クラスメイト




陽射しが鋭く地面に反射する夏の午後―。

空調のよく効いた和泉の部屋で、明日から始まる学期末考査の追い込みをする。

学期末考査は中・高等部一斉に三日間集中して行われ、試験が終了すると二週間の短縮授業を経て長期休み(夏・冬・春休み)に入るのが恒例だった。


「・・・やーめた!やめた!やめた!もうこれ以上頭の中に入んねぇ!」

和泉が教科書を放り投げてベッドに倒れ込んだ。

「一度に詰め込もうとするからだよ。そんなこと出来るの和泉くらいだよ」

それは一緒に勉強していればわかることで、和泉は僕よりずっと飲み込みは良かった。

「何かさぁ・・・時々聡って、兄貴と似たようなこと言うよな」

「この間先生に、それで叱られたって言ってたじゃない」

「・・・やなこと言うなよ、思い出しただろ!」

和泉は足をバタつかせながら、枕に顔を埋めた。

「良かったじゃない。忘れてちゃ、大好きなバスケが出来なくなるかもしれないよ」

「・・・ん?ああそうだよな!兄貴のことだから、赤点だったら夏休み中監禁だよ!」

・・・どうやら和泉が思い出していたのは、赤点のことよりもお尻を叩かれたことの方のようだった。


「それはもっと嫌だーっ!!」

和泉はベッドから飛び起きると、一目散に机に座り直した。

「そうだよ、和泉。後もう少しだから頑張ろう」


だけど、けして僕ばかりが和泉にはっぱをかけているわけじゃない。

僕も和泉に引っ張られて、

「和泉、ちょっといい?この2次方程式の応用問題なんだけど・・・この間三浦に教えてもらったのに・・・」

「いいよ、どれ?・・・ああ、ほらっ、ここんとこ。積の数式・・・単なる計算間違いだよ。解き方は合ってるぜ、ちゃんと出来てるじゃん」

苦手な数学にだって、つい笑顔が零れてしまう。



一人で頑張ることは

辛くて苦しいのに

誰かと一緒に頑張ることは

苦しくても笑顔でいられる



そんなふうに、お互い気合を掛けながらの試験勉強は夕刻まで続いた。



「あー腹減った!聡は夕食の後、どうする?おれ、スタディルームに行くけど。北沢たちも来るっていうし」

「僕は部屋に戻るよ。もう一度間違ったところを見直して、夜は明日に備えて早めに寝るつもりだから」

「そっか。・・・それじゃ、夕食は北沢たちと食べようよ」

そう言うと、和泉はさっそく携帯を耳に当てた。

「もしもし、北沢・・・うん、うん、聡も一緒に・・・。OK、じゃ三十分後食堂な。聡、三十分後に集合かけておいたから」

パクッと携帯のフタを折りたたんで至極当然の笑顔を僕に向ける和泉に、いつだったか似たような笑顔を思い出した。



食堂に三十分後に集まることになったので、一旦自分の部屋に戻った。

勉強をするにも本を読むにも中途半端な時間は、借りていた本を返却するにはちょうどいい時間だった。







空調の効いた寮から外へ出ると、夕暮れでも外気温はまだ蒸し暑く感じられた。

西の空の赤焼けが徐々に暗闇に包まれ始めると、オフィスセンター館内が輝きはじめる。

館内の輝きは翌朝まで消えることはない。


図書室はさすがに試験前日ということもあって、閑散としていた。

普段は埋まっている閲覧席も、空席がほとんどだった。

本を返却BOXに入れながら、何気なく見渡したそのところで・・・目が合った。


マスク越しの目は、僕を見ていたようだった。


「・・・御幸?」

「聡、ふふっ。嬉しいな、気付いてくれて」


御幸がいた。



―マスクすると、息が辛いんだ―



僕と同じように、顔の半分も隠れてしまうマスクをして。


「御幸。マスクって、案外わからないものなんだね。でも図書室とか人の集まる場所では、やっぱりその方がいいよ」

「別に図書室だからって、マスクをしているわけじゃないよ。
・・・聡、本当はこの間僕がマスクしなかったこと、気に入らなかったんじゃないの」

「御幸・・・どうしてそんな言い方ばかりするの。君の方こそ、気付いていたのなら声掛けてくれてもいいだろ」

ついに前々から御幸に抱いていた感情が出てしまった。

御幸の表情はマスクでほとんど隠れてしまっていたが、目だけを見ると怒っているふうでも笑っているふうでもなかった。

しいて言うなら、マスクの下は無表情のようだった。


いきなり御幸がマスクを取った。

「冗談だよ!聡、ごめんね。聡でも怒るときは怒るんだ、安心したよ。
僕は風邪もだいぶ良くなって、ほとんど咳も出てないんだ」

昔のままの笑顔だった。

「もう・・・冗談きついよ、御幸。今度は本当に怒るからね」

ほっとする気持ちが、御幸と同級生だった頃の懐かしい思い出の扉を、幾つも幾つも開けて行く。

スタディルームで教科書を広げ、レストルームで語り合い、真幸がバスケの試合に出るからと応援にも行った。

そして図書室が閉まるギリギリまで、本を読み耽ったね。

このテーブルで・・・。



「・・・渡瀬がね、風邪が移ると大変だから、ちゃんと治るまで人前ではマスクしろってさ。
・・・渡瀬だよ。聡、最近仲良いよね」

「御幸は渡瀬と同じクラスなんだろ。僕は指導部の先生が同じだったから、その繋がりで最近は会うことが多いよ」

渡瀬たちとは中等部の頃もそれなりに仲は良かったけれど、実際御幸の言うように復学してからの方が仲は深まった。


「ああ、そうだったよね。聡は単位取るためだったけど、渡瀬は校則違反で謹慎だったんだよね。
・・・ねぇ聡、その指導部の先生って、どんな人?」

「どんなって・・・う〜ん・・・指導部の先生って普通みんな怖がるけど、その先生は話しやすくて・・・。
でもあまり人の話聞かなくて、だけどえっと童顔で・・・」

「聡・・・何言ってるのかよくわからないよ」

改めて聞かれるといろいろな場面での先生が思い浮かんで、上手くまとまらなかった。

ああでも・・・これだけは、はっきりしている。

「僕たち一人一人に、きちんと向き合ってくれる先生だよ。だから誤魔化せない」

「・・・何を」


「自分自身だよ」


一瞬の間の後、


「ふ〜ん・・・」

御幸は自分から聞いておきながら、ひと言呟いただけでそれ以上のさしたる反応は示さなかった。

話題はまた渡瀬に戻った。


「渡瀬の校則違反って、何だったか知ってる、聡?」

「それは・・・」

例え御幸が知っていたとしても、僕の口からは言い辛かった。

「そんな真面目な顔しないでよ、聡が知らないはずないよね。大丈夫だって、僕たち三年はみんな知ってるよ。
三浦に谷口もだろ、目立つ連中だからね」

「・・・なら言わなくてもいいよね。渡瀬たちがどうかしたの?」

「どうもしないからさ。何かあったんじゃないかと思わない?」

薄っすらと御幸の口もとに笑みが浮かぶ。

この間と同じ密やかな笑みが・・・。

「どういうこと・・・」

「タバコだよ?普通なら退学になったっておかしくないのに、一ヶ月の謹慎かそこらで・・・。
しかも渡瀬なんて、戻って来たら委員長だなんてふざけてる」


―新しいクラスでは委員長は空席のままで、みんなが君を待ってくれていると担任から告げられた。不覚にも涙が出た―


もちろんそれが額面通りではないことを、一番よくわかっているのは渡瀬だ。

だからこそ、渡瀬も、三浦も、谷口も、必死なのだ。


「連中の親たちが、指導部の先生にたくさん渡したんじゃないの。三人分だからね、かなりの額になるよ・・・とか、思わない?」


それで先生のことを・・・御幸は先生のことは知らない。

いや知らなくても、御幸もこの学校の生徒ならわかっているはずだ。


―この学校の校訓の中で学ぶ誇りを―


僕たち生徒の誇りは先生の誇りであり、学校そのものへの揺るぎない信頼に繋がっている。


そんなことは有り得ない。


「思わないよ。僕にはいまの渡瀬たちがとても不器用に見える。
いつもみんなの中心にいてあれほどスマートだった彼らが、不器用なほど一生懸命に」


その証拠に、御幸の口もとから笑みが消えた。


「御幸、罰を受けるのは簡単だけど、受け入れるのは難しいよ」


同じクラスメイトの御幸と渡瀬。

大雑把と言われている真幸でさえ同じクラスの谷口に感じていることを、


―聡なら知ってるだろうけど、あいつ謹慎になっただろ。それからだな、こう・・・何ていうか一生懸命なんだ。
前は適当に力抜いてるようなところがあったんだけどな・・・―


御幸が感じていないわけがない。


「・・・僕も、指導を受けたひとりだからね。私利私欲の働く余地は、これっぽっちもこの学校にはないよ」


無言のままの眼差しは、携帯の着信音が鳴るまで僕を見つめていた。


「あっ、しまった、和泉!?」

時計を見ると三十分をゆうに超えている。

怒っているだろうなと思いながら、慌てて出た。

「もしもし!いず・・・」

[聡!何してんだよ!みんなもう腹ペコで待ってんのにさ!]


案の定、和泉に怒られてしまった。


「ごめんね、御幸。食堂で友達が待ってるんだ」

「ああ、夕食の時間か・・・。和泉ってこの間の奴だろ。お腹が空くとよけい怒りっぽくなるみたいだね。早く行ってやりなよ」

「・・・御幸は、済んだの?」

「僕のことはいいって。どうせ真幸が大声で呼びに来るんだから」

御幸は表面上では真幸のことを鬱陶しそうに言いながらも、大抵の行動は真幸と一緒のことが多かった。

「そうだったね、やっぱり君たちは双子だね。御幸、また今度ゆっくり話ししよう」


「うん・・・またね」

短い返事の後、御幸は外していたマスクを装着した。

そして、戸口に向かう僕の背に言葉を続けた。


「聡!・・・渡瀬って、あんなにおせっかいだったかな?満更、悪くもないけどね」



12歳 桜が吹雪く校庭で

真新しい制服の紺色も鮮やかに

高鳴る胸の鼓動と輝く瞳

僕たちは出会ったね

それから幾歳月の春夏秋冬を

共に過ごしただろう


健やかなときも 病めるときも

僕の友達







翌日、いよいよ全学年一斉の学期末考査が始まった。

普段でも静かな授業に、試験の時はさらに緊張がプラスされる。

目の前に置かれた一枚のテスト用紙。

これで全てが決まるわけではないけれど、これが学生の本分なのだ。


「始め!」 パンッ!

開始を宣言する先生の声と差し棒の音。

全学年同じ合図のもと、僕たちはこの三日間に本分を尽くす。



眠い眠いと目を擦りながら教室に現れた和泉も、試験が始まる頃には張り詰めた表情に変わっていた。


昨日の夕食後、僕は部屋に戻り早々と寝たけど、和泉は北沢君たちとスタディルームでほとんど徹夜になったと言っていた。

もしその場に先生がいたら、どんな顔をするだろう。

「一夜漬けは和泉だけじゃないみたいだね」なんて言って、似合わないため息のひとつでも吐くのかな。


カリカリカリ・・・カサッ・・・・

シャープペンシルを走らせる音とテスト用紙に触れる小さな音が、途切れることなく教室内に響く。

一科目終了ごとの30分の休憩は、次の試験科目への気持ちの切り替えと準備に費やす。

一日目、二日目と、規則正しい時間が過ぎて行く。



「和泉、どんな感じ?」

「へへっ」

親指を立ててウインクの和泉お決まりのポーズが返ってきて、手応えは充分のようだった。



大学受験を控えた三年のクラス。

試験の合間には、渡瀬たちが一分一秒を惜しむように教科書を広げている。

御幸の風邪は治ったのかな。

真幸がいるし、渡瀬が同じクラスだし、大丈夫だよね。

三浦は、僕に人の心配ばかりするなって言うけど・・・。


―・・・お前、人の心配ばかりしてるから足挫いたりするんだぜ―


そう言う三浦だって、流苛君の心配ばかりしているよ。


―ちょっと何か言うと三浦さんがすぐ大きな声で来るんです。みんな怖がっちゃって・・・僕が迷惑なの―


・・・言っておいてあげればよかったな。

流苛君は迷惑だって言っていたよって。

やや困った笑顔で、それでいてとても嬉しそうだったこともね。


そんな流苛も、一学期を最後に転校する竹原と初めての学期末考査を頑張っている。



僕たちは 同じ空間の中で 

同じ時間を 過ごしているけれど

皆それぞれに 違う人生を 

生きている

人生の 

歩く道のりは独りでも

喜びは分かち合い

悲しみには肩を抱く


いつも僕の傍に

心優しき 同級生





三日目、期末最終日の朝は抜けるような青空が広がり、青葉生い茂る校庭にセミの声が聞こえ始めた。


「うちの学校ってさぁ、木が多いじゃん。特に兄貴のとこなんて夏は朝っぱらからセミの声が凄くて、
うるさくて寝てられないんだよ。せっかくの夏休みなのにさ」

和泉はセミの声に、うんざりした様子で顔を顰めた。

生徒指導室を兼ね備えた先生の宿舎は、中・高等部の校舎や寮からは距離を置いた樹木の中にひっそりと建っている。

一般の学校生活とは隔てられた環境の中で過ごす生徒にとって、その距離は自分を見つめ直す時間なのかもしれない。


高等部二年Aclss 水島司。

空席の彼の席は、いまは宿舎のスタディルームにある。

本条先生の監視下で、学期末考査を受けていた。


―・・・先生・・苦しいんです・・・苦しくて・・息が詰まる・・・―

そう訴えて涙に咽んだ水島の姿は、もうどこにもなかった。


―次の期末はここで受けて、夏休みの間は家に帰ります。アルバイトをするんです。
先生が学校を通して、手続きも斡旋も全てするからと言ってくれて・・・―

生き生きと話すその瞳には、先生への感謝が溢れていた。


競うことだけが勉強ではなく、目的の中にこそ学ぶ意味がある。


―・・・もっと幸せにするよ、母さん。その為に、ここで勉強しているんだ―




残すは、後一科目。

水島も最後の科目に全力を注いでいるだろう。

時折、クイッと眼鏡のブリッジを押し上げながら。



ああ、先生

僕の中に彼らがいます

いくつもの痛みと涙は、湧き上がる勇気と希望になって

熱い血潮がこの胸に



―君が生きている意味は 君の人生の中に

君が係わる 全ての人たちの中に― 


ああ、先生

僕の中に彼らがいるように

彼らの中にも、僕はいるのですね



コトッ・・・。

誰かのシャープペンシルの置く音がした。

と、同時に、

パンッ! 「―――そこまで!」

黒板に当たる差し棒の音と終了を告げる先生の声。


三日間の学期末考査が終った。







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