
(その6)
| 新採で3年生を担任し,3,4年と持ち上がり,次の年は5年生の担当になりました。5年生ではクラス替えがあります。始業式前の話し合いで7クラスのうちどのクラスを担任するか学年会で決めます。私はダウン症の児童がいるクラスを希望し,そのクラスを受け持たせてもらいました。 その子はいつも笑顔でした。しかし言葉で意思の疎通は全くできませんでした。私はどうにかして自分を「センセイ」と認めてもらえるよう,できるだけその子と一緒にいる時間を多くしたいと思いました。通級という形を当時取っていましたから1日中ずっと一緒ではありませんでした。放課後は毎日ほとんど何かの会議が入っていたので,家の方の了解を得て,学校が終わって5時からその子の家に毎日寄って帰ることにしました。 最初のうちは家の中でボールを転がしたりして遊んでいましたが,家の中では退屈だろうと,すぐ近くの空き地に出ることにしました。そこでその子の兄2人も誘ってキャッチボールやゴムボールをバットで打ったりして遊んでいました。専ら兄2人との遊びになり,その子は私たちの周りで遊んでいるという形になりましたが,自然な形で間接的でも近くにいて一緒に笑い合えたらそれでいいかなと思っていました。 2学期に取り組みのまとめを全校でしている時,家庭訪問回数の報告欄の数字がまわりと一桁違っていたのを覚えています。 しかし,今反省してみると,まわりの子どもたちとのかかわりづくりをどれだけしていただろうかとか申し訳なく思うことが多くあります。 |