2月26日(月)晴れ

 朝、仏壇の前に座り、ろうそくと線香を手向け、遺影に手をあわせる。そしていつも同じことを思う。なぜ、2人はここにいないのかと。「千の風になって」で癒されるのはほんの一瞬。肉親の死はいつまでも引きずるものだ。
 家人から聞いた話だと、友人の旦那さんは、両親をほぼ同時に亡くして、それ以来会社に行く以外は自室に引きこもったまま、5年間も家庭内別居が続いているという。彼もまた一人っ子だというが、それほどまでにショックが大きいのか……。

 CIAが故児玉誉士夫を「ギャング、うそつき、盗人」と酷評していたと解禁された米公文書で明らかに。
 25日の時事電によれば、米中央情報局(CIA)が第2次大戦後、右翼の大物といわれた児玉誉士夫について「情報要員としての価値は事実上ない」と判断していたことが、このほど解禁された米公文書で明らかになった。
 1953年9月10日付のCIA文書は児玉に関して「ギャング、うそつき、盗人であり、彼の目的は母国の行く末に関係なく、富や権力を得ることだ」と決め付け、「情報活動を行う能力はなく、利益を得ること以外に関心がない」と酷評している。

 60年安保で岸首相の要請に応じ、全国の博徒、ヤクザ、暴力団を糾合して大衆鎮圧に駆り出した児玉。その「見返り」がヤクザ側にほとんどなかったといわれるが、政財界の支援資金はどこに消えたのか……。


 またしても安倍内閣の閣僚の暴言。
 今度は伊吹文明文科相だ。

 25日、長崎で行われた自民党支部大会で「大和民族がずっと日本の国を統治してきた」「日本は極めて同質的な国。悠久の歴史の中で、日本は日本人が治めてきた」と発言した。アイヌ民族はもちろんのことだが、日本は古来から大陸系の帰化人も多い。種々雑多な混交民族といってもよい。「単一民族」など幻想でしかない。そもそも、「大和民族」って何?? 文化も歴史も知らないヤツが文科相なのだからお笑いグサだ。


 さらに、「人権は大切だが、尊重しすぎたら日本社会は人権メタボリック症候群になる」とも言っている。人権よりも国家。国に従う滅私奉公の心を持てということらしい。笑いを通り越して背筋が寒くなる。こんな輩がバッコする安倍内閣。さすがは岸信介の孫が集めた「人材」だけあって、親分そっくり。

2月25日(日)晴れ

 0700起床。0900、躰道稽古。
 花粉症が怖いのであらかじめ薬を服用。2週間ぶりの稽古。
1130、稽古を切り上げ、ミーティング。途中からロビーに場所を移し、1330まで。少年少女の部の遅刻問題や指導スケジュールの問題。

1430帰宅。
録画しておいた「ラインの仮橋」(アンドレ・カイヤット監督)を見る。

 パン職人のロジェ(シャルル・アズナヴール)とジャーナリストのジャン(ジョルジュ・リヴィエール)は徴兵され戦場に行くが、ドイツ軍の捕虜となる。

 尋問で「職業は農民」と答えた2人はドイツ人農家で働かされることに。ロジェは村長の家で農作業や小間使いを。
 ある日、ジャンは、村長の娘を色仕掛けで攻略し、クルマを奪って脱走する。しかし、純朴なロジェは、村長一家を裏切ることが出来ず、村にとどまる。やがて、ロジェは村人の信頼を得て、出征した村長の代わりに、新しい村長を務めるまでになる。

 一方、パリに戻ったジャンは、反ナチスの論陣を張り、親ナチスの新聞社社長と対立する。
 そしてパリ解放。新社長は満場一致でジャンに。
「勝ち組」になったかに見えたジャンだが、恋人がゲシュタポの愛人として生活していたことを知り苦悩する。一方、ロジェは、解放され、故国に戻るが、出迎えた義父と妻はよそよそしい。自分を必要としてる人は誰なのか。
 ロジェは再びラインの仮橋を渡る。さすがはベネチア国際映画祭グランプリ受賞作。
 派手な戦闘シーンがなくても、戦争の残酷さがきっちりと伝わってくる。戦争が国民にどんなにむごいことを強いるか。戦争は単純なものではない。 敵国ドイツの農民たちもまた家族が戦争に駆り出されることに慄く、ごく普通の人たちなのだ。敵である「フランス人奴隷」に最初は心ない仕打ちをした村長の息子が次第に心を通わせるようになり、少年兵としてトラックに積み込まれるシーンでは、彼をロジェがやさしく抱きすくめる。一方で、ナチスに占領されたパリではナチスに媚を売るフランス上流階級の人たちもいる。戦争は白黒単純ではない。


 夕方、パソコン対応のMDウオークマンで、録りためたラジオドラマMDを転送。ファイルが分散するのでちょっと使い勝手がいまひとつ。
2月24日(土)晴れ

 1300〜15.30、東京駅へ。丸ビルの中にある丸ビルホールで横浜夢座「ヨコハマ・キネマホテル」(脚本=福田卓郎、演出=遠藤吉博)。

 横浜を中心に活動する市民劇団・夢座の東京公演。大正時代、横浜にあった大正活映撮影所。そこに集う夢多き若者たち。トーマス栗原、谷崎潤一郎、内田吐夢、江川宇礼雄、ハマっ子女優第一号の紅沢葉子ら。舞台は撮影所裏にある通称キネマホテル。ここに滞在して「横浜行進曲」を作ろうとしている女流作曲家と彼らの交流を軸に、ロマンと活気にあふれた時代に生きる人々の姿を描いたもの。
 ヨコハマをこよなく愛する五代路子の思い入れが伝わる作品。しかし、寝不足のため、睡魔に襲われること度々。

 終演後、エレベーターホールでI田信之さんとバッタリ。偶然、同じ舞台を観に来ていたのだ。このところ、何度か電話をしようと思っていたのでビックリ。道すがらおしゃべり。出版の件、まだ未定とか。

1600、帰社。

1900、三鷹へ。武蔵野芸能劇場で「風待公園」。劇作家ふたくちつよしの20年前の初期作品。「家の中は小型原子炉で発電してます。五重の防御があるから大丈夫」というセリフがあるのはチェルノブイリ原発の事故があった直後だからだろう。
 公園で何かを待ち続ける人の男。噴水で見つけた時計をめぐって、ひと悶着。これに1人の男と1組の男女が加わり、擬似家庭劇に。「ゴドー待ち」から別役実風の不条理劇になり、儚くも美しい幕切れ。
 「風薫る日に」のような作品を期待して行ったら、ずいぶん作風が異なる舞台。作者の原点としての「若書き」の清新さは伝わってくるが……。

1時間45分。差し入れ持参という「仲間内」の観客が多いようで、ロビーは立ち話の輪がいくつも。

2230帰宅。
2月23日(金)雨

 1500、西巣鴨。 にしすがも創造舎「アトミック・サバイバー」。にしすがも創造舎は「アートネットワーク・ジャパン」と「芸術家と子どもたち」の二つのNPOが共同で管理運営している文化発信地。廃校跡地を転用しており、舞台は校舎の中の体育館(?)。

 平日昼にも関わらず、観客50人ほど。

 演劇で日本の原子力政策に斬り込むという大胆不敵な企画。国策への挑戦。チェーホフの戯曲の一部をコラージュした「村議会」や六ヶ所村を取材したビデオリポートなど映像も多用。エンディングは原発事故対策にはとろろ昆布を!という「トロロソング」ダンス。

 しかし、メインは核燃料再処理、放射性廃棄物貯蔵問題を目に見える形で舞台化しようというもの。谷川清美が原子力館の案内嬢に扮し、今現在の日本の原子力状況を紹介する。
 それは、核燃料再処理問題であり、放射性廃棄物の最終処理場問題など。これを、俳優たちが現場作業員に扮して、シミュレーションするのだ。模型を使い、原子力発電の構造や、再処理の過程を視認させる。
 具体的に「絵」にされることで、再処理の過程、廃棄物のガラス固化といった問題が現実に身近に引き寄せて感じ取れる。
 堀江邦夫の著書「原発ジプシー」を元に再現した原子炉内部での作業現場のシーンなどは息苦しくなるほどの臨場感。

「賛成・反対のメッセージを押し付けるのではない。現実をそのまま舞台に乗せることによって観客に問題提起するのだ」と作者の阿部初美。
「演劇的な成果」は別にして、こんなテーマで舞台を作ったその勇気に敬意を表したい。

 夜、「花より男子 2nd」を。「ありえねー話」でも、ドラマ的真実があればそれでいいのだ。

2月22日(木)晴れ

 1900、池袋。東京芸術劇場・中ホールでミュージカル「ブルックリン」。 

 アメリカ人の父とフランス人の母との間に生まれた娘ブルックリン。父親(石井一孝)はフランスを放浪中のシンガー・ソング・ライター。母(シルビア・グラブ)はパフォーマー。父親はアメリカに呼び戻され、ベトナム戦争に徴兵される。赤ん坊が生まれたことを知らない夫。帰らぬ恋人を待つ間に精神に異常をきたした母は自殺。成長した娘は、まだ見ぬ父親を探すため、父親が残した未完成の歌を持ってアメリカへ渡る。自分と同じ名前の街ブルックリンで、歌手として活動しながら父親探しを始めるが、ブルックリンの極貧の中から這い上がったライバル歌手(マルシア)が邪魔をする。

 これはスゴイ。10年に一度あるかないかの奇跡的な舞台だ。今井清隆、マルシア、石井一孝、シルビア・グラブ、いずれも一騎当千のミュージカル俳優。それがソロをとったり、コーラスにまわったり、舞台転換したり、八面六臂の活躍。元Do As Infinityの伴美都子がどの程度、彼等に伍して歌えるか不安だったが、もうまったく問題なし。その歌唱力は驚嘆するばかり。

 本格的ミュージカルは初出演というが、ベテラン勢を圧倒するピュアな存在感。マルシアの歌のうまさは神がかり的。それに輪をかけて素晴らしい歌唱。歌、演技、演出、ストーリー、そして音楽の素晴らしさ。見ている途中で体が震えてくるような興奮と恍惚。こんなに素晴らしいミュージカルを見たのは初めて。おそらく、同じメンバーで再演しても二度とこの舞台は再現できないだろう。今、この瞬間の伴美都子と共演者の絶妙なコラボレーション。


 黒川紀章が都知事選出馬表明。なんのことはない、盟友・石原慎太郎の援護射撃に過ぎない。これで、誰が「反石原」で立候補しようと、票の食い合いで、石原の当選は限りなく確定的になる。石原慎太郎の隠し玉の役割。うまく考えたものだ。

2月21日(水)晴れ

 0730ゴミ出し。午後、家人と外出。大学から戻った娘も合流し、3人で喫茶店へ。
 帰宅後、録画しておいた「影」「夜行列車」を見る。ともにイェジー・カワレロヴィッチ監督。
 スターリン時代のポーランドを舞台に、戦中戦後を通じて起こった3つの未解決事件から浮かび上がる謀略の匂い。スタイリッシュでサスペンスフル。

「夜行列車」は−−。バカンスで海辺の保養地に向う夜行列車に乗り合わせた人々の人生の断片。見知らぬ男から切符を買い、夜行列車の寝台車に乗ったマルタ。彼女を追いかける恋人。列車に乗っていると思われる妻殺しの犯人は誰なのか。若者役は「灰とダイヤモンド」のチブルスキー。夜の闇をひた走る夜行列車の乗客、それぞれの人生。クールな美貌のルチーナ・ヴィニエツカが陰影のある演技で魅せる。

 憑かれたようにラジオドラマを整理、劣化しないようにデジタル化する日々。
2月20日(火)曇り時々雨

 ケイタイにK條さんから着信。何だろうと思ったら、間違いメールが届いたらしい。電話したついでにあれこれ四方山話。

 
1900。三軒茶屋。シアタートラムで「ヒステリア」(作=テリー・ジョンソン、演出=白井晃)。


 舞台は1938年、ロンドン。ナチスに追われ、4人の妹をウィーンに残したまま亡命したフロイト(串田和美)。精神分析の泰斗として有名なこの人物も、口蓋がんの進行によって余命いくばくもない。ある日、彼の元に、一人の少女(荻野目慶子)が訪ねてくる。「私はあなたのアニマです」と言う彼女の狙いは、フロイトが過去に診断した女のカルテ。追いかけっこの末に、消えたかと思うとまたトイレの便器の中から現れる少女。そこに主治医(あさひ7オユキ=朝比奈尚行)が現れ、フロイトの遺書ともいうべき「モーセと一神教」の出版を断念させようとする。「ユダヤ教の始祖・モーゼはユダヤ人ではなくエジプト人だった」という推論を展開した本はユダヤ人にとって、いわば禁断の書。

 そこに、シュールレアリスムの画家ダリ(白井晃)がやってくる。シュールレアリスムの「師」であるフロイトに自作の「ナルシスの変貌」を見せるためだ。この奇矯な人物の登場にとまどうフロイト。4者の出会いはやがてシュールな色彩を帯びてくる。

 ダリとフロイトの会見という史実をもとに、フロイト晩年の葛藤を描く知的コメディー。
 カーネル・サンダースおじさん風のフロイトに扮した串田和美が膨大なセリフをものともせず、大奮闘。俳優を兼任する白井晃の演出も的確。
 まるで、ドールハウスのようなフロイトの部屋。芝居が進行するにつれ、部屋の時空間が歪むという演出は、まさに手馴れたもの。
 ドアが伸び、壁の時計が流れ出す。部屋が斜めにかしいで、それはあたかもダリの描くシュールな絵画のよう。

 遊◎機械/全自動シアター時代の「僕の時間の深呼吸」で主人公山田のぼるクンが、病院で診察するシーンがあったが、奇妙な医師に診察されるうちに、悪夢に入り込む場面はまさしく、フロイトの精神分析の具現化。10数年後、フロイトの芝居を白井晃がやるのは必然だったのだ。

 少女はフロイトが生み出した「ナジャ」なのか。知的興奮に満ちた2時間15分。
 21.15、ポストトークはパスして家路に。帰り際、福士恵二と立ち話。川村毅の「AOI / KOMACHI」の稽古中とか。

 電車の中で、池波正太郎「忍びの女」上巻を。確か昔読んでいるはずだが、時代劇が読みたくなったので本屋で思わず購入したのだった。

2月19日(月)晴れ


 寺山修司が「幻想=虚」にこだわったのは、制度を変えたところで、それは真の解放ではない。さらなる幻想に絡めとられるだけだということを見通していたからだ。民主主義という政治形態にあっても、いまだに天皇制という壮大な「幻想」に支配されている日本人。そこから解放されるにはそれを凌駕する「幻想」しかない。政治が解放するのは、ほんの一部だけ。政治主義の黒テントと寺山修司が相容れなかったのは当然だ。幻想こそが解放のための武器なのだと、寺山修司は言い続けたのだ。恐ろしい勢いで「制度」に回収されていく人たち。時代に抗するには狂気と幻想しかないのか。……などと、朝の通勤電車の中で眠りに落ちる前に考えていた。

1530〜1700、委員会。

1830帰宅。アマゾンに注文した「ヘアー」のDVD(1000円!)とCDが届く。映画のサントラと勘違いしてブロードウェイ・ミュージカルのオリジナルキャスト盤を注文したが、これもなかなかいい。愛と自由と平和。もはや今の時代では「死語」と化したこの言葉だが、映像の中では今も「愛と自由と平和」が満ちあふれている。

2月18日(日)雨

 体調イマイチで躰道稽古休み。雨の中の東京マラソン。石原都知事の選挙対策イベントに天も怒りの涙?

 先日読了したコーディ・マクファディンのサスペンス「傷痕」の中に、「おまえはオレの所有物だ。子供を産む道具(ブリーダー)さ。オレにとってお前は道具に過ぎないんだ」という異常犯のセリフが出てくるが、まさかこの「ブリーダー=産む機械」という言葉をニッポンの政治家が使うとは作者のコーディも思っても見なかっただろう。


2月17日(土)晴れ

 1700帰宅。1900からささやかな宴。帰宅してBSのGS特集。懐メロ番組を見るようになるとオシマイというが、40年後の元GSスターたちの現在を見るのも悪くない。いい感じで年齢を重ねている人の顔を見るのは心が癒される。

 カップス、ジャガーズなど人気のGSにまじってハプニングス・フォーが出ている。クニ河内、チト河内ら実力あるメンバーの演奏は今聴いても実に新鮮。2002年から再活動しているようで、出演者の中ではダントツンの演奏・ボーカル。現役の強み。オックス・真木ひでとと一緒に「オックス・クライ」を歌っていたら、いつの間にか後ろに豚児が。ヘッドフォン耳にしてたので気がつかず。夜中にひとりで歌ってアクション、ヘンな父親だと思われたか。

2月16日(金)晴れ

 こういう人物が国民の健康や雇用や福祉のトップに立ってるニッポンって何?

 15日の参院厚生労働委員会で一部労働者の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度に関する質疑の場面で、生産現場で働く従業員について、柳沢厚労相がこう言った。

「工場労働者というか、そのぉ、ベルトコンベヤーの仕事。労働時間だけを売り物です、というようなところですね」

 柳沢大臣は残業代ゼロ制度の対象外となる労働者もいるということを説明しようとしたらしいが、「ベルトコンベヤーの仕事」とは……。女性を機械に喩える人間だから、ブルーカラー労働者を「作業ロボット」と見るのもムリはないか。
 こんなヤツが大臣を務められるのだから、自民党政治のレベルは知れたもの。

1900、天王洲アイル。銀河劇場(元アートスフィア)でオンタイムプロデュース、LIVE&PARTY2007「ジェネレーションズ」(構成・演出・出演=石原慎一)。

 Tinaが出演していたので見に行ったのだが、思わぬ拾い物。

 ミュージカルの名曲をライブ感覚で構成したもので、まずは「ヘアー」から「アクエリアス」「レット・ザ・サンシャイン・イン」。ジーンズ、サイケ、部族風ファッションの出演者が全員で振り絞るようにフィフス・ディメンションの名曲を歌うその姿はまさに60年代。ベトナム反戦、ラブ&ピース、胸に熱いものがこみあげてくる。これを見ただけで、今日来た甲斐があった。

 14人の出演者の中では伊藤恵理が抜群の歌唱力・表現力。鈴木ほのか、真織由季もいい。Tinaはシンガーのイメージが強いが、「RENT」でミュージカルデビューしたのだった。

 第一部は「ジーザス・クライスト・スーパースター」「RENT」「リトルショップ・オブ・ホラー」「フェイム」から、石原慎一、山形ユキオ、高橋洋子らがソロ、コーラスを。第二部は「GODSSPELL GALA」と題した名曲集。宮川浩、戸井勝海、新納慎也、野沢聡ら。第一部の出演者の歌と軽妙なMCに比べて、トーク、チームワークはレベルダウン。
 野沢聡は野沢那智の息子だとか。終演後、客席に一人座る野沢那智を発見。

 2100終演。

 劇場の向かいの雑貨屋はいつの間にか店をたたみ、そのあとには書店が。

「大谷吉継特集」をしている雑誌「歴史街道」を買う。

 関が原の戦いで敗走、壮絶な自刃をしたこの稀代の知将・武将。真田幸村、宇喜多秀家らと並ぶ、戦国時代のマイ・ベスト武将。敗北を予感しながらも、石田三成との友情に殉じ、西軍についた大谷吉継。出生不詳で謎の多い戦国武将だが、ハンセン病とも、進行性眼疾ともいわれる業病を得ながらも、頭脳明晰、勇猛果敢、病のため、鎧をつけることができず、衣に鎧の絵を描かせて出陣したそのダンディズム。「義」に殉じた男の享年42歳。戦国時代は武士道などという「道徳訓」もなく、ひたすら、己の「利」が最優先された時代。その時代にあって、三成との「友情」を優先させた大谷刑部吉継。言葉と行動が同じ重さを持っていた時代。言葉は思想であり哲学。「失言・暴言」しても、馴れ合いで納まってしまう今の時代の政治家や企業人は大谷吉継の「義」は千年たっても理解できないだろう。
 

2月15日(木)晴れ

 1620。K記念病院で鍼。

1800、三軒茶屋。「はとぽっぽ」でさんま定食と目玉焼き850円。

1900、パブリックシアターで「地獄八景 浮世百景」(脚本=東野ひろあき、演出=G2)。
 桂米朝の「地獄八景亡者戯」をもとにした波乱万丈のコメディー。
 恋しい女を亡くした若旦那、閻魔大王の機嫌を取り結んで無事に彼女を生き返らせることができるのか。閻魔に松尾貴史、若旦那は「犬夜叉」の佐藤アツヒロ。意外と好演。
久々に舞台で見る升毅。相変わらず絶好調の山内圭哉と芸達者ぞろい。高橋由美子の宙乗りもあり、サービスたっぷり。

 21.20終演。
2月14日(水)晴れ

 午後、家人と買い物。
 その他の時間はラジオドラマの整理。デジタル化、出演者、演出者などのデータを聞き書き、放送日不明の作品は、その前後のニュースや、CMのキーワードを手がかりに、放送日時を特定する。我ながら根気が続くこと。

2月13日(火)晴れ

 1700、下北沢。ヴィレッジヴァンガードで1時間以上も時間潰し。それでも時間が余り、1階の喫茶店でお茶。
1900、スズナリで演劇企画集団THE・ガジラ「セルロイド」(鐘下辰男作・演出)。

 舞台上にゴミの入った大量のゴミ袋が散乱。まるで、坂手洋二の「東京ゴミ袋」。登場人物は引きこもりの兄(真那胡敬二)、幻想の父(大久保鷹)、若者(伊達暁=阿佐ヶ谷スパイダース)、そして女(岡まゆみ)。女は父親からの虐待というトラウマを引きずっている。難詰する女、傍観する兄、地獄の光景を見つめ続ける男。狂乱、惑乱、騒乱。鐘下辰男の演出はいつにもまして極限下の人間心理と生理を舞台にぶちまける。
 血と暴力、狂気と諦念。楚々とした美人女優の岡まゆみが狂気と正気の境を往還する女を体当たりで熱演。まさに女優魂としか言いようのない迫真の演技。大久保鷹が毒気を抜かれるくらいすさまじい。

 最近のガジラ作品がそうであるように、今回もカーテンコールなし。虚から現実への引き戻しは許されない。客電のついた劇場は、濃厚な血と汗が渦巻く狂熱の余韻が残っている。

 終演後、ロビーで梁山泊のコビヤマ、梶村と立話。「この芝居じゃ毎日飲まなきゃやってられないよね」とコビヤマ。

 途中の駅構内書店で栗坪良樹著「親ばなれ 子ばなれ」を買う。副題は「寺山修司と家族プログラム」。
 40年前に書かれた寺山修司の「家出のすすめ」「書を捨てよ、町へ出よう」「誰か故郷を想わざる」の三冊を、テキストに、混迷する現代の「家族」「教育」問題にアプローチしたもの。40年前の寺山の著書が今も古びることなく、逆に過去から現代を照射する「教育書」となっていることに気づかされる。架空の少年シュウジくんを主人公にした現代版エミール。栗坪氏は寺山と同じように、母一人子一人で育ち、「寺山さんと私はよく似た環境で育った。寺山さんの気持ちはよく理解できる」と言っていた。
 寺山修司のよき理解者の一人である。

 「虚構とは何なのでしょうか。私たちは時として、虚構に対して、事実とか真実ということを言いたくなる。ウソに対するホントがあるというもっとも単純な考え方になじんでしまっている」
「しかし、寺山修司はウソに対してホントウがあるとう考え方自体がウソであると考えた人だと思います」
「寺山修司を評して、ウソを語る人、人をだますという意味で”虚構の人”といっているとすれば、その人は寺山さんが追求するホントウに出会うことはできないでしょう」


 駄本、「虚人・寺山修司」や「虚構地獄」への痛烈な一撃。「寺山修司の”虚と実”の間隙にこそホントウを求めることを知っており、限りなくホントウを求めるため、壮大な虚構の世界を作り上げていった寺山修司」を理解することのできない哀れな人たちへの批判が込められている。

 有名な「玉音放送とセミ」のシーンにも新しいスポットを当てており、なるほど、とひざをうつことしきり。栗坪氏の卓見。

2300帰宅。

2月12日(月)晴れ

 振り替え休日。午後から買い物。あとは終日蟄居。
2月11日(日)晴れ

 0900〜1200、躰道稽古。突然、花粉症が出始め、クシャミ、鼻水。ひどい。
今日はH崎先生から「体位」の法形を手ほどきしてもらったのだが、せっかくの稽古も集中できず。それでも、3時間、稽古。
「体位」の法形は、現在の躰道では禁じ手とされており、公式には見ることができない。それというのも、空手から躰道に移行する初期の「原躰道」であり、故最高師範にとっては「過去の遺物」に過ぎないのだろう。
 しかし、空手の型の要素や、金的蹴りなどの禁じ手も入り、「法形」そのものは実にダイナミック。高段者でもこの「体位の法形」はおいそれとできるものではない。今回は「手技」を学ぶには最適との判断H崎先生が教示してくれたのだ。
 自分にできるはずもないが、ワクワクする。

 1300帰宅。家族3人で華屋与平衛で食事。娘は外出。なかなか家族4人が揃うこともなくなった。

 帰宅してラジオドラマを聴いているうちに睡魔に襲われ布団の中。鼻炎薬が効き過ぎたのか、2時間死んだように爆睡。稽古疲れもあるのか。

 1800起きて夕食。NHK教育の舞台中継「オールド・バンチ」につい見入ってしまう。録画だけ、と思ったが、つい最後まで。NHKのため、ペプシやコカコーラなど、商品名などのセリフを差し替えていたが、そこがまた舞台で面白かった部分。セリフのニュアンスが伝わらないのでは元舞台の面白さが損われてしまう。
 2500就寝。
2月10日(土)晴れ

 0700に会社に着いて、仕事に取り掛かり、11.00には終了。

 1500、下北沢へ。「劇」小劇場でジョーカンパニー「バニラ」。
 あまり期待はしていなかったが、これが結構面白い。

 例によって、スタッフが開演前の諸注意をし始めたとたん、最前列の席から「待ってました!」の掛け声。ハデな中年おばさん。すかさず隣りの中年紳士が手を振り下ろし、そのおばさんに注意。客席が一瞬凍りつく。タレントのファンってたまにいるんだよなぁ。この手の場違いな人が。……などと思った私。小野寺丈の演出に見事はまってしまったのだった。だって、小劇場の客で、たまにそういう人がいるんだもの。銀座のクラブママ風で、出演者の知人、初めての舞台観劇……という人が。

 このおばさん(小野寺丈)と中年紳士(小野寺昭)の客席での掛け合いがアクト1。「バニラ」という名の子供をめぐるお話のスタート。単なるオムニバスではなく、アクト6まで、物語が連鎖していくもので、「バニラ」の出生から産みの母との再会までを描いたもの。笑って笑って最後はジーン……というコメディーの王道。岡本あつこのセーラー服姿、三浦浩一の子供役、小野寺昭のゲイ……役者の早変わり多面演技はさすがのベテラン陣。
 石ノ森章太郎の息子という呪縛から遠くはなれて、すっかり演劇人としての地歩を築いた小野寺丈。役者としても実にいい持ち味がある。

 1時間20分。

 下北を出て阿佐ヶ谷へ。夕食は「江戸竹」でメジマグロ定食1300円。刺身三色盛り合わせ950円にしようか迷ったが、ちょっと奮発。

 駅前の本屋でコーディマクファディン著「傷痕」の下巻を買う。パトリシア・コーンウェルばりの本格サスペンス。上巻はほとんど長大な前置き。冷酷な殺人鬼によって夫と子供を殺され、自身も顔と体に醜い傷を負った主人公のFBI女性捜査官の「再生」までを丹念に追ったもので、冷酷無比、明晰な頭脳を持つ連続殺人犯との攻防が始まるのは下巻から。細切れで読むと、上巻でもたついてしまうが、下巻になると一気呵成。久々の刺激。
 しかし、インターネット時代の「切り裂きジャック」の想像を絶する残忍さには辟易してしまう。

 1800、荻窪へ。昔住んでいたビルの近くまで行って全景をデジカメでパチリ。17年もたつと様変わり。新しいビルが建ち、元の町並みはどこに行ったのやら。

 わずかに当時の面影を残すのは名曲喫茶「ミニヨン」。ここだけは昔と変わらない。
 階段を上って右手のドアを押して中に入ると、クラシック音楽の森。壁に並んだレコードの数々。今も昔と変わらず、レコードプレーヤーを使っているのが嬉しい。

 客は女性1人。その近くに老人と中年男性。2組だけ。女性客はすぐに出て行ったので、残ったのは1組。買ったばかりの「傷痕」を読もうと本を開くが、二人の話し声が聞こえてくる。どうやら演劇雑誌の編集者が劇作家に取材中らしい。耳を傾けなくても、会話がはっきり聞こえる。本を置いて、ついつい、その話に聞き入ってしまう。
 これが面白い。新劇以前の「職場演劇」、宮本研、福田善之、民藝、俳優座、文学座……。宇野重吉と朝倉摂、千田是也の確執。その原因である宇野の出身地・学歴コンプレックス……。
 盗み聴きしてるようで心持ちはよくないが、周囲に聞こえるのだから仕方ない。

 「ミニヨン」をあとにして三鷹へ。駅から15分。三鷹文化芸術センター星のホールで劇団MONO「地獄でございます」。土田英生の作・演出・出演。

 まるでサウナのロビーのような快適な部屋。そこに迷い込んできた5人の男。実は、ここは地獄の入口。自分が死んだことに気付かない5人の男。彼らの死には見えない因果関係があり……。日常会話の中からそれぞれの置かれた状況、人間関係の妙をあぶりだす土田戯曲。ロビーの上方はくねくねとしたスロープ。上手が入口で、そこから素っ裸の5人が出入り。腰の位置の高さに「目隠し」がはめ込まれているので、局部が見えない。入口から数えて49歩目がロビーというのが細かいネタ。「四十九日」にひっかけているわけだ。
 2110終演。ちょうどバスが来たので駅まで5分。

2300帰宅。
2月9日(金)晴れ

 1800帰宅。
2000、TBS「花より男子2」。

「笑い」というのは最も年齢とリンクするものなのだろう。「笑い」の感覚がズレ始めると時代との隔絶が始まる……なんて思ってしまうのは、テレビのお笑い番組の客いじりや品のないギャグをまったく受け付けないから。あんな「お笑い」のどこが面白いのか。いじられて笑ってるタレントや素人の頭の中身を疑ってしまう。せっかく本業の舞台や映画で活躍している俳優たちがお笑いタレントに手もなくいじられているのを見ると不憫になる。笑いのツマにされて、テレビ視聴者に媚びている姿はその俳優の品格さえ疑ってしまう。

 が、しかし、この「花より男子」が視聴率20lを超えて、中高生にウケているというの嬉しい。このドラマの「笑い」は大好き。つい、娘と「花男ごっこ」をやってしまうくらい……。

 それにしても松本潤、仇敵ジャニーズ勢の中ではダントツにいい。
2月8日(木)晴れ

 昼休みに、近くの公園で軽く運動を……と思ったら、どこかのテレビ局がドラマの撮影中。総勢20人ほど。いつも思うが、なんであんなにスタッフが必要なのか。ベンチで演技しているのは清水紘治。2時間ドラマか。

1620、お茶の水。K記念病院で鍼。

1800、新宿で途中下車し、信濃屋でほっけ定食850円。

 タワーレコードで緑川アコ「酔いどれ女の流れ歌」、佐藤奈々子「ピロー・トーク」。佐藤奈々子は77年に大学の生協でアルバム「スウィート・スウィンギン」を買って、よく聴いたものだが、旧譜がCD化されるのは嬉しい。
 改めて聴いてみると、なるほど自分のウイスパーボイス好きは佐藤奈々子が原点なのかも、と思ってしまう。南佳孝の「おいらギャングだぞ」のカヴァーがいい。

 1900、渋谷。パルコ劇場で「フール・フォア・ラブ」。サム・シェパード作品を映画監督・行定勲が舞台初演出。
 ニュー・メキシコの砂漠にあるモーテルを舞台に、一組の男女の愛の相克を描いたもの。拒絶し、一方で求め合う二人。部屋の隅で彼らを見守る老人(大谷亮介)。彼らは異母兄妹であり……。香川照之、寺島しのぶが感情を露わに叫び、のたうち回る。ちょっとズレた若者・甲本雅裕が張り詰めた舞台を救う。

1時間25分。初舞台にしてはこなれた演出。

 2150帰宅。

 柳沢厚労相の二度目の失言「結婚し、子どもは2人以上持ちたいという健全な状況」に対して、野党が国会で追及。

 おそらくこの大臣は自分の発言がなぜ問題なのか理解できないのだろう。それほど、この国の政治家の質は劣悪だということ。国民を、国家に寄与する構成員としか思っていない。人間には様々な選択肢があり、それが個人の尊厳であるということがわかっていない。人間は国家の道具ではない。
古い道徳観念にこりかたまったそのへんの中年オヤジが言うのならまだわかる。しかし、柳沢は政治家。少子化問題の責任者ではないか。

 しかし、日本人の悪いクセは、事の当否ではなく、「叩かれる姿は見るに忍びない」という感情論に陥ること。ひたすら頭を下げ続ける柳沢に「かわいそう」という同情論が台頭してくる。

 新聞配達少年から夜間高校、そして東大を出て、大臣に上り詰めた苦労人。「竹中蔵相と対立して小泉首相に金融相を更迭されたから今度罷免されたら、二度と再浮上できない」などと……。
 しかし、一国の大臣を感情論で擁護していいものか。
 柳沢を追及する野党が悪者にされるつつあるというのは本末転倒で、いかにも日本的な状況。ま、野党も日本人のメンタリティーを汲む戦略がヘタだということもあるが。

 事の本質は、「産みたいと思う人が安心して産める環境を政治が整備する」そのことに尽きるんだけど……。
2月7日(水)晴れ


 朝、少しだけだがセキが出たので、大事をとって二度寝。
1000、起床。終日部屋。昼過ぎ、O路恵美の事務所社長から電話。流山児事務所の次回作「リターン」の件。その後、夜までラジオドラマの整理。ブラッドベリの「火星年代記」を聴く。やはり文学史上に残る名作だ。

2月6日(火)晴れ

 仕事を終えて1620、新宿スカラ座で「どろろ」。出だし好調で期待を持たせたが、なんだそりゃの展開。セリフの間、発声、日本映画の演出はパターン化していて、物語展開も予定調和なら演技も予定調和。役者がヘタというよりも、監督がヘボということか。しかも、「怪獣」登場に思わず苦笑。いくらなんでもそりゃないでしょう。百鬼丸はウルトラマンか。もっとも、「墨攻」を見た後では、どんな映画もヘボに見えてしまうのは仕方ないか。

1900、下北沢。高架化、駅舎地下化で今の下北沢の姿が見られるのも長くないかもしれない。
夕食はげんこつラーメン。ヴィレッジヴァンガードでアロマ・キャンドル360円×2。

1930、新劇場「楽園」でパニック・シアター「ラスト・シーン」(中村まり子演出)。

 舞台はロンドン郊外の俳優専門の老人ホーム。元シェイクスピア女優のアンシア、元イプセン女優のフランシスカ、元大衆演劇女優のボビー、元ショーガールのチェリー、アンシアの付き人で長年彼女の身の回りの世話と舞台のプロンプターを勤めてきたグラディス。

 5人の女たちは、単調で刺激のない日々に不満を持ちながら、過去の華やかな思い出の中に生きている。ある日、クリスマスの出しものに、ギリシャ悲劇を上演しようという話が持ち上がり、配役をめぐって侃々諤々の舌戦。そこに、新しい入居者登場の知らせ。元二枚目シェイクスピア俳優のサー・アーサー・ペンドラゴンだ。彼こそ、アンシアの元恋人であり、様々な浮名を流した男。女たちは一斉に浮き足立つが……。

 堀内美希、原知佐子、加藤土代子、藤川洋子、中村まり子、本多一夫、三谷昇、川辺久造。大ベテランたちが競演する人生の最終章を迎えた人々のおかしくも哀しい人間模様。

 新劇場は大きな柱で客席が分断されており、位置によって舞台の見え方が大きく異なる。今回は階段入口付近や照明機材の二階も舞台として使い、劇場全体が立体的なステージに。見えにくい客席も解消。

 隣席に永六輔。途中からしきりに時計を気にしていたが、わずか1時間20分の小品なのに、お気に召さなかったのか。また終盤の大事なシーンで携帯のメロディー。鳴らしたのは高名な劇評家のようで……。

 2050終演。K氏、中村まり子さんに挨拶してから家路に。
 2230帰宅。

2月5日(月)

 2日の定例会見で柳沢厚労相発言について聞かれた石原都知事が、「前後の文章を読むと『ごめんなさい』とか言っている。例えの仕方が悪かった」「女性が結婚されたら、お子さんをたくさん産んでほしいという要望を、ちょっと短絡的に言い過ぎたんじゃないか」と同情発言したという。

 これをスンナリ受け止めると「石原都知事も周囲の反発を恐れずに、柳沢の擁護するなんて、気骨があるじゃないか」と思う人もいるだろうけど、どっこい、それにはウラがあった。01年に週刊誌のインタビューで発言した「ババァ」発言がまだ尾を引いているのだ。
「文明がもたらした最も悪しきものはババァ」

 この発言に対して、100人超の女性が訴訟。昨年から新たに第二次裁判が始まり、1月30日には5回目の口頭弁論が行われたばかり。先の発言は自身の裁判を意識してのこと。

 週刊誌発言では「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪」とも言った石原。この問題を取り上げた議会では、「年とった女の人は、ほかの動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在である」とさらに暴言を吐いている。

 柳沢が「産む機械」発言の後に謝罪しているのに、石原知事は「発言を撤回する必要はない」と謝罪さえ拒否している。本来なら追及すべきマスコミも石原には及び腰。暴君ネロのような石原は都知事の座から引きずり下ろすのが一番。


 斎藤貴男氏によれば、「女性は産む機械」のような発言は今に始まったことではないという。

 安倍ブレーンである京都大学の中西輝政教授が少子化問題に触れてこう述べている。

「たとえば70年代のイギリスを見れば分かるとおり、ぎりぎりまで来て『コンドームが買えない』貧困層が増えれば自然に少子化は回復に転ずる」(『Will』2006年4月号)

 貧困層蔑視以外のなにものでもない。

 柳沢発言には「女性が機械なら、子どもたちは工業製品か」という反発があったが、こう言っている人もいる。
「大学の役割は民間の会社と同じだ。原材料を仕入れ、加工して製品に仕上げ、卒業証書という保証書をつけて企業へ送り出す」

 東京都立大学改め首都大学東京の高橋宏理事長(元日本郵船副社長)の発言だ。05年5月24日、主な私大の経営者らが集まる「21世紀大学経営協会」の総会での、「堂々たる挨拶」だった。


 日本経団連の奥田碩前会長(トヨタ自動車会長)が格差問題に言及した際には「差をつけられたほうが凍死したり餓死したりはしていない」(昨年1月10日の定例記者会見で)。

 こんな政治家、学者、企業人が牛耳るニッポンって何?

 ひとつ言えるのは、一部の富裕層とその取り巻き、エリート官僚以外は、「機械を産み、製品を国に納入し、壊れるまで働かなくてはいけない『奴隷』だ」ということ。

 圧倒的多数の「機械国民」が反撃に出ないと思っていたら今にホゾを噛むことになる……と思いたいが、さてどうだろう。

 1700帰宅。せっせとオーディオドラマの整理。
2月4日(日)晴れ

 睡眠不足でがさすがにキツイ。躰道稽古はお休みに。

 0930起床。

 松が取れ、忌明けということでお昼から家族で神社にお参り。去年のお守りなどをお焚き上げ。

 帰りは長い土手を歩いて家路に。土手で姉を突き飛ばして喜んでいる弟。子犬のようにじゃれる二人。短大生と中学生。いくつになっても子供のよう。それを後ろから見ている家人と自分。10数年前にはその後ろに母と父の姿があったのに。この地に越して来てからもう17年。いつの間にか時だけが過ぎた……。

 ヨーカドーで食事。買い物。で、帰宅は1700。腰を落ち着ける暇もなく、1900からマンションの自治会委員会。輪番制のため今回から委員に。今日が初会合。広報、文化など各委員会の担当と部長、副部長を決めなくてはいけないのだが、26人の委員、すんなりとはいかず。結局、ジャンケンで決戦。希望した部署には残ったが、副部長という肩書きに。これではこの先、委員会を欠席できない。会社、マンション、そして学校のPTA委員会と、雑事ばかり多くなる。

 2015、最後までモメていた部署は会長兼任ということで一応収束。お開きに。

 なんだかんだで、今日は暇なし。
2月3日(土)晴れ

 暖冬のため、若手の同僚は半袖Tシャツ姿。「セーター?着ないですね、今年は」と。


1300、ル・テアトル銀座で「恋のカーニヴァル」。風間杜夫と秋吉久美子が演じる4組の男女の恋愛模様を、あるマンションの庭の四季を通して描いたオムニバス。

 春。二人で暮らしたマンションの引っ越しの真っ最中に、別れた夫が突然現われる。二人の思い出の電気スタンドをどちらが引き取るかについて、小競り合い。しかし、それを機に、二人の間に再び恋愛感情が。しかし。……という皮肉な元夫婦の物語。

 夏。年の離れた男と女。二人がこれからの甘い生活を語り合っていると、そこに女性の母親がやってくる。話をするうちに、この母親と男が昔、ある日々を一緒に過ごしていたことが判明する。結婚しようとしている女はもしかして……。
 これまた皮肉な恋の物語。

 1960年代のブールヴァール劇らしく、劇中劇という形をとっても古めかしさが否めない。冒頭で「秋吉久美子さんみたいに難しい女性で……」のセリフもいかがなものか。奔放な小悪魔・秋吉久美子もやはり年齢には勝てず。女性の衰えは背中の曲線に現われる。

 休憩15分。1520終演。

 いったん会社に戻り、1620、有楽町ピカデリーで「墨攻」。予告編が大迫力。それを見ただけで映画のデキのよさを予感する。

 しかし、中国の春秋時代を背景にしたアクション巨編としか思っていなかったが、それは大いなる誤解。ただの時代劇アクションではない。日本の漫画が原作だが、それを超えてはるかな極みまで到達した映画だ。映画の面白さがすべて詰まった作品。物語の起伏、登場人物の魅力、そしてスペクタクル。
 なによりも、この映画が9.11以降の世界を背景にした骨太の「非戦」の映画だということ。アンディ・ラウ、アン・ソンギの香港、韓国の二大俳優はじめ、ヒロインのファン・ビンビン(中国)が実に魅力的。
 これは今年のベストワンは決定。これから10年、これ以上の映画は出てこない。大満足で映画館を後にして、下北沢へ。

1920、本多劇場で月蝕歌劇団「花と蛇」。団鬼六の小説をベースに、過去・現在を往還する高取英得意の時空交差モノ。ヒロインの三坂知絵子の体当たりの舞台に拍手。SM小説だけに、生のセクシャルセリフが飛び交うのは、「暗黒の宝塚」としても、多少無理があるが、それでも女優陣はよく頑張った。大詰めの宙吊り「縛り」は演劇史に残るラストシ−ンだ。思いがけない衝撃に客席から惜しみない拍手。

 終演後、「古里」で飲み会。珍しくM紙のT橋さんも参加。元黒テントの理論派・佐伯隆幸、新宿梁山泊の金守珍、万有引力J・A・シーザー、元一水会、鈴木邦男、映画監督・水谷俊之、プロデューサー立川直樹etc錚々たる顔ぶれ。

 まさしく60年代のアングラ・カウンターカルチャーの顔。高取人脈の広さを物語る顔ぶれ。黒テント、紅テント、天井桟敷、新右翼が一堂に会するなんて初めてのことか。

 「昔、ガンガンやりあったよな」「寺山修司が先に黒テント批判をしたんだ」と佐伯氏がシーザーにジャブ。笑って受け流すシーザー。金守珍はシーザーと初対面。「晴海で見た”奴婢訓”には大ショックを受けた。あれは一生忘れられない舞台。とてもシーザーと呼び捨てにはできない」と金守珍(シーザーが「さん付けで呼ばれるのはイヤなんですよ」と言うのに対して)

 すべては恩讐の彼方。黒、紅、桟敷が同じ部屋で酒を酌み交わしている。ひそかに一人興奮。
2300、一次会解散。階下に下りると一階ではスズナリの糸あやつり芝居の打ち上げらしく、天野天街の顔。駆け寄って挨拶。なんという夜。同じ空間に天野天街までいたとは。

 いつもなら終電で帰るものを、あまりにも嬉しくて二次会にも付き合う。タクシー帰り決定。明日の躰道稽古も取りやめ。この楽しさに勝るものはない。

 別テーブルでフライデーに取材される三坂。こちらは金守珍、一ノ瀬めぐみ、シーザー、水谷俊之でダベリング。金、シーザーは釣りが趣味という共通項。水谷、金、私は同じ年。あれやこれやで盛り上がり、金守珍は最終電車で家路に。

 0130、翌日のマチネもあるので解散。タクシーで下北沢から。50代独身の運転手さん、40を過ぎてから英会話を習い始め、今は年に何度かロスに遊びに行くのが楽しみなのだとか。流暢な英語を披露。いろんな人生。

0230帰宅。そのままバタンキュー。

2月2日(金)晴れ

 1500、神田駅。幼なじみのEさんと待ち合わせ。仕事で浅草に出てきているというのでお茶でも飲もうということに。しかし、お得意さんの接待に手間取ったとのことでわずか30分だけの「Brief Encounter」。

 1620、電車を見送ったあと、上野アメ横に寄ってマグロ2パック1500円。安いだけあって筋のあるトロだが、気にしなければ、まあ食べられる。

 1830帰宅。録画しておいた市川雷蔵の「弁天小僧」を見る。やはりいい。この時代の映画は。

 次いで、「花より男子2」を。続編になってもパワー衰えず。井上真央は言わずもがなだが、なんといっても松本潤がいい。ユーモアと、哀愁漂う横顔。我が家の女性二人には小栗旬の方が人気だが。

 林信吾の「反戦軍事学」(朝日新書)。この手の新書は途中まで読んであとは棚においたままに……というのが常だが、これは読み始めたら一気呵成。アッという間に読み終えてしまう。

 かた苦しい「反戦論」ではなく、随所に巧まざるユーモアを織り込み、しかも、軽い筆致なので読み進むのが苦痛ではない。
 世間にあふれかえる軍事常識を一刀両断し、返す刀でエセ文化人、学者、扇動漫画家を真正面から斬り捨てる。これほど痛快な本は何十年ぶりか。竹中労、鈴木武樹、羽仁五郎らの論理明快頭脳明晰なアジテーション、それにひと頃の大島渚の一喝を髣髴とさせる痛快な口吻。

 筆者は自ら軍事オタクを自称し、幼年期から膨大な軍事関連図書を読み続けてきた筋金入りのジャーナリスト。
 彼の本書執筆の動機は明快。
「軍事について正しい知識を持てば戦争賛美などできなくなる」というもの。

 その言の通り、日本と世界の軍事、自衛隊の歴史、現在の装備など基礎的な事実・データを駆使した解説は目からウロコ。
 さらに「上級編」では、元統合幕僚会議議長・栗栖弘臣、上坂冬子、小林よしのりらをバッサリ斬り捨てる。それも、論理明快に。

 しかも、「存在する自衛隊」に目をつぶり、憲法9条の理念を墨守しようとしても、それは「現実政治の前には実効性がない」と、「憲法9条理念派」をも批判する。つまり、理念ではなく「現実を」というわけだ。
 これをして「やはり軍事オタクの正体見えたり」と思ってはいけない。
「戦争反対の立場から憲法改正論議に真正面から立ち向かうべき」なのは今をおいてないのは確かだから。

 そうでなければ、ずるずると「戦争賛成の立場からの憲法改正論議」に巻き込まれてしまう。崖っぷちに追い込まれてもなお、「まだ自分は空を飛べてこの危険を脱出できるかもしれない」とは愚かな考え。10センチでも20センチでも敵を押し戻すことが先決ではないか。
 その一点において、林信吾の「憲法改正論議には反戦の立場から真正面から反撃を」には賛意を表する。
 この本を国民すべてが読めば、憲法改正論の正体が明らかになるだろう。10人の友だちに1冊ずつ送り、その10人がさらに10冊ずつ……。ついそんな夢想をしてしまう。そんな思いにとらわれてしまう好著だ。


2月1日(木)晴れ

 東京電力が福島第一、福島第二、柏崎刈羽の3原発で77年から02年までの間に受けた定期検査で延べ199回のデータ改ざん、偽装をしていたことが判明した。92年の柏崎刈羽原発1号機では、あろうことか、緊急炉心冷却装置(ECCS)が調査の前日に故障したため、調査官に、正常に動いているように見せかけた。ECCSといえば、原発事故が起こった場合の最後の砦。ECCSが働かなければ炉心は溶融し、いわゆる「チャイナシンドローム」を引き起こす。原発暴走の最後のブレーキだ。故障を隠蔽するなどあってはならない。ほかにも、安全に関するごまかし、偽装がゾロゾロだ。どこが「原発は安全」なのだ。
 こんなことを許していたら、今に恐ろしいことが起こる。

 以下はウニ氏のブログから。

 アメリカの The Blacksmith Institute という環境団体が昨年秋にまとめたWorld's Worst Polluted Places 2006 という、「環境汚染が特にひどい地域のリスト」によれば、以下の地域がワースト10だという(順不同)

チェルノブイリ(Chernobyl)ウクライナ ― 原因はソビエト時代の原子力発電所事故。放射性物質による土壌、水の汚染。当初、550万人に影響。対策がとられている。

ジェルジンスク(Dzherzhinsk)ロシア、モスクワの東約400キロ ― 原因はソビエト時代の化学兵器工場など。化学物質による水、土壌の汚染。30万人に影響。対策は計画段階。

ハイナ(Haina)ドミニカ共和国、サントドミンゴ近郊 ― 原因は以前行なわれていた電池の回収事業。鉛による土壌汚染。8万5千人に影響。対策は全く行なわれていない。

カブウェ(Kabwe)ザンビア、ルサカの北約100キロ ― 原因は以前行なわれていた鉛採掘。鉛による土壌汚染。25万人に影響。世界銀行の支援により対策が始まったばかり。

ラオロヤ(La Oroya)ペルー、リマの東約200キロ ― 原因は現在も続いている金属採掘と生産。鉛による土壌と空気の汚染。3万5千人に影響。対策が行なわれているかは不明。

臨汾(リンフェン、Linfen)中国山西省、北京の南西約500キロ ― 原因は各種工業生産。ガス、微粒子による空気と水の汚染。20万人に影響。汚染は現在も進行中であり、対策は不明。

マイルースー(Mailuu Suu)キルギス南部 ― 原因はソビエト時代のウラン工場。放射性物質による土壌と水の汚染。最少でも2万3千人。数百万人に影響が及ぶことも考えられる。世界銀行の支援による対策が検討中。

ノリルスク(Norilsk)ロシア、シベリア中西部 ― 原因はプラチナ生産等。亜硫酸ガス、ストロンチウム90、セシウム137などによる空気、土壌、水の汚染。13万4千人に影響。汚染は現在も進行中であり、対策は不明。

ラニペット(Ranipet)インド南部、チェンナイ(マドラス)近郊 ― 原因は過去の皮革工業廃棄物。化学物質による水と土壌の汚染。350万人に影響。対策は、計画はあるものの実施されていない。

ルドナヤプリスタン・ダルネゴルスク(Rudnaya Pristan/Dalnegorsk)ロシア、極東、ウラジボストクの北約500キロ ― 原因は現在も続く鉛採掘。鉛による土壌汚染。9万人に影響。対策は全く取られていない。

 チェルノブイリ、マイルースともに核汚染だ。一度大地が放射能に汚染されれば半永久的に被害は続く。核半島化している青森・下北がこのリストに登場する日が来ないことを祈るばかりだ。


1400、新宿。シアタートップスで鈴木省吾プロデュース「12」。「12人の怒れる男」をもとにした舞台で、和田憲明が演出。孤立無援の陪審員に仲坪由紀子、陪審員1号に清水宏という思い切った配役。これがズバリ当たって、水も漏らさぬ徹底的な会話劇に。しかし、本当の主役は俵木藤汰。ラッパ屋の芝居とは180度違う役どころで、一世一代の演技。これは思わぬ収穫。1時間50分。隣りの七字さんも「長丁場だと覚悟してきたけど……」と拍子抜け。
 

1930、世田谷パブリックシアターでジョセフ・ナジの「遊・ASOBU」。開演前に、隣席の笹目氏とおしゃべり。

 まるで寺山修司の初期映画のような映像、奴婢訓のようなビジュアル、俳優の動き。音楽も打楽器を使い、まるでJ・A・シーザー。ナジって寺山修司だったのか。もっとも、寺山の「シュールな前衛美」には遠く及ばないが。

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