8月6日(月)快晴

 7時に起床。朝食を済ませて、本家に行く。今日は朝からえご漁。採ってきたえご(海草=お菓子の原料になるらしい)干しを手伝う。
えご(いご)干し

 「天気がいいから厚く干してもいいよ」と叔父が言ってくれる。昆布など、海草は雨模様を見て、干し方を変えるのだ。天気が良くないときは砂利の上に薄く延ばして干さなくてはならない。これが慣れない人には結構大変なのだ。近所の人が海草に付いた「ちり」拾いの手伝いに来ている。こうした地域の助け合いがまだ残っているのを見るとホッとする。

 昔は田植えなどは近所・親戚総出の一代イベント。紅白の饅頭を作って配ったりお膳を用意したり、田植えの季節になるとなんだかワクワクしたものだ。でも、今は機械化で人手がいらなくなり、田植えイベントはなくなった。その代わり、漁繁期にはこうした相互扶助が行われる。

 留守でもカギをかける家は少ない。都会の陰惨な事件などここでは無縁。別世界の出来事だ。いつまでもこの平和が続いてくれればいいのだが、たぶん、そうもいかないだろう。準備が進められている原子力発電所という巨大な国家的利権施設が完成したあかつきには、否応無しに人々はその利権構造に巻きこまれる。無償の行為が当たり前でなくなっていくだろう。都会的拝金主義に汚染されることは目に見えている。次の世代、その次の世代には変化が必ず現れる。

 AM9。手伝いを終え、むつ市田名部へ行く。片道1時間。親戚の家3軒に行ってお線香をあげ、おみやげを配る。その後、中学の時の恩師であるH先生の家を訪ねる。30年ぶりだが、先生の印象は変わっていない。授業時間のエピソードなど、まるで昨日のことのように思い出される。今は退職し、養護学校でボランティアとして活躍されている。
作品

 壁に飾った絵はその養護学校の生徒が描いた絵。すばらしい絵なのでびっくりする。模写ではなく、童話を聞いてその印象を絵にしたのだという。配色といい絵の表現法といいスゴイ。「そうでしょう。この子供たちの才能をなんとか伸ばしてあげたいんですけどね……」と先生。教師としての情熱は衰えていない。当時の同僚の教師の話題になる。担任だったE先生はじめ、I先生、K先生など、当時の新任先生は皆校長になってそろそろ定年を迎えるとか。30年という年月が過ぎたのだと実感する。ずいぶん年上だと思っていたけど、考えてみたら、みんな当時まだ22歳前後。年齢だってたいして違わないのだ。

「お昼食べていけばいいのに」と言われたが、まだ用事があるので丁重に断り、先生の家を辞す。家の前に立ち、クルマが見えなくなるまで先生が手を振ってくれるのがバックミラー越しに見える。

  12時20分。高校同窓会会報の取材で、田名部に住むH元教頭の家を訪問する。電話をすると、道に出て出迎えてくれる。91歳と高齢ながら、話し方はしっかりしている。写真を撮ろうとすると、「これじゃ、ちょっと恥ずかしいから……」と奥に行ってシャツの上に背広を着てくる。そういえば現役当時も教頭はダンディーな人だった。


 ほんのちょっとした原稿の打ち合わせのつもりだったが、いろんな話をしてくれて、それが実に興味深い。もう少し時間の余裕をもって訪問すればよかった。この後、野辺地に家族を迎えに行かなくてはならない。ぎりぎりまで粘るが、もう時間がない。1時10分、T元教頭の家を辞して、一路、野辺地へ。道はすいているとはいえ、1時間はかかる。2時18分の列車到着に間に合うか気をもんだが、ジャスト2時18分に駅に到着。列車が2分遅れたということで、出迎えはセーフ。家族を乗せてまた元来た道を逆戻り。田舎に帰ってまで時間の綱渡りをするとは……。

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