日記指導などというものは基本的にあまり必要なものではありません。日記とは個人的なものですし,どう書こうが人の勝手です。 学校での日記の扱いは「作文力」の育成,そして,「書くこと」を通して「ものの見方,考え方」を育てていくというねらいで行われるものです。また自分の心,人の心を見つめるための場としての意味もあります。そして当然,その中に表れてくる子ども一人ひとりの「考え方や生活」を知ることから指導に役立てることもしていきます。 ここでは,ある一人の子の日記文の変遷とそのためのささやかな指導を紹介していこうと思います。 |
5年生男子の日記です。(ノートは「日記帳」ではなく,「作文帳」を使い,2冊ずつ渡し,毎日交互に書いてくるようにします。)一番初めのページに書いてある文です。(原文通り)
この日記に対して,私は日付と漢字にマルをし,「遠く」の字が違っていたので,隣にその漢字を書き,文章全体にマルを3つしています。そして,「やっと」という所に線を引いて,そこから矢印を引き,その先に「ここに気持ちが表れていますね。」と書き,その続きに「これから,どんなところを強くしていけばいいと思いますか? これからのことを考えて書いていくといいね。」と書いています。 次のページに書かれている日記は,
というものです。 この文章にはマルを6つしています。そして漢字一つひとつにマルをし,「かん音」の「かん」と「音」の間に「の」を書き,書き出しの一文に線を引いて,横に「上手な書き出しができています。」と書いています。また「最後一発けろうと思ったらみぞにおちました。」にも線を引いて,「心の中をよく書けています。こういう文がいいのです。」と書いています。 日記を初めて渡すとき,「書き出しを工夫しようね。」といくつかの例を挙げて説明をします。この子はその指導を初日から忠実に守っています。しかし,文体が時系列に沿った「ありました」文の羅列になっています。そして,「思い」「考え」というものがなかなか書けていません。しかし,この子にとってはこれでもう精一杯の努力をしている文だと思います。以後,マルの数には変動がありながらも,こういうパターンがずっと続いていきます。 この日記の最後のページには次のような文が書かれています。
どうにかして思いを書こうとしていることがよく分かります。 そして,2冊目では少し成長の跡が見られるようになります。
この文にはマルを30個以上しています。そしてまわりには花マルをして,「やさしい心がしっかり表れている,すばらしい日記です。これだけの文が書けるだけのコロとのつき合いがあったということですね。」と書いています。 次のページでは,
そして2月には,
4月に「外の世界」を「順に」書いていたものが,いくらか「内の世界」を「言葉を選んで」書けるようになってきていると思います。 ここまで来るには少しばかりの練習と,少しばかりの刺激を与えています。 |