2006/01/31

共演の記念

 いただきました。

 ありがとうございました。

2006/01/30

陽の光り

 ガラス越しにポカポカと暖かな日差し、春めいてきてますね。
 寒さの厳しさ続きだったせいか、まだ気温は一桁なのに、昨日今日の日差しはとても暖かく感じます。
 昨日、山形に出かけ、このところよく伺うようになった蕎麦屋さんで、いつもの板そば「特大」を食べてきました。最初食べたときは、量に圧倒されたのですが、回を重ねるにつれ、少し味わいながら食べれるようになってきました。やっぱり、そばはおいしいよね。特に、山形は、小旅行気分を味わいながら、気分転換にはもってこい。出かけるたびに、楽しさも増してきます。

 Shin君のページに触発されて、二つの思いがでてきました。
 ひとつは、幼かったときの母との思い出、もうひとつが日本の映画のこと。

 私が生まれたばかりのころ、体調がすぐれなかった母は、いつどんなことになってもという思いから、早く兄弟同士で慣れるようにと、あまり添い寝などせずに育てたということで、母との二人きりの思い出は殆どないのですが、保育所(幼稚園ではありません)に通ってたころの運動会で、母と二人で「着せ替え競争」に出ることになったんです。
 私は、運動は小さい頃からダメでしたし、母も相当な肥満体だったので、その時も、どうせ今日もびりっけつだよな、と決め込んでたのに、いざ走り出してみたら、母の早いこと早いこと(「足が速い」のではない)、目的である私の着せ替えを誰よりも早く仕上げ、ゴールに駆け込んで見事に一等賞。かけっこ絡みで、一等になったのは、私の人生で、後にも先にもこのときだけです。
 いつもいつも、内職のため裁縫の「裁ち板」に向かっていて、厳しい表情のイメージばかりが思い出され、母と二人で出かけたというような思い出の殆どない私は、母と手を握ってかけっこしたときの思い出が、幼い頃としては一番心に残っています。

 もうひとつの映画の話は、簡単に。
 「男たちの大和」 と 「SAYURI」 です。
 12日に前者を、26日に後者を見ました。
 大和は、見ている間、6回ほどハンカチを使いました。殆どビショビショ状態。
 SAYURI も感動しました。ただ、こちらは、さすがにハリウッド映画で、american dream at a Geisha の趣がありますね。japanese というよりは、asian beauty 。
 奇しくも、同時期の上映となっていて、日本の美、精神を堪能しました。
 某国では、一般の方は見れなくなったとかで、なんともお気の毒なことかと思われます。
 ハリウッド映画なのに、なんでかな?
 他の国の文化の粋を知る機会を制限されるのは、不幸なことかなと思われる次第。

 以上、Shin 君に感謝しつつ、my sentiment でした。


   [画像はいつもの「自然悠悠」さんからお借りしました。]


2006/01/18

頌春 我が心に残るバッハの名曲名演奏

 改めて、さらに改めて、明けましておめでとうございます。
 ロ短調本番まで、あと4日となりましたね。
 思いも高ぶるばかりですが、何気に、これまでに至る自分なりのバッハというものもいくつか思い起こしてみました。

@ ヴァイオリン協奏曲 E−dur
  高校生の頃、ラジオで初めて聞いたんですね、Vn:Cシルーニック トゥールーズ管という今でもマニアックな演奏ですね。ダンダンダーンという特徴的な和音進行の始まり、今でも思い出すだけで、胸の高まりを覚えます。あの忘れられない心地良さの影を求めて何種類の演奏に接したんでしょうね、永遠のテーマに近い思いが深まるばかりです。


A カンタータ147番
  お馴染みのコラールを頼りに、いわずもがなの名曲の全曲を初めて耳にしたのが、私のMyBest、キングスカレッジのLPレコードでしたね。同じ頃に発売されたパレストリーナ(解説がFMCの高野お父さん)と一緒によく楽しんだものでした。ミュンヘンバッハの合唱とともに、西洋合唱音楽の発声についてもよく考えさせられ、教えられました。バード4声から始まったキングスカレッジ詣での初期の頃の出会いで、LPからCD買いなおしの筆頭グループにあったのも当然でした。


B マタイ受難曲 アルトのアリア Erbarme Dich
  大学4年の2時間半5ステージに及ぶ定演での最終ステージ、マタイの抜粋の中で特に心に残った曲。レコードで初めて耳にしたのがクレンペラ―盤C.ルートヴィヒ。メンゲルベルク盤、アムステルダムでの聴衆のすすり泣く音などがよく話題になっていましたね。
 ペテロの悔悛、人類すべての懺悔の気持ちでしょう。実に Kyrie eleison に直結する魂の歌、いつまでも飽くことのない至宝の名曲です。



 以上、10数分での思いつきのメモ、この調子で行けば「かだって」も尽きることはないんでしょうね、ハッハッハーーー。

 書き込みのご無沙汰をお詫びしつつ、今年もよろしくお願いします。










2005/12/31

キーワードは「やんちゃ」

 いやあ、もうすぐ平成17年も行ってしまいますね。
 おかげ様で今年も、あれやこれや20ステージ踏ませていただきました。皆様に感謝。

 ところで、28日の祝賀会と納会、楽しかったですね。
 前日カンタータの会を終えて、別な面でバッハを見直し楽しむことができたこともあって、仕事納め終了の開放感も手伝って爽快感に満ちた会でありました。
 気持ちよさの中心は、何と言ってもバッハの音楽の素晴らしさと、これからロ短調をどう仕上げていくかですよね。
 何人かの方と、バッハの「やんちゃ」ぶりについて話していくうち、もう確信に近くなりましたね。ルネサンスの流れからきての「やんちゃなバッハ」。
 いまパリンカでは、グレゴリアンとパレストリーナとバード(それに三善と多田武)を併行してやってるんですが、さらに併行してのバッハ、よく分かります。

 納会での話では、コルボの時は「ジャズだ、ロックだ」と言われたことも、よくぞ言いえたり、ということで共感相和した次第です。

 こんな「やんちゃなバッハ」、おそらく仙台ではうちら仙唱しか実現できないでしょうね、日本中でも希少価値と思います。

 そんなほくそえむ楽しみの中で、今年を終えたいと思います。1月4日からは全開だーーー!!!

 Jrs.と酒酌み交わしつつ、恭悦至極!


2005/10/02

感謝の祭儀

 7月から9月一杯、長い夏休みでした。
 本当に休んだのは数日位かな、行事はたくさん、いくつもの音楽が同時進行で脳内に溢れ、唇からこぼれていってしまいました。
 今年の夏の取組みで、私し的に印象深かったのは、先週の東北大会まで、合唱団Pで歌っていた金子光晴詩・高嶋みどり曲「落下傘」。父の弟(同じ母の唯一人の実弟)と母の弟(実家の嫡男)が、それぞれの戦地で二十歳そこそこで亡くなり、今年は戦後60年とのこと。我が子の3人まで成人に達するようになり、なお、母の靖国追慕への共感は深くなる一方です。

 さてさて、ロ短調への想いが滞っていましたね。
 またまた、受け売りなのですが、ミサの本質が何かと言えば、「感謝の祭儀」、当然、神への。
 基本的に、ミサの本文は、キリエでの神への畏敬(我が身の脆さ・弱さ)とグローリアでの神への賛美・感謝、とこれに尽きるわけですね。この後のクレド、サンクトス、アニュスデイ、とこれは自己アピールと安心感を自分に言い聞かせているようなもので、固めに言って、信仰宣言、威光、安息のためのお祈りといったことになるのでしょうか。
 ミサというのは、あくまで典礼というか、儀式なんですね。こういうことって、宗教組織には欠かせないことで、世界宗教と言われてるところは、洗練されてるんですね。
 曰く、キリスト教では、司教が司式を司る大ミサというのがありまして、三大ミサというと、クリスマス、御復活、聖霊降臨ということで、何を中心に据えてるかと言えば、それぞれ、神本体(ご本尊)、神の教え(真理)、布教の礎(宗教組織の成り立ち)なんですね。
 これは、我が仏教に置き換えてみれば、常によく言われる「仏・法・僧」なんであります。御法事のときのお経で「南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧」とやってますが、そういうわけであります。まあ、やっぱ、世界宗教ですからね。

 信仰の赴く先の神仏は、皆さんそれぞれなんでしょうが、共通するのは、自分自身の無に等しい脆さ・弱さと神仏の絶対に対する畏敬・平伏、そして「感謝」であると思います。
 以前、練習のある時にお話しましたが、自分の信仰心を何か表そうとするときの究極の一言は、仏教では「南無」、神道では「祓い清め」、そしてキリスト教では「(K・C)eleison 」だと言うのですね。これは、ある宗教者の連絡会議の懇親会でそれぞれの代表格の方が酒を酌み交わしながらお話していた「本音トーク」での話ですから額面どおり受け取っていただいてよろしいと思います。

 何かとりとめのない話を続けましたが、我が仙唱でのロ短調を思うとき、淳一先生が仰っていた「常に何か新しい発見の気概を」ということをコツコツと積み重ねていくのがいいのではないかと思うこと頻りです。それが岡崎先生の仰る「淳一節」にも繋がることでしょう。兎に角、世間では「あの仙唱には似合わない」と思われ続けているBachをやるのですから、sepultus est のキリストが本当に甦り、生き生きと人間稼業を全うし、我が友、我が同士と互いに喜び祝福し合える人間賛歌になるような演奏にしたいものですね。
2005/06/30

いよいよロ短調 その気

 いざはじめようかな、と思いつつ、なかなかバッハ談義のなかに入れなかったのですが、今年も半分が過ぎ、怒濤の演奏会続きも一段落しつつあるので、そろそろ暖めてた分など書きはじめようかと思います。

 それにしても、shin 君の「放課後の音楽室」でも取り上げていただきましたが、淳一先生の北海道からの帰仙直後の練習で話のあった、「毎回の練習で新しい発見を」というアドバイスは素晴らしいですね。
 今使っている楽譜が、大好きなコルボのメッセージ付きサインのある楽譜のせいもあって、何かにつけ、あの時はこうだったなという思いに走りがちなのですが、何か新しいことをと思い出すと、視野が変わってくるんですね。おもしろいものです。貴重な一言でした。

 さて、私のバッハの取っかかりとして、学生の頃の思い出から始めましょう。
 ミュンヘンバッハを初めて聴いたときのことです。曲はモツレクだったか受難曲の何かだったか忘れてしまったのですが、なんかカスカスの息混じりも多く、密度の濃い東混やコンクール常連の合唱と比べて何がよくて世界的に認められているのか理解できませんでした。欧米オペラ座の合唱と比べても大違いでしたね。
 何度か聴くうちに、これは一番「筒」らしい音なんだと思うようになりました。楽器では、木の筒もある、カネの筒もある、そうしてミュンヘンバッハの声は人間の「筒」として鳴っていることをよく教えてくれる。ベルカントでは、人間同士の人種の差に思いが走りがちなのに、「筒」として聞こえてくると音楽により親しく寄っていけるんだなあ、と感ぜられ、それがミュンヘンバッハの特質、急に親しみが深くなったように思えたのでした。
 それ以来、経験なしの入団者でも合唱への道は拓けてくるし、何よりも自分の発声の未熟さの励みになったことを感謝しています。

   (未定稿  昼休み終了)

2005/05/31

いよいよロ短調 (当面未定稿)

 今、久しぶりに矢野顕子の Piano Nightly を聞いています。ウチのオクサンも納得っていうことで。

 4時間前は、娘に付き合って15年前のX−japanのベータで録画されたビデオ見てました。
 一段落して、抜粋で、ロ短調聞いてました。
 まずはレオンハルト=ラ・プティト・バンド。
 つぎに、アルノンクール=ウィーン・CMとアーノルト・シェーンベルク合唱団。
 つぎに、リヒターの旧盤。

 疲れたところで、あっこちゃんというわけです。

 演奏1つずつ何か言おうと思ってたんだけど、もう酔っ払ってきたので、とりあえず、ここまで。

 えーっと、ロ短調のポイントが何だったかな、ということから言って、ミサ通常文のテキストであること、トランペットの大活躍であること、我々にとっては何よりも合唱作品である、ということでしょうか。

 今日のところは、フランドルの、ウィーンの、ミュンヘンの音楽を感じてしまった、とそんなことだけにしておきましょうか。(今日はまだ聴いてないヤーコプスのベルリン盤に期待してみようかな。)

 本命は、画像の一番目。

























2005/05/11

連休中の音楽

 職場の申合せで、暦通りの休みでしかなかったけれど、3連休が2回あって、後半はいつになく好きな音楽にもゆったり浸れてちょっとした音楽三昧ではありました。
 そんな中で、やはり一番刺激的でパワフル、心躍ったのが清志郎のライブでしたね。29日の夜。前の職場の関係で「がんばれ仙台港!」の意味で県の後援をしていたこともあり、関係者からお招きいただき、家族でいそいそと出かけてきた「ARABAKI」ロックフェスのオオトリでした。
 最近の「Jump」や「GOD(ジーオーディー)」はもちろんのこと、なつかしの「雨上がりの夜空に」も大団円、途中から引っ張り込まれた奥田民生とかスカパラの数人、ハイロウズ(元ブルーハーツ)のヒロト、宮藤官九郎とかも一緒になって、アンコールの「上を向いて歩こう」ではもう最高潮。その晩、気仙沼に出かけるつもりだったのを先延ばしにして、ノリにノッてしまいました。ようこそARABAKIベイビー、あいしあってるかい〜〜〜〜〜〜〜
 昔のLDを引っ張りだして、改めて見てみると、派手さは変わりないようだけど、昔の絵の方が真面目そうに見えますね。売り出したばかりで馴れないこともあったんだろうけど、時代の先端で緊張してたこともあったんじゃないかな、もう、30年前に一ッ飛びできる懐かしい映像です。
 一日がかり(実は2夜3日)のコンサートに集まった人たちを見てすごく嬉しかったし、GIPの代表の方のメッセージもまだ残ってるようなので、是非アクセスしてみてください。ARABAKI ばんざい。
 http://www.gip-web.co.jp/arabaki/index2.html
 http://www.kiyoshiro.co.jp/



 で、連休後半の3日(火)、の癒し系。
 いつも、すぐ音量に口出ししてくるオクサンが仕事に出かけたのを幸いに、好きな音量で、窓を締め切って楽しみました。

 ・ モーツァルト  ピアノソナタ 15番、11番(ピリス)
 ・   〃     管楽器のための協奏曲
 ・   〃     ピアノ協奏曲 23番(アシュケナージ)
 ・ ヘンデル    ブロックフレーテのソナタ集(ブリュッヘン)

    (昼食、昼寝)

 ・ モーツァルト  交響曲36番「リンツ」
              (クライバー=ウィーンフィル  91ライブLD盤)
 ・ ヴェルディ   レクイエム
              (アバドの 82エジンバラ音楽祭ライブLD盤)
 ・   〃     椿姫
              (ムーティの 92スカラ座LD盤
                 アルフレードはアラーニャ)

 など。
 4日も同じ調子でと思ったんだけど、午後から動き出したこともあって、ワーグナー一枚程度で終ってしまいました。
 いずれにしても、久しぶりの音のシャワー。すっきりしました。これで、しばらく、耐えていけるかな?



2005/04/30

冬のもてこし春  繚乱

その1

 我家の越冬した草花達。みんなめんこくて、しっかりしてる。ハイビスカスはまだ花をつけます。
 「イェローボーイ」は1月末の東北らん展で求めたもの。
 ポインセチアはクリスマス前から。
 葉牡丹は11月末頃から。






その2

 金沢の友人から、先々週メールで送ってもらったもの。コピーの断りはしてないけど、赦してもらえるでしょう。自然のフォトは折り紙つき。

 4月17日 兼六園の曲水(琴路灯篭の少し上流)辺りとのこと。
 学生時代は、無料で通行自由。毎日の通学路だったし、花見も結構やってましたがね。







その3

 日頃の通り道、国見三丁目(うなぎ坂)の見事な枝垂れ桜。いつも車で忙しなく通り過ぎるのだけれど、これだけ見事ではね。今朝、わざわざ写真撮りに行ってきました。三春まで行かなくても近くで堪能。側には、馬頭観音と古峰神社の碑があり、通りすがらいつも頭を下げております。南無馬頭観音、いつも無事、ありがとうございます。




 [ 本日の音楽 ]

  ・ モーツァルト「ホルン協奏曲」4曲
     (ペーター・ダムまたはゲルト・ザイフェルト)

  ・ ワーグナー 「パルシファル」
     (バーデン・バーデン祝祭劇場)
     ※ 今、hi-vison でやってます。


2005/03/20

彼岸

 怒涛の3月などと息巻いていたのに、風邪が悪化して墓参りも断念せざるをえない状態となり、がっかり。
 真壁さんの記事を見ていると、症状が似ているので、あと1週間は大人しくしていなければならないようですね。
 この時期、送別会歓迎会シーズンで自分の都合を言ってられないのも辛いところ。
 16日は、職場のお隣さんJetroのN氏がナイジェリアに転勤する事になって、その送別会は欠かせないということで練習休みました。鞄に h-moll はちゃんと入ってましたが・・・ この日の時点ですでに風邪が悪化しつつあって休みたかったのだけれど、アフリカに転勤する人に送辞もできないなど職場の倫理に関わりますからね、もっぱら我慢我慢・・・

 ところで、私の通勤路、農学部沿いで大変化が起きました。大通りに面したコンクリート塀が取り壊され、緑色の金網フェンスに変わったのです。
敷地内を横切る時に、羊達と戯れるのもよかったのですが、大通りから農学部全体を見渡すと、結構広いのがよく分かって「農学部」らしく見えます。何にしても「農」と人の通りをコンクリートで隔てていたなんて、信じられないことでしたよね。願わくば、金網フェンスもしないで、桜並木のままだとなんぼかよかったのではないかとおもうこと頻りです。

 さて、今回のついでに、先日、大連に行った時の写真をいくつかご紹介しましょう。
日に3度中華料理というのは3日が限度ということがよく実感できましたが、風光明媚さは別、何度か行けばお気に入りも見つかるかもしれません。
何れにせよ、今回は小手調べの視察でした。




  本日の音楽
   レスピーギ「リュートのための古風な舞曲とアリア」
    (マリナー=ロスアンゼルス室内O.)





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