休業土曜日
(1992年9月7日)

「土曜日」をどう過ごす!?(その1)

日本は,今年の9月から,毎月の第2土曜日を学校の休業日とするということになりました。
この毎月一度の週休2日には,カリキュラムの面や,受け皿の面,都市部と農村部の教育機会の不均衡等と,問題を多く感じています。
しかし,とにかく始まってしまいました。

9月6日(日)の朝日新聞の社説の一部を紹介します。

(社説)
 日本の子どもは学びすぎである。そういう外国からの圧力が高まれば,もっと早く学校週5日制も実施されたかもしれない。
 幸か不幸か外圧は「働きすぎ」に向かうばかりだった。均質で高水準の労働力を供給する日本の教育システムは,外圧の標的になることを免れてきた。

外圧は,教育にではなく,「労働」に向かってきました。そして,「労働時間を減らす」という,外国とのおつき合いの中から,結果的に,国の言うことを聞く「公務員」の労働時間を減らす→教員の労働時間も減らさなくてはならない→学校を週5日制にする  という構図が見えてきます。

(社説)
 子どもたちにゆとりを,自主性を,が5日制の合言葉である。言葉だけでなく実際にそうする必要がある。

週6日制だった今までの子どもたちには「ゆとり」がなかったのでしょうか?
もし,「ゆとり」がないとすれば,それは都市部の塾通いに暮れる子どもたちのことで,ここには関係ない気もします。
実際,週1回の日曜日でさえ,暇を持て余していたのではないでしょうか。
但し,少年野球や,少女バレーをしている子どもたちにとっては,土曜休日は,本当の「ゆとり」を感じさせてくれるかもしれません。

(社説)
 今度の土曜日の休みについては,少し心配なことがある。
 国民総ぐるみで子どもの休日の過ごし方を考える。あるいは,考えようと呼びかける。これが度を超すと,こっけいなことになる。パックにゆとりと自主性を詰め込んで,子どもの前へ「はいどうぞ」と置くのでは,まさに漫画であろう。

何かと過保護で几帳面な日本社会です。
結局「疲れる」休日では意味がありません。

(社説)
 休日は文字通りお休みの日だ。何もしないでいる自由と,勝手に好きなことができる自由のある日である。すみずみまで教育の目が光っていては,だれしも窮屈至極だ。ほどほどが必要である。基本的には子どもと家庭に任せるしかない。
 それができないとしたら,日本社会そのものにゆとりがないあかしであろう。
 子どもたちにゆとりを与えるためには,大人の側のゆとりが必要だ。余裕ある目で休日の子どもたちを見守ることにしたい。

いろいろ「週5日制」には文句があります。
しかし,それは私に「ゆとり」がないせいかもしれません。
どうせすることならグチは言わずに,「5日間」でできることに力を注ごうと思っています。


(通信枠外の一言)
夏休みが終わってヤレヤレの家庭に,9月から月1回ずつの週休2日制。ご苦労様です。子どもたちより先に親にゆとりがないのが日本社会ですが,どうか工夫して使ってみていただきたいと思います。




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