やまなし2

               
                「やまなし」評論文

                                              女子

《序 論》
 この勉強をする前,一度一通り読んでみて,「この物語は長いなァ〜」と,最初にまず思った。それに,あまり意味がよく分からなかった。でも,先生から出される問いを解決していくうちに,この「やまなし」という物語がとーっても面白くなった。長い物語だったこの「やまなし」だが,すっごく短く感じられた。

《本 論》
1.問いについて
 問いというのは,先生の出される問題。この問いは,1,2,3,・・・21まである。
 問1〜21までで印象深かったもの。
 この後などに出てくるものがあるが,特に問6の「造語」,問20の「象徴性」が楽しかった。
 まず,造語は,クラムボンとイサド。クラムボンでは,水の中の生き物・水すまし・かにの仲間・アメンボ・小さな生き物などという,生き物の意見が多かった。私の意見は・・・後で。
 イサドもたくさんあった。この意見も,生き物(かに)などの意見が多かったようだ。このイサドの私の意見,これも・・・後で。

2.造語
 造語とは,作者の作った言葉で,私達には何のことか分からない。だから,問いの後に,先生が「造語を検討する」と書かれて,
「え〜。うそ〜。」
正直思っていた私だった。この造語は,その日の宿題となった。私は宿題となったこの造語,何なのか全く全然分からなかった。
 そして翌日・・・
 (1) クラムボン
 この問いに関しては,なかなか頭が痛かった。それは手がかりになるといえば,お魚,殺された,くらいなのだもの。だから私はまず国語辞典の中を探した。川の中の生物かもしれない,と思ったからだ。そしてピラピラとページをめくっていくのだが,そんな言葉は一つもない。だから私は当たり前の自分の力で,考えた。そして,私はこう思った。
 ここは水の中,水の中の出来事。かには水の中のことくらいしかあまりよく知っていないだろう。だからこれは,水に関係する生き物だろう。こんな感じ。
 (2) イサド
 これまた辞書で調べた。が,こんな物が辞書にあるはずがない,と思って探すのを途中でやめた。「イサド,イサド・・・これはなんなんだ?」と正直考えてしまった。私は町の名前で頭の中がグルグル働きはじめた。そしてピンッとひらめいた。「かにの子どもは行ったことのない所」って。そこで人間界の私のことと一緒にしてみると,福山や広島市とか,めったに行かない場所だなァ〜と思った。課題が出された翌日。みんなの意見を聞くと,「川の中の生き物がたくさんいる遠い所」や「川の生き物が集まっているにぎやかな所」とか,さまざまな意見が出た。そこで私は「なるほど,こういう考え方もあるなァ〜。」と感心した。そして,その日の国語の終わりに,2つの意見が出た。この2つは,楽しくて大笑いしそうだった。その2つとは・・・
 まず1つ目は○○君の出した。「井戸の中」これはイサドのサを抜いて井戸だそうだ。そして二つ目は○○君の「アワふきコンテスト会場」この理由は,教科書の中に,かにの子どもがアワをはいていたからだそうだ。この2つの意見,私好きだなぁ。だってすっごく楽しくて,すっごく面白くて・・・またこんな意見が出ればいいのに・・・と思った。

3.対比
 (1) 五月と十二月の色の対比
 この対比は以外と少なかった。20組はあると思っていたが16組とは・・・思わなかったなァ。まァ五月に出てくる色全体で8色。何回出てくるか20回。十二月は6色で9回。これだけ出てるのに16組・・・でもよく考えてみると私の考えていた色の対比なんかたったの2つ。それに比べたら16組なんて,絶対多いですよネ!でもやっぱり少ないなァ〜。金と黄金,黄金と金,白と白。言葉は同じでも意味が,イメージがちがう。「宮沢さんも考えたなァ。」と思った。
 (2) 五月と十二月の色の対比を検討する
 はっきりいって,これって何だ?と自分でも考えてしまう。これは五月と十二月の色で,どんな感じがするかってことをみんなで勉強していった。
 五月は,怖い,イメージ,世界だった。例えばみんなの出した意見では,「平和の中の悪」や「恐怖」。「弱肉強食」など。これらをまとめると,死→恐怖という感じ。十二月は,やさしいイメージ,世界だった。例えば,「神様からのプレゼント」「終戦」「情熱」など。これらをまとめると,生→幸福というようになった。つまり五月と十二月は,正反対の世界なのだ。五月の意見を言う時,最後になっちゃって,地ごく地ごく・・・と思っていると思いついて,つい言ってしまった,「針山」。あれを言った後,めちゃくちゃはずかしかった。それに比べて十二月は,最後にはならなかったものの,「夢」。ワンパターンだなァと,自分でも思った。
 (3) 五月と十二月の言葉の対比
 この言葉は多かった。30組の対比が見つかった。はじめはみんな心配そうに発言していたが,どんどん言っていく。そのふりにつられて,たっくさん言っていた。
 私は,「色とちがって,言葉の方はずい分たくさんあるなァ。」と思った。それで,後になって気付いた。「あっそっか。色は色で青や白って数少ないんだった。それに比べたら,言葉だなんて,物語全部がそうだもんなァ〜。」て。そんな事を考えていたその日が,この勉強をした日だった。
 授業中,私は,ある1つの対比を言おうか言うまいか迷っていた。その対比というのは「五月と十二月」。一応対比してると思ったからだ。
 そして,言おうと思って立とうとしたら私が言う前にだれかが言っていた。「あ〜あ,やっぱり言うんだった。」っと,こうかいした。でも発言する機会はまだあった。前書きと後書きが対比で出ていた。そこで先生が,
「こういうところでだれか言ってみようや。」
と言われたので,思いきって立って言った。内容は,前の人に言われたのと同じ感じだけど,
「私は,これはちがうと思います。それは,これは前書きと後書きでしょう。つまりこれは,五月と十二月には入っていないということだから,私は,ちがうと思います。」
って言った。席に座って私は,
「自分でも,何が何だか分かんない。それに自分で何言ったんだろう。」
と考えたのだ。
 このやまなしの勉強は,「石うすの歌」みたいに対比がい〜っぱいあったので,やっぱり黒板の字を消すのに苦労した。

4.光
 この光とは,月光や日光などを,水の中から見た感じの光。
 (1) 五月と十二月の光を検討する
 五月は,光といってもちょっと暗い光だと思って読んでいたのに,そんなに暗い光はなかった。暗い光というより,むしろ,明るい光の方が多かったようだ。「水銀のように」「ぱっと明るくなり」「日光の黄金はゆめのように」「まぶしそうに目を動かしながら」とか,こういう意見が17こ。こんなにあった。約,この学級の子はほとんど言ったようだった。
 十二月は五月に比べて少なかった。それに十二月はある冬の夜の出来事だから,五月のように,あっかるいって感じの光の様子はなかった。でも,「あんまり月が明るく水がきれい」「ラムネのびんの月光」とか,静かな明かりというようなのはあった。特に明るいなァと思ったのは,「月光」「きらきらっと黄金のぶちが光りました」っていうこの2つは,明るいのかなァ〜と感じられる光だった。
 (2) 五月と十二月の光
 これは,問いではないのだが,なぜか・・・
 五月はぎらぎらという感じ。その理由は,「いきなり」「太陽」「光が強い・きつい」こういう光からぎらぎらっという感じがした。それに,朝〜昼のことかもしれないからぎらぎら。
 十二月は,のどか。「美しくやさしい」「月」など。この2つは,ゆったりとしてて,何も考えないって感じがするので,そうだと思った。つまり五月は,昼間。十二月は,夜中なのだということが,この「光」から分かる。

5.黄金の表しているもの
 この黄金は,ふつうの金とちがう。どこかというと,字がちがう。が,まだ,黄金と金の意味もちがう。まずふつうの金は,みんなの見なれている,ごつごつって感じの金。そして,黄金は,黄色と金を混ぜ合わせた,ピッカピカの色。この教室でいえば・・・テレビのとなりの地球儀のとなりのトロフィーかな。あのトロフィーの色が,そのままもっとこくなった色かな。その黄金の表しているのは,こんなものかな。ってみんなが出してくれた20このもの。私が思ったような色をみんな想像しているようだ。
 私は,あの時は思いつかなかったが,今,たった今思いついた。それは・・・,金貨のコインだ。とんでもない事だがきんぱくのように照り輝いているこんな光を見れるだなんて,かにたちはいいなァ〜と,うらやましがった私だった。
 黄金は,「もぼろし」ということが,自分でも分かる。そんな色を自分の目で見てみたいものだ。では,こうやって,人々が黄金を見てみたいと思う気持ちを,どーうやってひきよせるのか,これは,後で考えてみよう・・・。

6.象徴性
 これは,その言葉が象徴しているものを書くことだった。これも宿題となった。当たり前のことだ,こんなこと辞典にのってるはずがない。やっぱり自分の力で・・・
 (1) 魚
 私は,魚がすごくむごく見えたので,「突然の死」だと思った。理由は,ゆっくり落ち着いているところを,かわせみにいきなりつれて行かれて,あっという間に魚は,目の前が真っ暗になった。そういうところから,魚はかわせみに食べられた。ということは死んでしまった。何も考えないで,泳いでいたところを突然つれて行かれた。これをつなげると,「突然の死」となる。
 ほかにもみんなは,「弱肉強食」「一瞬の出来事」「悪魔の死」などの意見もあった。その意見を聞くと,ほとんど似てるものがあった。でも1つだけちがったものがある。それは・・・「人々」だ。これは○○君(出席番号1番君)の意見で,この出来事を人間界と同じようにして考えてみると,これは,交通事故になるんだそうだ。私は,この意見に対して,「なんだあの考え方でもやっぱりよかったのか。」と思った。
 実は私も学校で先生に,何かに例えてはいけませんか?と聞いていたのだが,先生は,
「何の何とした方がいい。」
と言われたので,はじめ考えていた意見を消してほかの意見を考えていった。そのはじめの意見というのは,村人だった。その理由は,まったく○○君と一緒だった。
 (2) かわせみ
 私は,このかわせみの意見を2つ書いた。それは,私がかわせみは悪いやつと思ったからだ。その意見とは「死神」「悪魔の使い」。この2つには,かわせみは生きていくために食料は必要だけど,私から見てすごく魚がかわいそうだったからである。それでこの2つの意見にしたのだった。
 学校に行ってみんなの考えを聞くと,私の考えと似た物があった。例えば「鋭い悪魔」「平和をさえぎる悪魔」「一瞬の恐怖」など,悪魔という考えが多いのは私も賛成。なにしろ命をいきなりうばったのだから・・・でもあのかわせみ,魚を食べてからどうなったんだろう。かわせみもヘビか何かに食べられたか,命がなくなって死んだか?本当にどうなったのだろう・・・
 (3) かばの花
 私はかばの花はすぐに思いつくだろうと思っていたのに,なかなかいい案が出てこなかった。そこで,考えに考えたのが,夢。これは,魚が上へ上っていってこわい時タイミングよく流れてきた。そして,きれいだなァて見ている。つまり,気を落ち着かせるような気がしたので夢。でもこれでは,あまりにもさっぱりしすぎて,物足りないので,また考えた。
「あっそうだ。これだ!」
と,国語のノートをピラピラとめくっていると思いついたのが「安心」だった。これは,夢と同じような理由で,私がこの物語のかにだったら,きれいな花を見れば,心がやすらぐだろうなァと思ったからだ。
 この考えを学校で言うと,
「そうそう,いいのがあるがァ。」
と先生が言われた。とってもうれしかった。「あれだけ考えたんだもん。でもよかったァ。」と思って,ニコニコしていた。
 みんなは,「恐怖」「天使」のこの言葉がある意見が多かったようだ。たしかにこの2つは,いいのでは?と思う。天使は,かばの花どおりの言葉。恐怖という言葉は,おそろしいというイメージだけど,その後に「美しさ」「やすらぎ」「安心」などの言葉がある。つまり,この恐怖とは,おそろしくないのだ。という事が後の文字から分かる。
 (4) やまなし
 この考えも,かばの花と同じように,すぐ思いつくだろうと思った。がそう簡単に思いつくものではないのだという事が,この時ようやく分かった。そして,5,6分は考えた。そして,思いついたのが「いきなりの喜び」という考えだった。
 私はこの理由を考える時,2つに分かれさせて考えた。まず「いきなり」は,今まで考えていなかったのに突然やまなしが落ちてきたので,いきなり。そして「喜び」は,お酒ができるということで,うれしいという感じがするので「いきなりの喜び」という考えが出た。
 ほかの人はかわいい言葉で考えていたようだ。例えば「天からのおくり物」「悲しみの中のお母さま」「幸せのようせい」など。でも一番いいなァと思ったのは「クリスマスプレゼント」だった。かわいい考えに,つい「なるほど,かわいいし,たしかに,クリスマスプレゼントにはなるなァ。」と思った。
 私,後になって考えた。それは自分のやまなしの象徴性をどうして「突然のうれしさ」にしなかったのか。自分でも分かっていないなんて,私って一体・・・

7.会話調べ
 このやまなしの勉強で,一番熱気であふれ,盛り上がったのが会話調べだった。
 (1) 言い合ったこと
 言い合ったことといえば,五月のはじめの会話「クラムボンは笑ったよ。」のところから,6ページの「笑った。」の間の「それなら,なぜ殺された。」のこの言葉。この言葉1つに意見が2つに分かれた。1つは,この「それなら,なぜ殺された。」の意見は弟であるという考えと,これは兄だという考えだった。はじめはなごやかに進んでいたのだがいつの間にか教室がさわがしくなっていた。兄という考えは3班と少数の人,弟は,クラスの半分はいた。はじめは弟がゆうりだったが,時間がたつにつれ,兄という意見が,多く,弟という考えの人が意見を言えなくなっていった。
「キーンコーンカーンコーン」
とチャイムが鳴ってもみんなやめなかった。が,この続きは翌日にのばすことになった。みんな,はげしく燃えている,という感じに私には見えた。
 (2) 最後は・・・
 昨日,あれだけ燃えていたのに,また,もうれつに燃え出した。弟という人の意見はほとんどが兄の考えの人の意見に
「いや,それはちがう!」
というようにしていただけみたいだった。が最後の最後,3班の○○君が言った。それは,「それなら,なぜ殺された。」の後の文章が,一段下がっていないのだ。つまり,改行していないということは,文が続いているということだからだそうだ。そのことから,「それなら,なぜ殺された。」は兄ということになるということだった。
 ○○君は,赤く燃えていた火を,一気に消したように感じられた。そして私は,3班は,いろんなところに,目が行き届いているんだなァと感心した。それに,ちゃんと冷静に発言している。素晴らしくいいと私は思った。

《結 論》
1.主題
 最後の問いとなったこの主題。私は,あらすじをだらだらと国語のノートに13行も書いた。が,主題の方は,4行。ですが,この4行はみんなを「オ〜。」と言わせてしまっていた。それは,「妹が死んでしまって,今の悲しい自分の気持ち,妹が突然死んでいった時の気持ちなどを五月に,妹は死んでしまったが,まだ私は,生きれる。生きなければという自分の気持ちを12月にというふうに伝えているのではないか」というように私は私なりに考えた。
 この主題がようやく出来上がった時,「ああ,何かちがうなァ。もしかして,妹って言葉を使ったの私だけかもしれない。どうしよう。」と,不安でいっぱいだった。でも,一人ではなかった。私をふくめた3人ほど妹という言葉を使っていた。
 「よかった。ほっとした。」と思った。まだ他の人の中には「石うすの歌」と同じように考えていた人も3,4人いたようだった。それに,人と人が同じような考えを持って,そっくりみたいなのもあった。私は,変だなァと思ったけどそれを口から外へ出さないことにした。そしたら心が広い人だなァて見られそうだったから,そうした。

2.最後に
 序論から書いているように,長い物語だったのが3,4ページくらいの物語になったみたいに感じられるようになった。きっとそれは,勉強をしている間,よく教科書を読んだから,それで内容がよく分かり出し,読む速さも速くなったのかもしれないので,短い物語に感じられるようになったのかもしれない。
 先生が言われるには,このやまなしという物語の勉強は一番むずかしいそうだ。このやまなしの勉強をした私達は,すごく得な勉強をしたのではないかと思う。むずかしいにしては,ぽんぽんと意見が出され,楽しくて,熱気と活気であふれ,毎日面白い授業だったのではと,思っている。そして宮沢賢治さんは素晴らしいと思う。それは,私達にあんな授業をさせてくれたのはやまなしという物語。そしてこの物語を書いたのは,宮沢賢治さん。すごく,いい人ではないかなァと思った私だった。
 それに,この勉強をしていくうちに,前よりももっと,もっと国語が好きになった感じがする。やまなしの勉強をする日は,毎日が,素敵な日だったような気がするのだった。
 「今度からもこの調子で,がんばっていきたいなァ。」と思ってる。
 

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