レクミラの経歴
トトメス三世からアメンホテプ二世の時代の宰相。祖父もエジプトの高官で名家の出。エジプト全域に対して責任のある地位で、テーベ市長でもあった。
 墓の発見
レクミラが埋葬されてから100年の間に2度墓泥棒に入られ、ほとんどの副葬品は持ち去られてしまった。墓に最初に入った西洋人はフランスのフレデリックで、1822年から墓の調査を開始し、解説本を出版した。
 墓の内容
墓は逆Tの字になっている。照明等はなく、薄暗い。奥に長い構造になっているので、入口にいる番人に鏡で中を照らしてもらうか、懐中電灯が必要。
 
レクミラの墓は壁画がとてもうまく分類されて描かれている。
入ってすぐの左右に広がる部分は左側がレクミラの対外国の仕事の壁画(@の部分)、右側が国内の仕事の壁画になる。
Aの部分にはエジプトの近隣の国からのファラオへの贈り物の行列。縦に四段になっていて、上からプント・ケフリ・ヌビア・シリアからの朝貢の様子だ。ヌビア人はキリン、シリア人は馬を持ってきている様子が描かれている。
よく見るとキリンの首にはサル(ヒヒ?)がしがみついている。
 
ヌビア人のファラオへの贈り物(A)
(C)Paul biesta
Bには高官の仕事と義務についてのヒエログリフが彫られている。警察や税の徴収の管理やナイル川の水位の観察など。横には職員に指示するレクミラが大きく描かれている。
 
Aの部分は国内の仕事。Cには北エジプトの農産物が描かれている。中央下の部分に当時の重要な生産物だったワインを作る様子が描かれている。
対面には税の徴収の管理をするレクミラの壁画が描かれている。
 
奥へすすむと右側の壁には様々仕事をする人々の絵が描かれている。Dの部分には捧げものの準備をしている人々の図。葡萄酒、パン、蜂蜜などを作る人々の姿見える。
Eの部分には青銅を作っている人々の図。鉱石を砕き、ふるいにかけ、熱して鋳型に流し込んでいる様子が分かる。その下の部分には泥レンガを作る様子が描かれている。
 
Fは細工師が描かれている。ベットや棺などの家具に、細かい細工を施している様子が見える。Gにはオベリスクを作っている所が見られる。
 
右上部に青銅を作る人々
右下部に泥レンガを作る人々(E)
Hの部分には口開けの儀式から始まる南北エジプトのしきたりに則った葬儀の様子。5段になっているので、左下から右上に向けて見ると時系列になっている。
またこの辺りには、木々に囲まれた大きな池で、舟遊びをしている様子を書いた絵もある。これはレクミラの家で、これほど大きな家に住んでいたことを示しているそうだ。
 
また、場所は失念したのだけど、副葬品作成の作業を監督している大きなレクミラの絵もあった。少し見難いが、中央部分に、まるでツタンカーメンの墓から発掘された立像のような物を作っている場面も見える(右下の写真)
 

葬送の様子
(C)Paul biesta
貢物を運んでいる
(C)Paul biesta
レクミラの家 副葬品を作成している様子
右がレクミラ
Iの部分には葬儀の晩餐会の様子が描かれている。貴婦人が身支度をするのを手伝う召使の様子、お酒を注いでもらっている所、楽器を奏でている様子などが見える。非常に興味深い壁画だ。
 
アクセサリーを付けるのを
手伝っている様子が分かる
楽器を奏でる楽師
(C)Paul biesta
 
 感想
大変面白い墓だった。壁一面に働く古代エジプトの人々。当時の職業が分かるだけでなく、どのように作業が進められたかも一目で分かるように、一つの職業に数多くの場面をさいて描いている。
保存状態はそれほど良くないし、センネフェルの墓のような華やかさはないけど、非常に楽しめた。
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