A&Kカンパニー社員専用レストラン。シェフ自慢の料理と豊富なデザート。

昼休憩のひと時は、終始なごやかな歓談の声に包まれていた。

・・・一角を除いて。




「高野 真紀さんです」

長尾に名前を聞かれた真紀が答えるよりも早く、吉川が長尾に向かって答えていた。

「・・・君に聞いてないよ」

長尾は無表情な顔で吉川を見た。

「彼女の名前を知りたいんでしょう。僕が答えても同じじゃないですか」

170cmの吉川が185cmの長尾を見おろしている。

ピンと背筋を伸ばして座っている吉川に対して、長尾は両肘をテーブルに付けて頬杖を付いていた。

「それに長尾さん、食事しないのにどうしてここに居るんですか。ここは食事するところですよ。
食事をしないのなら喫茶の方に行ったらどうですか。それでなくてもお昼時は込んでいるのに。皆さんの迷惑です」

「・・・・・・・・・・」

良く言えば注意を、悪く言えばずけずけと言う吉川に対し、長尾は黙ったままだった。



今度は吉川と長尾の雰囲気がおかしい。それも真紀を挟んで。

真紀はちょっと困った顔をして、交互に吉川と長尾を見ている。

困った顔と言ってもあきらかに
嬉しげである。ありありと顔に出ていた。


―こいつ・・・―

遼二は真紀にも腹が立った。

まがりなりにも彼氏である自分を横に置いての真紀の態度は許しがたかった。



「それじゃ高田くんも私達と同じクリームパスタと、フレッシュグリーンサラダアボガド添えでいいのね」

「うん。やっぱりいいなぁ、大人の色香と可愛い子たち。向かい合って食事するのがいいよ」

高田がいつの間にか隣のテーブルに移動していた。

「ほんとに秘書課の人達は口が上手いんだから。目鼻口がついて女性に見えたらみんな可愛いのよ。
あなたたち騙されちゃだめよ」


中堅どころの女性社員が後輩の女性社員たちに言っているのだが、もちろん言葉とは裏腹にその表情は真紀と同じだった。



「それとも医務室に行ったらどうですか。そんな肘なんか付いて体を支えているようじゃ、よほど悪いんじゃないですか。
姿勢が悪いのはそもそも体の・・・・・・」


遼二はぎょっとした。

言い合いをしていた時は自分も興奮していたのでわからなかったが、今こ
うして客観的に見ていると吉川の目が据わっている。

自分の言葉に酔っていると言うべきか。

吉川はそうなると、長尾だろうと誰だろうと止まらなくなるようだった。

他はどうあれ、長尾がこのままで済むわけがない。



それを見越していたかのように早々と隣に移った高田を横目に、遼二は焦った。


―このままだと巻き込まれる!―


「真紀、来い!」

遼二は真紀の腕を掴んで立ち上がった。

「えっ・・・ちょっと、遼ちゃん!何よ、いきなり・・・」

真紀が驚くのも無理はなかった。しかし遼二には説明している暇などないのだ。

「いいから早く・・・!」

遼二が真紀の腕を引っ張って促した時―。



「そうだね、じゃ行こうか会議室」

それまで黙って聞いていた長尾が、無表情なままで吉川に言った。

ペラペラとよどみなく出ていた吉川の言葉が、長尾のそのひと言でピタリと止まった。

吉川も会議室には敏感に反応した。

しかし反応はするものの、しまったと言うよりも、何が?と言う表情の吉川だった。



「ほらほら、どこに飛んで行っちゃってるのかなぁ、吉川君は。こっちに戻してあげようね」

気味が悪いほど優しい長尾の物言いだった。



「よいしょっと・・・」

椅子から立ち上がった長尾の背筋はピンッと伸びていて、185cmの上背は広いレストランのどこからでも目立った。


―ガタッ・・・ガタンッ!―


「何をするんだーっ!!」

吉川の叫び声。


「・・・・・・!!!」

固まる遼二。


「出た!長尾さんのリフト!!」

「久々に見るわね」

「きゃぁぁぁっー♪!!」

歓喜と歓声が上がり

「ヒュゥ!ヒュゥ!ピィ―ッ!!」

口笛と指笛が鳴り

「うるせぇぞ!」

「秘書課暴れるな!!」

罵声が飛ぶ。

「あぁ・・・吉川くんのあの表情が!可愛いぃー!!」

「吉川さーん、ガンバレー!」

やんややんやのレストラン外野席。


遼二の目の前で長尾が吉川を担ぎ上げていた。



「君のせいだよ」

「俺の・・・高田さん・・・?」


遼二のせいだと言いながらも、高田の言い方は批判めいたものではなかった。

ひとり優雅にクリームパスタを食べながら高田が言った。

「吉川君さぁ、一時はマシだったんだけど。下が入ってきたものだから妙に神経質になっちゃったんだね。
それも落ち着きのない君だろ。イライラするみたいだよ」



―落ち着かせてくれないのは誰のせいだ!目の前の光景は何なんだ!―


と、心の中で叫ぶのが精一杯の遼二だった。


「真紀・・・?お前何してんだ!」

今度は真紀に驚いた。

掴んでいた真紀の腕を、目の前の衝撃で離してしまっていた。


「きゃぁー!!研修中に聞いていた伝説のリフトがまさか長尾さんで見れるなんて!!
撮って
みんなに見せなくちゃ!!」

携帯のカメラ部分を二人に向けながら、真紀は完全に興奮していた。


「いい加減にしろ!真紀!」

遼二はもう一度真紀の腕を引っ張った。引きずられるように真紀が立ち上がった。

「痛っ・・・遼ちゃん、何するのよ。遼ちゃん・・・遼二ってば!」

遼二は無言で真紀の腕を掴んだまま、レストランの出口に向かった。



レストランの出口はすなわち入り口でもある。

レストラン入り口の方角でざわめく声が湧き上がった。



明良が入り口に立っていた。

キョロキョロと周りを見回している。

たびたび会社に来る明良は常に秘書課の誰かが付き添っていて、当然社長の息子であることはほとんどの社員は知っている。


「あっ・・・、今は相手してられないな。吉川君、こっちから行こう」

長尾は明良に気付くと、吉川を担いだまま喫茶の方へ回った。

「離せぇー!!僕は間違ったことは言っていないーっ!!」



キョロキョロと動く明良の大きな目が止まった。

ニカーッとこぼれるような笑顔を見せた。

遼二と目が合った。

明良がずんずんと遼二の方へ歩いて来る。

それにともなって、ざわめきの声も明良の移動について湧き上がる。


―絶対巻き込まれる・・・―

そう思うものの、遼二は自分の方へ向かって来る明良を長尾のように無視することは出来ない。

「遼ちゃん、あの子こっちに来るけど・・・あの子が社長の息子さん?」

周りのざわめく声に真紀が好奇心いっぱいの顔で遼二に聞いた。

真紀は遼二が怒っていることよりも、好奇心の方が数倍も勝っていた。

「ああ。でも一人なんて・・・」





「明良坊ちゃま」

「こっち。こっち」

「あっ、受付のねーちゃんたち!」

遼二一直線の明良のコースが、声のする方へカクッと折れ曲がった。


あっさりと向きを変えた明良にほっとしたものの、妙に寂しさを感じたりもした。

矛盾していると思いながらも、とにかく真紀を連れて遼二はレストランを出た。





「どうしたんですか?お一人で」

「一人でこんなところに来たら叱られますよ」

総務課の受付嬢たちだった。会社に入ると開口一番挨拶を交わすので明良とは親しい。

「腹減ってんだもん」

「あらっ、育ち盛りがそれは大変ですね」

「ここにお座り下さい」

「何になさいますか?すぐ、注文しますから」

3人の受付嬢たちが手際よく明良の世話を焼く。

「何でもいいから、早く食いてーの」

ひとりがウエイトレスに小声で耳打ちをした。

「明良坊ちゃま、私達のでよければお食べになりますか?」

「食べる!食べる!」

別のひとりがクルクルとフォークにパスタを巻きつけて、明良の口に近づけた。

「はい、あーん・・・あっ」

「あーん・・・・・」

大きく口を開けた明良の前でパスタが止まっている。

明良は身を乗り出して食いつこうとした。

ぐいーっ!

襟首を後ろに引かれて、明良はドサンと椅子に深く腰を落としてしまった。

「明良君、みっともない真似はよしなさい。君たちもやめてくれないかな。サルの餌付けじゃないんだよ」

和也が後ろに立っていた。

明良は毎度のことながら、口より先に手が出る和也にムカついた。

しかもサル呼ばわりまでされ
て、黙っていられるはずがない。

「誰がサルだー!オレは腹が減ってんの!和也さん昼になっても帰ってこなかったじゃんか!!
オレの昼飯はどうなってんだよ!メシ!メシ!メシーッ!!」


「わかりました。すぐ作るから、ほら部屋に帰るよ」

「・・・・・・・いやだ。今日はここでねーちゃんたちと食べる」

本当のところはどちらでも良かった明良だったが、さっきの和也が癪にさわる。

受付嬢たちも和也に注意されたものの、けっこう明良の世話を焼いている彼女達にはそれもどうやら毎度のことらしかった。


「あらっ、嬉しいことを。明良坊ちゃま」

「そうですよね。たまには我が社のレストランでお食事もされるべきですわ」

「秋月さんもご一緒にどうぞ」

また彼女達にとっては、和也と同席する千載一遇のチャンスでもあった。


「これは、これは、明良坊ちゃん!!」

厨房からシェフがやって来た。

「オレ、腹減ってんの。何か食わして」

「何かと言われましても・・・おい!メニュー!!」

「メニューはいいです。美味しいと評判のシェフのおまかせで」

社長の息子を前に興奮してはりきろうとするシェフの自負を尊重しつつ、和也は大げさにならないように抑えた。



「ちょっとぉ〜・・・」

「こっちまだかよぉ、随分待ってんだぜ」

料理待ちのテーブルから声がかかる。

ウエイトレスがちょうど出て来ていたシェフに取り次いだ。


「・・・おぅ?」

どんな表情でシェフが料理待ちのテーブルの社員を見たのかはわからないが、途端に彼らの顔色が無くなった。

彼らは、まさかウエイトレスが直接シェフに言い付けるとは思いもしなかったよ
うだった。

レストラン形式とはいっても、そこは社員専用。

シェフも会社の人間であり、格付けは一般社員
よりかなり上だった。

シェフにとって彼らは客ではない。

ある時など、女性社員のひとりが半分以上料理を残してシェフの尋問を受けた。

こともなげにダイエット中と言ってのけた彼女は、そのままシェフの膝に乗せられた。



「シェフ順番でいいですから。明良君も少し待てるね」

和也は明良がいくら社長の息子であろうとも、ここでは順番を遵守するようシェフに求めた。



「あの、シェフ〜」

「俺ら何だか急にうどんが食べたくなったんで・・・」

いくら和也が順番通りにと言っても、社長の息子を待たして自分達が先になどと、後
からシェフにどんな目に合わされるかわからない。

彼らはシェフの方が怖かった。

「うどん〜?いったん席に着いておきながら・・・仕方ねぇな、今回だけだぞ。行け!」

「はいぃ」

「すっ・・・すみません」


「さぁ、明良坊ちゃん!すぐお作り致しますから」

上機嫌でシェフは厨房に戻った。



「秋月さんも立ってないで、どうぞお座り下さい」

受付嬢のひとりが席を勧めたが、それを遮るように明良が言った。

「和也さんはどっかあっちで食べろよ。ここはオレとねーちゃんたちだけだ」

「まぁ、明良坊ちゃま!ダメですよ、そんなことおっしゃっては!」


―千載一遇のチャンスが・・・―


「いや、まだ仕事が残っているので私はいいんだけど・・・それじゃ明良君、一時間後に迎えに来
るから」

「それでしたら食事が済みましたら、私達が明良坊ちゃまをお送り致しますわ」


長尾と吉川のことも気にかかるし、新しく入った新人も面白そうだ。

彼女たちの千載一遇のチャンスが消えた今、次に残るのは秘書課訪問で仕入れる情報だっ
た。



明良の料理が運ばれてきた。

シェフ直々のメニューは

・牛ヒレのステーキ赤ワインソース

・かぼちゃの冷製スープ

・ベーコンとベビーリーフのサラダ


「まぁぁっ、何て美味しそうなこと」

「明良坊ちゃま、ごゆっくりお召し上がり下さい」

「デザートは喫茶の方へ行きましょうね。新作のケーキが入って来たと聞いてますから」



再びレストラン内に穏やかな時間が流れる。

レストランの大きな窓いっぱいに爽やかな青空が晴れ渡り、そこから見える景観は空が近く地
上が遠い。







オフィス街の広場の噴水に腰掛けている遼二と真紀がいた。


「真紀、パン食べないの?」

「・・・・・・何でパンなんか食べなきゃいけないのよ。
遼二とお昼は食べるつもりだったけど、パ
ンを食べるつもりはなかったわよ」

平穏無事な遼二の顔と、不満でいっぱいの真紀の顔。


「その昼だけど、内線を私用に使うなよ。携帯があるだろ」

「・・・仕事中はマナーモードでしょ。遼二マナーモードの時は滅多に出ないじゃない」

研修中の時もいろいろなレストランへ行かされて絶えずバタバタと動いていたし、今日はそれ以上だった。

遼二はほとんど気がつかないことが多かった。


「それから・・・カメラで撮るなんてふざけたこともするな」

「・・・私、帰る。お腹空いてるのよ、ちゃんとレストランで食べるわ」

真紀は鬱陶しそうに立ち上がった。

同じ年のせいか遼二に意見されることに対して、なかなか素直にはい≠ニは言えなかった。


遼二は少し拗ねた表情の真紀も、それはそれで可愛いと思う。

気が強くて意地っ張りで、でもおせっかいなほど優しい。


会社に帰る真紀の後姿に、遼二は声をかけた。

「真紀!」

真紀の足が止まった。

「あんまりはめを外したことばかりしてると、お仕置きするぞ」

真紀が振り返った。

「・・・・・・フフンッ。遼二、がんばれぇ」


―あいつ・・・鼻で笑いやがった・・・―


もっとも、お仕置きすると言いながらそれがどんなお仕置きなのか、遼二自身はっきりとわ
からなかった。

ただひんぱんに耳にするので、少しは効果があるのかと思って言ってみたに過ぎない。

言葉だけでは、効果は薄そうだった。





噴水に座って缶コーヒーを飲む。

見上げると真正面に50階建てビルがそびえる。その最上階を見上げた。

A&Kカンパニーのロゴが見える。

何千人何万人が働くビルの、さらにその中のA&Kカンパニー何百人の一人。

中の喧騒が嘘のような静けさで、遼二の眼前にそびえ立つ。



改めて自分の職場を外から見つめる。

遼二は社会人としての自分を感じだ。

仕事に対する責任。働くことの厳しさ。人間関係。

会社の一員であるということは、そう言うことだ。

杉野遼二秘書課秘書室。これからが本当の勤務になる。







*コメント

シェフ、A&K社員専用レストラン一番の権力者です。シェフ直々の料理はVIPのみです。
明良
サル扱いでもVIPです。

シェフの普段は、指導(調理方、味付けと盛り付け/2回失敗で仕置き)と、監督(社員、料理お残し/尋問
の上仕置き)
A&K社員専用レストランは完食が基本です。

利用料金は会社3分の2、社員3分の1の負担です。

ちなみにクリームパスタ450円、フレッシ
ュグリーンサラダアボガド添え300円、喫茶ケーキセット250円です。



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