日記の返事


     「日記で (その10)   2月27日  84号
           −理由その1 「心を耕すこと」 − 

私が「日記」でねらっていることは,2つあります。
「思い出す」ことと,「考える」ことです。
別の言い方をすれば,「心を使う」ことと,「頭を使う」ことです。
「心」と「頭」を使うことで,人間を鍛えたいと思っています。
このシリーズの第2部「返事の巻」の題を,「日記で」にしたのは,
日記で鍛える
という意味をこめているからです。

       日記で思い出す
「思い出す」とは,前に書いた日記を見て,その時のことを思い出すという意味ではありません。
ここでは,「日記」を書こうとすることで,その出来事や,その時の思いをもう一度思い出すという意味で使っています。
ある時,かすかに感じた思いを,「日記」を書こうとすることで,反すうし,はっきりさせていきます。
つまり,ある「思い」を日記を書くことで,もう一度「繰り返す」のです。
一度読んだ本をもう一度読んでみると,新たな発見があったり,よりはっきり分かってくるものです。
それと同じように,「日記を書くことで,ある思いを繰り返す作業」を通して,「心」を耕し,「やさしさ」を培っていきます。



 
   「日記で (その11)    2月29日  87号
         −理由その1 「心を耕すこと」 −

    例8
         「図工のパズル」
                      (児童の名前)
 私は,夕会の後,帰るしたくをして,図工のパズルを作ろうと思って,図工室へ行った。
 すると,まだ6年生がやっていたので,ろう下で,そのパズルをしていた。
 なかなかうまくできない。
 でも,そこがおもしろいのだ。
 かんたんにできてしまったら,あまりおもしろくない。
 だから,はやくかんせいさせたいと思った。

5年生は,今図工で,木工パズルを作っています。
このパズルをして遊んでいる間は,ただ,おもしろいという感覚だけでやっているものです。
この「感覚」は,主に頭の中の右脳の働きです。
しかし,この「おもしろさ」を言葉にして日記に書こうとする時は,理論的に考えなくてはいけません。
その時働くのは,左脳です。
左脳を働かせた結果,ここにのせているような,
   うまくできない。
   でも,そこがおもしろいのだ。
という文が日記の中ででき上がります。
前回書いているように,「ある時,かすかに感じた思い」をこうして「日記に書く」という作業を通して,はっきりさせていきます。
そして,それは,時には,この日記のように,右脳の感覚を自分の左脳が分析するということも,ままあります。
この他にも,「あの時は悪かったなァ」とか,「あの人のおかげで助かった」とか,「大切にしなければ」などの,
   反省,感謝,優しさ
を,日記を書こうとすることで,はっきり意識していきます。
このように,「心を使って考える」ことが,「日記で思い出す」ということです。
では,「頭を使う」とはどういうことでしょう。




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