やまなし4

今まで,男子,女子,男子と評論文の紹介をしてきました。
ここまで読まれてきた辛抱強い方の中には,
男子と女子の評論文の傾向の違いに気付かれている方もおられると思います。
色で表すと,青対赤でしょうか。
理論的傾向対情意的傾向
とでも言いましょうか。
最後に今一度,女子と男子の評論文を1つずつ紹介します。
授業での教師の働きかけや,不備な点も見えてくる評論文です。

  
              「やまなし」評論文
                                           女子
《序論》
 私はこの「やまなし」という物語を読んでみて何が何か,この意味は何か・・・?これはどういう意味か・・・?さっぱり分からなかった。むずかしい言葉や,意味不明の言葉がたくさんあってどっから手をつけていいのかなんて思ってたけど,何度も何度も読みかえしてみると,あっなるほどな,とか思ってきた。

《本論》
 1 五月と十二月の対比の検討
 私は,この問13をカッコ良くと考えてやってきた。最初は考えてもな〜んにもうかばなくて,五月の色の出て来る所を何度も何度も読み返しても分からない。しょうがない,みんなの意見を聞いていると,まん中へんから,あぶないもの(針),こわいもの(お母さん)とかを思いつきました。これはちょっと言うのがはずかしい。なんせやさしいおとなしいお母さんもいるそうだから。それから考えて考えて考えたあげく,あっそうだと思い,列で発表することになっていたので,言うすんぜんに思いつき言ってしまった。それは,黒バラだ。バラという花は,とげがあって危険だから。それと,黒っていうのは,恐怖の暗くてこわそうな色と考えて黒が思いついたからだ。実を言うと私は花ではバラが一番大好きで色は二番目に黒と赤が好きなのだ。二番と書くと,みなさんは一番目がぶち気になるでしょう。私の一番大好きな色は茶色(茶色っぽい色)だ。あんまし,は手な色はきらいだ。あっそうそう,みんなの意見いろいろ出たけど,五月のまとめは恐怖(死)になった。五月はここまで。
 次は十二月。十二月も五月のようにみんなの意見を聞いて思いついたのが,青春・情熱ですが,青春というのはだれかとだれかのちかいのようなものだという考えが頭の中にでてもう頭の中はゴッチャゴチャのまぜまぜ頭になってしまい,最後にはもうなげ出してしまった。そしたら列発表で当たってしまって,いちかばちかだと思い「情熱」と言ってしまった。そしたら,先生がヒット作にしてくださったので,私は心の中で,「やりィ」とさけんだ。その時,笑いをがまんしてにんまりとにやけてたかも。でもすんごくうれしかった。またヒット作を出すぞと思いやって行ったが全然作ってもらえなかった。まあ自分がいいのを出さなかったからね。

 2 色について検討する
 黄金と書いてきんと読むのは勉強してから分かった。黄金色を検討と言うのは,ある文(黄金という言葉の入った文)を見つけ出し,それをぶんせきして調べた物だ。私はこういう意見を出した。
「黄金とは光のあみの色でそのものは美」
と書いた。してその心はというと,あみと言うのは黄金の光のあみの事なので,そのもの全体は美だと思えたので美にした。
 赤については,これは考える事がいらなかったのだ。それは,先生が例にあげてそれをみんながヒントに使ってやった基の文だからだ。その文は,「赤のものは,かわせみの目でその事から恐怖」というのがわかるという意味だ。おわかりですか?
 次に黒についてというのを出す。黒というのは,おそろしいイメージの多い色だ。このやまなしに出てくる一部の黒のイメージは「黒のものはコンパスの針(かわせみの口がとがっているもの)でその事から悪」というような感じがした。それは黒い物とは先が黒くとがったくちばしの事でそれが悪のような感じだったので悪にした。
 次は白。白といえばきれいなイメージ,そのとおりきれいな物だった。それをイメージ的にアレンジしたら,こういうふうになってしまった。「白といえばかばの花(びら)かばの花といえばやすらぎ」というイメージがうかんできた。白といえばかばの花びらでかばの花びらはこわい事があったあとにひらひらと流れてきた物であって,おちついた物だから,やすらぎということが感じられた。
 この色らは,色に対してのイメージどおりのことがらがいろいろと他にも書いてあったけど,この3つが私がパッと思いついた,つまり考えかたによるとかんたんな事だということだと思った。だいたいみんなこんな感じだったと思う。

 3 五月と十二月の光について
 光でわかった事とは,私は光というのは,明かりとか光のあみとかという事をみつけていたが,みんなは暗いとか,青暗いとかすごくむずかしいことをみつけてた。このことから暗くても光がないということで光のなかまということがわかる。
 私は,国語の授業の時には五月が太陽,十二月が月だと思って発表した。いちおうはあっていたが,まとめにはならなかった。自分で最高だと思っていても,いきなりそのとおりのすごい答えが出るわけがない。だからいっしょうけんめい考えていたらいつのまにか終わってまとめで書いた。何かは忘れたけどだれかがその問いを解いたのだった。
 私は思った。みんなはこんなにガンバッてすごい意見をばんばん発表できるのになんで私はまともな答えが出せないのだろう。今度からの発表はみとめてもらえるような事を考えて言いたいと思っている。

 4 五月と十二月の音について
 たしかこの音とは宿題に出たはず。家でいっしょうけんめい考えたが五月は0,十二月は2つだった。たった2つをみつけるために宿題をやっていたのかと思うとなさけなかった。学校に行って国語の授業をやった時,私はもっとなさけない事をしていたのに気がついたはずだ。授業が終わると7つの音が出ているではないか。私は宿題をばかにしてたのかもしれない。いや,国語を深く考えなかったのだ。音というのをあまく見てはいけなかった。みんなは想像すると音が聞こえるからとか,しんとしているとかをみつけていた。
 五月はかぷかぷわらったとか,ぽつぽつ流れるの2つだった。まだいろいろな出来事があったのにいろいろな感じの音があるはずなのに書いてなかったのだ。
 これは少しぶきみな感じである。何だか時が止まったような?音を聞くにも聞ききれないような感じだった。こういうことから五月は死のイメージだと出たが,私はこの作者の妹さんのような感じがした。
 十二月は,トブンとかサラサラとかしんとしてとかだまってとかぼかぼか流れてとか,するどい言葉をたくさん出した。他には音のありそうな言葉がなかったので,生きているイメージとなった。私は十二月を作者でもあるような気がした。

 5 五月と十二月のにおいについて
 においとは前やった音についてににていた。においがありそうなのに言葉にはないのが五月。たくさんのいいにおいが十二月というふうな感じで,五月は妹さんの死で死んでしまったらもうにおえない感じで十二月は作者のような感じがした。作者はまだ生きている。生きているということはまだにおいが感じられる。私はこういう考えをしてしまった。

 6 造語の検討について
 造語とは,物語を書くために作者が作った言葉だ。(たぶん)この「やまなし」という物語には2つあった。まずイサドという言葉から検討していこう。
 イサドとは国語のやまなしがのっている所の教科書を見てみると作者が想像して作った町の名前とかいてあった。私達は,作者が想像した町をどんな所かしらべた。
 すると,川の生き物がたくさん集まっている・・・所とか出た。私もそう思っていた。その意見の中にもっともさんせいできたのがあった。でも私だけだったかも。その意見は遠い所という意見だった。それは,「もうねろ,ねろ。」という所から早く起きないと遠いから行きつけないという意見と,「ねろねろ」といってもまだねたがらなかったということからまだ子どもはイサドという町を知っていなかったという意見だ。
 次にクラムボンという物を検討しよう。クラムボンとは,私は,小さな生きものだと思った。魚がとおったあと食べられていなくなったと思ってしまった。だいたいそういうものだった。でもその後が分からなかった。
 私は今は光だと思ってきた。魚がとおった時光が死んで(ふうじこまれた)魚がとおった後光が笑った。つまり,早く言うと「魚が通って光がふうじこまれ,通り過ぎた後にまた光が見えた」と思ったが,ノートを見ているとだれかが出していた。だぶん○○ちゃんだと思う。

 7 象徴性
 象徴性では,4つの問いが出た。
 私は魚を悪魔の死だと思った。それは,クラムボンを殺した後に自分もかわせみに殺されてしまったからである。でもこれは,自分が生き延びるためであって,かわいそうだけど自然では仕方のない事です。人間も自分達が生き延びるためにいろいろなお肉を食べて生きている。私もお肉は大好きですが,少し考えてみると少しむごいというかきもち悪いというかであまり考えない方がこれからのためにいいと思うので,もう考えない事にします。この魚についてのみんなの意見では,12の考え(意見)が出た。
 かわせみとは。私は川にすむせみの事かと思っていた。でもこれは鳥の事なんですよね。今思うと「なんと大ボケな考えなんでしょう。」と自分でもあきれるぐらいで。かわせみについては全部で8つの答えが出た。
 ちなみに私は,殺し屋さんと書きました。いちおうおしらせするけど殺しを売っている所のことじゃありませんよ。それでこの殺し屋さんの理由は,まだ生きていける物(魚)を殺したからなのだ。まあこれも自然現しょうだからしょうがないんだけど。でもなんとなく殺し屋さんって気がしたんですよ。それに近い意見も,たくさん出てたと思う。
 かばの花では,山ざくらの一種(ウワミズザクラ)のことだそうで。さくらという所からさくらの花びらがうかんでき,花びらから,な・な・なんと「ブタの足」という物がうかんできてしまったのだ。にてませんか?・・・でも,本当は恐怖の中のやすらぎにしたんですよ。他にも殺し合いを洗い流す天使とか,ささやかな感じの言葉が9出た。もう2つ出てたんですけど,それは死を喜ぶ物とか墓とかでした。ですが理由はささやかな言葉と同じような理由ばかりで,全部で,11出ていた。イメージ的にはきれいだけど,考え方によって変わるんだな〜と思った。
 次はやまなし。私は,最初やまなしという意味が分からなかったのですが,調べてみると,な〜んだと思うような物だった。それは山になるなしだったのだ。
 で,私の思ったやまなしとは山のない町・村・市・国の事なのだ。山がなくて,川が流れてそこであったお話とか思って・・・。あっそうそう,やまなしのイメージ。そのことですけど,私はアイドルなんて思った。その理由とは,みんなに支えられて,おっかけをされているように思えてしまったからだ。やっぱし変ですね。なにしろほとんど意味分かっていませんでしたから・・・。やまなしについてでは12もの意見が出た。その中の一番最初に出た不死っていう意味が分からない言葉があったが,この意味は分からないまま終わりって事になってしまいましたが,勉強関係の事ではそんなになやまないのだ。

 8 会話文
 会話文では16この会話文が兄か弟かを調べた。その中の13・14をみんなで言い合った。
 兄さんのかにが2本の足をのせながら言った言葉は13の「それならなぜ殺された」か,14の「分からない」なのか言い合っていると,どんどんきまっていった。5対17から始まった言い合いは,少ない人数のいろいろな意見によって14の「分からない」だと思っていた人が0人になってしまったのではなかったかなと思いますが・・・。くわしくは覚えてはいません?まあとにかく13番はお兄さん,14番は弟というふうになった。

《結論》
 1 主題を考える
 この13ページもあるやまなしの中心文を見つけだして,そこから主題を考えるという宿題が出た。文をまとめるのが大の苦手の私はもちろん頭の中はぐっちゃぐっちゃのまぜこぜう〜頭がいたい。もうやけくそだと教科書をうつしながらかたっぱしからよけいな言葉をぬき取って読んでいった結果の主題(私が考えた)が〈悲しみの後にはきっと楽しい事がある〉にした。何かは覚えてないけどカッコE主題がどんどん出てすんごく感心した。

 2 まとめ
 このやまなしというのは勉強していくと,どんどんいろいろな事が理解できいろいろな事を学んで,今までよりず〜と楽しく出来て本当にE勉強になった。
 


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