9
晴天の日曜日。
午前8時。早朝と呼ぶにはすでに時間は経っているが、それでも休日にしては早い時間だった。
「・・・8gずつ・・・・・・・で、低い位置から・・・・おっと、止めて・・・ゆっくりと満遍なく・・・」
コポコポコポ・・・・・お湯を注ぐとふわりと湯気が立って、挽き立てのコーヒーの香がキッチンに溢れた。
「んっ・・・なぁに?・・・いい匂い・・・遼ちゃん?」
「いつまで寝てんだよ。さっさと起きろよ」
遼二は昔から寝つき寝起きが良かった。
目が覚めているのに、いつまでも布団でゴロゴロしている真紀の気がしれなかった。
「いつまでって・・・まだ8時じゃない・・・。せっかくの休日なのに」
そう言いながらも真紀は気だるそうに起き上がった。
築15年。単身者用マンション7階建の5階1LDK、駅から5分、家賃12万円。
入社を機に、遼二は下宿を出てマンションに移った。
築年数は15年と古いが、家賃12万円は1LDKの間取りと駅から5分の立地条件からすれば安い方だ。
大学の間に真紀という可愛い彼女も出来たし、アルバイトで稼いで中古車だが車も購入した。
さらに入社した会社は内外ともに充実した設備を誇るA&Kカンパニー。
まさに遼二の人生は順風満帆と言ってもよい。
「・・・・・・なんか違う」
遼二は入れたコーヒーをふた口ほど飲んで捨てた。
「やだっ、もったいない!どうして捨てるの?いい匂いしてたのに」
真紀は普通に遼二がコーヒーを入れたものと思っている。
本当のところはまだもう少し寝ていたかったのだが、コーヒーの香につられて起きてきたのだ。
文句のひとつも言いたくなる。
「匂いはいいんだけど・・・酸味がきついんだ」
遼二は真紀の文句に付き合っている暇はなかった。
何としても、今日中に吉川から教えてもらったコーヒーの味をマスターしなければならない。
遼二が秘書課に配属になってから一週間。
はじめての休日を真紀と優雅に過すはずだった。
それが朝っぱらから、喫茶店のマスターよろしくコーヒーに命がけなのだ。
「杉野君って、ほっっっんとうに!恵まれてるよね。吉川君からあれだけ懇切丁寧にお茶の入れ方教えてもらえるなんて。
よもやもう一度!教えて下さいなんてそんな仕事をなめた事!言わないよね」
そのよもやもう一度を念の為に聞き直そうとメモの用意をしたところを、後ろから高田に言われた。
しかもところどころ妙に力の入った高田の言葉は、いくら遼二がにぶくとも吉川に再度聞くのをためらわせた。
「・・・はい。2〜3回入れたら大丈夫と思います」
まさかちゃんと聞いていませんでしたなどと言えるわけがない。
もともとコーヒーは好きだし、味はしっかり覚えている。
ここはとりあえず無難に答えておこうと考えた。
ぱぁぁっと高田に笑顔が広がる。この笑顔が広がるのがくせものなのだ。
「2〜3回で?たいしたものだね。だけどその2〜3回に当たったお客様は災難だよねぇ。
もちろん災難はお客様だけじゃないけどね」
どういう意味ですかと聞くだけ野暮だ。
これで失敗は許されない。
「いや・・・あの2〜3回って言うのは・・・練習してってことで・・・・・・」
無難にと思った言葉がちっとも無難ではなかった。むしろ命取りになってしまった。
取って付けたような言い訳に、またもや無駄に汗が流れた。
「はぁぁぁっ〜・・・・。暑苦しい、聞き苦しい・・・見苦しい」
口こそ挟まないが、横で吉川が大きな溜息を吐きつつ秘書課三大ご法度を口にしていた。
それから毎晩家でコーヒーを淹れるのだが、どうしても吉川の淹れたコーヒーの味にはならない。
インターンネットでコーヒーの美味しい淹れ方など調べてはみるものの、幾通りもあってどれがいいのかわからない。
高田の言葉が重く圧し掛かる遼二だったが、今週は社長の出張が予定外に延びて来客数がかなり少なかった。
お陰で遼二が来客にお茶を出す機会はなかった。
たまたま来客のおりには、資料室で調べものをしていたりして難を逃れた。
「コーヒーを淹れるのが仕事なんて遼二はいいわね、気楽で。
そんなに必死にならなくてもそのうち慣れるわよ、淹れ方なんて」
「・・・・・・・・・・お前に言われたくないな。お客様にお茶をお出しするのも立派な仕事だよ。
それに仕事はそのうちじゃ通用しないんだよ」
そこまで真紀に言って、遼二はふっつり口を噤んだ。
その言葉そのものが吉川からの受け売りの上に、ほんの一週間前は来客のお茶出しなど女子の仕事だと吉川に喰って掛かっていたのだ。
「ぼうと見ていないでパンでも焼けよ・・・」
どの口が言っているのだと思う。
遼二は自分の中の気恥ずかしさをごまかすように、真紀から目を逸らした。
パンとコーヒーで軽い朝食を済ませた後、遼二と真紀は買い物に出かけた。
遼二のマンションから車で20分程のところに、最近出来たショッピングセンターがある。
まだ越して来て日が浅い遼二なので、生活用品などいろいろ買い足さなければいけない。
一部電化製品も入用なので、近場では事足りない。
遼二は愛車のプレミオに真紀を乗せて高速を走った。
「・・・で、冷蔵庫と。これでやっと大きな冷蔵庫が置けるわね。他に何かある?遼ちゃん」
真紀が嬉しそうに、買う物をメモに書き留めている。
半分くらいは真紀の欲しい物のような気がする遼二だったが、それで真紀が喜ぶならと思うのだった。
高速を降りてすぐの信号が赤に変わった。
止まった遼二のプレミオの右横に、すっと車が並んだ。
遼二はおぉっと目を奪われた。
―シーマだ!―
紺色のがっしりとしたボディ。乗ってみたい車のひとつだった。
遼二が車に見とれていると、横で真紀が服の袖をぐいぐい引っ張った。
「何だよ、運転中に・・・」
「遼ちゃん!あれ遼ちゃんとこの橋本さんじゃない!」
やや興奮気味の真紀の声につられて思わず運転席を見た。
「うわっ!」
いつもきちんと上げてセットしている前髪も、自然のまま額にかかっていた。
前髪を下ろしていると、普段遼二が見るより4〜5歳は若く見えた。むしろそれが本来なのかも知れない。
真紀にあれ呼ばわりされた人物はまさしく橋本だった。
横といっても少し距離はある。橋本は遼二には気づいていないらしく真直ぐ前を見ていた。
助手席には髪を綺麗に束ねた橋本と同じ年くらいの女性と、後ろには5歳くらいの可愛い男の子がチャイルドシートに座っていた。
遼二の5年先の理想を絵に描いたような橋本だった。
遼二の5年先、助手席に乗っているのは今と変わらない真紀と、そして自分達の子供。
ただ車は10年先でも、たぶんシーマは普通のサラリーマンでは手が出ないだろう。
しかしA&Kカンパニーは年俸制の能力給だ。
会社がいかに高くその能力を評価しているか、さらにそれに応えているか、シーマに乗る橋本がそれを証明していた。
「お・・・驚いた。こんなところで橋本さんに会うなんて・・・」
「会うって・・・一方的に見てただけじゃない。それだって私が見つけたのよ」
半分ばかにしたような真紀の言い方が癪にさわる遼二だったが、あまりにもその通りすぎるので認めざるを得ない。
遼二は真紀の目ざとさに感心するよう言った。
「でも真紀、髪形だって違うのによくわかったな」
「わかるわよ。会社の主要メンバーの情報は、ほぼ把握しているわよ」
主要メンバーの把握!遼二は橋本にも驚いたが真紀にも驚いた。いつの間に・・・。
やはり営業部に配属されるだけのことはあるのかも知れない。
遼二は自分の課の先輩で精一杯で、そこまで考えたこともなかった。
「橋本さん私達の中では主要メンバーの筆頭だったんだけれど、結婚してたからランク下がっちゃったのよね。
大学生の21歳で子持ちになっちゃって。卒業して子連れで結婚式したそうよ」
真紀の情報は仕事とはおよそかけ離れたものだった。
「・・・・・それ何の情報だ。それに何、私達って。何でお前がいるわけ?」
「いやぁねぇ、遊びじゃないの。会社ライフを楽しまなきゃ。情報の一環で隠し撮りなんかも流行ってるのよ」
―だから何の情報だ!―
考えてみれば真紀は遊びの好奇心は人一倍でも、仕事に対する好奇心はあまりない。
遼二はその方がずっと真紀らしいとは思ったが、いい気がしないのも事実だった。
「まさかまた撮ったんじゃないだろうな」
真紀には前例がある。最もあれは隠し撮りなどと言うものではなかったが。
「遼ちゃんが邪魔で撮れなかったわよ。撮れてたら大スクープだったのに」
悔しそうに言う真紀だったが、この間の遼二の注意が少しは効いていたのかもしれない。
今までなら遼二を押しのけてでも撮っていたはずだ。
遼二の愛車スカイブルーのプレミオで走ること20分。
目的地のショッピングセンター駐車場に車を置いて、遼二と真紀は買い物を楽しんだ。
まだオープンしたての清潔で広い店内は、目新しい商品で溢れていた。
真紀が作った買い物リストはほとんど役に立たなかった。
あれもこれもと目移りがして、つい余計なものまでカゴに入れてしまう。
「あっ、この座布団!可愛いぃ!!3,980円・・・奮発しちゃおう!」
―・・・俺の金だよ―
「座布団なんて今いらないだろ。2枚も・・・俺はいらないから1枚だけにしろよ」
「家と会社用じゃない」
両方とも自分用らしい。
買い物は真紀がカゴに入れる端から、遼二が元の場所に戻す。延々と続いた。
昼はレストラン街でイタリア料理を食べた。
海の幸ペスカトーレ、完熟トマトを使ったラザニア、モッツアレラチーズとバジリコのピッツアなど代表的なものばかりだったが、どれも美味しかった。
昼食後もうひとまわり店内をグルッと見て、二人は駐車場に向かった。
途中で真紀が買い忘れたものがあると言い出した。
「まだ何かあるのか?・・・じゃもう一度戻ろうか」
遼二はこういう時は意外と優しかった。あまり文句も言わない。
「いいわよ、また戻るのなんて悪いわ。遼ちゃんは車で待ってて。ちょっと行って買ってくるだけだから」
真紀はそう言うと小走りで店内に戻って行った。
「・・・重い」
悪いと言いながら、真紀は荷物だけはしっかり遼二に押し付けていた。
遼二が両手いっぱいの荷物をどうにか車のトランクに入れている時だった。後ろから呼ぶ声がした。
「兄ちゃん・・・おいっ、兄ちゃんってば!」
―兄ちゃん・・・?まさか・・・―
と、思いつつも後ろを振り返った。
ニコーッと笑う明良が立っていた。ジーンズに赤色のトレーナー。片手にスーパーの袋を提げていた。
「・・・明良君。ぐ・・偶然ですね。君も買い物ですか」
子供相手にどうもぎこちない。しかし子供でも後継者。まだ新入社員の遼二では尚のこと、友達のような言葉使いは出来ない。
「うん、一週間分の食料買いに来たんだ。ここ出来たばっかじゃん。和也さんが見てみたいって言うからさ」
明良が和也と暮らしているのは、秘書課配属一週間も過ぎれば遼二もすでに知っていることだった。
明良は今年15歳になる中学3年生。2年生の夏休み後半から和也のマンションで暮らし始めた。
明良と和也は腹違いの兄弟だった。社長である明良の父は和也の父でもあった。
思いのほか大きく成長した会社と、後を継ぐべきひとり息子明良の野放図さ。
もともとは後継者に和也を考えていた父だったが、あっさり和也に断られてしまった。
ならばと、父は兄である和也を教育係りとして明良に付けた。
和也が明良と腹違いの兄弟ということは、古くからの幹部以外知らないことだったので、これを機に父は公表するかと和也に訊ねたが、和也はそれも退けた。
―お家騒動の種は少ない方がいいでしょう―
和也が兄であることは、明良に知らされることはなかった。
明良を預かることを承諾した以上、和也は今の明良にとって自分は兄である必要はないと判断したのだった。
その生活ももうすぐ1年を迎えようとしていた。
「明良君、どこに行ったかと思えば・・・。あれっ、君、こんなところで会うなんてね」
和也も休日はラフな装いだった。
薄いブルーのカッターシャツにブラウンと白の格子柄のベスト、ベージュのスラックス、ノーネクタイで両手にはスーパーの袋を提げている。
「秋月さん。こ・・こんにちは」
明良とはまた違う意味で、緊張する遼二だった。
「なぁ、兄ちゃんひとりで来た?」
明良が緊張する遼二に、さらに追い討ちをかけるようなことを聞いて来た。
「えっ・・・いえ・・ひとりじゃないです。その・・・連れ・・?って言うか・・・」
はっきり彼女と言えばいいのだが、明良と和也を前にしては何となく言いにくい。
しどろもどろの遼二に明良がスパッと言った。
「この前会社のレストランで一緒だった姉ちゃんだろ」
遼二は驚いた。あの時は入り口付近で目が合っただけだった。すぐ明良は方向転換して違う方へ行った。
とすると、後ろの真紀まで覚えていたことになる。
「当たりです。よく覚えていますね」
遼二は感心したように明良に言った。
「オレ人の顔とか名前覚えんの得意なんだ」
当たり前のように言う明良だったが、それはとても大事な資質に他ならない。
「さっ、行くよ、明良君。あまり邪魔しちゃ悪いでしょう」
和也は適当なところで、明良を促した。
遼二は内心ホッとした。いつまでも長話をしていると真紀が帰って来る。
社長の後継者と付きの教育係り。しかもスーパーの袋など提げて、あまつさえ教育係りの方の袋からは長ネギが・・・。
こんな姿も真紀に言わせると情報の一環なのだろう。
とにかく真紀がこの場に遭遇したら、非常に面倒なことになるのは火を見るよりあきらかだった。
「じゃあな、兄ちゃん。・・・ところで兄ちゃんの彼女は?」
いったん和也の後を行きかけた明良が何を思ったのか、振り返って遼二の周囲をキョロキョロと見回した。
「あぁ・・・まだ店内で買い物してます」
している間に一刻も早く立ち去ってくれと、遼二は笑顔を引きつらせながら明良を見送った。
「和也さんは彼女に逃げられたんだぜ。だから買い物も飯も全部自分でしてんだよ」
「はぁ・・・?・・・・・・・・・・」
とうとう遼二の引きつる笑顔が、くにゃっと歪んでしまった。
何と返事をして良いものかわからない。
「ほんとだよなぁ、和也さん!」
明良は聞いてもいないことを、それも全くのプライバシーをベラベラと遼二にしゃべった。
しかもご丁寧に、大きな声で確認まで取る始末だ。
先を行きかけた和也が、立ち止まって振り返った。
「あの・・・明良君、そう言うことはちょっと・・・」
笑顔とも泣き顔ともつかない表情の遼二と、
「あははっ・・・、そうだね。日本から出て行っちゃったしね」
逃げられたと言う割には余裕で笑う和也だった。
「イヤミなことばっかり言うからじゃねーの」
ケラケラと笑いながら「なぁ、兄ちゃん!」と話を振って来る明良は眼前から消去して、頼むから早く行って下さいと祈る思いでもう一度遼二は和也にぺこりと頭を下げた。
和也の車は遼二の車より二列離れた位置に止めてあった。ちょうど周囲の車が出た後で、乗り込む和也や明良の姿はもちろん車の全景も見えた。
―今度は黒のプジョーだ!―
プジョーは流線型でシャープなイメージがある。外車でこれも遼二にはとても手が出ない代物だった。
シーマにプジョー。
そうすると他のみんなはどんな車に乗っているのだろうと、遼二は考えるのだった。
「遼ちゃんお待たせ〜。ごめんねぇ、すっごい並んでたのよぉ」
車の中でぐったりとしている遼二を見て、真紀は待ちくたびれたと思ったらしい。
遼二にとっては待たされたことが、こんなに嬉しかったことはない。
「俺はいいよ。大変だったな、何、ケーキ?」
遼二はシートベルトを締めて、車を発進させた。
「そう、オープン記念に本店から期間限定で出店してたのよ。ママに買って帰れて良かったわ。
ママここのモンブラン大好きなんだもの。あっ遼ちゃん、私は駅で降ろしてね」
「えっ、真紀、もう帰るの?」
車のトランクに山と買い込んだ荷物はどうするんだ。
自分の物とは言え、真紀も当然片付けるのを手伝ってくれるものと思っていた。
「帰るわよ。外泊してるし、今日は早めに帰ってママの機嫌とっておかなくちゃ。
荷物はゆっくり片付ければいいじゃない」
真紀は細かい買い物は好きなくせに、買った後の整理整頓は苦手だった。
―逃げたな・・・―
しかし外泊したのは事実だし、今後のこともある。
遼二は真紀を駅で降ろした。
「明良君、杉野さんは兄ちゃんじゃないでしょう。ちゃんと名前を呼びなさい」
ショッピングセンターを出て、帰る車中で和也は明良に注意した。
「・・・なんか他の奴らとちょっと違うんだ」
明良がどんな顔をして言っているのかは、前を見て運転している和也にはわからない。
明良の言う他の奴らとは、秘書課を指す。
「どう違うの?」
「・・・・・・・直人の兄ちゃんと似てんだもん。優しいじゃんか」
直人は明良の一番の友人だった。
まだそんなに接しているわけでもないのに、明良は遼二を優しいと言う。
「他の・・・秘書課の人たちは優しくないの」
「・・・・・・・・・・・・」
明良はそれには黙ったままだった。
「会社は学校や家とは違うから。いずれ杉野さんは君のブレーンになる人だよ」
和也は無理に明良の答えを引き出すことはせず、要点だけを教えた。
「・・・オレ、親父みたいになれんの」
明良は和也にそう言われて、それなら自分は父親のようになれるのかと問う。
「それは君次第でしょう」
―・・・・・・・優しくなんかねーじゃん―
深く座席シートに身を沈めて、明良は一方的に話を切った。
最初の頃はしょっちゅう和也から尻を叩かれて、自分が継ぐべきもの、自分の立場がどこにあるかを教えられた明良だった。
それこそ首根っこを掴まれてその方向に向けさせられた。
勉強も教えてもらうと言うより自分ですることを身につけさせられた。
ところが一年近く暮らして来てまがりなりにも自覚が出来始めたら、今度は強制がなくなった。
前ほど尻は叩かれなくなったが、そのかわり今のように不安を口にすると、君次第だとか、ちょっと文句をつけると、嫌ならやめてもいいんだよとか、
和也は明良自身にどうするかを決めさせるようになった。
「明良君、少し走ってみようか。ドライブする?」
ぶっつりと黙った明良に、和也がいつもの穏やかな口調で話しかける。
「オレ、帰ったら直人と遊びに行く・・・」
「そう」
短く和也は答えるだけだった。
明良はもう少ししつこく誘ってくれてもいいのにと思う。
さっきだって、ひとこと大丈夫だよと言ってくれてもいいのにと思う。
そんな和也に、明良は心の中で不満をぶちまけるのだった。
―優しくねーから、彼女に逃げられんだ!―
一方、駅まで真紀を送って帰宅した遼二は、片付けもそこそこに朝の続きでずっとコーヒーの淹れ方に掛かりきりだった。
しかし練習を重ねたかいがあって、どうにか吉川と同じ味が出せた。
三度繰り返して三度とも同じ味だ。一番のポイントは蒸らす≠アれを忘れていた。
とにかく、これで明日からのお茶出しは万全だ。
遼二はやっと高田の言葉から解放された気分だった。
明日は社長が帰社する。来客数も増える。いつまでも新人だからと言って甘えていてはいけない。
はやる気持ちはベッドに入っても眠れないなと思ったのも束の間、横になればワン・ツー・スリーで意識が飛んた。
急須は事前に暖めておいて、お茶の葉は冷凍庫にしまうこと。
お湯は沸騰の一歩手前で止めたものを、急須に注ぐ。
しばらく待ってお茶の葉が開き浸透するまでの間に、湯飲みを暖め・・・。
「あの・・・吉川さん・・・」
「何だよ。まだ説明の途中だろ、最後まで聞けよ」
吉川がイラッとしたように太い眉根をしかめた。
遼二はこの期に及んでも、まだ承服しかねるように吉川に聞いた。
「コーヒーは・・・」
「僕はお茶の淹れ方を説明しているんだ」
A&Kカンパニー 秘書課 月曜 午前10時。
社長及び、付きの進藤帰社。さっそく来客が訪れる。
ホテル森之宮から常務他三名。ホテル内フランスレストラン出店、商談開始の挨拶。
当たり前の話だがお茶はコーヒーだけとは限らない。
今回は上客なのでお茶も玉露を使用。冷凍庫を開けるとズラっとお茶の葉が並ぶ。
玉露、煎茶、緑茶、ほうじ茶、そば茶、梅茶のたぐいまである。
「メ・・・メモを取って来ます。ちょっと、すみません!」
また振り出しに戻る遼二だった。
*コメント
A&Kは住宅手当が出ます。独身者家賃に対して4分の1、既婚者家賃に対して3分の1会社が負担してくれます。
持家はローンを家賃に換算。ローン完済者と自宅から通勤の独身者は住宅手当はありません。
遼二は12万円→3万円の住宅手当が出ます。真紀は親もとからなので住宅手当は出ません。
秘書課、それぞれの車ですが今のところ遼二→プレミオ(スカイブルー)、和也→プジョー(黒)、橋本→シーマ(紺)の三台まで決まっています。
長尾、進藤、高田、吉川、イメージとランク順に考えるとなかなか決まりません。いつか全員の車が揃うといいなと思っています。
サラリーマンなのでやはりセダン系が中心です。
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