2001年1月 |
「兵士の物語」@パルコ劇場 演出=山田和也。出演=いっこく堂、篠井英介ほか。 世界の名優が挑戦しているストラビンスキーの「兵士の物語」。未来を記述した書物と引き換えに、悪魔に大事なバイオリンを渡してしまった兵士。株価やギャンブルの結果が書いてあるので、あっという間に大金持ちになる。ところが故郷に帰ると3日間のはずが、3年の時間が流れており…というお話。 7人編成のオーケストラによる演奏、兵士役のいっこく堂の超絶腹話術、口跡鮮やかな篠井のナレーション、バレエダンサーのしなやかな演技etcと見所は多い。1時間20分の上演時間もうれしい。それにしてもいっこく堂の腹話術、目を皿のようにして見ても、唇はぴくりともしてない。しかも明瞭な発声。もはや神技だね。あれは。 ただし、いっこく堂で兵士と悪魔の二役をやらなければならない必然性が不明。まあ、話題作り以外ないとは思うんですが。(★★) 2001.01.30 |
月蝕歌劇団「新撰組in1944」@大塚・萬スタジオ 作・演出=高取英。出演=一ノ瀬めぐみ、野口員代、大久保鷹ほか。 「世界を消滅させるには両目を閉じるだけで十分」「現実に起こらなかったことも歴史のうちである」と言ったのは寺山修司だった。寺山の右腕だった高取英もまた想像力で歴史を転覆させようとする。 勤皇・佐幕の争闘吹き荒れる幕末。新撰組の土方歳三らは不思議な少女の手引きでナチスの台頭するドイツへとタイムスリップ。ナチスと手を組み、勤皇側に対抗しようとするが、ナチスはロマ(ジプシー)の大量虐殺のためのガス室を研究していた……。 ナチス将校、変声期に入った少年合唱団の少年、勤皇の怨霊・吉田松蔭、日本軍の中国人虐殺、虚実の史実がモザイクのように組み込まれ、その奔流は、ありうべき未来の記憶「幻の北海道共和国」へと収束していく。白土三平の「影丸」のように、連綿と続く革命の遺志の継承。初演では不覚の涙を流したが、再演もまたラストシーンに涙。野口員代の捨て身の演技に◎。(★★★) 2001.01.27 |
劇団☆世界一団「荘厳序曲2025年」@下北沢・駅前劇場 作・演出=ウォーリー木下。出演=平林之英、希ノボリコ、赤星正徳ほか 大阪の劇団で、東京公演は初見。 ウーン、困った。私の一番苦手とするタイプの芝居だ。開演5分でそれがわかってしまったため、あとの1時間55分はひたすら時間が過ぎるのを待つだけの苦行。こんな経験は惑星ピスタチオの芝居を初めて見て以来。そう、この劇団はピスタチオとそっくりなのだ。サイバー演劇というのか、過去と近未来を往還しながら無意識下の意識に遡っていく”サイコ・ダイブ”。映画「ミクロの決死圏」とハインラインの「夏への扉」の設定を借りたような展開。しかし、マイムによる「抽象の肉体化表現」はまったく想像力を喚起しない。股旅歌謡の当て振りのようなもので、残念ながら興味の対象外。劇団のみなさんと熱狂的ファンには申し訳ないが。(無星) 2001.01.26 |
無名塾「セールスマンの死」@サンシャイン劇場 作=アーサー・ミラー/演出=林清人 かつては有能だったセールスマン、ウイリー・ローマン。しかし、60歳の坂を越え、かつての面影はない。クビ同然の扱いで給料ももらえず、妻には友人から内緒で借りたお金を渡して取り繕っている。徒労感と失意の日々。長男は学生の頃、フットボールの選手として期待されたが、ある事件がもとでドロップアウト。久しぶりに実家に帰り、再出発を誓うのだが…・ 1949年のピュリッツア賞受賞作だが、今の日本に置き換えても十分可能な普遍性を持っている。アメリカンドリームの終焉はバブル崩壊後の日本と重なるし、親子・兄弟の確執、定年間近のサラリーマンの焦燥・不安、妻と夫の愛憎ーー人間が生きていく「悲しみ」はいつの時代も同じ。ウイリー・ローマンとその家族の悲劇はあすの私たち自身の姿ともいえる。 次第に精神の均衡を失っていくウイリー・ローマンを仲代達矢が入魂の演技。軽やかさと茶目っ気で客席を沸かせるシーンも。ただし、どんな役ををやってもやっぱり「仲代達矢」が透けて見えるんだなあ。難点といえばそこが難点。兄役の高川裕也は繊細で傷つきやすい若者の内面を好演するが、弟役の金子和と声質、演技の質が似ているため、役柄の差異化をはかるのが困難だった。休憩15分を挟んで約3時間。(★★★) 2001.0123 |
「新・恋山彦」@新橋演舞場 どこを切っても田村正和サマ。演舞場を埋め尽くした幅広い世代の女性たちのため息と熱い視線が舞台のすべてといっていい。 吉川英治の伝奇小説がもとになっているから骨格はしっかりしている。伊那山中の隠れ里に住む平家の末裔・小源太が、樹齢千年の檜山の利権と秘伝の名笛を狙う老中・柳沢吉保の姦計により、江戸城で襲撃され、からくも脱出。世直し大明神と名乗り江戸っ子の喝采を浴びる。一方、世をすねた剣術師範・無二斎は、自分が小源太と瓜二つであることを知り、身代わりとなって柳沢吉保に斬り込むが…。 白面の公達と無頼の剣士。二役はむろん正和。年齢を感じさせない身のこなし、能の仕舞い、殺陣の華麗さはさすがサラブレッド。老いても駑馬には負けない。見えを切るたび、拍手拍手。声が舞台向きじゃないのが難だが、それが瑣末に思えるマサカズのワンマンショー。いやあ、すごいものを見ちゃいました。 あまり稽古をしない商業演劇にコクを求めるのは八百屋で魚の類だが、三田佳子のピンチヒッターとして名をあげた片岡京子の好演は特筆もの。金田龍之介、北村和夫、山本學、蜷川有紀など商業演劇ならではの超豪華版。 しかし、演舞場の客って、幕が降りた瞬間、脱兎のごとく席を蹴って帰るけど、あれは何? カーテンコールがないのは長期公演の役者の体力温存策か。不思議な世界…。休憩2回(30分、25分)を挟んで約3時間30分。(★★) 2001.01.22 |
TEAM発砲・B・ZIN「センゴクプー」@本多劇場 作・演出=きだつよし 特撮ヒーローものを得意とする発砲の新展開。戦国の世を口八丁で渡り歩き、四民平等の新しい時代を作ろうとする男を主人公にした異色の時代劇だ。主宰者のきだつよしが軽薄・無頼の「口先男」に扮する座長公演。この劇団は「トランスフォームリフォーム」という傑作がある。死んだ恋人が冷蔵庫やタンスに憑依して、残した恋人を見守るというギャグ・ファンタジー。ナンセンス調だが、緻密に練られた物語展開は心地よい爽快感があった。 しかし、これはいただけない。テーマの思いつきだけで終わり、肝心の中身がない。ギャグも上滑りで、ラストのオチにいたっては「カッコーの巣の上で」(「カッコーの巣を越えて」)を想起させるだけ。笑えない、泣けない、楽しめないの三重苦。それでも、熱烈なカーテンコールを要求するファンは贔屓の引き倒し。ダメな時はダメと言わなければ劇団のためにならない。本当に、「面白い」と思っているなら、その客のセンスを疑う。きだつよしをはじめ、平野くんじ、小林愛、工藤順矢、武藤陶子と好きな役者がそろっているだけに、安易な客受けに流されず、きっちりと舞台を作っていかなければ劇団の未来はない。1時間50分。(★) 2001.01.20 |
「母たちの国へ」@新国立劇場小劇場ピット 作=松田正隆/演出=西川信廣 出演=岡本健一、小川範子、福井貴一、南果歩ほか。 松田正隆の戯曲の特色は日常生活の淡々とした会話を通して、その背後にある人間関係や歴史を濃密に描き出すという点にある。ドラマティックな事件が起きるわけでもない、人々が泣き叫ぶわけでもない。 舞台中央には卓袱台が一つ置かれるだけ。その居間で食事をしながら、あるいはお茶を飲みながら会話がすすむ。 舞台は長崎。若い夫婦(健次と直子)と直子の姉(恵子)の住む一軒家に、健次の兄(幸一)が転がり込んでくる。他人の保証人になったため多額の借金を抱えているらしい。恵子は被爆二世。教育委員会に勤めるマジメ男・村山に結婚を申し込まれているが、なぜか結婚に踏み切れず悩んでいる。 4人と村山、そして、もう一人、恵子がひそかにつきあっている、健次の同僚ーー6人の人間模様が、卓袱台をはさんだ会話から浮かびあがってくる。 恵子が「涙の谷間」と表現する胸の痣は被爆二世の心の闇を象徴する。戦争の痕跡は世代を超えていつまでも消えることはない。終幕は妻子に会いに行った幸一の唐突な事故死。 「何も起こらない舞台」を支えるのは役者の技量がすべて。心の傷、人の死、それが感情の高まりで表現されるのではなく、静かに深く人々の心に沈殿していく。好演だが、小川範子、岡本健一の若夫婦にもう少し、その陰影を浮かび上がらせる演技が必要だったかもしれない。1時間50分。(★★★) 2001.01.20 |
「ジョルジュ」@世田谷パブリックシアター 作=斎藤憐/演出=佐藤信/ピアノ=及川浩治 若村麻由美+篠井英介組を見る。三田和代+村井国夫コンビとのダブルキャストだ。ショパンとその恋人=作家のジョルジュ・サンドの交流を、ショパンの弁護士とジョルジュの往復書簡朗読という形を借りて描いている。 内省的なショパン、何事にも積極的で、女性の自立、社会主義思想へと傾倒していくジョルジュ。対照的な二人の関係は11年目の破局まで続く。ショパンは舞台に登場せず、代わりに「ノクターン第20番嬰ハ短調」「別れの曲」「葬送行進曲」など14曲がピアノの生演奏で紹介される。 朗読劇というのは役者にとって危ない綱渡りのようなもので、会話劇なら多少セリフを間違えても、ごまかすことができるが、朗読の場合、言い直さなければならないのがつらいところ。凛としたジョルジュ役は若村麻由美にうってつけだが、体調がいまひとつすぐれないようで、何度かセリフを噛んだ。でも、ファンとしては彼女の声を聞きながら、華麗なピアノ演奏も楽しめるなんて至福の時間。多少の瑕疵は問題なし。休憩挟んで2時間30分。(★★★) 2001.01.18 |
「真情あふるる軽薄さ2001」@シアターコクーン 作=清水邦夫/演出=蜷川幸雄 1969年に初演された伝説的舞台の再演。劇場という壁1枚隔てて、外では学生・労働者が機動隊と衝突し、内でも観客は演劇という虚構を通して権力と対峙していた。現実と虚構を混同し、機動隊役の役者が観客によって襲撃されたというのも時代を象徴している。同じ年、新宿では唐十郎率いる紅テントが機動隊に包囲されたまま上演決行、終演後、唐十郎を含めた役者たちが逮捕されるという事件も起きている。 そんな時代背景から生まれた舞台。当時と時代状況が違うのに、今上演することにどんな意味があるのか、という声も聞かれた。当然だろう。しかし、この舞台は単なる挑発劇ではない。 幕が開くと、そこには老若男女の行列が続いている。「一枚の切符を手に入れるため」と説明されるが、もちろん、彼らの姿は疑うことなく時代の流れに従う大衆の姿そのもの。機動隊員が列からはみ出した男を元の位置に押し戻し、果ては撲殺するところからも明白だ。そこに現れた一人の青年は、行列を挑発し、罵倒する。やがて「死にぞこないの女」が現れ、青年に加担する。そしてもう一人、やけに物分りのいい「以前から青年を知っていた」と称する紳士も登場する。 決して列を崩そうとしない「大衆」を相手に、青年と女が繰り広げる痴態。四者の緊張は頂点に達し、紳士の指示による悲劇的な結末が青年を襲う。 「死ぬんなら朝の舗道。舗道をはがせば下は砂浜。死ぬんなら朝の渚…」 パリ五月革命を想起させる清水邦夫の叙情的なセリフ。「時代が違う」とか「どこが挑発劇か」、果ては「主人公は軽薄な青年なんでしょうに、なんでいつも怒っているの?」という的外れな声が多く聞こえてきたが、木を見て森を見ない類。「真摯」であるからこそ「軽薄」に振舞わざるをえない不機嫌なロミオ=青年の心情を理解できない阿呆ばかりだ。 青年を演じた高橋洋、”ジュリエット”の鶴田真由、ともに熱演。声が通らないとの外野席の批判はまったくの的外れ。いい発声だったじゃないか、真由。古田新太もにこやかで不気味な権力=大人を無理なく演じていた。 間違ってはいけない。これは、「イージーライダー」のキャプテン・アメリカの惨死、「灰とダイヤモンド」のチブルスキーの不条理な死と同じように、「無残な青春の死」を描いた抒情詩なのだ。だからこそ、「2001年」の今も古びてはいない。 しかし、だ。あのラストシーンはまったくの蛇足に過ぎない。客席から立ち上がった中学生が銃を乱射し、「すべて」を抹殺。渋谷の借景の中に消えていくというシーンの愚かさ。初演の清水邦夫の戯曲を理解していないか、勘違いしているかどちらかだろう。 第一稿ではあのシーンはなかったという。しかし、「せりふの時代」に収録された戯曲にはラストシーンの変更が記述されている。とすれば、清水邦夫自身の改稿ということになるが、まったく理解に苦しむ。あの紋切り型で説明的なラストさえなければ、「2001年版」は新たな伝説となりえたかもしれないのに…。 1時間30分。(ラストシーンを除いて★★★★) 2001.01.16 |
Mother「インビジブル・タッチ」@紀伊國屋サザンシアター 作・演出=G2/出演=升毅、牧野エミ、宮吉康夫ほか。 「売名行為」の時代からダンスシーンを織りこんだスタイリッシュなギャグ・ファンタジーを得意としていたが、G2が作・演出を手がけるようになって、さらに「深化」した。今回は架空の東南アジアの国に赴任した外務省の下っ端役人の一家に振りかかる災難を通して家族の再生が描かれる。 妻は夫の上司と浮気をし、2人の子供はある事件がきっかけで親に心を閉ざしている。ジャングルで何者かに襲撃された彼らの前にナゾの老婆が現れ、さらに国家的陰謀に巻き込まれ……。物語のキーポイントとなる時空スリップには矛盾があるのだが、品のいいスラプスティックな笑いの波状攻撃がそれを帳消しにする。テレビ・映画ではニヒルな二枚目を演じている升毅のオチャメな姿が見られるのは舞台ならでは。 約2時間。(★★) 2001.01.14 |
流山児☆事務所「白鷺城の花嫁」@新宿スペース・ゼロ 作・演出=ラサール石井/ 新年早々、ミュージカルが続き、一流の歌・ダンスに目、耳が慣れてしまったためか、「音楽劇」として見れば、歌もダンスもかなり見劣りしてしまうのは仕方ない。これはやはり新春大アングラ歌謡ショーとして見るべきだろう。そう思えばこれほど痛快な舞台もない。 これは黒澤明の映画「蜘蛛巣城」(マクベスの翻案)、「隠し砦の三悪人」などに対するオマージュといっていい。戦国時代を背景に、裏切り家老に城を追い出された城主側の落人が、敵の妨害と戦いながら、忍者村に潜む「世継」を探そうとする。逆臣側の武将・海津義孝はさしづめ「隠し砦」の藤田進。いつ「裏切り御免」の名セリフが出るか、期待して待っていたが終盤近くに登場。「ハハ、わかっちゃいましたか」と終演後、ラサール石井が笑っていた。彼とは同世代、見た映画も共通している。 全編に流れるのは「ツイてるね、ノッてるね」「オレンジの雨」といった筒見京平の70年代歌謡曲。マイク片手(ワイヤレスの予算なし?)に気持ちよさそうに歌う役者たち。ゲストの深沢敦、田中利花はさすがの迫力。深沢は役者としても圧倒的な存在感。女忍者役の風間水希、斉藤レイは立ち姿もピタリと決まり歌・踊りピカ一。井沢希旨子がきれいなお姫様という儲け役。「原曲のイメージそのまま」というラサールの要請で歌のアレンジがほとんどされておらず、「カラオケ大会」になってしまったのはちょっと残念。原曲をサンプリングしてなおかつ歌詞を変えてしまった劇団☆新感線のウルトラ高度な「音楽劇」と比較するのは酷だが、再演の際は一考を要したい。 最後のアングラのドン、流山児祥の歌とダンスも久々。この楽しさは6ステージだけではもったいなかった。休憩なしで約2時間。(★★★) 2001.01.13 |
美少女戦士セーラームーン「決戦/トランシルバニアの森改訂版」@サンシャイン劇場 観客の7割が親子連れ、2割がオタク系野郎ども。そんな中に混じって見るのは気恥ずかしいものがある。「えー、そんなの見るのはやっぱりオタクが入ってるんじゃない?」の疑問があるかもしれないけど、「長期定点観測」ができない飽きっぽい性格だから、オタクにはなれないんだなあ…。←なにを言い訳している? 実は初めて見たのが前回公演。「どうせ…」とタカをくくって見たら、これがなんとも面白い。子供客相手だからといってまったく手抜きをしない。しかも勧善懲悪のお約束パターンではなく、人間と吸血一族の対立、その吸血鬼一族を背後から操るもうひとつの「悪」といった重層的な劇構造で単純な善悪の二項対立の図式を覆している。 無理して子供に合わせない、このこだわりよう。安っぽいキャラクターショーにならず、息の長いシリーズになっている秘密は、たぶんこのしっかりした構成・脚本・演出にあるのかもしれない。音楽は小坂明子。セーラー戦士たちのアクションも見事に決まり、これはオトナにこそ見てほしい作品だ。神戸みゆきのコケティッシュな魅力、10番目のセーラー戦士「柴・新月・アスタルテ」役の細田阿也(さすがオスカープロモーション)がいい。改訂版なのに逆に前回よりも物語構造がわかりにくくなったのはなぜだ? 休憩挟んで約2時間30分。(★★★) 2001.0113 |
大地真央グランドショウ「many moons agoU」@国際フォーラム・ホールC 演出・振り付け=謝珠栄 うさん臭いナントカ姉妹の「ゴージャス」には「どこがじゃ!」と突っ込みを入れたくなるが、大地真央の舞台はホンマモンのゴージャス。1部はアラビアンナイトの世界をイメージしたレビューショー。お姫様と王子の早代わり二役がファンにとってはたまらないところ。草刈正雄が吟遊詩人と王様の二役、沢木順が裏切り大臣役。 ただし、衣裳もセットも豪華だが、舞台はたわいもない寸劇に近く、どことなくディズニーランドのイベント風。 2部は歌とダンスたっぷりのショータイム。合間のおしゃべりはダジャレ(オヤジ系?)のオンパレード(やはり同世代か?) 共演したことのある役者によれば、「真央さんダジャレ好きは有名」とか。でも、そのシャレがまたキュートなんだなあ…。 宝塚出身らしく、歌も踊りも健全そのもの。お正月気分の残るファン向けの華やかなショーとして見るなら◎。吉岡小鼓音ほかバックコーラスの3人組はさすがのうまさ。ユーミン提供の新曲を最後に披露。30分の休憩挟んで約3時間。(★★) 2001.01.12 |
「SHOES ON 2!」@博品館劇場 作・演出=福田陽一郎 幕が上がる前にワクワクしたのは絶えてなかったこと。観る前に「どうせこんなもんだろう」と予想がつく舞台が多いからだ。しかし、初演があまりにも良すぎたから期待は高まるばかり。大劇場でやる大仕掛けのミュージカルはアメリカ映画のSFX超大作のようなもので、大味かつ空疎なものが多い。その点、博品館劇場でのこのタップショーはエスプリのきいたフランス映画。キャパ200余りの小劇場に合った客と役者の距離が程よく心地よい。 川平慈英はテレビでおなじみだが、本間憲一、藤浦功一、玉野和紀、北村岳子、シルビア・グラブ、麻生かほ里は舞台を中心に活躍するミュージカル、タップ界の実力派たち。 「エニシング・ゴーズ」「アイガット・リズム」「ミスターボージャングル」「シング・シング・シング」などスタンダードナンバーにのせてタップとダンスでつないでいく。どれもが絶品。中でも、シルビア・グラブの歌う「many this time」は聴いていて思わず鳥肌がたつくらいのうまさ。 ただ、初演が歌とダンスだけのシンプルな構成だったのに比べ、今回はマジックショーなど挟雑物がやや多い。その分、ストレートな「芸」の見せ場が減って散漫な印象。初演の好評はシンプルな「ショー」に徹したためで、今回のような余計な観客サービスは無用ではないか。休憩なし2時間。(★★★★) 2001.01.11 |
「BOYS TIME」@パルコ劇場 作=土田英生/演出=宮本亜門/音楽=トータス松本 年末の女性版「GIRLS TIME」も元気いっぱいのミュージカルで好感が持てたが、男版も負けてはいない。主演が昨年の藤井隆から同じ吉本興業のの松谷賢示に代わったことで、芝居に厚みが出た。初演では松谷は別の役を演じていたとか。あまり印象に残っていないが、今回の松谷はいい。演技の間口が広く、笑いのセンスもいい。そして今回初参加の貴水博之。これがまた甘い声質ながら、伸びがあって歌唱力抜群。今回の成功はこの二人の起用に負うところが大きい。 仕事に、恋に自信をなくした情けない男たち10人が「自信回復ツアー」なる怪しげな旅行企画に勧誘され、船旅に出るが…とストーリーはあるが、見所はやはりショータイム。伊藤明憲はじめダンスのうまい役者ばかり。これぞ、観る快楽。竹刀タップ(昔、状況劇場で下駄ップがあったけど)など亜門演出のスピーディーな演出がさえた。 惜しむらくはトイレを使った安易な下ネタで笑いを取ろうとするシーン。あれはいただけない。ウルフルズ、トータス松本の曲は舞台にぴったり。同じ脚本・演出でも初演(昨年1月)と比較するとその質の差が歴然、というのはやはり役者の魅力の違いか。休憩入れて約3時間。(★★★) 2001.01.09 |
tpt「蜘蛛女のキス」@ベニサン・ピット 原作=マヌエル・プイグ/演出=アラン・アッカーマン 原作を読んだのは84年頃、高円寺のスナックでバイトしていたアート系女子大生が「これ面白いよ」と貸してくれたっけ。映画が公開されたのはそれから数年後。プイグを教えてくれたあの娘は今ごろどうしているのやら。 物語は、獄中の政治犯の仲間の居所を突き止めるため、当局によって送り込まれた同性愛者と政治犯の、危うい、そして甘美な交流と破綻を描いたもの。 獄中の無聊を慰めるためにモリーナが政治犯に話して聞かせる映画「キャット・ピープル」のディティールの効果。ある残酷な「事故」をきっかけに心を開いた政治犯が初めてモリーナと精神的・肉体的に結ばれるシーンの描写には崇高ささえ漂う。ただ、山本亨のモリーナ、高橋和也の政治犯という配役は最後までしっくりこなかった。山本亨の好演は認めるが、モリーナのイメージが違うのだ。これは役者の責任ではないが…。休憩入れて約2時間30分。(★★) 2001.01.05 |