それぞれが自分なりの解釈を持ち,
友達の考えを聞き合いながら,お互いに少しでもそれを深めていけたら・・・
と思います。
「やまなし」評論文 男子 《序論》 まず,「やまなし」を見てこれは短いから,2,3時間で全部できるなと思った。授業をして,最初はよく分からない意味の場所はあったし,なぜ「やまなし」という題をつけたのかも分からなかった。やってくうちに,これは「石うす」よりは短い文だけど,内容としては,長い文だと考えだした。 《本論》 1 視点 (1) 初めの考え 「やまなし」の視点を検討して,最初思ったのは一人称視点だった。とてもむずかしいので,なかなか決まらなかったけど,なんとか一人称視点におちついた。ほかに,三人称視点がでてたけど,一人称視点がぜったいあっていると思っていた。だけど,三人称視点にうつっていく人も少なくなかった。ついに一人称が4人にへり,意見のつぶしあいも,さらにすさまじくなっていくのであった。そしてまた何人か三人称にうつっていった。 (2) 後の考え だけど,一人称は,前書きと後書きにあるというのと,三人称は「五月と十二月」にあるというので,一人称,三人称ともに「やまなし」にあるということになった。この三人称視点は,「三人称全知視点」になった。これは,二人以上の人の心を書いてあるからということでだったと思う。 2 造語 (1) クラムボン 作者がつくった最初の造語の「クラムボン」。どういうことを表しているのかを宿題で考えてきた。みんなの意見は,「あわ」「光」「水すまし」「太陽の光が川に反射して光るもの」などなど。ついになにかは分からなかったけど,今は,作者は妹が死んで悲しんでいるときにこの物語を書いたんだから,妹を「クラムボン」としていたのかもしれない。 (2) イサド 作者の二番目に「やまなし」にでてくる造語。意見としては「ディズニーランド」のように明るくて楽しい所というのが多かった。ぼくは「カニ仲間がいるイドの中の町だ」とした。それはイサドから「サ」をぬくと,「イド」になるからだ。作者としては,何を表しているかは分からないが,やっぱり妹のことに関していると思う。 3 会話 兄の言葉として,2,4,6,8,10,12,14,15と最初はしていたけど, 「9が兄で,10が弟で,11が兄で,12が弟で,13が兄で,14が弟のような気がする。」 という意見がでた。よく兄か弟か分からないまま3,4時間ぐらいここで話し合った。すこしずつぼくが最初にしていた,2,4,6,8,10,12,14,15のほうが有利になってきた。結果がはっきりしないまま,かなり時間がたったころ○○ちゃんが, 「6ページの7行目に,『兄さんのかには,』という文の最初が一段下がっていないので,前の文から変わっていないことが分かるので,,13というのは,兄ということになると思います。」 と発表した。そして,ぼくとちがう意見のほうにみんなうつったので,やっと決まった。会話の小さな所でも,いろんなことがかくれているものである。 4 五月の色の表しているもの (1) 青 五月の青は,周りの水の色や,光などにつかわれている。この文の辺りに「いきなり」や「魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり」とか,一しゅんでおこったことや,恐怖などに思える文がある。妹が死ぬ時の一しゅんの出来事,恐怖を,青であらわしているのではないか?死とは,恐怖だ。おそろしいですねぇ。これは恐怖である。 (2) 白 白は,岩やあわ,腹やかばの花びらにつかわれている。かばの花の前に, 「ごらん,きれいだろう。」 と言っている所があるので,白は美しさを表していると思う。だけど,なぜ「白い腹がぎらっと光って」という恐怖の文に,ぼくが思った「美しさ」の白が使ってあるんだろ。ここは特別な文か,それとも何も意味はないのか。今は,特別な文だと思っている。 (3) 赤 赤は,かわせみの目に使ってあるので,魚を食べるなどの弱肉強食の文に使ってあると思う。これは,自然の食うか食われるかを表している自然のきびしさだと思う。魚はこわい所へ行ったという文もあるから,恐怖も入っていると思う。かわせみも,もっと強い者の肉になって,強いものは,ほかの強いものに食われるんだろうな。なかなかかわらない自然だ。 (4) 黒 かげに使ってあるのと,とがっているものに使ってある。静かに魚のかげは底をすべりという意味があって,とがっているものは,その魚を殺すという意味もあるから,「魚を食い殺す殺人者」という意味があって,とがっているものは,その魚を殺すという意味もあるから,「魚を食い殺す殺人者」という感じがする。「五月」の黒は,交通での事故みたいなものである。妹の死をあらわしているようなので死は恐怖という意味であるのではないか。五月は,恐怖などが,幸せや,やすらぎよりとても多い。 5 十二月の色が表しているもの 対照的な白と黒を十二月での色にした。対照的だから,表していることもちがうと思ったからだ。白は何を表して,黒は何を表しているんだろう。白は「やわらかな丸石」に使ってあって,黒は「やまなし」に使われている。白の「丸石」は,美しさみたいだし,黒は,神様からのプレゼントのようである。予想とちがい美しさの対照的な文ではない。やはり黒も予想とちがいプレゼントに対照的な文がない。どっちかというと両方幸せのような感じがする。白と黒は対照的なのに,なぜ意味は似てるんだろ。ちょっとはちがうけどね。これに対して考えると,色はちがうが,意味は同じというので,色は,十二月では関係が少ないということになる。なぜだろう。深く深く考えていくと分からなくなるので,読者のみなさんで考えてほしい。 6 五月と十二月のちがい 五月と十二月では,授業で考えたように,五月に「死」と「恐怖」に対して十二月に「生」と「幸福」にしてある。五月には,クラムボンは魚に食われて,魚はかわせみに食われるのを見て,ふるえているかにの兄弟の文からそう決めたと覚えているけどちがうかな?十二月は,おどるようにしてついていって,うれしそうにしているかにの親子から生と幸福にしたのである。そうだったと思うけど・・・。ぼくの理由は,十二月だけだけど12ページのいっしょにきょうそうしてあわをはいている文が,幸せそうに,ほのぼのとしていると思うので,「生」と「幸福」がぴったりだと考えた。 7 象徴性 (1) 魚 魚は,食って食われてだからぼくは「弱肉強食」にした。ほとんどの意見は「悪」が使われているのでこれに対しての考えは,魚は悪の一すじと考えた。作者の妹という意見もでたので,もしかするとまた妹のことにかんしているのかもしれない。いろんな人それぞれの個せい的な考えがある。悪魔とするために魚が入ってるのかもしれない。 (2) かわせみ かわせみの象徴性は「あの世につれていく死のつかい(死神)」にした。理由は,クラムボンを殺した後で,まん足そうにしている魚をいきなりつかまえて食い殺したというので,いきなりあの世にひきずりこむ死をあらわしているのがいいと考え「死のつかい」にした。魚とかわせみは,よく似ているところがありますね。なんてったって「悪」一すじみたいなもんなんだから。 (3) かばの花 ぼくは,かばの花を「死を喜ぶもの」と考えた。死を喜んでいるように流れてきたからである。ぼくの考えとはみんなちがいどっちかといえば恐怖の後のやすらぎのようないきなり幸せになったようにしていた。それは,かばの花がきれいなふうに表現してあるためだと思う。だけどぼくはどことなくこの部分がひっかかるのだ。それは天じょうをたくさんすべっていきましたの,すべってという文が笑ってすっころげたように感じるからである。 (4) やまなし 子孫をつくるものにした。死してもなお中にあるたねで子孫をつくっていくからだ。それに自分の体の一部だから「不死」のほうがいいかもしれない。ドラゴンボールのベジータがのぞんでいるねがいだ。あこがれという意見があったのでこれは明日へのあこがれでもいいと思う。 《結論》 1 主題 題に「やまなし」としたのは,妹のことを表して,死をのりこえようとする気持ちを作者はあらわしているのではないか。動物は死ぬと何も残らない。植物は死んでもたねで命をつくりつづける。この意味を,この物語であらわしたかったのではないか。 2 おわりに 「やまなし」をやって,最初思っていた2,3時間でできるなというのはちがうというのが分かった。小さな物語で大きなことを学べたのでいいと思う。これでぼくの作文はおしまいである。 |