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この間の実力テストの答案用紙を和也さんに見せたら、どの教科のどの辺りがわからないのと聞かれ、やけくそで全部と答えたら数学・・・いや算数にいたっては小学一年生のドリルからやり直すはめになった。
一年生は出来た。二年生も出来た三3年生の・・・分数の割り算でつまずいた。
今日の朝はピザトーストとクリームスープ、コーンビーフのサラダ、果物はぶどうのモモタロウ。
薄い緑でマスカットと色が似てる。お尻のところがモモみたいになってるからモモタロウだよと和也さんが言う。
本当だ。1粒1粒モモみたに割れてお尻の形してるよ。
・・・イヤミか?昨日さんざん尻を叩かれた。種なしで皮ごと食べられる。
おとといドリルのことで言い合いになって、夕食をいらないと言って食べなかったら翌日の朝食もなかった。
和也さんのところで生活しはじめてから朝をきちんと食べるので、昨日みたいに朝食を食べなかったらお腹が空くのはもちろんだけどなんか落ち着かない。
学校でパンと牛乳を買って食べてたら、直人に言われた。
「明良さぁ、お前一応社長の息子だろ。そしたら普通もっと気を使うよなぁ」
一応じゃねぇよ。れっきとした息子だよ。
それもそうだ。しかも尻なんかしょっちゅう叩かれてるなんて直人に言ったら驚くだろうなぁ。
「あれっ?ハンバーガーじゃん」
和也さんが自分の皿にハンバーガーを乗せて来た。
「君の部屋に転がってたよ。だめじゃない、食べ物放っておいたら」
・・・いつ入って来たんだよ、勝手に人の部屋に入って来るなよ。
おととい2個買って、やたらまずくて1個も食べ切れなかったやつだ。
よく見ると作り直してある。はみ出したレタスがシャキシャキして美味しそうだ。
「ひとくちだけ、食べさせてよ」
オレが言うと、ひとくちだけねと言ってハンバーガーを置いてコーヒーを入れに行った。
意外とケチだな・・・と思いつつひとくちかじる。
美味い。ちょっと作り直すだけで全然味が違う。
コーヒーを入れて来た和也さんが、ハンバーガーを見て一瞬止まった。
「・・・次からはナイフを使ってね」
思いっきり歯形をつけてかじってやった。
モモタロウのお礼を、ささやかなオレの仕返しでする。
・・・でも和也さんはそう言っただけで、後は普通にハンバーガーを食べた。
小学三年生の分数の割り算でわからなくなった算数も、和也さんに教えてもらってクリアすることが出来た。
その時和也さんに言われた言葉だ。
―間違ったところは必ずもう一度やり直してごらん。そして次の日またもう一度復習してごらん。
数学はね、積み重ねだから五年生の算数が出来なくて六年生の算数が出来ることはないんだよ。
三年生の算数が出来てはじめて四年生の算数がわかる―
オレがドリルを持って聞きに行くと、前に間違ったところもまた遡って質問される。
オレがちゃんと答えられるようになるまで、何度も何度も和也さんの質問と説明が繰り返された。
中学校の授業を受けながら家では小学生の勉強をする。
最初の頃は差が開きすぎていたので、授業のほうは以前と変わらず退屈でしょうがなかった。
それでも前のように授業を抜け出すことはなくなった。
・・・懲りた。直人も、オレがどうあっても誘いに乗らないので他の奴らと抜け出して行ってたみたいだけど、最近は行かなくなった。
中間テストはまだ全然勉強が追いついてないので、前の実力テストとあまり変わらなかった。
それでも家でするドリルが順調に進んで行くと、勉強することに対して少し意欲が湧いて来た。
ひとつ理解すると先に進みたくなる。
おのずと机に座る時間も長くなる。
「定規とコンパス・・どこに直したかな・・・」
定規やコンパスに限らず他の文房具類も、机の引き出しの何でこんなところに・・・というようなところから出てくる。
その都度、勉強の合間に使い勝手のいいようにちょこちょこと机を整理した。
土曜日、いつものように朝から和也さんはダイニングテーブルにノートパソコンを持ち込んで何かしてる。たぶん仕事だ。
オレは自分の部屋で勉強する。
以前のようにリビングでゴロゴロするようなことはなくなった。
「和也さん、ここわからない」
もう今日は朝から三度目だ。ダイニングで仕事をしている和也さんに聞きに行く。
一番苦手だった算数も四年生、五年生、と順調に消化して六年生に進むことが出来た。
が、ここでまた停滞した。
同じ説明を何度聞いてもうまく理解出来ない。
「いくつかの整数に共通な約数を何というの?」
「・・ええっと・・公約数・・」
「そうだね。2つの数の公約数を見つけるにはどうしたらいいの?」
「小さい方の約数を・・・じゃなくて・・中から・・・・・」
だめだ、やっぱりわからない。
和也さんがもう一度この手前のところからやり直してごらんと言う。
昨日もしたのに・・・と思いつつ、オレは聞きに来たついでにダイニングテーブルの椅子に座って再び勉強を始めた。
「どこでしてるの。ここは勉強するところじゃないでしょう。」
和也さんはオレに自分の机でしなさいと言う。
どうしてだよ。何度も聞きに来なくちゃいけないのに、面倒くさいじゃんか。
オレがそう言うと、和也さんは教えてもらうのに面倒くさいはないでしょうと言った。
そしてまた自分の机でしなさいと言う。
何でそんなにオレを追い返すんだよ。いいじゃん別に。一緒のテーブルでしたって・・・。
それでなくても勉強が進まないのに・・・オレは無性にイライラした。
「教えてもらうって、オレに勉強教えるのが和也さんの仕事だろ。
それに和也さんだってダイニングで仕事してんじゃん」
ノートパソコンに向いたままだった和也さんの顔が、無言のまま上がった。そして、
「わかりました」
和也さんがノートパソコンを閉じながら言った。
勝った!はじめて和也さんを言い負かした。
と思うそばから、和也さんがオレの横に来て言った。
「立ちなさい」
なんとなく雰囲気が・・・。
「・・・何する気だよ・・」
「仕事」
和也さんが言う。
「えっ・・・」
腕を引っ張り上げられて無理やり立たされる。
やっぱり・・・ダイニングテーブルに上半身を押し付けられる。
「やめてって!こんな仕事あるかよ!・・・親父に言いつけてやる!!」
「しっかり報告してください」
和也さんにあっさり言われ、そしてあっさりGパンごとパンツも引き下ろされる。
バチバチバチーッ!
「ぎゃっ!!痛ぁーい!・・パンツが・・っ痛てー!!」
「人にものを教わる態度じゃないでしょう」
バチンッ、バチンッ、バチンッ・・・
痛いっ!・・オレが教わる?・・オレに教える?・・・わかんねー!もうどっちでもいいーっ!
涙もちょっと出た。オレがあんまり喚くからか、和也さんはまったく・・・と独り言のように言って、オレのパンツとGパンを一緒くたにして引き上げた。
・・・パンツがねじれてんだよ。気になるけど尻が痛いほうが先だ。
さっさと自分の部屋に帰ってれば良かったと悔やみながら尻を擦ってるところに、ピーピーピーッ機械音が聞こえてきた。
シーツの乾燥が終わったからたたむのを手伝ってと言われて、痛む尻もそこそこに、Gパンの中でだんごになったパンツを直しながら和也さんの後について行く。
オレのことなんておかまいなしだ。
昼は和也さんがエビグラタンを作ってくれた。オレ大好き。
食べながら、明日和也さんと一緒に出掛けるのでその予定を聞く。
昼過ぎに予約しているオーダーメード専門店のブティックでタキシードの採寸をしてから、市内の一等地に今度親父の会社がオープンするレストランの下見に行く。
このレストランのオープン前日にレセプションが開かれる。それにオレも出席するためだ。
パーティは親父やおふくろによく連れて行かれたからどうってことないと言ったら、和也さんに今回は全く意味が違うからと言われた。
フランスレストラン‘soleil’(ソレイユ)は、市内の落ち着いた環境の中にあった。
周りは緑も多く
て外観の白い壁と瀟洒な造りが清潔さと明るさを引き立たせていた。
和也さんと一緒に中へ入る。
内装はほぼ出来上がっていた。
奥行きが広く天井は3階建てくらいの吹き抜けになっていて、その一番高いところにひと際大きなシャンデリアが。
そしてそれを取り巻くように繊細な細工の電飾が施されている。
ひとつひとつのテーブルにも、プライバシーが守られるような気配りを感じさせる配置になっていた。
説明を受けながら和也さんに言われた。
「当日はマスコミも来る。招待客数は200名。君が接客する」
「オレが・・・」
「そう、社長ご夫妻と君と二つに分かれる」
「でも、オレ・・・」
「オレじゃないでしょう、僕。お父さん。お母さん。相手に話す時は父、母」
オレと向き合う形で和也さんはオレの両肩を掴み、言った。
「君には私が付く」
レセプションは平日の金曜日、午後6時半から始まる。レストラン‘soleil’(ソレイユ)のオープンが土日にかけて行われるのでその前夜祭となる。
タキシードも出来上がってきた。オレのはネイビーブルーでセミピークのセミロングジャケット。タイは赤。
和也さんは黒のスリーピースロングジャケット。タイチーフは青。
準備は着々と整い、明日を迎えるのみとなった。
和也さんに、当日は学校が終わるとすぐ帰宅してシャワーを浴びて待っているように言われた。
会場には遅くとも30分前には入るようにとのことだった。
タキシードの着替えとヘアメイク。そしてオープニングの立ち位置の再確認など。
オレには1時間前には来れるよう車の手配をしているからと言った。
そしていよいよ当日の朝を迎えた。
学校終了時までは予定通りに進む。
帰りに直人たちがゲームセンターに新作のゲームが入ったので寄って行くと言う。
オレもちょっとだけ見て帰るからと、一緒について行った。
直人が月曜日にまた付き合うから帰れよと言ったけど、車が来るまでにまだ3時間くらいある。
30分ほど寄り道して帰ったって、シャワー浴びる時間も十分ある。
新作ゲームのところはやはり人だかりで、するのはとても時間がないのでしばらく見てた。
直人たちも順番待ちが長くなりそうなので出直すと言って帰ろうとしてた時、階段の隅のほうでイヤなものを見た。
カツ上げだ。見たら見過ごせない。
オレがもう一人の友達に店の人呼んで来て、と言ってる間に直人がもう止めに入っている。
相手は二人でオレたちと同じくらいだ。
つかみ合いになって、周りが気付き始めるとやばいと思ったのか、逃げる算段でいきなり何かで顔の辺りを切りつけてきた。
避けたところで、店の人達数人が加勢に来た。
店の人達は大人だからアッと言う間に二人を押さえ付けた。
30分のつもりが大幅に時間を喰った。あのあと店の人達に話を聞かれたりした。
それでも直人が事情を説明してくれてオレだけ先に帰してもらえた。
急いでマンションに帰ると会社の車が前に止まっている。
シャワーを浴びるひまも着替えるひまもない。そのまま乗り込んだ。
午後6時到着。1時間前は無理だったけど遅くとも30分前までには間に合った。
レストランの裏口に着くと和也さんと同じ秘書課の進藤(しんどう)さんが待っていてくれた。
遅いと怒られたけど、秋月さんが待っているから早く控え室に行きなさいと言われた。
控え室に行くとすでにタキシードを着た和也さんがいた。オレを見るなり走り寄って来て
「何をしていたの、君は・・・」
少し驚いたように言った。
「ト・・トラブルに巻き込まれて・・・」
和也さんの指がオレの左のほほをなぞる。
あの時、避けたつもりがわずかにかすってた。カミソリの刃だった。
たいしたことはなくて、直人が気づいて教えてくれたぐらいだ。それでもスッと切り傷の痕がついている。
「トラブル?」
「・・ケンカにまき・・・」
パンッ!
和也さんの手がオレの左ほほを叩いた。そして、
「帰りなさい、君の家に。・・・私が君に教えることはもうない」
オレを置いて和也さんは控え室を出て行った。
午後6時30分。眩いシャンデリァの光に圧倒された招待客のざわめきの中、レストラン‘soleil’(ソレイユ)レセプションの幕が開いた。
―君には私が付く―
オレはここにいるのに・・・。
体中の水分が抜けていくかのように、涙が止まることなく溢れた。
*コメント
さすがに和也もこの時ばかりは感情が先走り、内心自分の詰めの甘さを悔やむも矛先は明良に。
つい明良の左頬を叩いてしまいます。
この時の明良は、和也から見捨てられた状態にただ呆然とするばかりです。
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