杉山正樹著「寺山修司・遊戯の人」を批判する

  もの言えぬ死者を腑分けして、その生前の詩と思想を骸(むくろ)に閉じ込めたがる人たちがいる。寺山修司の死後、多くの追悼本、研究書、評伝が出版されたが、たまにそんな著作が紛れ込む。昨年11月に出版された杉山正樹氏(以下敬称略)の「寺山修司・遊戯の人」もその1冊であると私には思える。

 杉山は寺山より2歳年上。元「短歌研究」「旧・ユリイカ」「文藝」の編集長を務めた敏腕編集者であり、さすがに、寺山の作品を読み解く手つきは鮮やかである。短歌をめぐる江藤淳との比較など、双方との長期にわたる交流がなければ、書けないだろう。また、寺山演劇の系譜に関しても洞察力は鋭い。
 
 しかし、全体を見渡したとき、その意図がどこにあるか、首をひねる箇所が多くある。


 たとえば、寺山の母を米兵相手のオンリーだったと決め付けるところ。その根拠は小川太郎著「寺山修司 その知られざる青春」、長尾三郎著「虚構地獄 寺山修司」、田澤拓也著「虚人 寺山修司」を孫引きしただけなのだ。私にいわせれば、この3冊こそ札付きのトンデモ本。寺山の母・はつが亡くなったのをいいことに、寺山研究に名を借り、憶測と曲解を駆使して寺山の思想を切り刻んだ本としかいいようがない。さらに、杉山は寺山の自伝を半分虚構としながら、母の「素性」に関してだけは寺山の記述を援用する矛盾に気づいていない(あるいは確信犯)。


 寺山の晩年に起きた屈辱的な「のぞき」事件に関しても同じことがいえる。

  杉山は当時、朝日新聞社の出版局に勤務していて、寺山が連載を始めようと取材していた「路地」に関する当事者なのだ。だから、そのあたりの事情には詳しい。当時、寺山を警察に通報した人物を探し出して取材する。男の答弁、風采はいかにもいかがわしげに描写される。男の記憶が寺山の逮捕時とその5年前の記憶を混同していることにも言及する。


 が、しかし、「なぜ寺山は路地の取材だったと答えなかったのか」と自問する。そして、まだ若かった杉山と寺山が1958年に大阪グランドホテルに宿泊した時の情景を想起する。
 その夜遅く、ホテルの部屋に警備員によって寺山が「連行」されてきたのだという。その情景と「のぞき事件」をオーバーラップさせ、あたかも、寺山が当夜、ホテルで「のぞき」をしたかのようにほのめかす。好奇心の強い寺山にとって当時の最新式ホテルは格好の遊び場だったに違いない。ホテル側にとっては迷惑な客だったろうが。
 そのことをなぜかネグって、「寺山=のぞき」説が事実であるかのようにほのめかす。



 寺山を「嘘つき」と指弾するのも奇矯に映る。そしてそれをすべて不幸な少年時代が遠因と断定する。杉山の説によれば、寺山が短歌や俳句を作り始めたのは「嘘」をつくためなのだ。なぜ、そこまで寺山を貶めるのか、理解に苦しむ。

  「現実は復讐する」と題した最終章にいたっては、あきれてものも言えない。言葉遊びにすぎないからだ。虚構によって現実を侵犯したはずの寺山が病気という現実、それも誤診によって死ぬ。これを「現実の復讐」と呼ぶセンスのなさ。

  一度死にかけた寺山が人一倍死を恐れていたのは当為だ。それを再逆転して、「現実に負けた」とみなす愚かさよ。


  おためごかしの寺山評伝で得々と「自分だけが知りえた虚の人・寺山」を語る「旧友たち」は永遠に寺山の詩と真実に「理会」できなかったとしか思えない。

 (2001.01.30
「のぞき事件」

1980年7月13日、午後10時頃、寺山が渋谷区宇田川町のアパート敷地内に無断で立ち入り、パトカーに通報されたというもの。罪状は住居侵入。罰金刑だった。

 新聞が一斉に書きたてたのは、事件の半月後のこと。寺山は海外ロケで不在。

 スポーツ紙などは、憶測を交え、寺山が甚平姿で下半身を出していたとか、イラスト入りで面白おかしく報道した。
 そのため、ある世代にとっては「寺山=のぞき」の図式が刷り込まれた可能性がある。
 しかし、事実は単なる敷地内立ち入りであり、下半身云々は、天井桟敷の市外劇「ノック」において、銭湯で俳優による演劇が行われたとか、スキンヘッドの異形が天井桟敷のスタイルだったことからくるスキャンダラスなイメージが増殖され、それが「のぞき」と結びついただけのこと。

 人一倍スタイリッシュな寺山にとって「のぞき」事件は、もっとも屈辱的な事件だったことは想像にかたくない。

 「演劇的虚構」と「事実無根」は別もの。寺山がのぞきに関して「事実無根」にこだわったのは当然のことであり、「たかがのぞきごときを虚構化して笑い飛ばせないのか」という批判はあたらない。

 読売新聞記者だった北川登園氏は報道を知った寺山から国際電話を受けている。「当時、料金が高かった国際電話で1時間も事件のことで話し合ったんですから、よほど腹にすえかねたんでしょう」

 「単なる」敷地内立ち入りが「のぞき事件」というハレンチ事件に「曲解」されたことは、寺山にとって終生、ぬぐえぬ汚点だった。
※この駄本が新田次郎賞およびAICT(国際演劇評論家協会日本センター)の第6回AICT賞を受賞したというのだから何をかいわんや。新田次郎賞はともかく、AICT賞とは。寺山研究の決定版との評価を得たというが、木を見て森を見ない類。果たして演劇評論家たちはまともにこの本を読んだのか疑わしい。これをこそ贔屓の引き倒しという。(2001.05.20)

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