9月30日(金)晴れ

 
小泉靖国参拝は憲法違反。

 01年から03年にかけての3度にわたる小泉純一郎首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとして、台湾人116人を含む計188人が、国と小泉首相、靖国神社に1人あたり1万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日、大阪高裁であった。

 大谷正治裁判長は、参拝が首相の職務として行われたとしたうえで、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として、憲法の禁じる宗教的活動にあたると認めた。

 昨年4月の福岡地裁判決が違憲判断を示したが、高裁の違憲判断は初めて。

◇公用車を使用し首相秘書官を伴っていた
▽公約の実行としてなされた
▽小泉首相が私的参拝と明言せず、公的立場を否定していなかったこと
 以上のことから、「内閣総理大臣の職務と認めるのが相当」と判断した。

 さらに、3度にわたって参拝し、1年に1度の参拝をする意志を表明するなど参拝実施の意図が強固だったと認定。「国と靖国神社の間にのみ意識的に特別にかかわり合いを持ち、一般人に国が靖国神社を特別に支援している印象を与えた」とした。

 そのうえで、参拝の効果について「特定の宗教に対する助長、促進になると認められ、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」として、憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたると結論づけた。 (以上asahi.com)


 こんなに明確で画期的な判決が下されようとは。

 福岡地裁の靖国違憲判決では、裁判長は万が一に備え、遺書を用意していたという。三権分立ながら、すぐに小泉首相が遺憾の談話を発表したように、内閣が司法判断をないがしろにするのは小泉になってから顕著。違憲の判決を出す裁判長の覚悟は相当なものだっただろう。

 いまだ司法は死なず。


 PM7、下北沢・本多劇場で加藤健一事務所「審判」。初演から25年。今回が11公演目、楽日には239ステージを数える一人芝居。2時間半、「証言台」のセット以外何もない素舞台でしゃべり続ける。

「長距離ランナーの孤独」を耐え抜くには気力・体力はもちろんのこと、膨大なセリフをおぼえる技術が必要となる。体力、気力、技術−−役者の力量が試される過酷で濃密な舞台。

 2時間半をたった一人で演じ続けることがいかに過酷なことか。舞台の最初と最後で、加藤の顔がまったく別人に変わっていることからもよくわかる。それはあたかも60日間を地下室で過ごした主人公・ヴァホフが憑依したかのよう。

 この芝居をやるために事務所を作ったという加藤の気迫が伝わってくる、まさにカトケン入魂の舞台。

 第2次大戦末期、7人のロシア人将校がドイツ軍によって修道院の地下に閉じ込められる。軍服をはがされ、素っ裸のまま。部屋のはるか上に鉄格子があるだけで、コンクリートの壁に囲まれた密室。そこから外に出ることは不可能だ。水もなく食糧もない。

 2カ月後、失地を回復した味方の将校が2人の生存者を発見する。一人は精神を侵され、一人は「正常」。彼らはどうやって、その地下室で生き延びたのか。生き残った将校・ヴァホフが軍事法廷の証言台で語り始める……。


 極限下での人肉食。人が人を食うというおぞましい行為に傾斜していく心理、しかも全員節度ある将校たちがとった選択。その心理の過程が加藤の説得力ある演技で、見事に表現される。まるで観客がそこで立ち会っているかのような迫真の語り。時に穏やかに、時に感情を高ぶらせ、諦念と怒り、緩急と抑制の効いた加藤の演技。

 今まで何度も見ている芝居だが、その時の自分の年齢で舞台の感慨はずいぶん変わってくる。今回はあろうことか、芝居の途中で何度か嘔吐感に襲われた。人の死、カニバリズム、それらに対する身体的拒否感。年齢を重ねるということは「死」に近づくということ。そして多くの現実的な「人の死」を見てしまうということ。カニバリズムも肉体的死も若い頃は頭の中のバーチャルな出来事に過ぎない。しかし、ある時期から「死」はまさに自分のこととして実感を持つようになる。ヴァホフの体験への過敏な反応。もちろん架空の物語ではあるが、ある種の皮膚感覚を呼び覚ましてしまうのだ。


 それにしても、一度もつまづくことなく2時間半のモノローグドラマを演じきった加藤。どんな名優でもセリフ覚えが悪くなる年齢。「公演中に一度もつまづかなかったら5年後に再演する」ということだが、この分ではそれも可能かもしれない。

 終幕、証言台に立つヴァホフの上に、あたかも十字架のように照明が影を作る。神の救いはあるのか。このさりげない演出にも好感。

 唯一、客席の騒音に不快感。さすがにケイタイは鳴らなかったものの、キャンデーの包み紙を開けるガサゴソという音、紙袋をまさぐる音。それが時々、あちらこちらで響き渡るのだ。確かに、極度の緊張感がみなぎる芝居を見ていれば、飴でもなめてノドを潤したい気持ちはあるだろう。しかし、あの包み紙の音はアウト。せっかくの加藤の緊張が途切れる恐れがある。場内は飲食禁止なのだから、「ケイタイ」とともに「飲食」禁止を徹底したほうがいい。静まり返った劇場では紙の擦れ合う音は意外と響くものなのだ。

9.30終演。「草野さんが来ましたよ。○○さんと会ったんですって?」とN島さん。先日のURASUJIのこと。

 11.00帰宅。
9月29日(木)晴れ

 iPodに入れたトウィンクルや昭和ダンスパーティーを聴きながら通勤。それにしても、60年代ポップスの豊穣さよ。今聴いてもまったく違和感がない。香山美子の「夜空へのビギン」なんて、今録音しました……というくらいの新鮮さ。吉永小百合とスクールメイツの「恋の歓び」など、あまりのキュートさに鳥肌もの。奈美悦子もカワイイ。しかし、今やその面影は……。時代は変われど、節を変えていないのは吉永小百合だけかもしれない。「清純派」というだけでなく「社会派」としての矜持を持ち続けているのは彼女くらいのものだろう。やはり吉永小百合は偉大だ。

 PM4.20、お茶の水、K記念病院で鍼。
PM6帰宅。
 
9月28日(水)晴れ

 すっかり秋めいて、朝夕の肌寒いこと。Tシャツに薄手のジャケット。

 銀行で入学金の振込み。スネが細る〜。学資保険をもっと多くしておけばよかった……。

 久しぶりに、というか、今年初めてCDのコーナーを一部更新。9月までまったく更新できなかったとは。

 PM5、躰道稽古へ。水曜日だが、少年大会が近いため、引率兼自分の稽古。道場までの途中の道は街灯もなく真っ暗。付近の高層マンションから漏れてくる灯りだけが頼り。
 子供の頃の田舎の夜を思い出す。日が暮れてから近所に用事があって出かけるとき、誰もが懐中電灯で道を照らしながら歩いたものだ。夜道と懐中電灯の明かり。煌々と照らす月の光が懐かしい。真の暗闇があってこそ月の光の美しさを感じることができた。

 PM8、稽古終了。今日はH崎先生と2人で基本稽古。旋体の突き、蹴りなど。帰り道、足腰に痛み。キツいけど楽しい。

PM9帰宅。
9月27日(火)晴れ

 田舎の実家の小屋を建て直し、大きな書斎兼書庫が完成。大喜びしている夢を見ていた。昨夜、某掲示板で漫画家・バロン吉元の話題が出たので、田舎の小屋に置いてある蔵書のことが気にかかっていたのが夢に現れたのだろう。


 そろそろ高校同窓会の会報作りに取り掛からないと。毎年、この時期はバタバタしている。あと2週間。

 PM5、下北沢。ヴィレッジヴァンガードでCD物色。コンピアルバム「昭和ダンスパーティー」、60年代英国のウィスパリング・アイドル、トゥインクルの「ゴールデン・ライツ」、そしてイタリア発のオシャレなコンピ「LA DOLCE VITA」(二枚組)。

 PM7、スズナリで敦・杏プロデュース「URASUJI」。作・演出=松村武(カムカムミニキーナ)作曲:杏子&深沢敦。出演=杏子、岩崎大(Studio Life)、池田有希子、西村直人、深沢敦、ガレージシャンソンショー:山田晃士(Vo.)+佐藤芳明(Acco.)、草野徹、藤田記子(カムカムミニキーナ)、中野順一朗、森貞文則(TEAM発砲・B・ZIN)ほか。

 深沢敦と元バービーボーイズの杏子のプロデュース公演。
 客席に坂井真紀ら業界人多数。篠井英介さんに挨拶。後ろから声を掛けられたので振り向くと偏陸氏。そうか、チラシデザインが偏陸だ。


 肩の凝らない芝居。まさに、エンターテインメントに徹した歌入りアクション・コメディー。

 URASUJIとは「必殺仕置き人」のような、復讐を代行する闇の裏家業。元締めが杏子。恋人と添い遂げるために、池田有希子が「裏筋」を抜ける。その恋人が某藩の乱心の若殿とソックリのため、家老らが城に拉致。藩の取り潰しを防ぐため、若殿を亡き者にしようとする若侍の討ち入りにダミーとして備える。それぞれの思惑が交差して、恋と義理、虚と実が入り乱れての結末は。

 こんなに大笑いしたのは久しぶり。松村演出の笑いのツボはドンピシャ。特に女忍者を演じたカムカムの女優・藤田記子が抜群の面白さ。体は動くし、間がいい。草野徹・池田有希子のコンビも息の合ったところを見せ、杏子、深沢が貫禄芝居。ガレージシャンソンショーの2人がまた、役者を食うようないい味。マイク片手に、歌い踊る、娯楽ショー。1時間45分、時間もちょうどいい長さ。

 終演後、池田有希子、草野徹と立話。「共演は初めてだけど、”飲み”は前から何度か」とのこと。池田有希子の次の舞台は11月の木山事務所公演。「私にはホーム(劇団のこと?)がないから、どこにでも出なくちゃ」と池田。カーテンコールで深沢にも言われていたが、D・ルヴォーにニューヨークに誘われたが、この公演があるので断ったという。この欲のなさがいいところでもあるが。
 草野は「津軽弁の芝居『小林先生』を故郷の深浦でやりたいんですけど、なかなか制作的に厳しくて……」
 今日の舞台を見ていても草野の役者としての器量の大きさを再確認。来年当たり大きくブレイクするのは間違いない。

 9.15、高取氏に電話すると今阿佐ヶ谷で稽古中。寄ろうかどうか迷ったが、諦めて家路に。
9月26日(月)晴れ

 9.00頃、みぞおちに刺し込むような痛み。まるで胆石の痛み。家ではこの痛みが起こったことはない。ということは、仕事のストレスか。15分ほど横になったら納まる。イヤな感じ。

 小泉首相、国会で所信表明演説。「改革なくして前進はない」とお決まりの文句。




「いずれ選挙は公認を調整したり名簿の登載順位を決定する政党の幹部たちが牛耳るものとなってしまう」

「初めて選挙に打って出る新人たちは、幹部におべっかを使い、その子分になる以外に政党のなかで生きる途がなくなる」

「ちょっとでも逆らったら、すぐさま公認は取り消されるだろう」

 まるで小泉独裁政治を予言したかのような言葉の数々。

 これはなんと、小泉本人が9年前(96年)に出版した「官僚王国解体論」(光文社)で述べたもの。


 当時、小泉は細川連立政権が「政治改革」の下で導入した小選挙区制度の反対論者だった。なかでも理不尽だと主張していたのが、小選挙区との重複立候補が可能な比例代表制度だ。

「落選候補者が復活して議員の座にヌケヌケと納まってしまう。憲法第43条(国会は選挙された議員で組織する)に対する重大な違反だ」とその弊害を書き立てた。

 そして、こんな宣言までしていた。
「次期総選挙がこの制度で行われた場合、私は『当選後、必ず小選挙区比例代表制度の改革運動をする』ということを公約にして闘おうと思っている」


 もちろん、小泉が制度廃止に動いたことはなかったし、首相になってからは、小選挙区制を利用して地すべり的な自民圧勝を呼び込んだのは周知の事実。

 小泉は小選挙区制度の危険性について、こんなことも書いていた。

「二度と政権交代は起こらない巨大与党ができあがる可能性だってあるのだ。もしそんなことが起きたら、恐ろしいことになるだろう」

 まさにその言葉通り、小泉独裁政権が誕生し、政権交代など不可能な状態。

 9年前の小泉と今の小泉、2人は本当に同一人物なのか……。これほど180度自分の考えを変えるとは。口舌の徒。政治家ほど恐ろしいものはない。

PM4、銀座ビックパソコン館でDVD収納ケースとDVD−R50枚購入。PM5.30帰宅。
9月25日(日)晴れ

 7.00起床。躰道稽古へ。左足親指の痛みがひかないので、本当は安静にしたほうがいいのだろうけど。
 こんな日に限って、一般に交じって基本練習からスタート。キツイ。滝のように流れる汗。

 正午終了。H崎先生のクルマに便乗し北朝霞駅まで。

 1.00帰宅。茹でた新ジャガに砂糖をまぶし、イモきんとんに。子供の頃、昼のおやつといえば、このジャガイモの煮っ転がし。久しぶりに食すとなんともいえないおいしさ。

 昼食後、睡魔に襲われ、5時まで。疲れがたまっているのか……。
9月24日(土)雨

 PM2・34、久しぶりにバス経由でベニサンへ。2.52着。PM3、ベニサン・ピットでtpt「カルテット」。ハイナー・ミュラー1982年の作品を木内宏昌が演出。「フランス革命前夜のサロン」と「第三次世界大戦後の核シェルター」を舞台に、メルトイユとヴァルモンという2人の男女が4人の登場人物を演じる死とエロスの物語。ギリシャ神殿を思わせる朽ちた柱、その下の、爆弾の落ちた後の陥没孔、立体的な舞台美術にびっくり。千葉哲也、大浦みずきの二人が、その廃墟で甘美でエロティックなダイアローグを繰り広げる。1時間10分。演劇的刺激に満ちた時間。


 PM6。銀座。ル テアトル銀座で「GODSPELL ゴッドスペル」……と思って行ったら、ああ勘違い。池袋の東京芸術劇場ではないか。電話でキャンセル。

 気を取り直し、9時から渋谷・ユーロスペースで「野良猫ロック マシンアニマル」(1970年)の上映があるので、そちらにシフト。しかし、時間潰しの長いこと。ビックパソコン館を散策後、PM7.30表参道へ。ここでも勘違い。そこはシアター・フォーラムではないか。あわてて、渋谷駅西口へ。8時の整理券配布に滑り込み。

 喫茶店で時間を潰し、PM9、映画上映開始。
 レイトショーにも関わらず、客席は80人強。ほぼ満員。ほとんどが20〜30代。リアルタイムで日活ニューアクションを体験しているのは自分を含めて数人か。

 70年、スウェーデンに逃亡しようとするベトナム脱走兵と、彼を助けて自分たちも海外脱出しようとする2人の若者(藤竜也と岡崎二朗)。LSD500錠をカネに換えてそれを逃走資金にするため、岩国から横浜へ。そこで知り合ったマヤ(梶芽衣子)ら不良少女グループと佐倉(郷^治)が率いる不良グループ「ドラゴン」との三者の抗争と友情。

 白のパンタロンに黒のつば広帽子、梶芽衣子のカッコよさ。沢田和子とピーターパン、ズーニーブーの「ひとりの悲しみ」(後の「また会う日まで」)、そして青山ミチのダイナマイト・ボイス。ゴーゴーガール、バイク集団、サイドカー、ハマの埠頭。車椅子に乗った影の元締め役・范文雀の美しさ。

 こんなに面白い映画がビデオ化されていないとは。
 日本映画はやっぱり日活ニューアクションに限る。

 PM10.25終映。灯りがつくと、トークショー開始。長谷部安春監督がゲスト。10・45まで、当時の思い出などを。すっかり好々爺といった風情の長谷部監督。若い女性たちに握手を求められ、テレることしきり。35年前の映画に今の若い人が熱狂するなんて考えもしなかっただろう。

 10・58、栗橋行き最終電車で家路に。
9月23日(金)曇り

 祝日。AM10、娘の進学の正式な合格通知届く。AM11、義母がK市から遊びに来てくれたのでお祝いを兼ねて家族で昼食。

 昼のビールが効いたのか睡魔に襲われ、4時までぐっすり。その後、公園に行き、子供とキャッチボール。2時間、たっぷり汗を流し、ヘトヘトに。

 夕食後、サム・ウッド監督の「恋愛手帖」を鑑賞。500円DVDを買ったが、そのまま放置していたのだ。1940年、女性の社会進出を背景に、資産家の息子と貧乏な医者ーー2人の男と1人のキャリアウーマンの恋愛模様を描いた作品。ジンジャー・ロジャースの美しさ。昔の映画が何度繰り返して見ても飽きがこないのは、その映像の強度の違いか。

 PM11・30就寝。
9月22日(木)曇り時々雨

 9時起床。朝湯に入ってのんびり。午後まで日記のまとめ書き。

 夕方、家人の買い物に付き合い、7時まで。
 田舎の伯母からジャガイモが送られてくる。今年は豊作のようで、味がいいという。このように、気にかけてくれる親戚がいることの嬉しさ。


 雨後のたけのこのように国会に生えた小泉学校の小泉チルドレン。まさしくその名の通り、「子供たち」だ。

 自民党新人議員の教材には次のようなことが書いてある。

「法案は委員会で採択された後、本会議で採択される」「通常国会は1月から始まり150日間開催される」

 まるで、中学相手の社会科のおさらい。

「(好感度を得るためには)『責任の重さに身が引き締まる思いです』のフレーズが効果的」
「若い女性とばかり握手しない」
「派手な夜遊びは控えましょう」
「高価な品物は身に着けない」

 極めつけは武部幹事長の「酒席には序列がある。私はそれがわからなかったから15分前には行っていた」というお説教。

 いやはや、こんなポッと出の「新入生」を養うために国民は議員一人につき1億円の税金を使っているわけだ。情けなくて涙も出ない。
9月21日(水)曇り時々雨

 金曜日が休日のため、仕事のやりくりが厳しいということでローテーション変えて出勤。

 PM4.00。仕事を終えて新宿へ。途中下車し、銀座の山下書店で「国民の知らない昭和史」「国民の知らない歴史」(KKベストセラーズ)。高橋克彦、夢枕獏の著者名。まさか、「新しい教科書」派のようなトンデモ本ではないだろう。

PM4.30、新宿紀伊國屋裏。

 映画を観るのも中途半端な時間なので、ビックカメラをハシゴして、何か面白い製品はないかとチェック。その後、紀伊國屋書店で雑誌「紙の爆弾」、「月刊シナリオ」(佐々木昭一郎氏のインタビュー記事掲載)購入。1階の鉱物ショップでガラスケースの中の化石や鉱物を眺める。黄鉄鉱は子供の頃、田舎にたくさんあったものだが。

 歩き疲れたので、6.30〜7.15、トップスでカフェオレ(650円)。

 PM7.30、シアタートップスで「No.2」。水谷龍二の作品を蓬莱竜太が演出。塩野谷正幸、青山勝、中西良太が出演。


 カラオケ・スナックの地下事務所。上の階からはカラオケの音が漏れてくる。机の上のモニターで時々客席の様子を見る男。妻にスナックを経営させている政治家秘書だ。

 乱雑に散らかった小部屋に集まった3人の男。政治家秘書(中西)、雑誌編集者(青山)、やくざの組の若頭(塩野谷)。団塊の世代に遅れたシラケ世代の代表のような「一番になれない二番手」世代。それぞれの仕事でも「二番手」の彼ら。

 政治家秘書は自分が18年間仕えた議員が、次の選挙で、秘書ではなく議員の一人娘を出馬させると言い出し自暴自棄。

 「復讐」のため、派閥の親分の愛人スキャンダルをネタに恐喝し、大金をせしめようと計画している。二番手から脱出し、それぞれに新しい人生を切り拓きたい男たち。その計画に乗ろうとするが、番狂わせがあり、二転三転。果たして、「二番手」男たちはナンバーワンになれるのか。

 塩野谷が登場した瞬間、客席の役者仲間たちから大きな笑い。ツルツルに頭を剃り上げ、まさしくヤクザそのもの。そこまでやる?
 こすっ辛い政治家秘書という役を中西が、これまた胡散臭い三流雑誌編集者を青山が、塩野谷は「危ない橋は渡らない」という、どこか情けない若頭の造形を好演。1時間30分。ダレ場もなく手堅い演出。

 客席には鷲尾真知子、松金よね子、中嶋しゅう、有薗芳記、大西多摩恵、阿知波悟美etc。塩野谷氏らと飲み会に行こうにも、こんな濃いメンツでは気後れしてしまう。役者がロビーに出てくるのを待たずに家路に。

PM10.15帰宅。

 家人が勧めてくれた保阪正康著「あの戦争は何だったのか」(新潮新書)読了。「塩野七生推薦」の腰巻に腰が引けたが、懸念したような「右派色」の強いものではなく、いたってリベラルな戦争論。

 保阪の主眼は、観念的にではなく、具体的に歴史の事実を捉え直すことで戦争の全体像を捉えようとする。「平和史観」「自虐史観」どちらもが陥る観念的な正邪論ではなく、戦争のプロセスをきちんと検証することによって、この国の本質を問い、未来を展望しようというもの。

 興味深いのは、日本の戦争へのターニングポイントが2.26事件であるという論。1936年に起こった陸軍青年将校によるテロ事件以降、陸軍主導による国家体制は加速する。その例が「軍部大臣現役武官制」の復活だ。現役の軍人でなければ、陸軍大臣、海軍大臣になれないという制度。大正2年以降は予備役の者でも大臣になれると改正されていたのだ。

 それが復活。つまり、軍の気に入らない内閣は軍から大臣を出さなければいい。そうすれば内閣は成立しない。こうして、軍は政治に対して圧倒的な影響力を持つことになった。言葉を変えれば、内閣を意のままに操ることができる伝家の宝刀を手に入れたのだ。


 しかも、2.26事件の際、「朕の股肱の臣を殺した将校らを断固討伐せよ」と激怒した天皇は、これ以降、一切語らぬ存在となる。

「まるで、自らが意思表示することの意味の大きさを思い知り、それを怖れるかのように」

 「昭和天皇独白録」の中で、天皇は、もし自分が開戦に反対したら「国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の命も保証できない」状態になっていただろうと語っている。

 天皇をも恐怖させたテロの威力。その「テロへの恐怖」が、軍主導の国家体制を構築していく。
 その一方で天皇の神格化はますます進んで行く。天皇を神格化することで、軍部が統帥権の権威付けに利用していったと考えられる。学校に天皇の御真影を奉護する「奉安殿」が設置されたのも1937年頃からだという。このことは、もちろん、天皇の戦争責任を擁護するものではない。

 この本の主眼は「日本にとって、あの戦争の目的は何だったのか?」という問いに対し、「分からない」と答えるしかないということ。

 国家自身が目的を分からないまま戦争を始めたから。

「この戦争を主導した『軍部』および指導者達には『何をもって勝利、あるいは敗北とするか』という『戦争の終わらせ方、戦争を終結させるという考え』が何もなかった」のだ。


「高度成長を成し遂げた、その『集中力」たるや、私には太平洋戦争に突入した時の勢いと似ているように思えてしまう」「高度成長期までの日本にとって、『戦争』は続いていたのかもしれない」。

 戦争責任の一端を日本人の「熱狂体質」に求めるのはどうかという意見もあろうが、昨今の「北朝鮮・中国・韓国」に対する蔑視・反発、アジア軽視の民族主義高揚の熱気を見れば、あながち「的外れ」ではないと思う。「戦争の終結」が何かを考えることなく、走り出した旧日本軍の轍を戦後の日本人は踏んでいないか、そう保阪は突きつけるのだ。

 戦況悪化した1943年に東条英機がこう演説した。

「戦争が終わるということは、戦いが終った時のこと、それは我々が勝つということだ。そして、我々の国が戦争に勝つということは、結局、”我々が負けない”ということである」

 ???まったく意味不明の内容。
「戦争は負けたと思ったときには負け。そのときに彼我の差が出る」とも。


 まるで「自衛隊が活動するところが非戦闘地域だ」と言った小泉首相の意味不明さとそっくり。


 保坂のこの本を読むといかに東條が無能無策の指導者であったことか、はっきりとわかる。そして、その無能の指導者を戴いて死地に向かった兵士たちの無念はいかばかりか。

「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けるな」(戦陣訓)と兵隊に教え込み、無駄死を強制した東條は、敗戦から1カ月近くたち、GHQによって逮捕命令が出され、逮捕寸前にアメリカ兵の前でピストル自殺を図り、失敗する。これをぶざまといわずに、何をぶざまというのか。

 陸軍大臣・阿南惟幾は、「一死以て大罪を謝し奉る」、「神州不滅を確信しつゝ大君の深き恵にあみし身は言ひ遺すべき片言もなし」との遺書を残して8月15日に割腹自殺。

 特攻隊の創始者、軍令部次長海軍中将・大西瀧治郎も、「特攻隊の英霊に曰す、善く戦ひたり、深謝す、最後の勝利を信じつゝ肉弾として散華せり、然れどもその信念は、遂に達成しえざるにいたれり、吾死を以て旧部下の英霊と遺族に謝せむとす」との遺書をもって官邸で自刃する。

 この二人の軍人の潔さに比べて東条英機の卑怯未練。

 山田風太郎は、「戦中派不戦日記」に「『死ぬのは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ』と彼はいっているそうである。それならそれでよい。卑怯といわれようが、奸臣といわれようが国を誤まったといわれようが、文字通り自分を乱臣賊子として国家と国民を救う意志であったならそれでよい。それならしかしなぜ自殺しようとしたのか。死に損なったのち、なぜ敵将に自分の刀など贈ったのか。『生きて虜囚の辱しめを受けることなかれ』と戦陣訓を出したのは誰であったか。今、彼らはただ黙して死ねばいいのだ。今の百の理屈より、一つの死の方が永遠の言葉になることを知らないのか」と書いた。


 保坂の終章にこんなくだりがある。


「8月15日以降も、異国に留まり、マレー、インドネシア、べトナムで民族独立運動に加わった日本人がいた。インドネシアでは現地の独立義勇軍に武器を持って3000人の元日本兵が参加した。そのうち1000人が戦死し、1000人は帰国、1000人は現地に住み着きインドネシア人として生涯を全うしている。インドネシアでは戦死した1000人の日本人を国立英雄墓地に葬り、今でも英雄として扱っている」

「こうした東亜解放の戦士たちは日本では逃亡扱いされ、軍人恩給でも差別されていた」
 異国の地に「東亜解放」の大義に従って派兵され、最後は日本に見棄てられた日本人。

「大東亜共栄圏はアジアの独立・解放のためになったのだ」などとしたり顔で言う元高級軍人や政治家を見受ける。それに追随して「大東亜戦争肯定論を撒く人たちがいる。そんな彼らを見ていると、戦後、日本で安穏と暮らしながら、臆面もなくよく言うよと思ってしまう。こういう人たちに指導された結果があの戦争だったのだと改めて怒りがわいてきてしまうのだ」

 これこそ、保阪の真情の吐露だろう。


 後藤田正晴氏が91歳で死去。カミソリ後藤田として、学生運動の鎮圧に手腕をふるった警察官僚ではあったが、戦争を知る最後の世代でもある。87年にペルシャ湾への海上自衛隊の掃海艇派遣を主張する中曽根康弘首相に閣僚ポストを懸けて抵抗、派遣を阻止したことがある。強面のイメージがあるが、自民党内では護憲を標榜するハト派であり、引退後もイラク派兵に反対し、憲法改正に強い懸念を示した。郵政民営化にも懸念を表明していた。

 戦争を知る世代が引退・鬼籍に入り、戦争を知らない二世・三世のボンボン議員やタカ派小僧が政治の要職に付く時代。
 保阪氏の「後藤田さんの死は今の時代にとって限りなく大きな痛手です」に首肯。



9月20 日(火)晴れのち雨

  PM7、赤坂。草月ホールでダンス・エレマン「美女と野獣」。宇野亜喜良の脚本・美術。演出・振付:斉藤千雪。金守珍が演出協力。といっても、ほとんどがダンスシーンでセリフはなし。「芝居」の部分はなきに等しい。これでは金守珍の腕のふるいようはなかった?

 清純な娘ベル役に吉川ひなの。時折りテレ臭そうな表情を見せ、ほとんど「素」のまま。セリフがないのだから、せめて目と表情で芝居してほしいもの。妖精役の川井郁子は例によってヴァイオリンを携えて生(?)演奏。野獣役のTAKEはニューヨークを拠点に活躍中のダンサーとか。野獣の仮面をつけたまま、最後の数分のみ素顔ではかわいそう? 月蝕歌劇団の一ノ瀬めぐみは二幕目の祝宴のシーンで大きな箱から日本人形として登場。人形振りは板に付いたもの。

 吉田日出子のナレーションに物語の進行を委ねたオール・ダンス・パフォーマンス。能美健志、西原礼奈、三木雄馬といった人気のダンサーの出番になると会場のファンからパラパラと拍手。このダンスの世界の独特の「発表会」的雰囲気にはどうにも違和感。

 グッズ売り場に梁山泊の渡会さん。梁山泊がスタッフ・サポート。

 休憩時間に森崎偏陸さんと立話。愛知万博に行って来た話など。

 評論家の江森さんは、「午前中は毎日大リーグを見てるよ。おかげですっかり大リーグに詳しくなってね」と大笑い。

 時々、劇場で会う元白水社のU本さんは「会社を定年になった後、毎日芝居を見まくって、こんなに楽しいことはないよ」と語っていたが、定年後の生活はさまざま。
 江森さんいわく「定年後をどう過ごすか、生活の時間配分を今から考えたほうがいいよ」と。
 確かに、60歳定年の場合、その後の人生が長い。

 PM9.15終演。ダンス公演とはいえ、前回の「上海異人娼館」と違って、芝居の要素がほとんどない。そのため、長時間、習い事の発表会を見ていたような気分。

 受付で秋元さんに挨拶。12月に金守珍の新作映画「ガラスの使徒」がロードショー公開される。試写会を見なくては。
 もう一人、ずいぶん久しぶりに会うH島K。「子供はおばあちゃんに預けてきたんです」と笑顔。しばらく見ないうちにお母さんの顔。

 青山一丁目。半蔵門線に乗る江森さんと別れ、銀座線へ。PM11帰宅。

9月19日(月)快晴

 父と二人で海に浮かぶ磯舟(小船)で漁をしていると、海面の藻の間に一丁のピストルが浮かんでいるのを発見する。(金属製なのになぜ海に浮かんでいるの?)手に取るとずっしりと重い。試しに海面に向かって発射すると鈍い爆発音。これは確かにホンモノだ。さて、これでどうしようか……と思っている夢を見ていた。

8時半起床。

 真夏のような暑さ。義父の墓参りのため、K市へ。各駅電車を乗り換え、2時間半。関東近県とはいっても、遠い。タクシーで墓参り。その後、義母とお昼ご飯を食べて家路に。

 PM6.30帰宅。帰ってきたらキャッチボールしよう」と約束していたのに夜の帳が下りた街。それでも、言い出したらきかない強情息子。外に引っ張り出され、15分ほど、街灯の下でキャッチボール。……ったく、凝り性なのは誰に似たのか。

 毎日新聞社会面トップは第二次大戦中、多数の知的障害者が徴兵されたことが清水寛・埼玉大名誉教授の調査で明らかになったという報道。当時の兵役法では、知的障害者は徴兵の対象にならなかったが、徴兵は1937年頃から始まり戦争末期には重度の障害者さえも狩り立てられたという。戦地から本土の病院に送還された兵士のうち、少なくとも484人が確認された。徴兵された障害者のほとんどが戦場で増悪(悪化)し、内地に送還されたり、リンチに恐怖し、逃亡したりした。しかも、戦後は恩給や補償の対象から外された。「もともと障害を抱えていた」という理由で。

 一方でA級戦犯以下職業軍人・軍属は靖国神社に神として祀られ、一方は本来徴兵義務はないはずなのに、「弾除け」として戦場に送られながら、一切の補償もなくぼろキレ同然に打ち棄てられる。これが国家の正体。

 「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋防空機だ」

 日本の戦況が破局に向かうことを危惧し、航空機配備の必要性を説いた毎日新聞の新名丈夫記者がいた。この記事に激昂した東条英機は「反戦思想である」と1926(大正15)年の徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名を召集する。世に言う「懲罰召集」だ。召集されたら最後、最も過酷な戦地に送られ、生還する望みはほとんどゼロ。


 しかし、陸軍と対立していた海軍は、「大正生まれの兵役免除者を1人だけ採るとはどういうわけか」と、強硬に陸軍に抗議する。これに対して陸軍は同じ大正生まれの兵役免除者250人を急遽招集する。

 さらに陸軍は、新名を沖縄・硫黄島の「球」部隊への転属を厳命するが、陸軍中央に対する批判派がいた丸亀連隊は、新名を他の兵士と一緒に除隊させた。しかも、海軍は除隊になった新名の再招集を懸念して、海軍報道班員としてフィリピンに送り、後に内地出張を命じた。こうして新名は敗戦後も生き延び、天寿を全うする。


 悲劇的なのは、この懲罰召集の巻き添えになった「大正生まれの兵役免除者250人」の運命。彼らは新名が配属される予定だった硫黄島に送られ、全員玉砕したという。

 東条英機が一人の記者を狙い撃ちした懲罰召集。その巻き添えで死んだ250人は浮かばれない。戦争はそんな悲劇を無数に生み出す。

 民主党の代表・前原という改憲小僧と小泉の談合で憲法9条が破棄されたら、それこそ国民は地獄を見る。「今は平均寿命が長いから兵役も45歳まで」なんて言い出しかねないな、あやつらボンボンは。

9月18日(日)快晴

 8.10、S木市市民体育館着。8.30から躰道昇級・昇段審査。今回は50人強。人数が少ないので、一組につき10分程度の実技・口頭試問。学科試験は別室で。

 色帯組は大学生がほとんど。途中で一瞬、法形の所作を間違えたが、この1年で結構な場数を踏んできたためか、慌てず、ごまかすことができたが、さて、今回は2階級飛び級できるか?

 正午、別の道場で稽古中の子供と合流。家路に。

 帰宅後、子供に請われ、スポーツ用品店に少年用のグローブを買いに行き、近くの公園で暗くなるまでキャッチボール。同僚からもらったグローブが役立った。
 あんなにうれしそうな子供の顔は久しぶりに見る。

 PM9.30、「暗黒神話」を読んでいるうちに、睡魔に襲われ、そのままバタンキュー。このところ、睡眠時間が極端に少なく、芝居を見ていても、集中力に欠けるところがあった。しっかり睡眠をとらないと。


9月17日(土)快晴

 民主党の新代表に前原誠司”タカ派小僧”選出。菅元代表と2票差。改憲・9条破棄を明言する右翼議員が代表に就任したことで、名実ともに民主党は自民党の双子政党になった。二つの党の違いはほとんどない。改憲という国家の根幹に関わる部分で共通する二大政党。小泉・前原の阿吽の呼吸で改憲へのプログラムが早まるだろう。もともと民主党など鵺(ヌエ)のような党だったが、これでその正体がはっきりした。

 夕方まで会社で仕事。月曜日の入稿分まで、「あたり」をつける。これで、連休明けの朝は気持ちが楽。

 PM5、下北沢。ヴィレッジヴァンガードでCDと本を物色。

 「HOTWAX」第三号「特集・深作欣二」、高橋葉介「夢幻紳士 幻想編」(早川書房)、諸星大二郎「暗黒神話」(集英社)、近藤ようこ「遠くにありて」(小学館文庫)。CDはコンピ・カバーアルバム「Love groovy covers 」、フレンチボイスがキュートなApril Marchの「CHCK HABIT」。

 PM6・30〜10.00、本多劇場で青年座「夢・桃中軒牛右衛門の」。宮本研の名作を鈴木完一郎の演出で。孫文と親交を結び、中国革命に大きな役割を果たした大陸浪人・宮崎滔天の半生を描いたもの。津嘉山正種の病気降板で山本龍二が代役主演。やはりこの芝居は津嘉山の宮崎滔天で見たかった。山本龍二は好きな俳優ではあるが、こういう役を演じる時の「深み」に欠ける。俳優の好き嫌いは「声」でも感じるが、どうもこの声は自分の好みには合わない。もちろん、山本龍二自身は好きな俳優なのだが。

 滔天と無名の中国人の若者(後の毛沢東)との邂逅場面はこの芝居のもっともスリリングなシーン。毛沢東を演じた役者が凛々しく初々しい。

 S雲氏、M氏らに挨拶して家路に。
9月16日(金)晴れ

 PM5。渋谷。HMVなどを散策。夕飯は回転寿司をと思ったが、センター街の回転寿司が軒並み潰れたので、あたりを探すも見つからず、いつもの蕎麦屋で鴨南うどん+おはぎのセット。


 6.30、パルコ劇場で「美輪明宏音楽会<愛>2005」。受付で事務所のK井さんに挨拶。毎度の事ながら客席は若いOLから中高年まで満員御礼。客席に筑紫哲也や中島啓江の顔。振り返って顔見合わせ、有名人のご来臨にピーチク雀のおばさんたち。

 今年はシャンソン中心。いつもながらのウイットに富んだMCに客席大うけ。

 二部のラストでは「愚かな国民がバカな議員たちを選んで、さぞや本望でしょう。こうなったら憲法改正でも何でもおやりなさい。そして自分の夫や子供、孫たちが戦場に送られるといいんです。若い女性は慰安婦になって戦争に加担しましょう」と、今回の総選挙の結果に対し、痛烈な皮肉を。長崎で被爆した美輪明宏さんの戦争への憎しみは深く大きい。

PM9.15終演。筑紫氏ら著名人が多いため、楽屋待ちが長くなりそう。美輪さんに挨拶するのを遠慮して家路に。K井氏から「今度、これに出ます」と北野武の新作映画のチラシを渡される。

9月15日(木)晴れ


「所得税、住民税の定率減税も廃止の方向だ」と谷垣財務相(13日)。

「サラリーマン増税は行わない」とマニフェストで言っていたのに、圧勝したとたん、こうだもの。

 自民党筋が言うには、「『サラリーマン増税』と定率減税の廃止は全く別物。一時的な減税を元に戻すことは増税とは言わない」だと。
 これを詭弁といわずに何を詭弁というのか。
 定率減税はすべての納税者に適用されるというが、納税者の9割はサラリーマン。その廃止=サラリーマン増税なのは当たり前のこと。しかも、「減税を元に戻しただけだから増税とはいわない」などとよく言う。


 民間グループの調査によれば、先日行われた総選挙の小選挙区の投票結果は、郵政民営化に賛成議員の得票総数は3389万7275票に対し、反対議員の得票は3419万4372票。反対派が勝利していたとのこと。

 これは、郵政民営化法案に賛成だった自民、公明の公認候補+一部無所属議員の得票数と、反対派の民主党、社民、共産の公認候補と平沼、野田聖子などの反対派候補、新党の候補の得票を比べたもの。この1131人の全立候補者の、小選挙区でのそれぞれの得票を合計したら、30万票ほど反対候補の方が多かったという。

 他のグループも同じような集計をし、多少の誤差はあるものの、どの試算でも反対派の得票が上回っていた。
 民主と自民の得票率の差もそれほどではなかった。もし、総選挙でなく国民投票をやっていたら、郵政民営化は否定されていたのは確実だ。
 小選挙区制といいペテン制度を廃止しないと、民意は正しく反映されないだろう。

 PM7、信濃町。書店で中嶋彰「全核兵器消滅計画」(講談社)購入。


PM7〜9・15、文学座アトリエで文学座アトリエの会「焼けた花園」

 国境沿いの山岳地帯にある一軒家。ジョヴァンニ(坂口芳貞)とルイーザ(寺田路恵)夫妻が住んでいる。ジョヴァンニはかつてこの国の指導者であったが、政変で敗れ、一線を退いたらしい。

 ある日の夕暮れ、長い間敵対関係にあった隣国との和平交渉に参加して欲しいとかつての政治仲間トマーゾ(中村彰男)が訪れてくる。

 さらにかつての政治仲間ラニエロ(城全能成)、ライバルであったニコラ(関輝雄) 、ニコラの看護婦ローザ(愛佳)が現われ、この和平交渉に加わって欲しいと説得する。

 余命幾ばくもないニコラの説得に和平交渉への参加を決意するジョヴァンニだが、事態は思わぬ方向へ……。

 一人息子の事故死がジョバンニとルイーザの間に微妙なわだかまりを投げかけ、ローザの父親の死にもまた謀略の影が。

 やりようによってはフランチェスコ・ロージ監督のサスペンス映画のような、いかにもイタリア風の政治的謀略劇になるのだが、新人・上村聡史の演出は戯曲をなぞるだけ。まるで「劇中劇」を演じているような大仰な会話が淡々と進む。メリハリなし。まるでリーディングドラマだ。これでは舞台で役者が演じる意味はない。
 特に、中村彰男は、朗々とセリフを謳いあげるだけ。実に単調な演出。ベテラン勢、特に寺田路恵もやりにくそうで、自分に「演技をつけている」のが見えてしまう。
 新人演出家には荷が重かったか。次回作を期待しよう。

 帰り道、「全核兵器消滅計画」3分の2まで読み進める。

 SFやトンデモ科学本の類ではない。日本素粒子物理学の最高権威・菅原寛孝氏が提唱する素粒子理論を駆使した「核兵器無力化構想」を取材した極めて真面目な本。

 原子爆弾開発プロジェクト「マンハッタン計画」が頓挫しかけた「未熟爆発」という核分裂現象に注目し、地球の裏側から素粒子を発射させることによって、全世界の核兵器を小爆発させ、無力化しようというもの。なんという気宇壮大な構想。その素粒子がニュートリノ。小柴昌俊氏がノーベル賞をとったことで知られる素粒子だ。

 ウラン型原爆、プルトニウム型原爆、水爆、そして中性子爆弾……すべての「核」に有効というこの「核兵器消滅計画」。こんなことを真剣に考える科学者がいるというだけでも気持ちが躍る。しかも、それが素粒子研究で世界の最先端をいく理論物理学者の構想なのだから「現実的」とも思える。もちろん、障壁は大きいが。
 さて、残り3分の1、楽しみに読もう。
9月13日(火)晴れ


 郵政攻防の時、コイズミ会談後に缶ビールを握り潰したのがコイズミの差し金による演出だとバラした森喜朗前首相。この人の頭の中はどうなってるのか。13日付の産経新聞インタビューでこんな発言をしている。


(自民党圧勝について)
「もともと国民の関心は、年金や税制の方が上で、郵政は下の方だった。(選挙で変わったのは)賛成派も反対派も郵政のことばかり話したからだ。小泉さんも『郵政』『郵政』って余計なことをしゃべらせなかった。みんな見事にひっかかった。小泉さんによる報道管制が敷かれたようなもんだよ」

 要は自慢したいだけの「気のいいオヤジ」。町会議員程度なら、無害なオヤジで済むんだけど、一国の首相を務めた人間に、「見事に引っ掛かった」と言われた方はたまらない。まあ、引っ掛かけられた方もレベルは一緒といえば一緒なんだけど。

 で、小泉自民に投票した人たち。どうも、「改革」に躍らせれた人ばかりではなく、その根底には「憎悪」という、別の要素があるのではと辛淑玉氏や中村文則氏。

 確かに「郵政問題への無知」と片付けるには、都市部での浮動票の自民偏重の理由がよくわからない。

 出口のない閉塞状況において人々は仮想敵を求める。小泉首相に「郵政職員27万人の既得権云々」とまるで、「諸悪の根源」のように言い立てられれば、「高給・安定」の「公務員」は格好の標的になる。ねたみ、そねみ、わが身に引き替えた恨みが「郵政職員」に向かう。集団リンチのようなもの。そこに実態があろうがなかろうが関係ない。自分より「裕福そうな人たち」が目の敵にされる。

 疲弊したドイツ国民の憎しみをユダヤ人に向けたヒトラーのようなもの。その意味で、コイズミの宣伝法はゲッペルスのコピーといってもいい。

 よく考えれば、その「恵まれない自分たち」を扇動する税金泥棒の政治家にこそ怒りの矛先が向かわなくてはおかしいのに、その矛盾に気がつかない。しかも、自民が伸張して一番シワ寄せがくるのが「上に扇動されて弱いものイジメをする層」だ。
 戦争に行けば真っ先に弾除けにされるし。

 怒りを向けるべき敵を誤っていませんかねぇ……。

 このまま進めば、満州事変前夜。わざと中国、韓国を挑発して国家間をギクシャクさせてるコイズミ。国内の不満を外部に向けさせることでガス抜きする、いつもの手口。

 PM4、カトケン事務所のN島さんとお茶。11演目の「審判」がいよいよ27日から始まる。2時間半、一人で立ったまま、しゃべり続ける過酷なモノローグ芝居。絡みの芝居ならセリフが出なくても救われるが、一人芝居ではそうもいかない。「今回が最後」といいながら、11回目の公演。高齢化するとセリフ覚えが悪くなるのは、ここ数日のベテラン俳優のプロンプ騒動でもわかる。果たして、加藤健一が2時間半の一人芝居を完走できるか……スリリングな舞台になりそう。


銀座・山下書店でトマス・H・クック「」蜘蛛の巣の中へ」、齋藤蓁愼爾編「現代詩殺人事件」。


PM7〜10、六本木・俳優座劇場。ジテキンSTORE「ウインズロウ・ボーイ」
。劇場前で坂手洋二と立話。「あんな結果になるとはね」と昨日の選挙の話。これから予定しているデイヴィッド・ヘアーの新作は「尼崎事故」を想起させる作品になるという。

 さて、舞台。

「第一次大戦前夜のロンドン。ウィンズロウ家は、銀行を退職した父アーサー(中嶋しゅう)、母グレイス(中田喜子)、婦人参政権論者の長女キャサリン(馬渕英里何)、オックスフォード大学生の長男ディッキー(佐藤銀平)、海軍兵学校で寄宿生活を送る次男ロニー(渋谷圭祐)の5人家族。海軍士官候補生ジョン・ウォザーストーン(西川忠志)とキャサリンの婚約が決まったある日、ロニーが一通の封筒を持って突然帰省する。その内容は、校内で5シリングの窃盗を働いたため退学に処す、というものだった。無実を訴えるロニーの言葉に、父はある決心をする。それはウィンズロウ家の人々だけでなく、世論をも巻き込む大きな論争へと発展していく」−−というのがあらすじ(公式HP参考)。

 父親の「ある決心」というのは、息子の無実を明らかにするために、裁判に訴えようとするもの。しかし、相手は海軍。訴訟は容易ではない。そこに登場するのが辣腕弁護士サー・ロバート・モートン(大鷹明良)。キャサリンにとっては不倶戴天、守旧派の大物弁護士。ロニーと面談した彼は彼の無実を確信する。一審で海軍に退けられた一家は、最後の手段として、「権利の請願」に訴える。国王の特別の慈悲による再審である。

 2年間にわたる裁判で、父は職を失い、姉は婚約者と破談になる。たった5シリングのために海軍と国を敵に回したウィンズロウ家。人々の嘲笑を浴びながら、ついに判決の日がやってくる。果たして……。

 こんなに面白いストレートプレイは久しぶり。まったくムダがない脚本。登場人物一人ひとりの人物像がくっきりと浮かび上がる。そして、それぞれに見せ場がある。坂手洋二の緻密な正攻法の演出と相まって3時間(休憩10分)は瞬く間に過ぎ、退屈する暇などない。客席は補助席も出るほどの盛況。斎藤友子の顔も。

 長男役の佐藤銀平は佐藤B作の息子とか。父に似ず実に器用。こんなにうまい役者とは。西川忠志も西川きよしジュニアだが、これも実に味のある役者。二幕目、強権的な自分の父親と婚約者の間で揺れ動く微妙な心の動きは絶品。いい役者だ。

 中嶋しゅうはいわずもがな名優の境地。中田喜子も浮世離れした母親役を好演。二幕目での、感情の高ぶりとの対照の妙。素晴らしい。

 馬渕英里何も実によく健闘。ただ、甲高い声と発声に難。メイド役の田岡美也子はシリアスドラマの中の一服の清涼剤。ベテランの風格。事務弁護士役の大石継太も深みのある演技。そして大鷹明良には余裕と貫禄さえ出てきた。螳螂時代から20数年、「うまい役者」ではあったが、こんなに「いい役者」になろうとは。

 終演後、出口に向かう途中、声をかけられたので顔を上げると松本祐子さん。「蜘蛛女のキス」東京公演が終わったばかりとか。そうか、あれは松本さんの演出だったんだ。見損ねてしまった。残念。坂手氏に挨拶して帰宅の途。

 11.30帰宅。
9月12日(月)晴れ

 選挙速報で新聞配達遅れ。駅で買って電車に乗る。憂鬱な一日。こんな日の新聞など読みたくもない。どれもが勝ち組へのチョーチン記事ばかり。

「日本の民主主義は死んだ」と1・終面の大見出しで選挙を総括するタブロイド紙の悲憤慷慨こそジャーナリズムに必要な反骨ではないか。9.11はブル新、もとい大新聞が死んだ日でもある。

 その大新聞が今になって「郵政解散」の虚妄を言い立てても後の祭り。いつもそうだ。後出しジャンケン。言論人としてのアリバイ記事。

 その一方で、
「自民党が勝って郵政民営化されれば無駄遣いが減るかも」

 社会面にいつもの調子でこんな町の声。

 郵政公社の運営も人件費にも税金は一切使われてないんですが……。


 今回の選挙の得票率
自民47%
民主36%


 なのに、獲得議席は
自民219
民主52


 その格差4倍。

 すべての原因は小選挙区制という稀代の悪法のせい。1人しか当選できない小選挙区では次点との差がたとえ100票でも、次点候補の票は死票となる(惜敗率として比例での復活当選に反映される以外は)。土井たか子社会党が大躍進した時の選挙をこの小選挙区制にあてはめると、なんと土井社会党は8割の議席を取ったであろうという試算もある。コイズミ・自民の得票率などまだまだ。

 しかしながら、得票率差11%差で議席は4倍差。ペテンもいいところ。
 自民党の得票率に投票率67・51%を掛ければ、約31%。自民などたかだか3割政党に過ぎない。

 その3割のコイズミ信者が選んだニッポンの未来。ますますコイズミの好きな米国流「弱肉強食」経済政策が進む。

「 80年代は上位20%と下位20%の所得水準の開きが10倍以内だったのに、今はその差168倍!」(降旗節男氏)。 そこまで貧富の差が進んだとは。

 貧乏人は一生貧乏人。金持ちは生まれた時から金持ち。そんな歪んだ世界が加速度的に進む。
「自由に競争できるから、そんなことにはならない」なんて言う人はお人好し。

 「官僚養成大学」に入るには子供の頃から専門の塾に行かなければとてもムリなのは常識。今の試験など、受験のための受験。まじめに勉強したところで難問・奇問でひっかかることになってている。落とすための受験。それには入るための受験勉強をするしかない。「官僚大学」「支配者養成大学」は富裕層の師弟だけに開かれているのだ。

 今でさえ、親の収入、社会的地位がそのまま子供の生涯コースに反映する社会。それが進めば……空恐ろしい。

 コイズミよ、ホントの「改革」ってのは、そんな社会の歪みを是正することだよ。政治家二世・三世のボンボンが親のあとを継ぎ、国民の税金を掠め取る。イシハラ某の一家がいい例。まずはそんな二世議員禁止法を作ることが自民党を「ぶっ壊す」ってこと。自分も三代目だからできない相談だよねぇ。

 ふぅー、何を言っても空しい。腹立たしいというよりも、今は空しさの方が勝る。かつては都市部の浮動票が革新無党派に流れたものが、今はキャッチコピーだけの低レベル首相にコロリとだまされる。どうなったんだろう……。

 しかし、絶望は愚か者の結論っていう言葉もある。
 ネット検索すると、選挙結果への悲憤慷慨の嵐。コイズミ党員だけが国民ではない。
 コイズミが次に打って出るであろう憲法改正・これだけは阻止しなければ死んでも死に切れない。

「連帯を求めて孤立を恐れず。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして倒れることを拒否する」

 60年代にはこんなロマンチシズムあふれる宣言もあったではないか。
9月11日(日)晴れのち雨

 躰道社会人優勝大会、その後の懇親会を終えて、帰宅途中、奥田英朗「サウスバウンド」残りの数十ページを読みながら滂沱の涙。駅で降りてベンチに腰掛け、最後まで読了。「パッチギ!」が今年のベスト映画であると同様、この小説はこの20年の最高の小説。

 その大傑作の余韻の後に待っていたのは自民党圧勝の選挙結果。もうこの国に未来はない。勝手に重税にあえいで、自分の子や孫を兵隊に持っていかれればいい。図に乗った自民・小泉にフリーハンドを与え、憲法改正、段階的徴兵制復活、言論統制は目の前。

 それにしても、最後まで小泉を側面から援護射撃したテレビ局と大新聞。彼らは庶民ではない。サラリーマンの中でも最高給取りの人たち。重税になろうが、痛くも痒くもない。社会の勝ち組。

 それなのに、そんなマスコミ貴族の情報操作に踊らされて、小泉自民を信任するなんて……「愚民」。これから徹底的に痛めつけられるのは小泉自民に投票した「愚民」なんだけどね。

「誰のせいでもない、国民が選んだのだ」

 ヒトラーの戯言を、21世紀の日本で聞く事になろうとは。

 もう、この国を棄ててパイパテローマに行くしかないか。
9月10日(土)晴れ

 午後までまったりと仕事。
 PM6、ル テアトル銀座でポイント東京「好色一代女」。

 井原西鶴の原作をもとに新派の齋藤雅文が脚本。山田和也演出。音楽はジャズの島健。
 ほとんど期待せずに出かけたのだが、これが予想に反して見事な舞台。客席のほとんどである60〜70代にはもったいないくらい。

 嵯峨野の山中に草庵があり、その主・花子(佐久間良子)は10代の頃から70を越える今まで、島原の太夫から大阪の場末の“立ちんぼ女郎”まで、一生を男との交情に捧げた女。今は髪を下ろし、尼となり、弥勒という名の美少女(宮本裕子)、いつの頃からか僕として花子に仕えるからくり人形師・善九郎(近藤正臣)と共に、ひっそりと暮らしている。
 そこに現れたのは若い男二人(忍=市川亀治郎と十郎=山崎銀之丞)。忍は自分の出生に花子がかかわっているのではないかと思い、十郎は自分の父親の死に花子が関わっているのではないかと疑う。
 二人の若者に、花子は自分の生まれてから今までの色懺悔を語り出す。

 盆を使って舞台セットが変換。庵の周りには善九郎の彫った仏像が立ち並び、それは花子の交わった男たち。
 竹林の美術がまた素晴らしい。アクリル樹脂の竹はまるでホンモノの孟宗竹。何十本も立ち並ぶ竹林。照明によって、その竹が妖しく光を放つ。

 さて、物語は終盤になって、花子と忍、花子と十郎の愁嘆場へと突き進む。新派の作家の脚本だけに、この場面がなんとも見事。実の母ではと問いかける忍。しかし、花子の話のどこまでが真実なのか。亀治郎の芝居はまさしく歌舞伎であり新派の芝居。並みの役者は太刀打ちできない伝統芸の強み。やっぱり、歌舞伎のプリンスは口跡が違う。
 山崎も、全力演技。「商業演劇」なのに、全員がガチンコ勝負なので、見ごたえたっぷり。色香で男を迷わせる宮本裕子がまたいい芝居。いつからこんなにうまくなったのか。しかも、艶麗・艶姿。

 近藤正臣はとっくに還暦過ぎだが、いつまでも若々しい。そして舞台に対して真摯。京育ちは違う。

 タイトルから連想される時代ものとは大違いのモダンでパンクな好色一代女。音楽がまたスタンダード・ジャズの替え歌。快楽浄土の場で使われる「エニシング・ゴーズ」、からくり人形登場のシーンでは「ラプソディ・イン・ブルー」、ほかに「ムーンライト・セレナーデ」。終幕は「ショウほど素敵な商売はない」。
 花子が好色懺悔する場面で必ず唱えるのが「ナミアミダブツ ナムアミダ♪」
 これは映画「エノケンの法界坊」から。

 ……というふうに、パンキッシュで豪華な舞台。佐久間良子も初めての役どころらしい。
 ただ、途中でセリフがつかえ、やり直してもダメ。思わず両手で自分の頬をバシバシと叩いたのにはびっくり。大女優が一瞬素に戻るほどのパニックに襲われるちは。舞台は恐ろしい。

 有馬稲子、藤村俊二、そそして佐久間良子。ここ数日、三人の大ベテランが舞台でセリフを忘れる醜態を立て続けに見てしまった……。

8.50終演。家路に。
9月9日(金)快晴

 仕事を終えてPM4、亀戸へ。高校同窓会事務局のSさんと待ち合わせ。テキスト打ち込みの件。

 会社の仕事が100%デジタルになり、パソコン画面とにらめっこの毎日ではとても会報のテキスト打ち込みまで手が回らないし、気力が続かない。毎年この時期の入力作業は休日を潰し、ヘトヘトになりながらの打ち込みだったが、ただでさえ過重労働の毎日、もうお手上げ。テキストエディターなど見たくもない。

 というわけで、その作業をSさんのつてで引き受けてくれる人がいるというので、打ち合わせ。ついでにSさんの家に行き、同窓会HPをどう立ち上げるかの相談も。PM5まで。

 PM6、開演2分前に青山劇場に滑り込み。新感線プロデュース「いのうえ歌舞伎 吉原御免状」(原作=隆慶一郎、脚色=中島かずき、演出=いのうえひでのり)。

 宮本武蔵に育てられた剣士・松永誠一郎。師の遺言に従い、江戸・吉原へと赴くが、そこで待っていたものは、徳川家康が与えたという吉原認可状「神君御免状」の存在と、それをめぐる裏柳生との争奪戦。そして、誠一郎の出生の秘密が明らかに……。
 隆慶一郎の小説の骨子をそのまま踏襲し、傀儡子や山窩など、差別されながらも、クニを超えて移動する流浪の者たち(道々の輩)の自由を希求する闘いを描いたもの。

 シリアスなテーマだけに、いつもの新感線独特の「笑い」の要素はほとんどなし。後半登場するおばば(高田聖子)だけが、新感線らしい「笑い」を体現する。高田聖子、さすがにうまい。
 堤 真一、松雪泰子、古田新太の主演トライアングル。古田はやはりもう少し体を絞ったほうが、殺陣が生きる。
 おひょいこと藤村俊二はセリフが入らないようで、途中、プロンプの大きな声。

 休憩20分挟んで約3時間。パターン化したいのうえ演出は次の出方が見えてしまうのが難点。もちろん、エンターテインメントとして一級なのだが…。
 休憩時間に元月蝕制作の米澤氏と立話。

 PM9終演。10.30帰宅。
9月8日(木)晴れ

PM6.30〜10、新宿。紀伊國屋サザンシアターでこまつ座「小林一茶」

 十両盗んでも首が飛ぶといわれた文化7年。江戸、蔵前札差・井筒屋八郎右衛門の寮から480両の大金が消える。容疑者は食い詰め者の俳諧師・小林一茶。ところが一茶は容疑を認めようとしない。新任の八丁堀同心見習い五十嵐俊介は「犯人の立場になって考えることだ」と、自ら「一茶」になり、「吟味芝居」を演じることにする。役者は一茶の人となりを知る浅草の住人たち。しかし、「吟味芝居」が終わったあと、五十嵐の気持ちに引っかかるものが……。一茶に罪をなすりつけて、得をする大きな影が見え隠れし……。第31回讀賣文学賞、第14回紀伊國屋演劇賞を受賞した作品。推理劇の形を借りた一茶の評伝。

 70年代の井上作品らしく、ブラックな笑いとエロティックなテイストが濃厚。売れっ子・北村有起哉が一茶役。初日のせいか、ややセリフが硬いがさすがに将来の大器。高橋長英はベテランの味わい。キムラ緑子はこんなにうまい女優だったのかと改めて感心しきり。

PM10終演。
 トイレで山田太一氏と隣り合わせ。知人のHPで「老齢になり男としての機能云々」の発言をしていたとの記述を思い出し、複雑。並びの席の七字氏は「今回のウォーキングスタッフは今までで一番いい」と。残念、見にいけそうもない。M新聞・高橋氏と久しぶりに立話。先日の「ドレッサー」での西村雅彦の演技のことなど。

 初日乾杯を辞して家路に。井上都さんに会うのは久しぶり。「初日に居るのは珍しいんですよ」
 いつ見ても変わらない初々しさ。



9月7日(水)雨

 今週の日曜は躰道大会。総選挙の投票ができないので、午後から家人と二人、期日前投票に。

 駅の一角のプレハブが簡易投票所。結構投票者が来ている。死票が増える小選挙区制という稀代の悪法。迷ったあげく、小選挙区は「反対党」の候補者に投票。比例区は護憲政党に。やくざ映画じゃないが「男には負けるとわかっているケンカにいかなきゃならない」時もある。惨敗がわかっていても入れなきゃならない党もある。


 帰り、ヴィレッジヴァンガードで桑田次郎「怪奇大作戦」、奥田英朗「サスバウンド」、THナンバー23「特集:昭和幻影絵巻」(1238円)、同ナンバー24「特集:少年×タナトス」(1238円)購入。TH(トーキングヘッズ)シリーズは昔懐かしい雑誌の匂い。24号では少年王者館の天野天街のインタビューなどもあり、「少年(愛)」の全特集。読みごたえたっぷり。

 
9月6日(火)雨時々晴れ

 九州地方では台風の被害が拡大。多数の死者・行方不明者が出ている。
 
 自然の猛威。「およそ現実的でない地震」を想定したはずの原発技術者と政治家たちが仙台地震であっさり「現実の地震」によって女川原発を停止させられた「現実」。「こんな地震は起こりえない」とタカをくくって次々と「自然」をナメたマネをしていると、そのツケはいつか払わされる。人間は自分の身の丈を知るべきだろう。

 PM6.30、日本橋。三越劇場で有馬稲子と5人の音楽家による「語り はなれ瞽女おりん」(演出=鈴木完一郎)。昨年の初演直前に水上氏が亡くなったため、今回の東京公演は水上勉氏の一周忌追悼公演。青年座の水谷内助義氏のプロデュース。
 舞台版の「おりん」を一人語り用に構成したもの。

 瞽女の掟を破り、男と寝たために瞽女集団を追放されたおりん。難儀しているところを救ってくれた下駄の行商人・平太郎と兄妹の契りを交わし、二人で旅を続けて行く。平太郎は実は脱走兵で、憲兵隊に追われていた……。

「出会い」「因果」「石観音」「菩薩行」と、おりんの旅と平太郎との別れまでを4つの章に区切り、有馬稲子が語る。

 舞台上にはマリンバ(小竹満里、美形ですねぇ……)、ピアノ、クラリネット、ヴァイオリン、チェロの5人の奏者。上手から瞽女の扮装をした有馬稲子が登場、気迫のこもった芝居を見せる。

 観客はほとんど60〜70代。見渡すと自分が最年少なのではと思えるほど年齢層が高い。三越劇場という商業演劇の舞台ではあるが、鈴木完一郎の演出は客におもねった作りはまったくなし。シリアスの中にも笑いを織り込み、途中休憩20分を挟み8.10まで。およそ1章の語りが20分。演奏を含んだこの時間の配分はちょうどいい。上演時間が短くても、おりんの悲しみと、シベリア出兵から戦争に突き進む時代の不気味さが伝わってくる。

 途中1カ所だけ、セリフにつまり、プロンプの声が聞こえたが、あれくらいの間でプロンプが声を出すのは有馬稲子がかわいそう。

 終演後、青年座のS雲氏、水谷内に挨拶し、家路に。

 駅で買った週刊朝日を読んでいると、ちょうど対談で有馬稲子が登場。中村錦之助との結婚時代の話はあまりにもスケールが大きすぎてびっくり。結婚祝いで錦之助の父親からもらった900坪の土地に150坪の家を建てたのだというが、「南向き正面の庭で野球ができたんですから」「深さ4b長さ16bのプール。水を満たすのに、直径20aの水道管で二昼夜もかかった」「役者は体力勝負だからと、バスケットもできる体育館を作り……」

 昔の映画スターの生活の豪華さはケタ外れ。

 美空ひばりが錦之助と結婚寸前までいってたこと、稲子に横取りされて泣いていたこと……などもあっけらかんと語っている。

 進取の精神に富み、5社協定に背き、左翼系の独立プロに次々と出演、東宝でスカーレット・オハラを演じた後は、「こんな単純な役はいつでもできるけど、そのうち複雑な女を演じるときのために」と劇団民芸に入って一から芝居の勉強を始めた……。

 二度目の結婚・離婚で全財産を放出し、今は2間だけの家に住むとか。
 まさに波乱万丈の人生。8月の「非戦を選ぶ演劇人の会」の反戦イベントの出演者にも名前が載っていたが、まさに「あきらめない 人生」の人。


 さて、週刊朝日の同じ号に載っている内舘牧子のエッセイのタイトルは「刺客の望郷指数」。

 今年8月、吉永みち子さんと二人で訪れたむつ市で見た田名部祭りを題材に、「落下傘候補者」たちの「望郷指数」を語っている。この「望郷指数」はエッセイスト・米原万里さんの造語。故国や故郷への愛着の強さを示すもの。

 田名部祭りは北前船を通して京都・祇園祭が伝えられたもの(異説もあるが)。田名部は町中が飲み屋といってもいいくらい飲み屋が多く、招魂像が灯りに浮かび上がる聖なる田名部神社の隣ではスナック・小料理屋が立ち並ぶ「俗」が同居している。「その聖俗渾然一体となったこの町には妙な安心感と懐かしさがある」と内舘さん。

「全国どの地域にも、独自の文化があり、独自の匂いがあり、地元の人にしかわからない何かがある。『望郷』とは、それを懐かしみ、泣き出したくなるほどの愛惜の情を言うのだろう。よそ者から見たら、平凡な山や川も地元の人は胸がしめつけられるのだ」

 ここにきて、お題の「刺客の望郷指数」に差し掛かる。

 いくら「国政と地方議員の役目は違う」と落下傘候補が言っても、違和感がつきまとうのは理屈ではなく、彼らには「望郷指数」が限りなくゼロに近いことが明らかだから……と。望郷対象を共有するからこそ「望郷指数」は上がるのだ。

 内舘さんにとってほとんど初めての田名部訪問に違いないが、「五車別れ」の情景の美しさを語り、地元の人の田名部祭りへの誇りを思う……さすがに手だれの脚本家。
 ただし、都教委委員として「つくる会」の主導する扶桑社版教科書の採択に賛成した「内舘牧子」は許すことはできない。

9月5日(月)雨

 台風接近で雨風。杉並では水の被害が甚大で、水死者まで出たという。

 PM4、ジムノ担当のKさん来社、近所でお茶。10月のイベントの件。

 1週間ぶりの仕事。午後になってようやく会社に「なじむ」。たった1週間休んだだけなのに、どうも違和感が……。

 選挙1週間前。何かと忙しく、初日なのに午後6時過ぎまで仕事三昧。

PM7帰宅。

 米NBCテレビが生中継した「ハリケーン救済コンサート」で、グラミー賞受賞のラッパー、カニエ・ウェストが「ジョージ・ブッシュは黒人のことは気にしない」「政府はできるだけゆっくり貧しい黒人を助けようとしている」と、アドリブでブッシュ大統領を批判。数時間後の西部への放送で、その部分が削除されたとの外電。

 郵政民営化など目くらまし。真の狙いは憲法9条改悪のための地ならしであるというのが今回の総選挙。

 これほどあからさまな詐欺選挙が行われているのに、日本の音楽界に一人のカニエも出ないという不幸。

 古雑誌を読むときに、読者欄に眼を凝らすクセがある。20〜30年前の「面白半分」や「奇想天外」などサブカルチャー系の雑誌は特にそう。こういう雑誌に投稿する人は、きっとその後なんらかの表現活動をしているに違いない、と思うから。知ってる名前がないかチェックしてみる。


 たまたま、田舎の小屋のダンボールから引っ張り出してきた雑誌の中に「YYジョッキー」という雑誌があったので寝しなに読んでみた。79年9月号、280円。「深夜放送ファン」という雑誌があったが、その中高生版? 自分で買った記憶がないし、中身も読んだ覚えがない。どうしてこの雑誌が手元にあるのか。
 林美雄とかぜ耕士の対談記事が載っている。これを目当てに買ったのか? それにしては記憶がまったくない。


 それはさておき、ついクセで、読者投稿欄を見てみると、そこに見たことのある名前が。Mさん。元螳螂の役者で、20年ほど前、高円寺の寿司屋「M」で彼がバイトしていた頃、よく行ったものだ。
 もちろん今も某劇団で役者を続けている。
 そのMさんと同姓同名。しかもそばに添えられた制服姿の高校生の写真はMさんソックリ。

 これはもしかして、Mさん本人では……と思い、確認したところやはり本人とのこと。
 こんなこともあるんだ。ウーン……。
9月4日(日)快晴

 7.00起床。背中の筋肉痛がひどく、寝返りも打てないほど。が、子供と一緒に躰道稽古へ。
 11日の社会人大会前の最後の稽古。背中の筋肉痛で、思うように体が動かず。正午まで。

 PM2帰宅。
 夕方、理容院へ。


 こんな記事が新聞各紙に。

 東北電力は2日、8月16日の宮城県沖地震で自動停止した女川原発で、耐震設計上の最大想定を上回る揺れが一部にあったと発表した。

 原発では、過去5万年に起きた地震や直下型地震なども考慮し、「およそ現実的でない」と考えられる強さの「限界地震」を設定し、原子炉格納容器などの重要施設をそれに耐えられる構造にしている。


 「およそ現実的でない地震」の想定を軽く超えてしまったとは笑止。まさに「安全神話」は「神話」でしかなかったということ。地震国ニッポン。原発で滅びるのは間違いない。
9月3日(土)快晴

 7.00起床。
 部屋を片付け、帰り仕度。ホームセンターで買って来た真新しい玄関カーテンが風にそよぐ。

 挨拶できなかった親戚の家に立ち寄りながらクルマを走らせ、帰京の途に。不在のため伯母や叔父に会えず。残念。

 途中、福祉施設「K」でMCさんに挨拶。昨日、わざわざお線香を上げにきてくれたのに不在だったのだ。
 その後、Fさんが働く海産物土産店に寄って、おみやげ品を購入。

 そうこうしてるうちに時計は10時。電車の出発に余裕を持って……と思ったのだが、この分ではギリギリ。時間があれば、M市に立ち寄り、当地の親戚や恩師に挨拶を、と思っていたのだが、それも断念。

 クルマはスイスイ進むが市内に入り、信号待ちがたびたび。レンタカーの給油の時間もある。駅のレンタカー取次ぎ所に着いたのが、電車出発の2分前。なんでこうなるの?

「いつも時間ギリギリなんだから、余裕を持って家を出ないとダメだ」

 いつも両親に言われたものだが、このギリギリ駆け込みグセは直らない。
 困ったもんだ……。

 11.05、O湊駅発車。新幹線に乗り換えた後は、のんびりと読書。
PM6帰宅。

9月2日(金)快晴

 慣れない枕に輾転反側、そのうちトロトロと睡魔に襲われ、気がつくと枕元に朝の光が射し込んでくる。時報を知らせる有線放送の音楽で午前8時だということがわかるが、眠りの誘惑に負けて、布団から起き出すにはさらに1時間かかってしまう。

 玄関掃除をしていたら、近所のYさんが畑仕事に行くところだったので、少し立話。
 Yさんの息子のS君は中学の同級生で関西方面で仕事をしている。Yさんは、つい最近、S君の兄をを病気で亡くしたという。末の娘さんも病を抱えているという。奥さんを早くに亡くしたYさん。父の入院している病院に何度も来て、父を励ましてくれた。Yさんのような心優しい人に次々と不幸をもたらす……神とは不公平なものだ。

 AM10、郵便局で郵貯の移行手続き。
 その後、親戚回り。道すがら、デジカメで川の風景をパチリ。今は草が生い茂っている浅瀬だが、子供の頃は深い淵があり、小学生たちは鮎や山女と一緒に泳いだものだ。やがて、ダムが出来たために、川の水量が急激に減少、深い淵は消えた。その淵の上手には防空壕があり、空き缶のカンテラで狭い坑道を探検したものだ。草いきれで覆われ、当時の様子をうかがい知ることはできない。

モデルさん 正午、最北端の地へ。岸壁でウミネコを写生する人。まるでモデルになったかのように、近づいてもジッと動かないウミネコ。羽根が茶色なのは雛なのか? ほほえましい光景。

 時折、スコールのように雨が降り、観光客は食堂に雨宿り。「まぐろ丼」を注文する客。ところが、仕入れの不備から「今日は売り切れ」の答え。今年はマグロがかなり揚がっている。材料がないわけではない。せっかく有名なマグロを食べに来たのに、残念そうな観光客たち。
 こういう点が観光地としては未熟。
 1日しか滞在しない観光客だったら、当地への印象が変わってしまうだろう。

 PM1.30、S製材所のYさんを訪問し、しばし談笑。その後、町役場へ。期日前投票所で従姉がアルバイト中。遠縁の親戚Sさんを紹介される。

 町史(7000円)を買いにひとまず教育委員会へ。同級生が要職に。「どうぞ、上がってって」と言うので、彼としばし談笑。子供の頃、同じ町内会だった下級生が職員として働いている。数十年ぶりの再会。子供の頃の面影が残っているので、不思議な感覚。

 せっかく来たのだから新町長に会っていこうと思い、役場に戻り、町長の会議が終わるまで同級生のHとダベリング。

「小泉首相はけしからん。自爆テロをやりたいくらいだ」と吐き捨てるH。
 都会では小泉支持率が上昇というが、田舎では小泉的弱肉強食政治への怨嗟の声が意外と多く聞かれる。政治を語る土壌ではないと思っていたが、これほど小泉政治を批判的にとらえる人が多いとは。

PM3、K町長に案内され、二階の町長室へ。小一時間雑談。町村合併や町興しの話。K町長は確か6歳年長のはず。若く、活動的な町長の誕生で役場の風通しもかなりいいようだ。ともすれば権威風吹かせたがる田舎政治家とは違って、謙虚で清新。旧世代に負けず、頑張ってほしいものだ。

 PM5、海峡保養センターで入浴。従弟の嫁さんとバッタリ。8月からここで働いているとか。旧知の支配人Mさんと同級とのこと。
 PM6、親戚の家で軽くビールを。7.30、従姉の家で夕食。殻つきのウニのおいしいこと。

 10.00まで、従姉達と楽しいひとときを過ごす。

 帰宅し、バロン吉元「昭和柔侠伝」を読みながら寝入る。
 ダンボールに、上京した頃、友人からもらった手紙が何十通も。取り出して読んでみる。もう何十年も音信不通の彼ら。この頃はこんなにも熱い手紙のやり取りをしていたのだ。


9月1日(木)快晴

 AM9・15、O宮駅から新幹線乗車。
 電車が北上するにつれ、窓外に飛び去る景色に旅情を催す。

 バッグから取り出した読み止しの井上靖「しろばんば」を読み進める。

 大正4、5年の頃、天城山麓の山村の土蔵の中で、曽祖父の妾である、おぬい婆さんと暮らす少年・洪作の魂の成長の軌跡を描いた名作ではあるが、実のところ、中学時代から何度も読みかけては中断し、これが初めての通読。

 遠ざかってしまった少年の日々の心理をこれほど鮮やかに描いた作品はほかにないのでは。型通りの描写に陥りがちな昨今の小説から見れば、1962年に刊行されたこの小説ははるかに新鮮。

 例えばこんな場面がある。

 新任の御料局(帝室林野管理局)の天城出張所所長一家が村に越してくる。その娘・あき子の、村の子供たちとは違う立ち居振る舞いに、洪作はほのかな想いを抱く。そして、ある日、あき子が悪童達によって落とし穴に落とされ無残な嘲笑を受けたとき、彼は自分でもわけのわからない衝動に突き動かされ、落とし穴を掘った首謀者に向かって突進する。相手は腕力自慢の紋太。洪作はおとなしくて非力。しかし、暴力衝動に駆られた洪作はその相手を石で殴りつける。

 通俗的な小説なら、この後、洪作とあき子の間に、新たな親愛の感情が生まれる展開になるのだろうが、この事件以来、あき子は道で洪作と会っても憤ったような顔を見せ、疎遠になっていく。洪作もまた、自分があき子に惹かれていた気持ちを失くすのを感じる。

「どうしてこういうことになったか理解できなかったが、洪作にはあき子という自分より一つ年長の都会風の少女が、紋太を傷つけた事件以来ひどく色褪せたものに見えて来たのであった」


 作品中、洪作の叔父の校長先生として登場する石守森之進なる人物は気難しく、洪作に会えば、小言しか言わない謹厳居士。その妻も同じような気難し屋。人間としての感情を表す場面はほとんどない。それが、洪作の旅立ちの時、洪作を乗せたバスが石守家の前を通過するとき、息子と三人、路傍に立ちバスを見送っている。
 母も洪作も腰を上げ、窓から三人の方へ頭を下げるが、彼らは頭を下げなかった。

「二人とも気難しい顔をして、バスを迎え、バスが彼らの前を通り抜けるに従って、その首を回して、バスを見送り、そしていつまでもその首を動かさないで立っていた」

「このとき、ふいに洪作は感動が突き上げてきて、自分の眼から涙が噴き出してくるのをどうすることもできなかった。あれだけ多勢の人の見送りを受けたのに、それほど悲しさは感じなかったが、なぜ、いま気難しい伯父伯母の見送りを受けたとき、悲しみが衝き上げて来たか判らなかった。」

 このような不条理とも思える少年の心理を果たして書ける作家がいるのか。
釜臥山

 PM2。O湊駅着。改札を抜けると一足先に到着したNさんのお出迎え。バイクで遠路はるばる富山から。
 久闊を叙し、ひとまず解散。

 まずは、老人保養ホームに入所している伯父の見舞い。私の顔を見ると嬉しそうな笑顔。しっかり者だった伯父が……。本当に神は不公平だ。クルマに戻るも、涙止まらず。

 PM2.30、一路、実家へ。飛ばして片道1時間。途中、道路掲示板の気温29度。東京並みの暑さ。

 国家プロジェクト工事が進み、隣町との境は新しい迂回路ができている。来る度に変わって行く故郷。

 町境の海岸路を抜け、自分の町に入るあたりで、胸に言い知れぬ寂寥感。
 帰省のたびに、何度となく通る道。高校時代のバス帰省の時代から、この道に差し掛かるとき、なんとはなしに胸高鳴るものを感じたものだ。
 家で母が、父が心待ちにしている。自分を待っていてくれる人がいるという嬉しさ。
 それが……からっぽの家だけが待つ二度目の夏。心空しい晩夏。

 PM3.30着。カギを開け、裏口から家に入る。思ったほど熱気はこもっていない。それでも、人の住まない家の、すえたにおいが漂う。
「ただいま」と声をかけても、それに応える声はない。
 バケツとろうそくと線香を持ち、お墓に。お盆に親戚が掃除してくれたため、まだお墓はきれいなまま。雑巾で墓石をきれいに洗う。そして、両手を合わせ、わざと独り言を言ってみる。
「なんで、こんなに早く二人そろって石の下に……」

 空は晴れ渡り、うららかな夏の午後。

 PM4.30、再び、M市へ。PM5.30、ホームセンターで玄関の錠を買い、その足で通称「妖怪ハウス」へ。N氏爆酔中。PM7、会議を終えたBz、T旅館のG氏の4人で「鳥昌」で夕食。地域興し諸々で議論白熱。久しぶりの透明なイカ刺しに舌鼓。PM9.30解散。10.30、帰宅。

 町の家々は灯が消え、街灯だけがぼんやりと。
 家に入るが落ち着かない。がらんとした家に一人きり。二階に布団を敷き、寝入るまで古い映画や芝居のチラシを見たりして時間つぶし。実家はタイムマシンのようなもの。AM1就寝。

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