新採日記

(その3)

 新採3年目の春の遠足。学校にも慣れてきて,遠足前の指導もそれなりに行い。昼の弁当の時間には一人で食べるような子がいないよう,お互い誘い合えるよう指導もしました。当日は快晴で,全員仲良く歩き,遊び,昼も友だち同士集まり,にぎやかな昼食風景になりました。よしよしと安心したところで,自分の弁当を全く忘れていたことに気づきました。数ある恥ずかしい失敗の1つです。

 新採の年からずっと日記を毎日書かせてきました。また,漢字練習も毎日宿題に出します。43人分ですから,その日に返すことは無理なのでどちらも2冊持たせていました。休憩時間は子どもと遊んでいましたし,放課後は毎日ほとんど会議がありましたから,日記,漢字は家に持ち帰るようになります。学校は夜の7時からは機械警備になるので,それ以上校舎内にいられなかったのです。土曜日は午後3時まででした。
 日記,漢字で合わせて86冊。その他の資料も持ち帰りますから大きなカバンに入れていました。ある土曜の昼下がり,帰りに校長先生から「旅行に行くのか?」と真顔で聞かれたこともありました。その学校では校長と顔を会わせるのが朝会だけということも珍しくありませんでした。

 家に帰ると夕食の材料を買いに行きます。スーパーで親に会うと,それとなく私の買い物かごの中を覗かれていたようです。食事を済ませてから日記の返事に移りますが,その頃は注文も多く書いていたように思います。漢字練習帳は熟語ごとにチェックし1つ1つマルをし,間違い字には欄外まで線を引いて訂正字を書いていました。こういう作業がなかなか速くできない者なので,全員分済ませる頃には毎日午前0時を過ぎていました。その後学級通信を書きます。新採の年の2学期からは毎日書いていましたから,寝るのはいつも夜の2時から3時でした。夕飯を仕事が済んでから食べようと思っていた時に,その仕事が3時頃終わり,それから夕食にしたこともありました。その日は,たまたますき焼きの材料を買っていて,夜中の3時過ぎからジュージューとすき焼きを作って食べたのを覚えています。その後風呂に入り,寝ようとすると外が明るくなっていました。

 夏休みも毎日日記を書かせたので,2学期の最初は一人約40ページで,その43倍の量を見ることになりました。その一つ一つに返事を書いていましたが,今考えるとそんな返事子どもたちはいちいち見ていなかったのではないかと思います。しかも休みの間はチェックする人もいないので,1学期の間に段々文章らしく書けるようになっていたものが,ただあったことを簡単にメモするだけのメモ日記になってしまっていました。これに懲りて,その後休み中の毎日日記はやめることにしました。

 日曜日には子どもたちと計画を立てて隣の市の公園まで遠足に行き,その次の週には電車に乗って,海に潮干狩りに行くというような無茶もしていました。この時の遠足は,隣の市までは10キロ近くあり,最初はサイクリングにしようという子どもたちの意見だったのですが,一人ダウン症の子がいたので,みんなで話し合い,歩けば一緒に行けるということになったものでした。
 その他にも,日曜日には学校の裏山に弁当を持って一緒に登ったり,プールに行ったり,海に釣りに行ったりしていました。

 それにしても今思うと,1学年7クラスもあるのに,1クラスだけこんなことをしてしまってと,反省しています。全く周りが見えていませんでした。