「平和への願い」
男子 A
みんなの願い
原爆のこわさがわかった今
みんな願う
もう平和をこわしてはならないと
みんなで手をつないで
平和な世界を願うんだ
平和はみんなが願う
本当の心だ |
「八月の雲」
男子 B
41年前の8月6日
原ばくがおちた
広島の空
赤くもえあがる
まっ赤な雲
この雲だけでも
原ばくのこわさがよく分かった
もう戦争は絶対にしたくない |
「戦争」
男子 C
戦争は,こわい
それに,ほかの方からきた人は
げんばくにまきこまれた
戦争は,ほんとうにこわい
それに子どももすごくいたとおもう
その子も,しんだ
かわいそうだ
戦争は,ほんとうにこわい
でも,ほかの外国でもまだしている
もうやめればいいのにと思った
そして戦争は,
ぼくの第一にこわいものだ |
「せんかん」
男子 D
せんかんは,とてもかっこいい
せんかんは,とてもすごい
と小さいころは,思っていた
でもいま考えてみると
とてもこわいもの
小さいころ思っていたんでは,とてもいけない
せんかんは,人をころすものだから
ほめたりしたんでは,いけない |
「広島」
男子 E
8時15分
一しゅんにしてしずまりかえった広島
しずまりかえった広島に
人々のにくしみの声がきこえる
戦争のこわさがわかった今
二度としたくない戦争を |
「つるのねがい」
女子 F
つるにねがいをこめて
「戦争よおわれ」とつげている
さだこさんのねがい
かなわぬまま死んでいった
そのねがいをかなえさせてあげたい
もしかしたらわたしたち
戦争をおこすかも
そういうことがあるかも |
「平和」
男子 G
8月のあの日から
平和を願う
何十万人もの人がしんだときから
あやまちは,くりかえさないように,ねがう
心をこめてしっかりと
平和をねがう |
「平和」
女子 H
世界のみんなが
心の手をつないで
平和が保たれるなら
みんなつなごうよ心の手
平和を保つため
戦争を二度とくり返さぬために
「命」
一つしかない命
とうとい命を
なぜ大切にしない
なぜすてようとする
どうせ一つの命なら
生きれるだけ生きてみよう
思いきり
生きてみようじゃないか
「黒い雨」
あの日
焼けただれた人々の上に
ふりそそいだ
死んでしまった
ヒロシマの上に
ふりそそいだ
あの雨は死の雨
もうふらないように
もう人々の上に
この大地の上に
ふらないように
うったえよう
世界に |
「命」
男子 I
とうとい命
それを戦争なんかでなくしてしまった
どうしてだろう
一つもけんとうがつかない
なんでだろう
自分の命を
戦争で人の命まで
ほかの人までまきぞいにしてやった戦争
もうやりたくない戦争 |
「八月の雲」
男子 J
広島の雲は
赤くもえあがった
広島一めんに
人々がほうしゃのうでくるしんでしんでいく
くるしいせんそうがまたくるかもしれないから
もうせんそうはなくなれば
人々がくるしむことはないと
ぼくはおもった |
「八月の雲」
女子 K
黒い八月の雲
白かった七月の雲
もう
あとにはもどれない |
「8時15分」
男子 L
8時15分に時計はとまり
家や人は大そんがい
むごい バクダン
このこわさはみんなにつたえたい
もう平和になるように
心を一つにまとめれば
もうこんなことはない |
「平和」
女子 M
だれもが平和をねがっている
もう戦争はおわったんだ
これから新しい生活がはじまる
くらいくるしい生活がなくなり
あかるいたのしい生活
家がたちビルがたち
あかるい生活 |
「命」
男子 N
一つしかない命。
なぜそんなに,一つしかない命をむだにするのだろう。
いきれるだけ生きて,
おもいっきり生きて,
命をたいせつにしよう。 |
「8時15分」
男子 O
8時15分にげんばくがおちた
時計が8時15分でとまった
人がとまった |
「8時15分」
女子 P
せみがないていたあの日
わすれはしないあの日
火のうみだったあの日
8時15分
さいごの時間
わすれられない時間 |
「家族」
男子 Q
うちの家族は7人です。
でもおおきいおじいちゃんは
まだぼくが生まれてなくてしんで
なぜぼくをおいてしんだの。
かおをみせてくれなかったの。 |
「つる」
男子 R
平和のシンボルのつる
原爆で死んだ人を天まで送るつる
やすらかに天までのぼってくださいと
多くの人がのぞみながらつるを折る
つるよ天まで早くとんで行け |
「原ばくのおそろしさ」
男子 S
原ばくのおそろしさは
原ばくのひがい者以外に
だれにも分からない
ぼくらの想ぞういじょうにこわい
何百何千ばいのおそろしさ
原ばくのおそろしさは
ひ害者以外
だれにも分からない |
この詩集は8月6日に発行しています。いつものような一つひとつへのコメントはせず,次のような文を最後に書いています。
今月の詩は,今までのような「味わう」詩ではなく,「考える」詩です。だから,言葉の使い方がどうかというようなことは,ここではあまり問題にしません。
みんなに今月号で考えてほしいのは,19人中の一人ひとりが「戦争」をどうとらえているのか,そして,どう思っているのか,ということです。
言葉の使い方がどんなにすばらしくても,戦争をまるで運動会の勝負のように感じられる詩や,反対に簡単な言葉ですませている詩もあるかもしれません。
大事なのは,人殺しをする「戦争」をどこまで「嫌う」ことができるか,つまり,どこまで「イヤダナー」という感じを実際に持てるかということだと思います。その思いが「伝わってくる」詩がきっと「すばらしい」詩なんだと思います。そういう見方で,もう一度みんなの詩を読み返してみて下さい。
ところで,はっきり言って,「戦争」の怖さとか恐ろしさというものは,本当は実際に経験してみないと分からないものなのでしょう。だから,今はできるだけその恐ろしさのイメージを豊富に頭の中へつくりあげていくしかなく,その「恐ろしさのイメージ」を頭の中へつくることができにくい人が,いつの間にか戦争の中へひきずりこまれたり,ひきずりこんだりするのでしょう。
この,いつ戦争が始まるか分からない時代の中で,はっきりしていることは,
「自分は,絶対に戦争なんかしないぞ」
という言葉の心細さです。
なぜかというと,「絶対にしない」と言いながらやってしまっていることは,みんなの中にも,大人の中にもいっぱいあるからです。「そんなことはしたくない」「もうしないぞ」と思っていても,自分がしんどくなりそうなときには,ついやってしまうことがあるでしょう。
「絶対に」という言葉をみんなで心細いものにしているのです。みんなに考えてほしいのは,
「自分は,絶対にしない」
より,
「自分は,いつかしてしまうのではないか」
という,自分に対する問いかけです。
本当の自分の「弱さ」に目を向けていないと,いつの間にかまわりに流されていく自分に,もっともらしい言い訳をつけてしまいそうです。そして,いつの間にか「軍隊」をつくり,「原子爆弾」を持つようになっていくかもしれません。
(後半略) |
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