2001年3月
 万有引力「痴夢のランプ」ザムザ阿佐ヶ谷(3月28日〜4月2日)
 作=マダム・エリサキ。演出・音楽・美術=J・A・シーザー。出演=根本豊、伊野尾理枝、井内俊一、小林佳太、小林拓、村田弘美、巫子乃水穂ほか。


 今の演劇界でシーザーと万有引力ほど、強烈な個性で独自の演劇を展開している劇団はないだろう。天井桟敷の直系として寺山演劇を継承しつつ、シーザーや根本豊らは新たな演劇の可能性を模索する。この舞台は人間の深層意識をテーマにしたもので、観客の視点も果てしなく無意識下に降りていく。難解ではあるが、観客もまた舞台参加することで開放されていく。回り続けるルーレットの周りで呆然と突っ立つ観客たちの虚実。若い役者たちの肉体の切れ味がいまひとつなのが残念。(★★)
「毛皮のマリー」@渋谷パルコ劇場(3月24日〜4月22日)
 作=寺山修司。演出・美術・音楽・主演=美輪明宏。出演=及川光博(欣也)、麿赤兒、菊池隆則、若松武史ほか。


 若松武史寺山修司の古典といっていい作品。美少年・欣也と男娼のマリーの密室での愛憎劇が寺山一流の修辞学をまとった台詞で描かれる。前回公演はドイツ人演出家による透明感ある舞台だった。舞台に本水を張り、美少女・紋白は池田有希子と欣也がその上で戯れるリリカルな舞台。
 しかし、初演からマリー役を演じてきた美輪明宏は「マリー」の初演出にあたり、本来の猥雑さに満ちたマリーを再現しようとした。マリーの部屋のセットは超豪華。しかし、開放感はなく密室での芝居に重点を置く。醜女のマリー役の麿赤兒は適役。紋白の若松武史に至っては、身震いするほどの頽廃美。今活躍する俳優の中で若松ほどの色香を発散させる俳優はいない。彼の演技を見る喜びこそ、「マリー」の最大の喜びだ。猥雑でポップ。寺山の言葉は古びることはない。
(★★★)
「こんにちは、母さん@新国立劇場(3月12〜31日)
 作・演出=永井愛。
  出演=加藤治子、平田満、杉浦直樹、大西多摩恵、田岡美也子、橘雪子、酒向芳、小山萌子


 去年、「萩家の三姉妹」という大傑作を作ったばかりというのに、たて続けにこんな大大傑作を書くなんて、人間技とは思えない。永井愛の充実ぶりにはただ驚くほかない。

 下町の足袋職人を継ぐのを嫌って家を出、大手の自動車メーカーに勤めている息子・昭夫(平田)が久しぶりにフラリと実家に帰ってくる。どこか疲れた様子。しかし、母は不在で、中国人留学生やボランティアの人たちが勝手に家に出入りしている。空き巣に間違われて右往左往する昭夫。帰ってきた母・福江は華やいだファッションに身を包み、以前の母とは大違い。ボランティ活動、カルチャースクールと生き生きとした日々を送ってるという。しかも、源氏物語のカルチャー講師で、元大学教授(杉浦)という恋人までいるようだ。

 戸惑う昭夫。そこに飛び込んできたのは昭夫の会社の同僚。昭夫にクビ切りを撤回するよう直談判にきたのだった。昭夫は人事総務部長として会社のリストラを担当し、神経をすり減らしていた。そのことで、家庭もうまくいってないらしい。
  
  年老いてなお青春を謳歌しようとする母と恋人、自分の人生をもう一度見つめなおそうと、あがく中年の息子。幼なじみや隣近所の友人たち、彼らを取り巻く様々な人間模様を丹念に織り込みながら、人間の生と性を描いていく。
 
 演出は丹念だし、セリフのリアルさは言わずもがな。役者たちはそれぞれ個性を発揮しながらも、突出せず、アンサンブルは抜群。平田、加藤、杉浦はもちろんのこと、大西、田岡、橘、酒向、特に留学生役の小山など、ホンモノと見まごうばかりの完璧な演技。これだけの完成度を持つ舞台にめぐりあえるのは10年に1度。3時間弱の上演時間もアッという間。こんなに幸せな観劇時間はない。ここ最近の永井愛の充実ぶり、怖いくらいだ。(★★★★)
美少女戦士セーラームーン第1部「ラスト・ドラクル最終章 超惑星デス・バルカンの封印」、第2部「スーパーレビューミュージカルショー」@池袋サンシャイン劇場(3月18〜4月8日)
 脚本・総合演出・作詞=斉樹潤哉。作曲・編曲・音楽監督=小坂明子。
出演=神戸みゆき、小野妃香里、望月祐多、井上一馬ほか。


 今回で3代目セーラームーンの神戸みゆきが卒業。舞台は2部構成にし、物語とレビューショーに分けた。どんな理由があるのかわからないが、子供もわかるレビューショーで公演を盛り上げようという配慮からだろうか。

 1年間にわたって展開してきた物語の完結編。不死の妖怪の持つ剣で封印されたドラクル伯爵。セーラー戦士をつけ狙うドラクル伯爵の娘ヴァンピール。しかし、不死の妖怪たちを操るダーク・カインの正体が明らかになったとき、ドラクル伯爵の封印は解ける。人類最初の殺人者カイン。彼に殺された弟のアベルはドラクルとなって暗闇を支配した。一方、この世が滅びるまで死ぬことを許されないカインは、世界を滅ぼすため、デス・バルカンの力を使い、セーラームーンの持つ銀水晶を狙っていた。デス・バルカンとは遠い過去に、二つに引き裂かれた惑星。神と悪魔の顔を持つ惑星。デス・バルカンもまた、太陽系の盟主となるべく、銀水晶を狙っていた。不死の存在、半妖怪、人類、そしてセーラー戦士が4つ巴の戦いを繰り広げる複雑壮大なファンタジー。

 いやはや、大人が見ていてもよく理解できない、こみ入ったストーリーではあるが、美少女たちの元気印の演技と実力派俳優たちのダンスを見るだけでもシアワセ気分になれる。これで神戸みゆきのはつらつ演技が見納めなのが、ちょっと残念。(★★)
文学座アトリエの会「柘榴変」信濃町文学座アトリエ(3月20〜30日)
作=竹本穰。演出=高瀬久男。
出演=八十川真由野、高橋克明、沢田冬樹。

 登場人物は3人。一組の若い夫婦とその友人(男)。妻はアウトドアに興味があり、専門用品店でアルバイトし始める。子供がいるので、その面倒は友人がみることになる。夫は2人目の子供を作りたがっているが、妻にはその気がない。夫は自分に生殖的な欠陥があると思い込んでいる。妻の不貞を疑う夫。3人の奇妙な関係が日常会話を通して延々と続く。
 
 どこかちぐはぐで不気味な雰囲気が漂う舞台。部屋の隅にはいつもベビーベッドが置いてある。3人の会話から察すると、子供はもう2歳児にはなっている。ベビーベッドはとっくに不用になってるはずだ。しかも、存在はしているのに、劇中、”母親”が子供の様子を気にすることはない。
  
 終幕、子供(人形)を抱いて湯につからせたまま、一人引き上げていく夫のうすら笑い。
?? 奇怪!面妖! この脚本は一筋縄ではいかない。タイトルからして不可解だ。「柘榴」は、赤ん坊を殺して食った鬼子母神に、子供の代わりに与えられた身代わりの「実」。3人にとって、「柘榴」とは…。(★★)
2001.03.24
オーツーコーポレーションプロデュース「鬼」@新宿スペース・ゼロ(3月24〜4月8日)

原作=横内謙介(新羅生門)。脚色・演出=松村武。
出演=小田茜、みのすけ(ナイロン100℃)、金久美子、AKIRA(新日本プロレス)、山中たかシ(扉座)、松戸俊二(離風霊船)ほか。

 一組のカップルが町の外れにある門をくぐると、その向うには魑魅魍魎がばっこする怪しげな世界が広がっている。桃太郎、金太郎、一寸法師、そして渡辺綱。彼らが追いかける鬼の正体は…。
 横内謙介の旧作を松村が大胆に改変、ほとんど原型をとどめない展開となった。原作には横内のアングラへ芝居へのコンプレックスと嫌悪があからさまに内包されていたが、松村脚本は正義と悪の単純な二項対立を乗り越え、より混沌とした現代の「正義」と「悪」を問い詰める。惜しむらくはギャグが上滑りになっていること。小田茜を使って下ネタはちょっと…。せっかくの金久美子も生かされず。(★)
2001.03.24
「マクベス」@さいたま芸術劇場(3月16〜25日)
 脚色・演出=蜷川幸雄。出演=唐沢寿明、大竹しのぶほか。

 「NINAGAWAマクベス」ではない新しいマクベスを、とのことで、今回は東南アジアを舞台に設定。衣裳もアジア民族衣装ふう。大竹しのぶがマクベス夫人という配役は笑ってしまうほどステロタイプな布陣。見る前からどんな芝居をするのか想像がついてしまう。唐沢のマクベスも可もなく不可もなし。舞台背景に鏡を多用した舞台装置は、3人の魔女が6人、12人と増殖して見え、演出意図はともかく、わずらわしいことこの上ない。客席通路を使った役者の出入りも新味なく、どこがいいのか蜷川演出? バンクォーに六平直政をもってきたのは、よくわからん。六平の良さがまったく生かされていない。一人、勝村政信だけは役者としての大きな成長がうかがえてたのもしい。休憩15分を挟んで3時間、ひたすらたいくつな舞台。(★)
2001.03.23
「アメリカ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム(3月16〜25日)
原作=フランツ・カフカ。構成・演出=松本修。
出演=高田恵篤、福士恵二、大崎由利子、宮島健、石井ひとみ、斎藤歩、伊東由美子、小嶋尚樹、来栖礼子、さとうこうじ、得丸伸二、宮野円平ほか。


 カフカの小説「失踪者」をもとに、1年間のワークショップで作り上げた舞台。最終的に役者は26人に絞られたが、北村有起哉が足のケガでリタイア、25人の集団劇となった。

 ドイツから自由の国アメリカにやってきたカール・ロスマン。実は年上のの女に誘惑されて子供ができてしまったため、両親に故国を追い出されたというのが真相。ニューヨークで裕福な伯父と出会い、庇護されるが、不可解な理由で追い出される。職にあぶれた2人の男と一緒に別の町に行こうとするが、同郷の女性コック長の口聞きで、ホテルのエレベーターボーイの職を得る。しかし、仲間の男が訪ねてきて金の無心を迫られたために、同僚から不審の目で見られ、ここも首になる。カールの安住の地はどこに…。

  おおむね筋立てはこの通り。25人の役者が一人で何役も兼ね、主人公のカールも数人の役者が次々と演じていく。スピーディーな転換、エロティックなシーン(石井は半裸になって、カールを誘惑、伊東も後ろ向きだが、全裸の入浴)、ろうそくを使ったホテル内部の幻想シーンの美しさ、井手茂太(イビデアン・クルー)の振り付けによるコミカルなダンス。主人公の不条理な心理の軌跡を様々な仕掛けで描いていく。1年間、ワークショップでこつこつと作ってきただけに、役者たちの息はぴったり。統制のとれた動きは、ある意味で舞踏的。 

 客席をいつもの舞台側に設え、出入口を逆に舞台として使ったのは、逆手洋二以来か。奈落から役者を出入りさせる舞台美術もユニークだった。
 占部房子、小林麻子、石村実伽などは一見して松本好みの美形。25人を観察するだけでも楽しい。
 福士恵二と高田恵篤は元天井桟敷。体のしなやかさ、動きのユニークさはほかを圧倒している。前半1時間45分、休憩15分、後半1時間30分、計3時間半の舞台はちょっと生理的につらいものがあるが、体調万全で臨めば、かなり面白い発見はできる。演劇を解体・再構築した松本流の不条理劇を。(★★★)
 2001.03.19
水と油「不時着」@東京グローブ座(3月16〜18日)

作・演出=水と油。出演=じゅんじゅん、ももこん、おのでらん、すがぽん

 今評判のマイム・パフォーマンスグループの公演。山高帽に黒の背広ーースタイリッシュな4人の演者が言葉を一切使わない黙劇で、客席を不可思議な幻想空間に誘う。風のように動くその身の軽さ、マイムによる独自の笑い。なるほど、演劇界が注目するグループだけはある。
 机を挟んでババ抜きをする二人の男のシーン。1枚のジョーカーをめぐって無限の攻防を繰り広げる2人の姿に思わず大笑い。ダンスの要素も織り込み、オシャレでクロート受けするマイム・パフォーマンス。これから人気が出そう。1時間10分。(★★)
2001.03.17
リリパット・アーミー「虎をつれた女」@新宿スペース・ゼロ(3月14〜20日)

 作=中島らも。演出=わかぎゑふ。出演=コング桑田、生田朗子、及川直紀、楠見薫ほか。

 世界戦争が勃発している近未来の大阪が舞台。膠着状態の戦線でテキトーに暇をつぶす兵隊たち。そこに融通の利かない女性上官が派遣されてきたために、部下の兵士たちは策を弄し…というハチャメチャの反戦コメディー。冒頭、サウナの中で話し合う2人の腹黒政治家は中島らもと漫画家のひさうちみちお。このシーンは笑えたが、あとは…。役者はみんなイケてる、わかぎゑふの演出もスピーディー、らもの脚本もそこそこ。しかし、全体を見ると、笑いのツボが微妙にずれている。結局、冒頭シーンと最後の恒例「ちくわ配り」くらいしか笑えないというなんとも釈然としない舞台。無理やり笑わせようと、「でぶハラスメント」なる禁じ手ネタも使ったが、ちょっと寒い。次回に期待か。2時間。(★)
2001.03.17
ウォーキングスタッフ「ぜろまい」@新宿シアター・トップス(3月14〜19日)
 作・演出=和田憲明。出演=田中健、河合美智子、小林愛、鈴木省吾

 男と女のうねるような愛憎のせめぎあいを描かせたら当代一の和田憲明節全開の作品。小さな不動産屋を経営する男(鈴木省吾)には籍こそ入れていないものの、事実上の妻である事務の女(河合美智子)がいる。しかし、アルバイトの女のコ(小林愛)とも深い仲にあり、それを隠そうとしない。理不尽とも思える仕打ちを受けながら、別れることのできない女。そんなある日、男の兄(田中健)が突然、九州の実家から出てくる。父のあとを継ぎ、会社を経営しているのだが、不渡りを出し、倒産寸前という。もう何年も会っていない兄と弟。弟には、ことあるごとに、頭を押さえつけられてきた兄に対するわだかまりが澱のように残っている。その夜、男は兄がいるにも関わらず、女のコと連れ立って出て行ってしまう。残された兄と女は、互いの傷をなめあううち、ふとしたはずみで、結ばれてしまう。
 男と女、4人の秘められた関係は、やがてある事件をきっかけに発火、無残な結末を迎えることに…。

 今回の公演の発案者は田中健だという。だからこそ自らエチュード(即興稽古)から始めたという気合の入った舞台。エキセントリックで暴力的、怒号交じりのセクシャルなセリフの応酬……おそらく田中健としては始めての本格的な汚れ役だろう。九州弁の朴訥な中年男という役柄を懸命に演じていた。鈴木省吾は衝動的な暴力男を熱演。しかし、いくらやくざな不動産屋の社長とはいえ、チンピラやくざのような服装としゃべり方はあまりにも不自然。まがりなりにも宅建の免許をとった不動産屋の経営者なんだから、客商売が成り立たないだろうに。役を作り過ぎ。物語自体も、そりゃないだろう、と突っ込みをいれたくなるくらい、ステロタイプな展開。要は、極限の愛を描きたいがために周囲の人物配置までわかりやすく極限下にしたわけで、視点をずらして見れば、人間関係のあざとさには思わず笑ってしまう。人間の真実を描くには、やはりリアリティーが必要。それはむろん演劇的リアリティーなわけだが、その1点が欠けたために、感情移入できない舞台となってしまった。でも、こういう舞台は役者にとってはこの上もない快感になるんだろうなあ、過酷な長距離マラソンを完走したような……。2時間10分。(★★)
2001.03.16
劇団昴+美醜「火計り」@千石・三百人劇場(9〜25日)
作=品川能正。演出=孫 策、村田元史
出演=鉄野正豊、崔秀賢、稲垣昭三、山口嘉三、久保田民絵、伊藤和晃、鄭泰和、李寄峰ほか。


  ことによると、今年は演劇の当たり年になるのではないか。まだ3月というのに、これぞ今年のベストと思わせる作品が続々と登場している。この「火計り」も、その1本だ。日韓の演劇人、劇団による共同公演ということで、様々な問題もあったらしいが、長期にわたる両者の準備、稽古の成果が結実した濃密、簡潔、重厚な舞台となった。

 舞台は鹿児島。400年の伝統を持つ薩摩焼の窯元の家。一人っ子で大学生の和人は、家業を継ぐことを拒否、高校の美術教師を目指していた。その裏には生まれたばかりの自分を捨て、突然失踪した父への屈折した思い、厳格な祖父への反発があった。
 
  夏休みに帰省すると、和人の家には韓国から大学院生・金芙美が訪問。本家・韓国ではすでに滅んだ井戸茶碗を復活・研究をするため来日したという。
 
  薩摩焼は秀吉の朝鮮出兵(文禄、慶長の役)の際、島津義弘によって連行された朝鮮人陶工たちによって伝えられた陶器。物語は現代に生きる陶工たちの末裔の「日本」への愛憎と、400年前の祖先の苦難を幻想的に往還しながら、民族の誇り、歴史、伝統、家族愛、未来への希望を描く。
 島津藩によって虐殺され、連行される陶工たち。闇から幽鬼のように白い装束で現れるのは韓国劇団「美醜」の俳優たち。しなやかで優美な身体パフォーマンスが効果をあげる。
 日韓の悲惨な歴史にフタすることなく、秀吉が島津の働きを検分するために、生きたまま切り落とした朝鮮人の鼻・耳の塩漬け樽輸送という史実もきちんと描いている。

 失踪した父の心の軌跡、そして”再会”、窯に命をかける祖父の葛藤、朝鮮人陶工の末裔としての和人のアイディンティティー。様々なうねりが終幕の火入れの儀式に向かって突き進んでいく。和人を演じた若手・鉄野正豊が舌を巻くほどのうまさ。韓国人大学生・金芙美の崔秀賢も美しく知的。

 窯の焼けこげる匂いが漂ってきそうな、このまま劇場が燃え上がるのではと錯覚を起こしそうな「火入れ」のラストシーン。この美しくも圧倒的なシーンは後々、語り草になるだろう。韓国語は字幕が出るので、言葉の不安はなし。1時間50分と生理的にもちょうどいい上演時間。品川能正の主宰劇団「東京ギンガ堂」は正直いって、買っていなかったが、この舞台で作家としての技量を見直した。なお、タイトルは、朝鮮からは陶土と釉薬、そして技術をもたらしたが、日本のものは火だけだったという言い伝えに由来する。(★★★★)
2001.03.13
いろはに金米糖文化座「いろはに金米糖」池袋・サンシャイン劇場(3月8〜18日)
作=堀江安夫。演出=鈴木完一郎。出演=佐々木愛、浜田寅彦、鈴木光枝、青木和宣ほか。

 昭和初期。所は東京、下町の・老舗飴屋「ささなみや」。店を切り盛りするのは奉公人から、二代目の後妻に入り、お内儀になったしっかり者の”ちから”。ダンナはといえば、店も家族も顧みず放蕩三昧。よそで女を作り、子供まで産ませる始末。それでも”ちから”は泰然自若、店の繁盛と子育てに励むのだが、時代は戦争に向ってまっしぐら。一家もその影響を受けることに……。

 こう書くと、よくありがちな女一代記みたいだが、よく練られた脚本はステロタイプな物語にせず、登場人物の心理のディティールをきちんと描いて秀逸。
 演出の鈴木完一郎は青年座のベテラン。いわゆる「新劇臭さ」を極力排し、暗転ごとの”ミエ切り”的なシーン(好きなんだよね、中高年の芝居ファンはあのストップモーションが。合いの手のようなもので、拍手のきっかけとして仕方ないのか?)は観客サービスのために残したものの演出は緊密。

 工員の一人が出征し、そのまま帰らぬ人となったことを観客に伝えるシーンは、後年、飴屋に出戻った恋仲の女中がふとつぶやく、「仕方ないね、色恋沙汰も命あってのものだもの」のひと言でほのめかすのみ。観客の想像力に委ねた見事な脚本。
 
 継子との確執、実の子の予科練志願と事故死、愛人宅に居ついたまま赤ん坊まで作る夫。次々と出征し、戦死する工員たち。ともすれば暗くなりがちな筋書きではあるけど、佐々木愛の肝っ玉母さんは笑顔で運命を引き受けていく。夫も、つかず離れずだが、難局には共に立ち向かう柔軟さを持った男として描かれる。
 
 終幕、敗戦直後のバラックで子供たちに飴を売るのは、ちからと女中の二人だけ。戦争が終わるまでに、登場人物のほとんどが、戦死、病死してしまったのだ。荒涼とした焼け野原に飛び交うホタルに呼びかける二人。
 たくましく、いつでも明るくふるまってきた”ちから”だけに、悲しみの深さが伝わってくる。佐々木愛は声といい、しぐさといい母・鈴木光枝そっくりになってきた。老齢の鈴木光枝もやや足元がおぼつかない体を押して出演、2役を務め上げていた。さすが名女優、口跡は鮮やか。俳優座の浜田寅彦も大ベテランの風格ある演技。夫・久四郎役の青木和宣は高等遊民を気取った放蕩亭主を好演。脇もしっかり固めていた。

 創立60年。客席には50代、60代のお客さんが目立ち、若い層には古くさい芝居と映るだろうが、どっこい新しい血が継承されている。新劇を見てこんなに心を動かされるとは思わなかった。何度か不覚の涙が。文化座の底力を見直した1本。休憩15分をはさんで2時間45分。(★★★)
2001.03.10
こまつ座「泣き虫なまいき石川啄木」@新宿・紀伊國屋ホール(3月1日〜23日)

 作=井上ひさし。演出=鈴木裕美。出演=高橋和也、細川直美、石田圭祐、銀粉蝶、西尾まり、梨本謙次郎。

 こまつ座としては15年ぶりの再演。
 一幕冒頭、英国聖公会伝道医師・カルバン博士らと語らう節子。亡くなった夫・啄木の日記を処分しようかどうか迷っている様子。啄木の遺言に従えば、すべての日記類は焼却処分しなければならない。しかし……。

 一幕とエピローグに啄木の死後の妻・節子の揺れる心の軌跡を置き、本編は本郷弓町にある啄木の住まいを舞台に、晩年の啄木の姿が描かれる。

 理想と現実のギャップに悩むのはいつの時代の若者にも共通することだが、啄木も同じ。母親と折り合いが悪く、遠く青森・野辺地の寺で一人、住職暮らしをしている父をなじり、妻の不貞を疑い、友人の金田一京助の援助でなんとかその日暮らしの生活をしている自分のふがいなさを嘆く日々。それでいて、幸徳秋水の大逆事件判決に憤り、時代閉塞の状況を憂え、直接行動あるのみと、革命への希求をつのらせる啄木。
 極貧の中で、自分の才能と世の中との折り合いの悪さを罵倒し、いつか世間を見返してやろうと歯ぎしりする。
 舞台は、そんな啄木の姿を背景とし、彼を取り巻く4人の人間模様にスポットを当てる。妻・節子役の細川直美が意外と好演。母・カツ役の銀粉蝶との確執が笑いを誘う。

 出演者それぞれいい味を出しているが、なんといっても父親・一禎を演じた石田圭祐が圧倒的な存在感。酒好きで女好き。煮ても焼いても食えない生臭坊主。禅問答で周りを煙に巻く。

 演出の鈴木裕美(自転車キンクリート)はこまつ座と相性がいいようだ。もともと、彼女の演出に新劇的な要素があったのか、井上ひさし独特の笑いを散りばめた手堅さはさすがジテキンから20年。
 啄木をめぐる人々の群像劇であり、啄木自身の出番は多くないが、周辺の人々を描くことで、中心の啄木像が浮かび上がる仕掛け。それにしても、啄木の生きた時代と現代の政治・社会の閉塞感はますます似てきた。休憩10分を挟み2時間50分。(★★★)
2001.03.08
ハイライフ流山児★事務所「ハイ・ライフ@両国シアターX(3月6〜11日)

 作=リー・マクドゥーガル、演出=流山児祥、音楽=トムソン・ハイウエイ。出演=塩野谷正幸、山本亨、若杉宏二、きだつよし。

 4人組のジャンキーが銀行から大金を強奪しようと周到な計画を立てるが、実行直前におもわぬハプニングが起こり…という、構造的には、いたってシンプルなお話。96年にカナダ・トロントで初演され、ニューヨーク、ロンドンでも上演された作品だ。

  舞台の三方を客席が囲むように設えてあり、舞台後方には映画館の客席が客席正面に向かって並べられてある。舞台真上には鉄格子のような金属フレームが吊るされていて、それが降りてくることによって、舞台が居間になったりクルマの中になったりする。加藤ちかの美術は大胆で効果的。
 
 このところ役者づいていた流山児が久しぶりに演出を手がけたが、エロスと暴力、アナーキーな活力に満ちた舞台はまさに彼の独壇場。翻訳ものであることを意識させないハードな舞台となった。
  
  なによりもクスリ中毒の4人を演じた役者たちがそれぞれ、強烈な個性を放って素晴らしい。図体が大きく、キレると怖い男・バグ(塩野谷正幸)、強奪計画の首謀者・ディック(若杉浩二)、スケこまし専門のやさ男・ビリー(山本亨)、そして、ヤクで体がボロボロになったカード泥棒、ドニー(きだつよし)。4人の”壊れた”会話がめっぽう面白く、クスクスから最後は大爆笑。きだつよしのジャンキーぶりもいいが、山本亨のしなやかなエロチシズムは男でもゾクッとくる。これは予想以上のデキ。(★★★)
2001.03.06
椿組「そして春の水は河となって流れ」@下北沢「劇」小劇場(3月3〜11日)

 作=鄭義信。演出=森さゆ里(文学座)。出演=香川耕二、恒松敦巳、鳥居しのぶ、井上カオリ、太刀川亞紀(文学座)、水野あや、新納敏正、外波山文明ほか。

 1998年の新宿・花園神社テント公演「小さな水の中の果実」の改訂再演。

 幕が開くとそこは小さな理髪店。客の座る椅子にいぎたなく眠りこけているのはこの家の主。妻にスリッパで頭をはたかれ、飛び起きる。
「また、出てきたの?」
 どうやら、すでに死んでいるらしく、時々こうして妻のところに現れるらしい。 久しぶりに顔を合わせた二人が回想するこの島の小さな出来事…。

 戦時中、南方のどこかの小さな島。言葉は関西弁で、衣裳は韓国ふうでもあり、沖縄ふうでもある。つまり、「本土」とは遠く離れた架空の土地。
 ここでのんびりと暮らす理髪店一家は結婚式の真っ最中。
 
 髪結いの亭主然としたのん気な父、しっかり者の母、子供の頃の事故がもとで左足を引きずる長女・冬子、いつか島を出てジャズ歌手になろうと夢をもつ次女の秋子、才気煥発な四女の春子。そして今日の主役、幼馴染と結婚する三女で教師の夏子。
 
 しかし、華やいだムードは軍の少佐・篠田の出現で凍りつく。この日から、理髪店は軍の管轄下に置かれるというのだ。

 「戦争」を背景にした4人の姉妹たちの、それぞれの生き方がちょっぴり猥雑に、ときにはシニカルに描かれる。冬子と右足の不自由な篠田少佐の恋、別れた亭主をマネジャーに基地で歌う秋子、夫の誠意をはかりかねて若い兵士と一度だけの過ちをする夏子、そして、反政府組織に加担してスパイ容疑を受ける春子。

 冬の季節が終わった後、融けた氷が春の川に流れ込むように、庶民の悲しい事件も、また歴史の流れの中に包まれ、流されていく。

 母親役の水野あや、憲兵役の香川耕二、篠田役の新納敏正のうまさは別格。4人姉妹の性格分けもきちんと描かれており、演出は端正。小劇場のよさは役者を間近で見られること。目の光、表情の変化が手にとるようにわかる。考えてみれば、この面子を小さな劇場で見られるのは贅沢なこと。1時間35分。(★★)
2001.03.03
MONO「何もしない冬@下北沢ザ・スズナリ(2月28〜3月4日)

 作・演出・出演=土田英生。出演=水沼健、奥村泰彦、尾方宣久ほか。

 舞台は地方に巡回してきたサーカス小屋。といっても、ピエロ役の青年3人がいるだけ。あとは照明の女のコと大道具の若者。団長は宝くじで5000万円当てて、このサーカスを始めたらしいが、肝心の綱渡りやブランコ乗りはいつまでたっても現れない。空き地を貸している村役場の担当者が来て、早くサーカスを始めるよう談判。仕方なく、ピエロたちが場つなぎの余興を練習したり、大道具係がお手玉を稽古。その一方、村では不審火が続出していて、その疑いが、この村出身のピエロの一人にかかり…。
 
 設定は上の通りだが、舞台には何か事件が起こるわけでもない。登場人物たちの、かみ合わない会話、不思議な日常が淡々と流れていくだけ。その人間関係の微妙なズレが「おかしみ」を誘う。関西劇団の新星。青年座にも書き下ろしが決まった土田英生の会話劇の妙を味わう入門編といったところ。1時間30分。(★★)
2001.03.03
劇団スイセイミュージカル「ONLY ONE」@新宿シアター・サンモール(2月28〜3月4日)
台本=高橋由美子。演出=西田直木。作曲・音楽監督=八幡茂。振付=中川久美。
出演=荒巻正、藤森裕美、佐藤志穂、阿部雅浩ほか。


 98年結成のミュージカル劇団。これが初の本格的公演になる。まったく予断なしで見たが、開幕早々、「アレッ、この舞台の雰囲気は……なんだか音楽座みたい」と思ってパンフを見たら、やはり俳優やスタッフに音楽座出身が多かった。

 母体会社の不祥事で解散を余儀なくされた音楽座だが、「一粒の麦もし死なずば……」の言葉通り、飛び散った種はあちこちで芽吹いているようだ。日本で唯一、劇団四季の「膨張主義」と対抗できるミュージカル劇団になると期待していた音楽座。その解散は今でも残念だが、このように新しい花が咲き始めたとは…。

 高校教師の秋彦と冬子はある劇団の稽古場だったという古い建物を新居に新婚生活をスタートさせる。ところが、納戸を空けたとたん、若い女の幽霊が目を覚ましてしまう。彼女は初舞台の日に関東大震災で命を断たれた真夏という名の女優。秋彦たちが、中退した生徒たちを集めてミュージカルを上演しようとしているのを知ると、自分も参加させてほしいと懇願する。冬子の体を借りて稽古する真夏。しかし、次第に真夏は冬彦に思いを寄せるようになり、冬子との間に不穏なムードが……。


 中退した生徒たち一人ひとりの人生の軌跡を織り交ぜながら、真夏と冬子ーー2人のせつない愛の葛藤が描かれる。

 「対立項」がなければドラマは盛り上がらないというのが物語のセオリーだが、この舞台には決定的な「悪人」は出てこない。もちろん、稽古の途中で、はみ出すヤツ、逃げ出すヤツーーさまざまな人間模様は生まれる。真夏が自分の抑えきれぬ恋のために冬子の体を乗っ取ろうとする展開もある。
 しかし、その底流にあるのは、「やさしさ」。「この世に生まれた日から、出会いと別れを繰り返し その一日一日が私の物語」(「ONLY ONE」)と人間賛歌を謳いあげる。
 
 最初は「お涙頂戴か、その手には乗るものか」と思っていても、役者の熱演とひたむきさに、つい目頭が熱くなってしまった。
 
 ただし、歌も踊りもまだまだ勉強の余地あり。ダンスシーンはまだいいとして、歌が不安定なのはミュージカル劇団としてちょっとつらい。(★★)
2001.03.01

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