8月8日 金大中事件。韓国新民党元大統領候補・金大中氏が東京のホテルから拉致され、KCIAの船で韓国に強制出国
=「神田川」「学生街の喫茶店」
物故者=ピカソ、椎名麟三、大仏次郎、古今亭志ん生、カザルス
映画=「ジョニーは戦場へ行った」「スケアクロウ」
その他=5月23日、渋谷・西武劇場(現・パルコ劇場)開場
初詣

明治神宮初詣記念
乗車券
参宮橋ー新宿往復60円
  12月31日の深夜、電車に乗って参宮橋へ。同じアパートの法大生Sさんが紹介してくれたテキヤのバイトがあったのだ。暮れの酉の市では新宿・花園神社で熊手、イカ焼き。そして初詣客で賑わう明治神宮で吊るしの「お宝」売り。
 この日は明け方まで声をからして呼び込み。水商売ふうのお姐さんが「あなた、素人っぽいところがいいわね」と言って、お宝を買ってくれたりするが、人の流れが道路の反対側なので商売がやりにくい。

 いったん帰宅してまた昼から夕方まで。私を使ってくれたテキヤは木村さんといって、小柄ながらがっしりした体格で、白髪混じりの短髪のおじいさん。やくざ映画に出てくる「悪どい新興やくざと対立する昔かたぎのテキヤ」という雰囲気。戦時中は軍の工場で働き、今のお金に換算して大変な給料をもらっていたそうだが、いつ招集されるかと、気が気でなく、毎日飲み歩いていたという。
 
 この日はバイト料8000円の約束だったが、1枚上乗せしてくれた。人出は40万人。右側通行に規制しても、すぐに流れは左側に。「日本人って左側通行が好きなんだ。それに、きれいな女の人に限って風采の上がらない男と一緒に歩いている」などと18歳の人間観察。
 
 テキヤのバイトはその後、大学卒業まで続ける。クラスメートも何人か誘ったが、一人だけ頑として拒んだ級友がいた。「テキヤのバイトをすることは暴力団の資金源になるからオレはイヤだ」と。生真面目な彼は現在、人権派弁護士として活躍している。

 ※今のように、1年24時間、コンビニが営業してるわけでなし、地方から出てきた学生にとって、年末年始は「食べもの」を確保するのが困難な時代だった。十条でもやってる店といえば焼肉屋だけだったもの。
燃えよドラゴン
さそり
  12月24日。4時の回に入ったが、あまりの興奮に連続3回も観てしまい、外に出たら9時40分。今までの空手映画やアクション映画にはない迫力に魅了されてしまった。ブルース・リーブームはここから始まった。
 12月29日PM7、新宿東映。長谷部安春監督が初めて撮った「さそり」新作。護送の途中、脱走した松島ナミが手配中の活動家と出会い、心を許すが最後には裏切られるというお話。陳腐な出来で、併映の「ゴルゴ13」(イランロケを敢行したとか)ともどもバツ印。「さそり」の中の名セリフ。「一度転んだヤツは何度でも転ぶ」。わが身可愛さにナミを売った活動家に刑事が言うセリフ。「さそり」の相手役の学生に田村正和。まだ演技も未熟。
燃えよドラゴン
新宿ピカデリー
700円
シルヴィ・バルタンコンサート 東京で初めて観た外タレコンサートだった。ラメのジャンプスーツ、ベビードールとコスチュームも色っぽく、妖精のイメージそのまま。「恋人を探せ」「悲しみのシンフォニー」と耳になじんだ曲ばかり。このステージがライブ盤になって発売された。フランスの歌姫は今どうしているのやら。B席2200円。

※ハイライト80円。銭湯48円。米5キロで1500円。
しルビーバルタン
10月10日渋谷公会堂
浅川マキ・イン・アートシアター新宿 今は映画館「ビレッジ1」の入るこぎれいなビルだが、73年頃はまだ真っ黒な外観が異彩を放った「新宿文化」。裏手にはミニシアター「蠍座」(「心中天網島」を上映中)があり、表の映画館ではATG(日本アートシアター・ギルド)の映画を上映していた。この頃、浅川マキのホームグラウンドでもあった。ライブは10時過ぎに始まり、11時半まで。「ちっちゃな時から」「死春記」など耳になじんだ曲ばかり。初めて聴いた生の浅川マキ。「マキ!」「わかってるわよ」客席との呼吸もぴったり。
マキ
73年8月24日
パック祭り
(豊島園入場券)
TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のDJが全員集合したファン感謝フェスティバル。お祭り広場に設えられたやぐらの上ではナッチャコこと野沢那智、白石冬美コンビ、見城美枝子(ケンケン)、馬場こずえ、愛川欽也、山本エミコ(ヤングポップス1010の司会)、林美雄、小島一慶、小林せつこ、滝良子らが盆踊り。太鼓は永六輔。「相馬盆歌」「東京音頭」「炭鉱節」の3曲だけの繰り返しだが、盛り上がること!
  ケンケンと握手してもらって舞い上がる私。NHKアナのような端正な声のみどりブタこと林美雄が長髪の美青年だと知って驚く。この夜のパックはキンキン・パック。ナッチャコ、こずえ、山本コータロー、林美雄が飛び入りして昼のお祭りの話題一色。
73年8月7日豊島園
コンサート夏 地下鉄早稲田駅を降りると、すでに長蛇の列が記念会堂まで続き、会堂を何重にも取り巻いていた。後で聞いたら1万人。その列の中に高校時代の同窓生を4人も見つけたのは奇跡的。司会は山本コータローと南こうせつ。杉田ジロー、BUZZ、猫、かぐや姫、少年探偵団、六文銭、加川良、西岡たかし、中川イサト、そして吉田拓郎ほか。婦女暴行容疑で逮捕された「金沢事件」の直後とあって、拓郎の顔はいまいちさえないが、小室等&六文銭と「比叡おろし」をたたきつけるように歌っていた。
コンサート夏
7月1日 
早大記念会堂
PM4開演
加川良●東京 加川良の代表作といえば「教訓T」だが、「京都の秋の夕暮れはコートなしでは寒いくらいで…」で始まる「下宿屋」が聴きたくて高校時代にアルバム「親愛なるQに捧ぐ」を買った。マリー・ローランサンの「鎮静剤」(これまた高田渡の名作「系図」に収録されている「鎮静剤」と聴き比べたい)の入ったこのアルバムは傑作。

 さて、「教訓T」は、なぜか「人生街道」の畠山みどりが、その後カバーしたが、「命はひとつ 人生は一回 だから 命を捨てないようにね(中略) お国は俺たち死んだとて ずっと後まで残りますよね 失礼しました で終わるだけ 命のスペアはありませんよ…」というシニカルな反戦歌は古くなるどころか、今の時代のほうが生々しい現実感がある、と思うのは私だけだろうか。

 会場に南こうせつ、馬場こずえが来ていた。
加川良
1973年5月16日(水)
神田共立講堂 
PM6・30開演

梶芽衣子 
新宿アウトロウショー
オープニング、轟音とともに2台のナナハンが舞台両袖から登場。スクリーンには映画「サソリ」のシーンが映し出される。バイクから降りた革ジャンの男が後方を指差して絶叫する。「梶芽衣子!」。通路に黒い影が現れ、客席の間を縫って舞台に進んで来る。黒づくめのサソリ・スタイル。梶芽衣子の登場だ。「うらみ節」ーーつぶやくようにマイクに向かうと、「花よ未練とおだてられ…」歌いだす彼女の凄艶な横顔。このステージは藤田敏八監督の「新宿アウトロー ぶっ飛ばせ」で藤竜也、渡哲也とともに滅び行く日活ニューアクションの掉尾を飾った梶芽衣子の、時代への挽歌であった。ホンモノのライオンが入った檻をステージに乗せ、その上で梶芽衣子が歌うなど、スリリングな仕掛けも。ジョー山中、三上寛がゲスト。

  「そこ空いてますか?」と隣の席に座ったのが大門正明。ひし美ゆり子と一緒だった。終演後、あがた森魚、桃井かおりらがロビーで談笑していた。「あらかじめ失われた恋人たちよ」でデビュー。映画「赤い鳥逃げた?」(藤田敏八監督)の直後でほとんど無名だったが、「艶っぽくてきれいで少女のような瞳」が印象的だった。

 この日は雨。濡れながら開演を待つ行列に並んでいた私に、学生ふうの男が傘をさしかけてくれた。初めて都会の片隅の親切を感じた日。
梶芽衣子
1973年5月2日(水)
新宿厚生年金会館大ホール PM7開演      
小田急線切符
(1973年)
上京して初めて住んだのが小田急線東北沢駅。アパートを探す間、友人の部屋(三畳一間)に転がり込んだのだった。まだコインランドリーは珍しく、時々、笹塚駅前(そこにしかなかった)のコインランドリーまで15分の道のりを洗濯物を持って歩いた。

 約1カ月、下北沢のパチンコ屋に行ったり、近くの駒場公園で時間をつぶしたり、レコード聴いたり、ダベったり、毎日が日曜日。5月中旬に板橋区十条にアパートを見つけ、引越し。しかし、相変わらず東北沢の友人宅に入りびたり。当時、、高校時代の友だちと、ほとんど毎日のように会っていたが、電話など誰も持っているはずもない、。どうやって連絡を取り合ったのか、いまもって不思議。訪ねて行って友人が不在の場合はいつまでも待ち続けたのだろうか。のんびりとした時代、でも人間同士の関係は今よりはるかに濃かった。

 ※新宿のサブナードは工事中で開通前。
小田急
1区間30円
(国電も同じ料金)