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センネジェムの経歴 | |||||
センネジェムはデル・エル・メディナにあった王墓造営に携わる人々が住む職人の村(真理の場)に住み、「真理の場の下僕」という称号を持っていた。第19王朝のセティ一世からラムセス二世の時代に生きた墓職人であった。 | |||||
墓の発見 | |||||
1886年イタリア人考古学者により発見。墓の壁面は黄土で塗られ、ほとんど損傷が見られなかった。この形式はラムセス二世の時代の墓の様式の典型。 | |||||
墓の内容 | |||||
埋葬室はカマボコのような形をしたドーム状の空間だ。奥行き3m、幅5m程度だろうか。かなり狭い。そのため、一組ずつ観光客を入れていた。 入ってすぐ手前の壁面(D)には、センネジェムのミイラを守るネフティスとイシスがトビの姿で描かれている。羽の描写が非常に細かい。左側の頭に椅子を表すヒエログリフを戴いているのがイシスだ。下段に描かれているのは、センネジェムより早く亡くなった彼の息子が、夫妻に清めをしている所。冥界での再会を願ったのだろうか。 入り口右側の手前の壁上段には冥界の神々に会うセンネジェム夫妻、その下にはセンネジェムの親族が描かれている。親族はすべて日が昇る東の方を向いており、現世に属する人々ということを現している。
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Aの壁には神々に会うセンネジェム夫妻が描かれている。上段にはアヌビスとウジャト。 この壁の対面(C)には有名なイアルの野での農耕場面が描かれている。イアルの野とは、死者の書110章に書かれている、祝福された来世の野のことだ。来世でも食べ物に困ることが無いようにとの願いが込められている。その上の段では、センネジェム夫妻がオシリスとプタハに礼拝している姿。その後方では、前述のセンネジェムの息子がミイラに口開けの儀式をしている所が描かれている。 最上段中央に描かれているのはラー。両脇に礼拝するヒヒの姿が見える。
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天井には一面に、死後冥界への7つの門を通り、その番人の審査を受けながら旅するセンネジェムの様子が死者の書に基いて描いてある。 左側は冥界へ至るまでにある7つの門の一つ。右側は冥界での死者の守り神ムトに食料や飲み物を提供されている姿だ。ムトの後にあるのはイチジクの木。この木もまたムトを表す。
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この脇には、写真がないのだが、神々への供物が描かれている。キジのような鳥やパン、ビール花束など、色彩豊かで大変美しい。 |
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感想 | |||||
この墓は何しろ保存状態が素晴らしい。一面に描かれた絵やヒエログリフはまるで最近描かれたもののようだ。夫が「新しく見え過ぎて、ありがたみがない」と罰当たりなことを言った位(^^ゞ 題材も死者の書・門の書・イアルの野・ミイラ作りと、バラエティ豊か。エジプトの解説本にも良く登場する壁画が多い。小さいながらもとても充実していた。 デルエルメディナでは一番人気の墓のようで、私たちが行ったときも沢山の外国の方が訪れていた。オススメの墓の一つだ。 |
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