不穏な言葉が現実の言葉となって、想像のつかない恐怖に遼二はほとんどパニック状態にな
っていた。

力いっぱい腕を伸ばしてデスクにしがみつこうとしたが、あろうことか長尾の羽交い
絞めはびくともしなかった。

「ひぃぃ・・・やめ・・・・」

遼二の絶叫が部屋中に響き渡ろうとしたその時、執務室のドアが開いて和也が出て来た。

也は遼二たちを見るでもなく出口の方へ向かった。

橋本がすぐ席から立ち上がって続
いた。


「おっと・・・お仕置きはまた今度だ。じゃね、杉野君」

再び遼二の耳元に熱い囁きを残して、長尾も橋本に倣って和也の後に続いた。


「・・・えぇ?・・・」

何がどうなっているのか、さっぱり遼二には事態が飲み込めなかった。

バクバクする心臓を落ち着かせながら耳元に残るまた今度も気にはなったが、しかしとりあえ
ずは危機を脱したことにホッとした。

ホッとしたと同時にどっと汗が出た。



「杉野君、君も行って」

吉川が隣の席から遼二に言った。

吉川は書類に目を落としたままで、周囲の動きなどまるで気
にしている様子はなかった。

遼二は流れる汗を拭うどころではなかった。

「えっ、俺もですか!?でも行くって・・・どこへ」

「そんなの三人について行けばわかるよ」

「でも・・・」

吉川は行けと言うが、三人からは誰ひとりとして来いとは言われていないのだ。

吉川は書類から顔を上げて、躊躇する遼二を見た。

「お迎えだよ。早く行かないと置いてかれちゃうよ」

誰の?と尋ねる間もなく、遼二は部屋を飛び出た。


「あの三人を差し置いて部屋でぼ〜っと待ってるなんてねぇ、今時の新人は。お仕置きもされる
よねぇ・・・」


吉川の独り言のように呟いた言葉に・・・いや言葉尻にと言うべきか、またしても過敏に反応し
てしまう遼二だった。

受付にいた高田は三人の後を追うべく猛ダッシュで横を走り抜けて行った遼二を、ご愁傷様と
静かに見送った。





エレベーターホールに三人がいた。

間に合ったと喜んだのも束の間、ドアが開いて乗り込み始めた。

「ちょっと!待ったぁー・・・」


一旦閉まりかけたドアに片足を突っ込んで、再び開いたところで体をねじ込んだ。


最上階ということもあって、乗客は和也たち三人と遼二以外いなかった。そのまま1階までノン
ストップで降りる。

遼二の背中でドアが閉まった。


「・・・杉野君、それは何の芸当ですか?」

さすがの橋本もこの時は顔に笑みはなかった。

「いや・・・あの、俺も一緒に・・・」

笑顔の橋本も恐ろしかったが、笑顔でない橋本はなお恐ろしかった。

「誰がついて来いと言いましたか?」

遼二がはじめに予測した言葉を橋本は言った。

戻るに戻れない。エレベーターはすでに高速で下へ降りている。

どうなってんだよぉ!心の中で叫びつつ、声に出した言葉はほとんど半泣き状態だった。

「あっ・・吉川さんが行けって・・・」

「吉川君が一緒に行きなさいと言ったの?彼なら言いそうだね。ほら、もう着くから」

言いながら、ドアが開くから危ないと遼二の手を引っ張ったのは和也だった。



ドアが開いて一番手前にいた遼二がとにかく一刻も早く降りようとしたところ、後ろから長尾に
襟首をつかまれた。


「こらこら、君は後。横に退いて道を開けるんだよ」


橋本が和也とにこやかに会話をしながら遼二の前を通り過ぎる。

「そう言えば吉川は、新人の時から一度も私たちについて来たことないですねぇ」


―ちくしょおぉぉぉっっ!吉川のヤロー!―

遼二の額から汗が次々と流れ落ちた。

エレベーターを降りたところで、長尾が遼二の顔を覗き込むように振り返った。

「何、その汗?」

「何って!長尾さんや吉川さんが俺にくだらない冗談するか・・・」


バンッ!―


長尾の手が遼二の肩にかかって、エレベーター横の壁にはりつけのような状態で押さえ込まれ
た。


「杉野君、うちの課の三大ご法度だよ。暑苦しい、見苦しい、聞き苦しい」

さっきは後ろで今度は前から長尾が迫る。

「その汗、暑苦しいだろ。エレベーターの時は見苦しかったよね」

「だからそれは・・・はぅっ!」

長尾が人差し指で遼二の口をふさいだ。それも、しぃっと口元に指を突き立てるそれではな
い。

人差し指を口の中に突っ込んだのだ。

「聞き苦しいは言い訳のことだよ。わかったね?」

ずいっと長尾の顔が迫る。

遼二の鼻先と長尾の鼻先がくっ付くほどの距離だった。



その時、

―キャーッ!―

歓声が聞こえた。


「あぅぅ・・・?」

遼二は長尾の人差し指をくわえたまま、歓声の上がる方を横目で見た。

14〜5人のギャラリーが遠巻きに遼二たちを見ていた。全員女子だった。

「あっ、こんにちは〜」

ギャラリーに向けた長尾の顔は最大級の笑顔だった。そそくさと指を遼二の口から抜いて、

「このビルの会社の人達だよ。杉野君、ご挨拶」

無理やり遼二の頭を下げた。

「新入社員の杉野です。どうか宜しくお願いします」

遼二の押さえつけられた頭の上から声がした。

―俺は腹話術の人形か!―

恥ずかしさよりもムカツキMAXで血が上る遼二だったが、ギャラリーには初々しく見えたらし
い。


「真っ赤になって、可愛い〜」

―ムカついてんだよ!―

「今度遊びに寄るから、お相手してね」

―ホストクラブじゃねぇ!!―

「あのままキスされるかと思ってたのにぃ、残念!」

―指くわえてキスができるかぁー!・・・あ?―

ことごとく遼二の神経を逆撫でした。

長尾の手を一旦は強行に振り払ってギャラリーを睨みつけた遼二だったが、すぐさま長尾に再
びガシッと頭をつかまれて反転させられた。

「さっ、行くよ。それじゃみなさん、失礼しま〜す」

最大級の笑顔を振りまきながら、長尾は遅れたとばかり二人の後を急いだ。

「ちょっと・・ちょっと!長尾さん、手、手ー!」

遼二は頭をつかまれたままだった。



エレベーターホールから吹き抜けのロビーを通る。吹き抜けの2階までは中央にエスカレータ
ーがある。

ロビーにはビル全体の総合受付があり、長尾はその受付嬢たちにもきっちり笑顔を
向けていた。



和也と橋本は正面ロビーを出たところにいた。

「あっと、しまった。もう来てる」

しかし別段、長尾は慌てる様子はなかった。

「・・・どこに?誰がですか?」

遼二は首をコキコキさせながら、長尾と同じ方向を見た。



エントランスホールに黒のクラウンが横づけされた。

後部座席から学生服を着た中学生くらいの男の子が降りて来て、そのままスタスタと正面玄関
に向かって歩いてくる。

ロビー入り口のところで、和也と橋本がその男の子の後ろについた。


「社長の息子だよ。うちの後継者。一谷 明良(いちたに あきら)君」


「えっ!?」



―後継者―



こちらに向かって歩いてくる少年を見ながら、長尾の後継者の言葉に遼二はいままで感じたことのない緊張を覚え
た。







*コメント

明良登場は最高のシチュエーションで。

明良×遼二×和也 揃いました。教育係り新バージョンの始まりです。



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