といってもドットのような小さい模様なので、派手さは全く無い。

遼二の黒一色の
若々しさに対して、和也は全体に落ち着いた大人の雰囲気をかもし出す。


「さて杉野君、用意は出来ていますか」

「はい!」



受付では高田が、明良たちを見送る準備(人整理)をしていた。

「皆さん!もっと下がって!こら、こら、君、ダメでしょう!マジックなんか持ってちゃ。
ああ、君、
花束は荷物になるからね。こっち、カウンターにおいといてね」

今回はホテルのテナントなので、規模としては小さい。

控え室も狭く、服も会社から着用して行
く。

社内の女性社員たちはそんな情報をきっちり抑えていて、明良たちの出発時間には寸部の狂
いも無く湧いて出て来る。

同じ会社にいても、彼らのタキシード姿はそうそうお目に掛かれない。

あっという間に受付前は、女性社員で黒山の人だかりになった。

そこへ、明良、和也、遼二、長尾、進藤の面々が受付に姿を現した。


きゃあああ―――っ!!♪♪ パシャッ!パシャッ!パシャパシャパシャッ・・・!!


黄色い歓声とともに、一斉にシャッターを切る音がした。・・・携帯の、だが。

和也の後ろにくっついていた遼二は、いきなりのことでどう対処していいのかわからない。

人だ
かりは長尾や進藤の時に経験はあるが、ここまでの大きなものはなかった。

やたら目がキョロ
キョロと右往左往するばかりだった。

明良や和也たちを見ると、いたって普通だ。

それは表面上だけなのかも知れないが、遼二の
ように混乱≠ェ表情には表れていないのだ。

こんなところでも差を感じてしまう遼二だったが、今日の一歩が明日の一歩に繋がる。

いまは無理でもこれからたくさん場数を踏んで経験を積み、彼らのそこを身に付ける。

それが仕事なのだ。


「では、行って来ます。長尾君、後は任せたよ」

「はい。承知しております」


明良たちの見送りが済むと、秘書課受付前の黒山もあっという間に消えた。

ひと目見て、素早く映像に残す。彼女たちの手際の良さは事務処理能力に比例する。

これで仕事が滞れば排除の対象となるのだが、全く無い。むしろ隠れた会社活力の原動力な
のだ。

A&Kカンパニー女性社員のパワーは、あなどれない。



会社の玄関口、総務課の受付嬢が明良に声を掛ける。

「明良坊ちゃま。行ってらっしゃいませ」

「うん、行ってくる。姉ちゃんたち、また今度ランチしようぜ」

この辺りの明良の女性社員に対する愛想の良さは父親譲りなのか、はたまたホストクラブと陰
口を叩かれている秘書課の影響なのか。

いまのところ判断は着き難かった。


最上階から高速エレベーターで一気に一階まで降りて、ビルの総合受付を通りエントランスに
出る。

長尾・進藤は会社に残り、高田がその後の見送りについて来ていた。

社外ではビル内企業の女性社員たちがどこでその情報を仕入れて来るのか、やはり明良たち
をエレベーター付近で待ち構えていた。


きゃあああ―――っ!!♪♪ パシャッ!パシャッ!パシャパシャパシャッ・・・!!


エレベーターが開くと同時に上がる歓声とシャッター音は同じだった

違うのは明良たちの移動に合わせて、ゾロゾロと一緒について来ることだった。

社内ならまだしも社外では傍迷惑もいいところなのだが、ここでも女性パワーは強い。


「・・・何だあれ?」

「ああ、あれか?最上階の会社の奴らだよ。いつもはあれほどギャラリー多くないんだけどな、。

たまに一張羅着てる時はあんな感じだな。まっ、このビル独特の光景ってやつさ」


名物になっていた。


そして車寄せのところで待機していた吉川運転の六人乗りリムジンが、エントランスに横付けさ
れた。

数分後高田とその後ろのギャラリーたちが見送る中を、ゆっくり走行しながら離れていっ
た。




車内では例によってやはり遼二が、キョロキョロと落ち着きがなかった。

「キョロキョロするな。相変わらず落ち着きがないな、君は」

運転する吉川は左ハンドルだ。右助手席に遼二。後部座席は向かい合わせにも出来る二席
二列。

真ん中の列、遼二の真後ろの席を強引に明良が座る。

「・・・狭っ苦しいだろ。後ろが空いてんじゃん」

明良の横を拒否されて最後部に押しやられた和也。もちろん明良は向かい合わせになどする
つもりはない。


明良は遼二の背もたれに両手を乗せて、さっそく吉川を牽制した。

「そんなこと言ってやんなよ、吉川さん。杉野さん、車好きなんだよな!
前のときだってキャデラ
ックで、北山さんに注意されるくらいはしゃいでたもんな!」

悪気がないだけに、始末に負えないとはこのことか。

「フンッ」と、吉川に鼻でバカにされても、もはや遼二は反論する気力も無い。


「はははっ・・・」

「ぎゃはははっ!」


棒読み状態の笑い声と実に楽しそうな笑い声が、車内に響き渡った。


和也は遼二相手にふざける明良を見つめながら、最後部で今夜の招待客のことを考えてい
た。

今夜の招待客数は16社50名と顧客50名。

その中から明良と同じテーブルに着く招待客は二
名。

出席者名簿を片手にかざして呟いた橋本の言葉が頭を過ぎる。


―シミュレーションには、願ってもない相手だ―


やがて、リムジンは目的地のホテル森之宮に到着。


『ホテル森之宮のロビーは五階建て高さのビルをくり抜いたような吹き抜けになっている。
その見上げた中心に巨大シャンデリアがあった。五階の天上から三階部分までの吹き抜けは
電球の光で飾られている』


遼二は下見の際に、実際自分の目で確かめることの大切さを学んだ。

巨大シャンデリアの写真でしか見ていなかった光と目の当たりにした光。

パンフレットに書かれているホテルのキャッチコピー光を浴びる≠まさしくそのままを体感
した。

キャッチコピーは体感して初めて生き、その体感は二度目を呼び込む。

もう一度観てみたい、もう一度来てみたい、もう一度食してみたい、もう一度・・・。

すなわちそれ
がリピート(反復=何度も繰り返す)に繋がる。

全ての客商売の基本なのだ。



前夜祭会場lumiere(リュミエール)≠ヘ、3Fという建ち位置により展望は望めない。

それに代わるもの、新店舗は森
之宮側の巨大シャンデリアを効果的に取り入れるインテリアが施されていた。

レストランにしては珍しい黒を配色することで影の空間を作り出す。光の活性と影の寛ぎ。


「ふわああぁ〜っ・・・」

「つまり光と影の効用を随所に・・・明良君!欠伸・・そんなおおっぴらに・・・」

「つまんねぇ、退屈、腹減った。それに何だよ、まだ誰も来てないじゃんか」

「君が早く行こうって言ったんでしょう。黙って杉野さんの説明を聞きなさい」

明良のテーブルには、明良、和也、遼二、そして招待客二名が同席する。

予定開始時刻より
かなり早く着いてしまったので、明良はこちらでも退屈極まりない。

「なぁ、杉野さん、トイレ行きたい。ついて来て」

「・・・はい。秋月さん、ちょっと行って来ます」

「いや、私がついて行きますから。さっ、明良君、行こうか」

単なる明良の暇つぶしなので、和也について来られたのでは暇つぶしにならない。

むしろ危険
だ。あっさり明良は前言を翻した。

「やっぱ、行かねぇ」

「そう。賢明だね」

和也のたったこれだけの言葉でも、遼二には何を意味しているのかがわかってしまう。

もうすっかり社風が叩き込まれている。

当の明良は、わからないはずがない。どこまでも尻叩きがついてくる。

不貞腐れて埋もれるように深く椅子に背もたれた。

もっともすぐ和也に行儀が悪いと注意され
るのでほんの一瞬だけのことだが、明良にとっては和也の目の前ですることに意義があるらしい。



ともあれそんなことをしているうちに、ぽつぽつと人の声が聞こえ始めた。

遼二がその声に入り
口方向を確認すると、続々と招待客が入場して来ていた。


社長夫妻、橋本と入場。

続いてホテル森之宮オーナー夫妻が園田のエスコートで入場、同じテ
ーブルに着く。

「あっ、おふくろ・・・ウゲッ!手を振んなよ、そんなとこで・・・」

何となく親のテーブル方向を見ていた明良は、ちょうど入場してきた母親と目が合ってしまっ
た。

人前で母親に構われるのは、明良でなくても年頃の男子なら勘弁して欲しいところだろう。

「へへへっ・・・恥ずかしながら、オレのおふくろ。年幾つだって話だよな」

明良は照れくさそうに、対面に座る少年に向かって顔を赤らめた。

対面に座る少年。その少年こそが、橋本が願ってもない≠ニ呟いていた人物だった。

社長入場の少し前に、隣に座る三十歳前後の男性と共にテーブルに着いていた。


招待客リストには、神矢 三都史(かみや みとし)十五歳。

フランスレストランの老舗ブロー
ニュ℃O代目継承者とあった。

明良と同年齢にして、環境も著しく似ている。

事前に簡単なプロフィールは顧客情報として把握しているので、挨拶も滞りない。

もうひとりの男性は名前のみで、プロフィールは書かれていなかった。

「湯木(ゆき)と申します。神矢三都史の家庭教師を務めさせていただいております」

神矢三都史と、その家庭教師湯木。

二人の雰囲気からすれば、務めるというより仕えると言い
かえた方がより近い。


明良の対面に神矢少年。その横に湯木。湯木と明良の間に遼二。明良と神矢少年の間に和
也。

それぞれの席位置は綺麗に円形のテーブルを囲い、時刻は予定開始リミットを告げた。


宝石よりも煌びやかな光の中で'lumiere(リュミエール)'オープン記念前夜祭の幕が開く。







※コメント

やっぱりここは小動物系の吉川君^^

哺乳類で氷河期時代を乗り切ったのは小動物のみ。天然の底地力があるようです。強い(笑)

そして明良と同年齢、環境まで似ている神矢少年が登場。

橋本が明良に「願ってもない」と喜んだ相手です。明良本人はどう対応するのでしょう。

もちろん、遼二も頑張ります^^




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