2001年2月
加藤健一事務所「銀幕の向うに」@下北沢・本多劇場
 作=ニール・サイモン、演出=久世龍之介。出演=加藤健一、西山水木、加藤忍。
銀幕の向うに
 売れない上に、スランプに陥ったハリウッドの脚本家・ハーブ。ある日、彼の家に一人の女のコが訪ねてくる。寝ぼけまなこのハーブが聞く。「君、いったい誰なの?」「初めまして!私、あなたの娘よ」
 16年前に妻子を捨てて家を飛び出したハーブの娘・リビイがニューヨークから6000キロの旅をして、まだ見ぬ父を訪ねてきたのだ。彼女は父に向かってこう言う。「私、女優になりたいの」。

 日本人が翻訳ものを演じると、どうしても不自然で不恰好なものになってしまうが、加藤健一事務所はそういった難点をクリアしてきた数少ないプロデュース集団。”人情コメディー”のニール・サイモンはお手のものだ。
 
 3歳の時に別れたきりの娘との再会にとまどうハーブ、無気力なハーブを励ます恋人・ステフィ、アルバイトをしながら女優を目指すリビィ。時に傷つけ、時に慰めあう3人の微妙な関係が活写される。
 
 加藤健一は、娘に翻弄される父親の微妙な心情を、西山水木は2人との新しい関係を築こうと務める女性をそれぞれ好演。
 終幕、リビィがハーブに向き合い、「私、本当は女優になりたくて来たんじゃないの。本当はパパと……」と訴えるシーンで感極まって涙ぐむ加藤忍の演技がいい。エンドマークで流れるのは「夢のカリフォルニア」。笑えて泣けてスカッとさわやかのカトケン芝居の真骨頂。休憩10分込みで2時間20分。(★★★)

2001.02.27
ハイレグ・ジーザス「Baby、五臓六腑にしみわたるのさ」@駅前劇場
(2月21日〜27日)

作・演出=河原雅彦。出演=河原雅彦、峯村リエ、うべん、三宅弘城、岸潤一郎、
新井友香ほか。


 「エロ・バカ・ショック」のパフォーマンス集団「ハイレグ・ジーザス」の河原雅彦が初めて物語芝居に挑戦というふれこみ。一応、ある中年カップルが野球チームを作ろうと思い立ち、昔の仲間を訪ねていくという「舞踏会の手帖」が主筋。一方、カップルの片割れの女には、夫に愛想を尽かし、家出してきたという過去があり、捨ててきた子供と飲んだくれの父親、寝たきりのおばあさんが悲惨な戦いを繰り広げ…という松尾すずき的不条理世界が展開している。

 本番2週間前にお母さん役の中坪由起子が病気降板するというアクシデントがあり、公演中止も考えたとか。ナイロン100℃の峯村リエの代役でなんとか本番に間に合ったというのが実情だが、中坪だったら、救いようの無い悲惨さを緩和する中和剤になったかもしれない。

 最近はCMでも活躍している岸潤一郎が意外に健闘している。ただ、ハイレグの持ち味である「思い切りのよさ」がないのには不完全燃焼気味。なんせ、役者が全員スッポンポンで客席に乱入する「無邪気で傍若無人な悪ガキ」が彼らの持ち味。今回は肉襦袢を着込んで露出は限りなくゼロ。しかし、その方がかえって卑猥に見えるから不思議なものだ。

「もう、今回みたいなのはやらないですよ。疲れるもの」と河原。確かに、中途半端なグロテスク不条理をやるくらいなら、いつもの明るい「エロ・バカ」路線がマシ。ひねった末の「オチ」が「イチロー」では、ちょっとつらい。好漢・河原雅彦の再起を期待しよう。でも、スカトロ路線はやめたほうがいいかも…。約2時間。(★★)
2001.02.24
COG商店「大漂流」@大塚・萬スタジオ(2月20〜25日)

 作=兼松商会。脚色・出演=酒井健太郎。演出・出演=塩山義高。出演=中原和宏、石田信之、立川談慶ほか。

 元状況劇場の俳優・塩山義高が主宰する劇団の旗揚げ公演。
 
 舞台は建築途中のマンションの一室。自分たちの新居をのぞいてみようと、部屋に無断で入りこんだ新婚夫婦。ところが、2人の前に海賊の姿をした奇妙な集団が現れる。以前から我が物顔で部屋を占拠しているらしい。「ここは私たちの住んでいた場所」「時期がくれば、明け渡して出ていく」という彼らに、夫はプッツン。建設会社の社員を呼びつけて強硬な抗議をするのだが……。

 総勢30人余りの役者が入り乱れてのアクションあり笑いありの、いかにも小劇場らしい猥雑さに満ちた舞台。元「ミラーマン」の石田信之が建設会社の現場担当社員、落語家の立川談慶が海賊の幹部、元ボクサー・但野正雄が不気味な占い師と、それぞれゲストの持ち味を生かした配役。
 
 海賊たちの正体は、マンションが建設される前に雑木林に住んでいた鳥たちだったというファンタジーっぽいオチは何だかなあ、と思うが、海賊=滅びゆく者たちへの同情心とマイホーム死守というエゴイズムをめぐって対立していた夫婦が互いを認め合い、再び夫婦の絆を深めるという終幕。過剰なギャグがやや視点をぼやけさせた感もあるが、まずは楽しめた。酒井健太郎の怪演に思わずニヤリ。1時間40分。(★★)
2001.02.24
文学座「モンテ・クリスト伯@新宿・紀伊國屋サザンシアター

モンテ・クリスト伯脚色・演出=高瀬久男
出演=内野聖陽、原康義、清水昭彦、若松泰弘、塩田朋子ほか。


 大デュマの長編小説の舞台化。
 1幕目。冒頭、黒マントのナゾの人物(もちろん、内野モンテ・クリスト伯)が孤島の荒れ果てた政治犯収容獄舎を訪ね、かつて、そこで14年間の生き地獄を味わった自身の過去と再会し、悲嘆と怒りを新たにする。物語の概要を説明するシーンだ。
 以降は回想という形で展開する。

 若き一等航海士、エドモン・ダンテスは長い航海を終えて帰港する。途中で船長が死亡したため、船主のモレル氏に新船長就任を要請され、恋人・メルセデスと婚約するなど順風満帆。しかし、彼を妬む船員仲間、ダングラールとメルセデスに横恋慕するフェルナンによって、「危険分子」として告発され、これを受理した検事ヴィルフォールの手によって孤島の収容所に送られる。牢獄で出会ったファリア司祭の助けで脱獄……と、物語を説明していくだけで、何ページも必要になる大作。当然のことながら、舞台もダイジェストにならざるを得ない。

 子供の頃には物語の背景となるフランス革命も男女の恋愛問題も当然理解の外。しかし、改めて見直すと、ダンテスを陥れる3人の心情もわからないではない。特に、革命党シンパの父への反発から、王党派に属することで、上流社会に取り入ろうとする検事ヴィルフォールの葛藤。不毛の愛に身もだえするフェルナンの姿は人間存在の普遍的な苦悩だろう。

 ところが、いざ復讐劇が始まる2幕になると、時代が変わり、世代交代しているせいもあって人物関係の説明に拘泥し、「人間」を描くことから離れてしまった。
 彼らは全員型通りの悪人としてしか裁かれず、すべては、ダンテス=モンテ・クリスト伯の「神」の視点からの復讐物語となる。

 しかしこれは誰の責任でもない。この超大作を15分の休憩込みで3時間10分にまとめること自体が無理があるのだ。言ってみれば、これは内野聖陽顔見世ワンマンショー。それに応えて、「決め」のポーズの多いこと。声も押し出しもいいし、当分内野ブームは続くだろう。女優では岡寛恵がお目当てだった。「翔べない金糸雀」での捨て身の演技が印象に残り、期待が大きかったが、お嬢様という役柄もあってか凡庸な演技に終始。役者は役と演出家に恵まれないとダメということか。(★★)
2001.02.22

深水龍作独り語りミュージカル「我・龍」@新宿シアター・サンモール

作=深水三章、大倉順憲。演出=深水三章。ダンサー=篠井世津子。ベースギター=入江寛、キーボード=森麻由子。バイオリン=信田恭子。ボーカル=山本明子。

 深水龍作ミスタースリムカンパニーの大将、深水龍作が劇団結成26年目を記念して開いたライブ。語りと歌、合間にダンスシーンも。

 龍作57歳。実弟の三章が東京キッドブラザースから分派して日本のロックミュージカルの草分けとなったスリムを結成したのが1975年。龍作は69年のロックミュージカル「ヘアー」にバーガー役で出演したが、大麻事件で舞台は中断。東京キッドブラザースでの海外公演に参加した後、スリムに合流。作・演出兼任の主宰者になる。
 
 70年代のスリムの勢いはすごかった。客は殺到し、大劇場進出、全国ツアー。
 しかし、今はちょっと淋しい。革ジャン、リーゼントのロック野郎が時代遅れになった頃から、スローダウン。”晩年”のキッドブラザースがコアなファンを相手に、コミューン的な活動をしていたように、内にこもり、外への広がりを拒絶しているように見えた。
 2001年はスリムの新しい活動の年になるか。
 
  会場には古くからのファンとおぼしき40〜50代の姿が目立った。龍作の歌はシブい。57歳のロック野郎。歌うは「ア・ソング・フォ・ユー」「スタンド・バイ・ミー」「アンチェイン・マイ・ハート」「別れ」「早く抱いて」etc。ラストソング「ミスター・ボー・ジャングル」は万感胸に迫るものがあった。「今でもチャンスがありゃ、どこでも踊ってみせるぜ……」
 ショービジネスの栄光と影。龍は再び天を目指すか。山本明子の「野球少年の歌」にシビレた。1時間30分。(★★★)
2001.02.16
「さらば浅草ラプソディー」@新橋演舞場
作=金子成人、演出=久世光彦

 商業演劇っていうのはやはり団体さん相手の弁当芝居なんだね。中村勘九郎、藤山直美、柄本明の顔合わせにひかれて見に行ったけど、芝居といえるシロモノじゃなかった。
 物語は、ドサ回りから、久しぶりに浅草に帰ってきた芸人の卯之助(勘九郎)、相棒のクラリネット吹きの源吉(柄本)、彼らを待っていた卯之助の妻・おかつ(藤山)の三人と、浅草に生息する芸人、旅の魔術団(Mrマリックが団長、ラサール石井が奇術師)が織り成す人情喜劇。部分的には面白いのだが、全体を見るとスカスカの薄ら寒い芝居。

 商業演劇は稽古をやっても1週間。ひどいときにはたった1回の舞台稽古だけですぐ本番、1カ月の長丁場で芝居を作っていくという世界。それでもセリフは入るし、それなりに見せるのは役者の力量があるからなのだが、稽古をしないというのは、必ず舞台に影響する。本人たちはいい気分でジャム・セッションしているのだろうけど、見ている方は、バカにされているようなもの。ジャズのセッションならスリリングだけど、芝居は軽くなるだけ。見ていてその”傲慢さ”が鼻につく。

 客受けを狙ったあざという芝居が目立つ勘九郎、時々、素に戻った芝居をして客をくすぐる柄本。まともな芝居をしていたのは藤山直美と安井昌二、ラサールくらいなもの。あんなのにA席で大枚1万3500円も払うなら、小劇場の芝居を4本見た方がまだマシというもの。どんなに稚拙な芝居でも、稽古を重ねたその真剣さの迫力が違う。

  マリックのマジックショーもコケおどし。 2回のメシ食い時間を挟んで4時間半というのも長すぎる。魔術団の一員、李丹(映画「女優霊」の李丹は怖かった!)は好演。
 でんでん、ラサール、李丹と「星屑の会」のメンバーが出演し、星屑の会の前回公演と設定が似ているが、、「星屑」の方が、予算100分の1で100倍面白い舞台を作っている。会場の渡辺えり子を舞台に引っ張り上げる「客サービス」するくらいなら、きっちり稽古して面白いものを作って欲しいもの。(★)
2001.02.14
「ピカドン・キジムナー」@新国立劇場小劇場[THE PIT](2月10日〜3月1日)
作=坂手洋二、演出=栗山民也
出演=辻萬長、益岡徹、梅沢昌代、寺島しのぶ、たかお鷹、山本龍二、大西孝洋、倉野章子、岡本易代、山中麻由、下里翔子、吉村光浩、中島瑞基、岡田朋子


ピカドン・キジムナー  今年のベスト作品といっても過言ではない。

 劇作家・坂手洋二の作品は時としてメッセージ性が前面に出すぎて全体のバランスに難が生じる場合がある。言いたいことが山ほどありすぎて、全体のまとまりに欠ける作品が多いのだ。
 この舞台も、「ヒロシマ」「沖縄」「在日」と重いテーマがズラリと並んでいる。しかし、演出・栗山民也はテンポのいい会話劇、明快で詩情豊かなドラマに仕上げた。

 舞台は1972年の沖縄。アメリカ占領が終わり、日本への「返還」がなされた年。沖縄本島・南部の玉城家に一人の男(益岡徹)が現れる。彼は家長・真栄(辻萬長)の弟・照政と名乗り、玉城家に居座る。彼は10代で広島に渡ったが、戦後のどさくさで、一度「死んだこと」になり、今は他人の戸籍を手に入れ、別名を名乗っているらしい。数日後、子連れの中年の女が玉城家にやってくる。広島で照政と一緒に暮らしていた女とその連れ子だという。

  一方、村の外れにあるガジュマルの巨木の下には小さな一軒家があり、病んだ若い女(寺島しのぶ)が一人で住んでいた。ふとしたきっかけで、玉城家の子供たちと女の交流が始まる。彼女が時折、子供たちに語るキジムナー(妖精)の秘密とは…。

 ひめゆり部隊、ヒロシマ原爆ーー戦争がもたらした日本の悲劇。その裏に埋もれた沖縄人被爆者、在日韓国・朝鮮人被爆者という陰画が少しずつあぶり出される。

 タイトルのピカドンは原爆、キジムナーは沖縄に伝わる伝説の妖精のこと。
 テーマは重いが、舞台は明るくユーモラス、そしてなによりも沖縄特有のぬくもりある叙情が漂う。

 脚本、演出、役者ーーこの三者が絶妙なバランスでかみ合ったとき生まれる奇跡的な舞台。この舞台はまさにそれだ。
 子役たちの生き生きと弾む会話もいい。ヘタな子役が舞台を弛緩させる例が多いが、全員好演。子役ではないが、長女役の岡本易代の演技は特筆もの。
 客席まで張り出したガジュマルの巨木を作った妹尾河童の舞台美術もすばらしい。
 次世代へ希望をつなげる終幕の美しいシーンに思わず目頭が熱くなった。これは間違いなく坂手洋二の代表作の一つになるだろう。前半は客席に空席が目立つということだが、これは幅広い世代に見てもらいたい。休憩10分を挟んで3時間。(★★★★★)
2001.02.10
 南河内万歳一座「錆びたナイフ」@両国・シアター・カイ(2月9〜11日)

 作・演出=内藤裕敬。出演=河野洋一郎、鴨鈴女、松下安良、荒谷清水、松苗伸彦、原謙二郎ほか。

 この公演で1年間の充電期間に入る万歳一座。とりあえずの最終公演は「健康ブーム」がテーマ。病気知らずの健康法を求めて健康本を買い集める、ある家族。その結果、作用あって副作用なし、の究極の健康法を発見。その方法とは…。一方、副作用のない健康薬を開発すべく、研究を重ねる病院の院長。これまた、究極の健康薬を開発するが、モルモットになった学生アルバイトが奇妙な夢を見始める。それは…。

 ヒトゲノム解析、遺伝子治療、クローン人間ととどまることを知らない現代社会の「エゴイズム」を笑い飛ばした万歳流の肉体派大活劇。舞台セットは積み上げられた無数のダンボール箱。20人余りの役者が、舞台狭しと暴れまくる猥雑でエネルギーにあふれた関西演劇の雄のちょっと長めのお別れ公演。
 タイトルの「錆びたナイフ」は、どんな手段をとっても次第に衰えていく人間の肉体の喩えらしいが、それはまあ、こじつけっぽかったりして…。若手の役者が伸びてきて、グッと層が厚くなった。河野洋一郎、依然絶好調。2時間(★★)
※大阪公演は2月16〜18日。
2001.02.10
「パパに乾杯」@銀座・博品館劇場
作=アラン・エイクボーン。演出=山田和也
出演=佐藤オリエ、木場勝巳、渡辺めぐみ、山本淳一

パパに乾杯
  エイクボーンの喜劇の中でも傑作の誉れ高い作品。
 ジニー(渡辺めぐみ)とグレッグ(山本淳一)は付き合って間もない恋人同士。グレッグはジニーにプロポーズするが、ジニーはなぜか歯切れが悪い。
 ある朝、両親に会いに行くと言ってジニーは駅に向かう。実はジニーが向かったのは、30歳も年上の不倫相手の家。それと知らず、グレッグは部屋のタバコに書いてあった住所を頼りに、ジニーより一足早く「両親」の家に着いてしまう。
 ジニーの浮気相手の妻シーラ(佐藤オリエ)をジニーの母親と勘違いしてしまうゲレッグ、グレッグをシーラの浮気相手と勘違いしてしまうフィリップ(木場勝巳)。そこにジニーも到着して、4人の関係はもつれた糸のように錯綜。それぞれが勘違いしながら、ちぐはぐな会話が続いていく。
 と、まあ、こんな展開なのだが、会話、小道具(ジニーのベッドの下から見つかった男物のスリッパがラストのブラックな笑いの伏線となる)、すべてが英国流の上質な喜劇。

 が、しかし、画竜点睛を欠くのは配役のミスキャスト。佐藤、木場は言わずと知れた名優。渡辺めぐみもいいとしよう。なのに、肝心のグレッグ役の山本が信じられないようなヘタさ。発声はまったくダメ、セリフは棒読み、苦笑を通り越して怒りさえ湧いてくる惨状。ジャニーズ系のタレントは舞台でもそこそこの活躍をしていて、少なくとも「違和感」はおぼえないが、山本の場合はせっかくの名舞台をズタズタにしている。多少の難点は目をつぶるけど、あれはあんまりだ。10年勉強して出直したほうがいい。

  まあ、そんな疵があってもびくともしないのがエイクボーンの喜劇ではあるが。休憩10分挟んで2時間50分。(★★)
2001.02.09
かもねぎショット「視線」@新宿シアタートップス
(2月7〜13日)

作=平田俊子、高見亮子。演出=高見亮子。出演=立石凉子、久保酎吉、多田慶子、弘中麻紀、高見亮子。

 夢十夜シリーズ第8作目は「視線」がテーマ。1部は平田俊子作。病院の待合室で本を読みながら順番を待つ女。しかし、いくら待っても自分の番はやってこない。そのうち、目が「ぎっくり腰」になって視線が張り付いた女、奇妙な男たちが現れ…。2部は、男に尾行される主婦のお話。視線を感じて振り向くと、いつも同じ男がそこにいて…。 他人の夢を覗き込むような不条理な会話に潜む男と女の怪しい物語。うまい役者たちが演じる不条理劇は虚心に楽しむべし。2本で約2時間。(★★)
2001.02.09
コミック・ポテンシャル「コミック・ポテンシャル」@ル・テアトル銀座(2月5日〜21日)
作=アラン・エイクボーン。演出=宮田慶子。出演=高嶋政伸、七瀬なつみ、岡田眞澄、松金よね子、小林勝也、土師孝也、杉浦悦子、ひがし由貴、森宮隆、河野しずか、神崎由布子。


  ローレンス・オリヴィエ賞受賞作家、エイクボーンの1999年作品。これはもうさすがに職人芸。あのシーンがあの感動的なシーンに結びつくなんて…と張り巡らされた伏線に思わずため息。

 近未来のテレビ局。といってもソープオペラ(昼のメロドラマ)専門の吹き溜まりのような小さなスタジオ。ディレクターはかつては巨匠と呼ばれ、今はおちぶれた元映画監督チャンドラー(岡田)。そこに見学に来たのが、彼を尊敬する脚本家志望の青年アダム(高嶋)。スタジオではアクトロイドと呼ばれる俳優専門のアンドロイドたちがリハーサル中。アダムは看護婦姿のアクトロイド、ジェシー(七瀬)がおかしなシーンに「思わず笑ってしまった」ことに気づく。彼女に喜劇の素質があると見たアダムは、彼女にキートンやチャプリン、過去の喜劇のパターンを教え込む。そして彼女主演で番組を作ろうとチャンドラーと相談、順調に運ぶかと思えたが、テレビ局の親会社会長は「感情を持ったアクトロイドは危険だ」と、彼女の「消去」を命ずる。ジェシ−に恋心を抱いてしまったアダムは彼女を救うべく、スタジオを逃げ出し、「恋の逃避行」となるのだが……。

 七瀬なつみは、どちらかというと優等生タイプの女優で、悪くいえばアクがなく無個性。しかし、そのことが逆に、アクトロイドというロボットに適役で、次第にさまざまな感情を身につけ、「女性」になっていく過程をうまく表現できたようだ。逃避行中に遭遇するトラブルを、過去のソープオペラの劇中セリフで切り抜けるというシーンの面白さ、ロボットのコケティッシュな声とヤクザ相手にタンカを切るドスのきいた声の対比のおかしさーーもしかしたらこれが七瀬の代表作になるかも。

 対する高嶋もロボットに恋した純情青年を好演、喜劇センスも十分だ。傲慢な女支局長役の松金、不気味な会長役の小林は余裕の演技。三田佳子不祥の息子の兄、森宮が意外に好演。

  コメディーは脚本の出来で90%が決まるが、今回は宮田慶子(青年座)の演出の妙に負うところも大きい。「セイムタイム・ネクスト・イヤー」などのシリアスコメディー、エイクボーンの前作「恋の三重奏」を演出した実績で、さすがに手堅い。劇中のセリフ「喜劇に必要なのは意外性と怒り」ーーこれは至言。

 ただ一つ、タイトルはなんとかならなかったのか。これでは芝居の中身をどう想像していいか客に不親切。「アクトロイドは電気パイの夢を見るか」(冗談ですぅ)でもいいから、日本語タイトルにした方がよかったのでは。空席が目立ったのもそこに遠因があったりして……。
  ともあれ、舞台の出来は上々。あのラストシーンは泣けまっせ。約2時間30分。(★★★★)
2001.02.05 ※24日〜28日は新神戸オリエンタル劇場で上演。
文学座附属演劇研究所研修科卒業発表会「OUR COUNTRY'S GOOD〜我らが祖国のために」@文学座アトリエ

作=ティンバーレイク ワーテンベイガー。演出=松本祐子

 これが研究生の卒業公演というのだから舌をまいてしまう。おそらく今3000以上はあるといわれる小劇団の99%の役者は下をうつむいて逃げ出さなくてはならないだろう。それほど、役者のタマゴの「質」はそろっている。しかし、最大の賛辞は演出家にこそ贈られるべきだろう。ヒヨッコたちを使って、これほどまでに見事な舞台を作ったのだから…。1年間のロンドン留学で松本祐子の緻密な演出はさらにみがきがかかった。

 18世紀末。兵士や囚人を乗せたイギリス船団が植民地に到着する。物語は新天地で囚人たちの教育のために芝居を上演させようとする少佐と、それを快く思わない上官、囚人たちの人間模様、三者を対比させながら描く。将兵と囚人を俳優が2役で演じ、さらに配役の心理を追うという三重構造。ヘタな役者の芝居ならまったく見られたものじゃないが、総督役の山田裕、コリンズ大佐役の枡谷裕が好演。特に大佐と囚人の2役を完全に演じ分けた木津誠之は有望株。

  女優では女囚リズを演じた山田里奈は凛とした表情、立ち姿に大器の予感。三方を客席で取り囲まれ、真ん中に四角な板を4本のロープで吊るし、それがある時は立ち木になり、テーブルになり、舟になる。美術もシンプルで申し分なし。休憩10分を挟んで約3時間。(★★★★)
2001.02.03

パウロ翔企画オリジナルミュージカル「パウロ」博品館劇場
             演出・音楽=橋爪貴明

  紀元60年代後半にローマ皇帝によって処刑されたキリスト教宣教師パウロがキリスト教に帰依するまでの若き日の苦悩を描く。主演が吉野圭吾(元音楽座)、真織由季(元宝塚)、春日宏美(元SKD)ときては客席の9割が40〜50代の女性というのも、むべなるかな。
 
 異色は山形ユキオ。ミュージカル嫌いの人が言う「芝居の途中で突然、歌いだすのに違和感」という絵に描いたような和製ミュージカルだったが、この人のボーカルは、そんな予定調和の「ミュージカル」を破壊する猛々しさに満ちている。ロックバンド出身で、アニメ「ギンガマン」「タイムレンジャー」の主題歌も歌っている俳優。山形の歌がなければ、平板な音楽劇の印象を免れなかっただろう。吉野圭吾、春日宏美はいいとして、真織由季は、良くも悪くも宝塚娘役出身の「クセ」があり、歌は味気なし、声量はないはで、主役の適性に疑問。ウーン、顔は可愛いけどねぇー。約2時間30分。(★)
2001.2.03
十代目坂東三津五郎襲名披露二月大歌舞伎歌舞伎座

  夜の部で「女暫」と「襲名口上」「神明恵和合取組」を観る。「女暫」は歌舞伎十八番の「暫(しばらく)」を女方で見せる作品。悪逆非道の権力者たちが善人を処刑しようとした時、舞台花道から「暫らく」と声をかけて勇者が現れ、悪人たちを雄弁術でやりこめる。閻魔大王のような権力者が中央に座り、その側に侍るのは「腹出し」と呼ばれる太鼓腹に真っ赤な顔の敵役。鯰坊主に女鯰。歌舞伎ならではの極彩色絵巻が美しい。勇者・巴御前は玉三郎。一仕事終えた後、花道の引っ込みで交わす舞台番役の吉右衛門との会話が客席の笑いを誘う。

 「口上」では舞台にずらりと並んだ名優たちが次々と新・三津五郎(八十助)へ祝辞。建前だけかとたいくつしてたら、左團次が「私も女房に逃げられまして…」とやって、客席爆笑。次いで菊五郎も「三津五郎さんは何事にも研究熱心で、最近は掃除、洗濯も一人で研究なさってるとか」と追い討ち。面を伏せたままの三津五郎も頬がひくひく笑いをこらえていた。

 「神明恵和合取組」はその三津五郎が「め組の辰五郎」に扮して、鳶と相撲取りのケンカを描いた世話物。大詰めは火消し鳶数十人が舞台に勢ぞろい。その迫力は圧巻。相撲取りとのケンカ場面もコミカルで歌舞伎ならではの様式美。舞台に設えられた小屋の屋根に駆け上がったり、飛び降りたりするスピーディーな動きはさすが、役者の鍛え方が違う。伝統芸ですな。

 しかし、1万数千円の席に3000円の弁当を食う客で満員御礼の歌舞伎座。それでも国に保護されなければ、維持できない伝統芸の世界って、なんだろう。(★★)
2001.02.02

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