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パセドゥの経歴 | |||||||||
パセドゥラムセス二世の時代に生きた人。デル・エル・メディナの他の墓職人と違い、彼はこの村で生まれたわけではない。彼の父、メンナは、カルナック神殿で働く人物だった。パセドゥも初めは普通の職人だったが、腕がよかったのかデル・エル・メディナの職人の仲間入りを許された。政府から家を支給され、真理の場の下僕という称号を得て、王墓をつくる石工として働き始めた。パセドゥは左側の班(通常王墓をつくる時は、左右両班に分かれ、それぞれの壁を担当し進めていく)に属し、経験を重ね、最終的には左班の班長になった。そして、デル・エル・メディナの共同墓地に墓を築くことを許された。 | |||||||||
墓の発見 | |||||||||
この墓は古くから有名で、墓泥棒に荒らされていた。1864年、おそらく宝物を探していたエジプト人兵士によって、再発見された。 | |||||||||
墓の内容 | |||||||||
埋葬室に入る細い通路のにはアヌビスが対称に書いてある。 アヌビスの背景の赤と、アヌビスの漆黒が非常に美しい壁画だ(A) 入ってすぐ右側の壁(B)には、パセドゥの家族が描かれている。一番上に描かれているのはパセドゥの父メンナ夫妻。白い鬘は彼らが歳をとっていることを表している。後に続くのはパセドゥの兄弟たちだ。 その下の段に描かれているのは、パセドゥの親戚たち。白髪と黒髪が混じった鬘で、彼らがメンナよりも若いことを表している。最下段に描かれているのはパセドゥの5人の子供たちだ。 このように、墓に生きている人間と死んでいる人間が描かれることは少なく、しかも普通は教会部分に描かれ埋葬室に描かれることはあまりない。これは、パセドゥが死んだ後も、生きている子供たちや親類のそばにいたいと考えたからだろうと思われている。 非常に見にくいのだが、その上にイチジクの樹の前でムトから清めの儀式を受ける姿が小さく描かれている。
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Cの壁では冥界に向かって進むパセドゥ夫妻がホルスを称える姿が描かれる。 古代エジプトでは、死者は細い道を通って冥界へ至ると考えていた。大変難しい試験を受け、やっと幸せな来世へ行くことができると考えられていた。このような、来世への道を通り抜けるには神々の守りが必須と考えられていた。 壁の右側部分には冥界へ船で旅を続けるパセドゥ夫妻の姿が描かれている。現世での衣類を脱ぎ、白の衣装を身に着けている。これはパセドゥ夫妻が永遠の国への旅の途中であることを示している。
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オシリスは王の姿で登場する。頭に被ったメネス頭巾は朝の光を象徴する。後ろの赤い山は死の国砂漠を象徴している。オシリスに4本のろうそくが捧げられているが、これは死者のための儀式を模したものだ。オシリスの前で、パセドゥは祈り、「声正しき者」と認められ次の世界へ行くことができた。 |
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Eの壁でも夫妻の旅は続く。しかしここで注目したいのは、彼らの衣類。船が天蓋付きになっていて、豪華な服を着ている。これは夫妻が闇の世界を通り抜けたことを示す。 横にはパセドゥが神々を称えている姿が描かれている。右(パセドゥ寄り)から順番に、ラーホルクアティ(太陽を象徴する神)、アトゥム(混沌から世界を作り上げた神)、ケプリ神(太陽の再生を象徴)、プタハ神(創造の神。デル・エル・メディナで崇拝されていた)である。
Fの壁にはナツメヤシの木の下で水を飲む美しい壁画がある。この壁画は大変有名で、パセドゥの墓を紹介する記事では、Dの壁と並んでよく出てきた。
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感想 | |||||||||
この墓は本当に素晴らしかった。旅行前の下調べ中に正面の壁画(D)を見て、3500年前とは思えない斬新な絵柄に驚いた。何が何でも見てみたいと思った。 実際に見てみて、期待通り大変美しい、素晴らしい墓だった。 パセドゥの経歴も興味深く、想像力をかきたてられる。オススメの墓だ。 |
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