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新学期が始まって一週間目の日曜日。

たびたび言われていた勉強机の整理をいつまでたってもしないので、とうとう和也さんに机の引き出しを全部引っこ抜かれて無理やり片付けさせられた。

ついでに、いつもの調子で学校を抜け出して直人たちと遊びまわっていたこともばれて、またしてもえらいめに合わされた。







「国語40点、理科24点、英語31点、数学18点・・・、これ何点満点?」

和也さんがオレの返ってきた実力テストの答案用紙を見ながら言う。

100点満点に決まってるじゃんか・・・。わかってて聞くんだ。

「毎日漫画の本読んでるだけあって、国語はましだね」

・・・相変わらずものの言い方は優しいけど、言うことはきつい。ってかイヤミだ。

「中学生は義務教育だから落第もないけど、高校生ならずっと1年生のままだね」

ダイニングテーブルに答案用紙を置いて、組んだ腕をテーブルに付けグッと身を乗り出すようにして俯いたオレを覗き込む。

「明良君、何か言いなさい。黙っていてはわからないよ」

わざと黙ってるわけじゃないさ。・・・だんまりが通用しないのはわかってるし。

「わかんねぇんだもん・・・」

「何が?」

なんでいつもわかってて聞くんだよ!勉強に決まってるじゃんか!

「勉強!!」

「どの教科のどのあたりがわからないの」

・・・また、答案用紙見りゃわかるじゃん。

「全部!!」

オレはやけくその開き直りでギッと和也さんの目を見据えて言った。わかってて聞くな!

「はい、わかりました」

和也さんはそう言って答案用紙をオレに返した。

そして夕食遅れたねと言いながら、タータンチェック柄のエプロンを首に掛けながらキッチンに向かう。

オレはちょっと拍子抜けした。もっと勉強してないことを注意されるのかなって思ってたから。

ひょっとしたら・・・また尻叩かれるかもって、ちらっと思ったし。

夕食は蟹玉のあんかけと中華スープ。デザートは杏仁豆腐。

この前オムライスを成功してからなぜか卵料理が多い・・・。

和也さんの作る杏仁豆腐は、豆腐はさっぱりしてて蜜を少し甘くしてる。

オレはこの杏仁豆腐が大好き。

杏仁豆腐を食べながら、何事もなく終わったので、オレのあまりにも悲惨な答案用紙を見て和也さんもあきらめたかな、なんて気楽に考えていた。


ところが翌日、オレの考えが和也さんの作る杏仁豆腐の蜜よりもはるかに甘かったことを思い知らされる。





翌日、学校で直人に放課後自分の家に遊びにこないかと誘われた。

「久々だしいいじゃん。兄ちゃんも明良どうしてるって言ってるよ」

直人の兄ちゃんは大学生でとても優しい。

遊びに行くと、直人と一緒にオレのことも可愛がってくれる。

「でも今日は数学の補修だろ」

実力・中間・期末テストで30点以下の科目は1時間の補修がある。

それさえ受ければいいからオレも直人も試験勉強なんてしたこともない。

「・・・明良、30点以下だったのか?」

直人が不思議そうな顔で聞く。なんでだよ。オレたちいつもそうだっただろ。

「まさか直人・・・お前30点以上?」

信じられない面持ちで聞く。

直人が少し照れたように笑った。

「へへっ・・・52点」



低レベルな話だけど、それでも18点と52点じゃ全然違う。

直人がオレのことを兄ちゃんに言ったらしい。

何だか教育係みたいなのがついて、前みたいに遊べなくなったって。

「そしたらさぁ、兄ちゃんがお前もそろそろ真面目に勉強しないと、明良においてかれるぞって」

・・・オレのほうがおいてかれてるじゃん。

「そいで今度の実力テストずっと勉強見てくれてさ、数学なんて兄ちゃんのヤマが当たっちゃって。
はじめて50点以上取れた。明良のとこは勉強は見てもらわねぇの?」

机が汚いとかこれで勉強出来るのとかは言われたけど、勉強見てあげるなんて言われたことないな。

直人が、待ってるから一緒に帰ろうと言った。ほんといいやつ。

・・・オレのほうがずっとバカだ。



マンションに帰ったのが午後7時前で、あれから放課後1時間居残りして、待っててくれた直人とゲームセンターで3時間近く遊んだ。

門限なんて別にないけど、夕食の支度があるから遅くなるときは電話を入れる。その辺はわりと自由だ。

和也さんはもう帰ってて夕食の支度をしている。

オレも急いで着がえて、支度の手伝いにダイニングに行った。

すると和也さんがキッチンから、ここはいいからリビングに行ってごらんと言う。

・・・テーブルの上にはきれいに積み重ねられたドリルの山があった。

見ると国語と算数と英語、理科・・・。ゆうに30冊以上はある。

しかも算数は小学校1年生から・・・だから数学じゃなくて算数なんだ。


「これ何だよ。まさかこれ全部オレするの?」

「君のほかに誰がするの」

キッチンから和也さんが言う。

「だって・・・何で小学校1年生からなんだよ!バカにすんな!」

と言うのもあるけど、目の前に積み重ねられたドリルの山を本当にするなんて・・・。

それもオレには信じられなかった。

和也さんが夕食の支度の手を止めて、オレの前に来て言った。


「どこがわからないのと聞いて、全部と言ったのは君だよ。最初からしなさい。
詰まったところからやり直せばいいから。わからなければ聞きに来なさい」



わからなければ聞きに来なさいと言われたけど、一度も聞きになんて行ってない。

何の冗談なんだろうって感じで、ドリルなんてオレの部屋の隅に置きっぱなしになってる。

和也さんもあれから何も、勉強のこともドリルのことも聞かないし。

それに、だいたいオレの教育係ならもっとちゃんとオレの勉強見ろよ。

あんなドリルみたいなのいっぱい渡すだけで、わかんなかったら聞きに来いってそんなの手抜きじゃん・・・。


最近はマンション生活にも慣れて、また前のように学校の帰りに寄り道をすることが多くなった。

少しずつ帰る時間が遅くなって午後7時過ぎの帰宅が続いた頃、オレがすっかり忘れていたことを和也さんに言われた。

「明良君、最近帰りが遅いけどドリルは進んでいるの?
一度も聞きに来ないけど出来ているんだね。ちゃんとすることをしていれば別にいいけど」

オレに言わせれば何だよ今頃って感じで。自分だって忘れてたんじゃないのか。

オレの帰りが遅くなったからって思い出したように引き合いにだすことないじゃんか。


「どうなの」

確認するように和也さんが聞く。

「してない。だってなんにも言わなかったじゃん。オレの勉強のことも見たことないじゃん。
それであんなドリルだけやれって押し付けられても出来っこない!」

「しなさいと言ったはずだけど。わからないところは聞きに来なさいとも言ったよね」

「そんなの最初に言ったっきりだろ!」

「勉強するのは君でしょう、それで充分だと思うけど。違うの?君はどうして欲しいの」

和也さんがいつもの穏やかな口調に戻って問いかけてくる。


・・・オレどうして欲しいんだろう。

例えば・・・あんなふうにポンとドリルを渡すんじゃなくて、直人の兄ちゃんみたいにもっと一緒にオレの勉強を見てよ。

オレも直人みたいに50点くらい取れるような勉強を教えてよ。

でも和也さんは兄ちゃんじゃないし、優しくないし、オレのことは・・・仕事だし。


 ―どうして欲しいの―


オレは言えなかった・・・。



翌日―。

昨日ドリルのことで言い合いになったのが夕食前のことで、なんだかそんな後に和也さんと食事するのなんて気まずくて、いらないとぶっきらぼうに言って自分の部屋に戻った。

それでもお腹は空くので夜の9時頃ハンバーガーを買いに行った。

以前はよく食べてたけど、最近はほとんど食べることがなくなった。

大好きなハンバーガーを食べてれば二日や三日ご飯なんて食べなくてもいいや、とか思いながら食べたら、やたらまずかった。

味落ちたのかな。前はもっと美味しいと感じたけど。二個買ったけど、一個も食べ切れなかった。



学校で朝のホームルーム前にパンと牛乳を買って食べる。

・・・朝食がなかった。

和也さんは知らん顔でコーヒーだけ飲んでた。

昨日だってあのままで、オレは待ってたわけじゃないけど・・・部屋にも来なかった。



六時間目の授業が終わって帰り仕度をしながら直人に昨日のことを少し話したら、前にマンションでの暮らしぶりを話した時みたいな驚いた様子はなかった。

むしろ自分も同じだと言う。

オレの方がが驚いてなんでと聞くと、オレが思ってたのと同じことを兄ちゃんに言ったらしい。

次の中間テストもまたヤマを教えろ

そしたら基礎学力がないのに何がヤマだと言われて、毎日計算問題集をやらされているらしい。

直人の兄ちゃんは優しいけどしつこい。


直人がまた照れたように笑って言った。

「へへっ・・・この前のはほんとマグレ。自分でも思う」

・・・早くそういうことは言えよ。



今日はまっすぐマンションに帰る。

すぐ着がえて部屋の隅に置いてあるドリルの山から算数を一冊取る。直人もしてる。

でも直人は自分の出来ないところを知ってる。オレはわからない・・・。

どこから出来なくなったのかな。最初からしてみる。一年生はすぐ出来た。二年生も出来た。三年生の・・・分数の割り算がわからない。

三角形とか表とかグラフとか・・・この辺でわからなくなってる。

答えを見ようと後ろをめくったけど、ご丁寧に破ってある・・・。


玄関の鍵が開く音がして、和也さんが帰って来たようだ。

とりあえずオレは三年生の算数のドリルをわかるところまでした。けっこう時間が掛かった。

そしてそのドリルを持ってダイニングに行った。

和也さんはエプロンをしてキッチンにいた。夕食は作ってくれるみたいだ。


「・・・おかえりなさい。・・・オレこの辺からわからない」

ダイニングのところからキッチンに居る和也さんに言う。

和也さんは振り向いてオレのほうへ来てくれた。

「この、分数のところの・・・」

オレは立ったままでダイニングテーブルにドリルを置き、和也さんに説明しようと少しかがんだところでいきなりバシッと尻を叩かれた。

Gパンだったのでそんなに痛くはなかったけど、何で叩かれるんだよ。

オレの言葉の出ないうちに和也さんが言う。

「Gパン下げて」

「えっ・・・何で・・ちょっと待ってよ・・和也さん・・・」

叩かれる理由がわからず、しどろもどろしているオレなどおかまいなしにGパンのホックに手を掛けてくる。

和也さんなら全部下げるに決まってる。

「やめてっ・・・自分でするから・・」

後ろを向いてGパンのホックを外して太もものあたりまで下げる。

自然とダイニングテーブルに体を預けるような体勢だ。

さらにもう一度和也さんにGパンをひざあたりまで下げられる。

そして否応なくバシバシバシッと叩かれた。

「・・い・痛いっ!!・・なんで、オレ勉強してたのに・・・」

「そんなのは当たり前でしょう」

「当たり前のことを・・オレがしてなかったから・・・」


「他には」

バシンッ、バシンッ、だんだん叩き方がきつくなる。

「・・・ごめんなさい」


「他には」


・・・・・・・・・・・・・・・。


和也さんの手が止まってパンツに掛かった。

「いやだ!!か・・和也さん、ごめんなさい!オレ・・勉強しないの和也さんのせいにした。ごめんなさい!」

「よろしい」

和也さんの手がパンツから離れてGパンを上げてくれた。



「どこがわからないの」

ダイニングの椅子に座って和也さんがドリルを見る。

「えっと・・この・・分数の割り算・・・」

オレはGパンのファスナーを上げてホックを掛けながら言う。

いつも叩かれた後だって待ったなしだ。

でも・・・優しくはないけど、和也さんはオレが差し出したドリルの間違ってるところやわからないところを丁寧に教えてくれた。


そしてこれが、小学一年生の算数からやり直したオレの本格的な勉強の第一歩となる。



和也さんが言った。



「来年の高校受験までに学力を取り戻す」







*コメント

この回の和也のお仕置きは不評でした。

明良がやっと勉強する気になったのに何故叩くのか、と言うところでしょうか。

勉強はして当たり前です。

ようやくドリルを手にした明良に、当たり前の事をせずに文句だけをつけていた(教え方が悪いとか手抜きだとか)それまでの事を叱ったのです。



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