センネフェルの経歴
センネフェルはアメンホテプ二世(BC1428〜BC1402)の時代のテーベ市長。この時代、アメン神殿(カルナック神殿)に大量の財が流れ込み、テーベは大変豊かだった。ナイル川の港の管理や税の徴収・神殿の管理なども任されていた。王に忠誠を尽くし、絶大な信頼を寄せられていた。
 墓の発見
グレコローマン時代(紀元前300年頃)にはすでに墓が開かれていたことが分かっている。1800年、イギリス人がこの墓を訪れているが、正式な記録は1904年、ロバードモンド卿がこの墓を訪れたという物が最初。
 墓の内容
墓は複合体になっていて、教会部分と埋葬室に分かれている。教会部分は破損がひどく、現在見学できるのは埋葬室部分のみ。
 
まず入ると前室に出る。(図のA部分)この部分には副葬品を持ってセンネフェルに従う従者の図が描かれている。センネフェルの横に描かれているのは娘のムトトゥイ。周りにはヒエログリフで「王が、二国の玉座の主アメン・ラー神と、永遠の支配者オシリス神、聖なる地の主アヌビス神に与えし供物。彼らは王のお気に入りの南の町の長センネフェル、声正しき者、のカーのためにこの墓を自由に出入りする。彼が愛した彼の娘、アメン・ラーの神の歌い手、ムトトゥイ。」と書かれている。
供物は豪華な首飾り、サンダル、ウシャブティ(死後の世界の召使)、黄金のマスクと続く。天井は一面ブドウの絵が描かれ、まるでぶどう棚の下にいるようだ。
 
前室の壁画(A) 前室の天井
埋葬室への入り口上部(図のBの部分)には、山犬の姿のアヌビスが墓を守っている。右側に見えるのは妻メリトとセンネフェル。
図Cの部分には貢物の食物が描かれている。食物は全ての物が見えるように重ならないように描かれている。
その奥、Dの壁にはオシリスと会うセンネフェルが描かれている。その横には死者の書151章に基づく絵が図案化され描かれている。ライオン型のベットに寝かされたセンネフェルをオシリスがミイラにしている。左右にはネフティスとイシスがセンネフェルを守っている。ベットの下にはセンネフェルのカーが、鳥の姿をして描かれている。
 
入り口部分(B) 供物と冥界へ旅する夫妻(C)
奥:オシリスと会うセンネフェル(D)
埋葬室の入り口から図Dの方へ向かう天井は非常に鮮やかな幾何学模様になっている。これは、テントの中にいるような効果を狙ったものだそうだ。
色の保存状態も良く、細かく書かれていて大変美しい。
この模様の他に市松模様のような正方形をモチーフにしたものもあった。
これらの模様が描かれた天井は平らになっているが、ブドウの絵が描かれた部分は荒く削られ、凹凸がある。それにより、ブドウが立体感をもって、迫ってくるように見える。
埋葬室には4本の柱があり(F)、それぞれにセンネフェルの絵が描かれている。杖を持ったもの、ロータスを持ったもの、イチジクの木の前にいるものなど、バリエーション豊かだ。
 
清めを受けるセンネフェルと天井
奥にはセンネフェルの葬列 ロータスを持つセンネフェル
 
 感想
この墓は、西岸で見た墓の中で一番美しかった。王家の谷の墓も荘厳で見事だが、家族が沢山描かれ、華やかな当時の貴族の生活が偲ばれた。
色彩や壁画の保存状態も大変良く、紀元前から墓が開いていたとは思えない素晴らしさだ。時間がなく、沢山の墓を見て回れない場合でも、ぜひこの墓は選んで欲しい。見事の一言だ。
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