ラモーゼの経歴
アメンホテプ三世から四世の時代のエジプト宰相。父はネビィ、母はアプヤ。父はデルタ地帯のアメン神殿で穀物の管理者をしていた。
妻の名前はメリエトプタハ。二人に子供はいなかったと考えられている。
ラモーゼがアメンホテプ三世に仕えた頃、この墓の製作にかかったと思われる。その後アメンホテプ四世(アクエンアテン)がアマルナに遷都、同時にラモーゼもアマルナに転居し、この墓は未完のまま放棄された。
テーベからアマルナへ遷都する時期に作られたことによって、芸術的にもアマルナ美術への移行期の特色が見られ、重要。
 墓の発見
1879年ビリー・スチュワートにより発見。スチュワートは1882年、再び墓を訪れ詳しく調査した。その後ガストン・マスペロによって研究が続けられた。1924年、ニューヨークメトロポリタン美術館のロバート・モンドによって現在の状態に復元された。
 墓の内容
この墓は逆Tの字をしている。この形は18王朝の典型的な形である。外部にあった小ピラミッドは残っておらず、この墓の修復当時破片が発掘されたのみだった。ピラミッド上部の石は現在トリノ博物館に展示されている。
 
墓は32の閉花式パピルス柱を持つ多柱室(A)から8つの柱がある小部屋に続く。その奥が埋葬室になる(E)
壁画は多柱室のみに見られる。多柱室の柱のうち6本は古代に切り取られ、現在は残っていない。
多柱室から先は手すりで封鎖され立ち入り禁止になっていた。
 
非常に精巧なレリーフ
入口付近の壁Bには大変美しい壁画が残っている(B)。衣装や鬘が精巧に彫られ、古代に作られたレリーフでは最高峰の物と評価されている。
これはラモーゼの葬式の晩餐会の様子で、彼の関係者が多数彫られている。みな若い頃の姿で彫られ、判別が付けにくい。中央に対面する形で描かれているが、右側の列の最初の、他の人々とは少し違う服装をした人物がラモーゼだ。上段と下段(下段のラモーゼは神官の姿)共にラモーゼ夫妻。
下段の神官の姿のラモーゼに対面する形で描かれているのはラモーゼの兄アメンホテプとメイ夫妻(右の写真)。メンフィスの王の召使という称号を持っている。
下の拡大写真を見て欲しい。鬘が大変美しく編み込まれている様子が細かいノミ使いで表現されているのが分かる。
 
優しい表情 異母兄アメンホテプ
Dの壁には葬列が着色されて描かれている。一番右端はラモーゼと妻が冥界のオシリスと会っている場面。それより左側には葬列の様子が描かれている。
上段右から3人の捧げ物を持つ人物、続いて先導者のあとに6人の司祭が続く。棺は6匹の牛に引かれている。
 
下段には悲しみにくれる女性の姿が描かれている。先頭に近い方の女性は床にしゃがみこみ、悲しみのために髪はチリにまみれている(写真1右下)。その少し後には有名な泣き女の絵。涙がはっきり描かれ、上段のラモーゼの棺を見上げて嘆き悲しんでいる(写真1左下)。
 
葬列の様子
副葬品を運ぶ従者 泣き女(写真1)
Cにはアテン神に礼拝する人々のアマルナ様式のレリーフが見られる。かなり剥ぎ取られていたが、太陽から手が伸びる、アテン神を表すレリーフも見られた。
 
供物を運ぶ従者 清めを受けるラモーゼ
ラモーゼの壁画は破損が激しい
 
 感想
この墓はレリーフが素晴らしい。細い優美な線で浅く掘られたレリーフは、未完とは思えない美しさだった。むしろ彩色されるより、このままのほうが美しいかも。
特に鬘の部分は繊細で、墓職人の技術の高さがうかがえる。
 
それともう一点。レリーフの写真や泣き女の写真は事前に調べた時に何度も見たのだが、柱の写真はほとんど見なかった。そのため、残っていないのかと思っていたら、意外にも立派な閉花式パピルス柱があった。神殿などで見ることはあるが、地下の墓で見たのはここだけだ。他の墓は直方体の柱だった。曲線が美しいパピルス柱越しに美しいレリーフを見るのはとても素敵だった(^-^)
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