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正面ロビーが開いて、明良たちが入って来た。
中で待ち受けていた長尾が、遼二を連れて明良を迎えた。
「やっ、いらっしゃい」
頭を下げるでもない、長尾の極めて軽い挨拶を見て遼二は戸惑った。
いくら子供とはいえ社長の息子、ましてや後継者と聞かされていればなおのこと。
長尾と同じ挨拶の仕方でいいのか?
いやこれも吉川と同じ手口の、たちの悪い冗談ではないのか?
長尾の挨拶ひとつに、どこまでも疑念を抱く遼二だった。
「今日から秘書課に配属になった杉野です。宜しくお願いします」
言葉使いは丁寧に、頭は軽く下げる。 ニコッと微笑んで挨拶をした。
たとえ子供であっても後継者。
遼二は長尾に紹介される前に自分から明良の前に出た。
吉川・高田・長尾のラインは信用ならない。
サラサラの前髪がちょうど目の上くらいに切り揃えられていて、一重まぶたなのに大きな目がぐっと睨むように遼二を見上げる。
育ちの良さか、品のいい顔立ちに備わった意志の強さ。
さすがにそこいらの子供とは違うと、遼二は明良を見て思った。
「また男ー!?男ばっかじゃん。オレ、ねーちゃんがいい!」
ロビーのど真ん中で響く子供特有の甲高い声。
そのくせおよそ子供らしからぬ言葉。
極めて下品だった。
遼二の明良に対する第一印象が粉々に砕けた。
「あはは、誰かと同じことを言いますねぇ。さっ、明良君行きますよ。
こんなところに立ち止っていてはみなさんの迷惑でしょう」
橋本が明良の背中に手を当てて促した。
和也はいつものことだねと、アイコンタクトのように橋本と顔を見合わせた。
「いや・・・あの・・・」
結局無視された形の遼二だった。
あっけにとられたまま呆然としていると、
「杉野君、早まったね。ちゃんと僕が紹介するタイミングを計ってあげていたのに」
ばかだねぇと含み笑いの長尾だったが、その含み笑いがまた遼二を刺激した。
「そんなの信用出来るわけないでしょ!」
「何それ?・・・聞き捨てならないな」
急に長尾の顔が真剣な表情に変わった。
普段ヘラヘラしている顔ほど、真剣になると凄みが出る。
勢いで言ったものの逆に凄まれて顔色を失っている遼二に、長尾が恐ろしいまでにゆっくりと言葉を浴びせた。
「もう一度言ってごらん、杉野君」
―やばい!―
とっさに『羽交い絞めで会議室』と『言い訳は人差し指』の長尾が遼二の脳裏をかすめた。
危険過ぎる。
詰め寄られるも後ろに壁はない。
「あっ!こらっ!」
脱兎のごとく遼二が逃げた。
全速力でエレベーターに向かった遼二は、ぎりぎりで三人に追いついた。
橋本がいる。しかし後ろには長尾が。橋本、長尾、橋本・・・。
一旦閉まりかけたドアに片足を突っ込んで、再び開いたところで体をねじ込んだ。
ドアがスッと遼二の背中で閉まった。
「あ〜あ、子供が二人だ・・・」
遼二に逃げられた長尾だったが、ほぞを噛むというふうでもない。
むしろ逃げるなどと子供じみた行動の遼二に、苦笑する長尾だった。
「長尾さ〜ん、こちらにどうぞ〜。こっちはノンストップよぉ〜」
隣のエレベーターから声がかかる。
そこかしこにいるギャラリーの女子達がちゃんと長尾を待ってくれていた。
「とっとと閉めろや!」
男性の中から一部そんな声が上がるものの、もちろん聞き入れられるわけがない。
待たせているのにもかかわらず、長尾が悠然と歩いて乗り込むまでドアの開のボタンは押されたままだった。
「上手い!兄ちゃん、上手いじゃん!」
「はっ?・・・あっ杉野です」
「知ってる。さっき名前言ったじゃん。オレ、明良」
品が良いとは言えないまでも、笑った顔は人懐こい。
ねーちゃんがいいといわれた時、遼二は一瞬自分が否定されたような気がした。
でもちゃんとわかっていてくれたと思うと、遼二はなぜか嬉しくなった。
―こんな子供でもやっぱり男ばっかりって思うんだよね、俺と同じに・・・あれ?―
ぎくりと遼二の体が固まった。
刺さるような視線付きで似たようなセリフを思い出した。
―誰かと同じことを言いますねぇ―
行きと違って帰りは遼二達だけではない。他の乗客も多数いた。
遼二がそっと視線のする方へ顔を向けた。
―ここもやばい!―
即座に危機を感知した遼二だった。
他の乗客の手前か柔らかな笑みの橋本だったが、しかしその視線は遼二から微動だにしなかった。
とても視線を合わせられない。遼二はあわてて視線を逸らした。
が、逸らした先に和也がいた。
「行きも帰りも面白いエレベーターの乗り方だね」
爽やかに笑っているが、あきらかに嫌味だろう。
言い訳したい気持ちはある。
すでに見苦しい、暑苦しい状態なのに、ここで言い訳をすれば聞き苦しいになってしまう。
長尾から聞いた三大ご法度。
、とりあえず言い訳をしなかったことが、後々功を奏することになった。
エレベーターが30階で止まった。
乗客が入れ代わる。最後の乗客が乗ったと同時に明良が外に飛び出した。
「あっ!」
橋本の声がして遼二がまさかと思った瞬間、
一旦閉まりかけたドアに片足を突っ込んで、再び開いたところで体をねじ込んだ。
「なっ、オレの方が上手いだろ!」
「言うことが同じだと、する事まで同じなんですかねぇ」
橋本が困ったように和也に言った。
もちろん狭い密室でのこと、当然橋本の言葉は遼二にも聞こえる。
―非常に、やばい!―
得意げに見上げる明良の顔を見ながら、もはや遼二は生きた心地がしなかった。
明良はどこ吹く風でなおも遼二にしゃべりかける。
「兄ちゃん、ちゃんと見てた?もう1回しようか、今度は頭から突っ込むやつ!」
―・・・殺される―
「す・・・杉野です・・・。」
帰りのエレベーターでも半泣きの遼二だった。
「明良君、もう一度したらお尻を叩くよ」
和也がさらりと明良に言った。
思わず他の乗客から失笑が漏れる。
「変なこと言うなよ!みんな笑ってんじゃん!」
それまでの得意げな明良の顔が一転して変わった。大むくれにむくれている。
「君のしたことの方がよっぽど変でしょう」
―グサッ―
「他の方達の迷惑だし」
―グサッ、グサッ―
「何より危険でしょう」
止めだった。
「ご・・・ごめんなさい!気をつけます。もうしません!」
頭を下げたのは遼二だった。明良より遼二に堪えた。
状況的に追い込まれていたとは言え、和也の言葉はもっともだった。
「着いたーっと。つまんね」
フンッとばかりに明良がエレベーターから降りた。
「明良君に言ったつもりだったんだけど。自覚出来たのならよろしい」
和也の笑顔にほっとした遼二だったが、橋本の笑顔には冷や汗が出た。
「君は考えるより行動が先に出るようですね。まぁでもちゃんと言えたからいいでしょう
。次からは気をつけなさい」
橋本が遼二の頭を軽くポンポンと叩いた。
エレベーターを最後に降りて、遼二はやれやれとため息をついた。
一時はどうなるかと思ったが、和也はともかく橋本も以外にあっさりと許してくれた。
あの時言い訳をしなかったことがよかった。きちんと謝ったこともよかった。
そう思うと、遼二は改めて橋本の注意に耳を傾けることが出来た。
―そうだよなぁ、もう少し冷静に考えてから行動をしていれば・・・―
そうすれば、何もこんなにバタバタとしなくてすんだのかもしれない。
遼二は自戒を込めながら、安堵の息をついた。
「そうだよねぇ〜。橋本さんの言う通りだよね。捕まえたぁ〜と。杉野君」
すっかり忘れていた長尾に、後ろから圧し掛かられるように両肩を掴まれた。
「さっきの続きだけど・・・今度は逃がさないよ・・・んっ?」
両肩に込められた力で長尾の危険度がわかる。
長尾を背負いながら遼二は思った。
―冷静に考える間が、どこにあるんだ!!―
*コメント
この時、明良中学3年生です。15歳にしては幼い感じですか、大人ばかりの中では15歳はまだまだ子供です。
しかも立場上、言いたい放題のやりたい放題。
そんな明良を叱れる唯一の特権を持つのが和也です。
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