スカイダイビング記-2

第11話 「再びアメリカへ-1」


ローダイでの骨折から半年。
ギプスが外れリハビリも終わりようやくジャンプに復帰し、ホンダで2回飛んだだけで、懲りないことに、
またまたアメリカへ行く事になりました。

しかし、まだまだまともには走れず。骨折の箇所には、まだボルトとプレートが入ったままです。
今回は6週間の予定でアリゾナ。 

場所はクーリッジ。



桶川のメンバーが1月から3月までの3ヶ月間合宿するのに合わせ、後半のみ合流する計画でした。

「アリゾナのフェニックスから車で1時間位だよ」
情報はこれだけ。



たったこれだけの情報で参加を決意したものの、フェニックスとはどこか?
乗り換えは? 地図は? 

何も聞かないまま先発隊は出発してしまい、仕方なしに高校のとき使ってた世界地図を広げクーリッジを探すことに。 
しかしそんな地図に田舎町が載っている訳も無く。



「ロスで乗り換えだよ」
と言う言葉を信じて、航空券はシンガポール航空のロス往復のみ購入。

2回目のアメリカなので、少しは勝手が解ったものの、ロスの空港のなんと広いこと。
しかし今回の目的地は、ここで乗り換えてのフェニックスです。



とにかく案内所を探し、相撲取りのように太ったオバサンに、聞いてみました。
 「アイ ウオンツ ゴオ フェニックス」

意外にも、これが通じたようで、案内所のオバサンは、どうやら、
 「国内線のターミナルへ行き、デルタに乗りなさい」と言っているようです。

広いと思ったロビーでしたが、それでもここは国際線だけのターミナル。
実は空港は数倍広く、国内線ははるか遠くに見えるビルにあるらしいです。

重いスーツケースとパラシュートを持って、てくてく歩いたのですが、後日ここには
無料のシャトルバスが有ることを知ります。



やっとの事でデルタ航空カウンターへ行き
 「フェニックス 大人1枚下さい」
しかし、カウンター氏の答え。

 「no more today」
 「え~~~? ノーモアって・・・空席無いのぉ~」

こんな所で日が暮れたら、ギャングに襲われるのではないか。

あまりのショックで固まってしまったのですが、カウンター氏は親切に「アメリカウエストなら、まだあるよ」と、別の航空会社のカウンターを教えてくれました。

アメリカウエストのカウンターでも、「アイ ウオンツ ゴオ フェニックス」
同じセリフを繰り返します。

とにかく無計画のツケが回り、苦労しながらもアメリカウエスト航空のフェニックス行きB-737の機内に入りました。
時刻表によると飛行時間は2時間。
窓の下の砂漠を眺めながら、ようやく落ち着いた1時間後。



「&$%# 着陸 ●$%△ シートベルト・・・・」のアナウンス。
「着陸? まだ1時間なのに?」
これはしまった。
「乗る飛行機を間違えた」と思ったのですが、なんの事は無い西海岸とアリゾナでは時差が有ることに、ようやく気付いたのでありました。



さて フェニックスに降りたもののここからは、本当に分からない。
仕方がないので、タクシーの運チャンに聞くしかない。

 「ドウー ユー ノウ クーリッジ?」

 「Do you want to go?」

 「イエス」



タクシーは砂漠の道を飛ばす飛ばす。
周りは西部劇に出てくるような、枯れた砂漠と巨大なサボテン。

半年前のカリフォルニア以上に感動の大地です。タクシー代は50ドル。
ロスからフェニックスまでの飛行機代は40ドルだったのに・・・



無計画のまま ようやくたどり着いたクーリッジは砂漠の真ん中。さあ、明日から飛ぶぞ!


第12話 「Mr.アルファベット」


 

 「ユー ジャンプ?」
Mr.アルファベットが声をかけてきました。

アルファベットは本名ではありません。本名はアメリカ人でさえ覚えられないほど長ったらしく、クーリッジDZでは彼のことをみんな「アルファベット」と呼んでいました。

 「イエス ジャンプ!」



アリゾナに来て そろそろ2週間。ここに来たときはジャンプ回数80回。

とてもまともなファンジャンプは出来ず、毎日2WAYでフォールレート合わせの練習。ターン・バックインの練習と、面白くも無いジャンプで回数をこなしていました。



 「今日、何回飛んだ?」
 「さあ~ 6回かな 7回かな?」

夕食後 まとめてログブックに記入するのですが 回数が分からない。

「どうせ全部バックインの練習だし 覚えているやつだけ書こうか」
売店で買った「人間形スタンプ」は出番がまったくありません。

「あ~あ 俺も早いとこ 大きいのやりたいな~」



コンテナに2段ベッドを入れたバンクハウスには、10人程の日本人と、ドイツ・フランス・オーストリア人の、20人ほどが生活しています。

 「ぐーてん もるげん!」と私
 「オハヨウ ゴザアマス!」とドイツのジャンパー
朝の挨拶も国際的です。

そのほとんどがチームジャンパー。私とはレベルが違いすぎる。
「飛んでくれとも 言えないよなあ~」



そんなある夜のこと。

夕食後にバーボンを飲んでいたら、Mr.アルファベットがそばに寄って来ました。

 「何 飲んでいるんだ?」
普段、自分の英語力では理解不能なのですが、このときは酔っていた為か、意味が分かるような気がしました。

 「これか? ジンビームだ」



当時、日本では2000円はしたであろうが、アメリカではたったの5ドル。

 「俺にも 飲ませろ」
そう言われ、アルファベットのグラスにジンビームを注ぎました。

英語は解らないはずなんですが、なぜか数時間、会話がつながってます。

この時からでしょうか2人は仲が良くなり、彼が週末の8WAYや10WAYに誘ってくれる様になりました。



 「今度は5人でスパイダーダンスだ」

私の回数は100回そこそこ。
普通なら200回以下はファンジャンパーとみなしてくれないアメリカです。

 「アイム ステューデント。 オンリー ワンハンドレット」

自信が無くて気が引けるのだが アルファベットはおかまいなしでした。

 「ノー プロブレム」



平日はビーチクラフトで16人程度で上がりますが、週末には100人近いジャンパーが集まり、2機のDC-3が交互に上がります。

回転が速く、のんびりしていると、DC-3に置いてけぼりを食らうことになります。

我々もこの時 練習に熱中しすぎて置いていかれるところでした。

 「ヘイ! アルファベット! DC-3 ムービング!」
いち早く気付いた私は叫びました。

 「ハリアップ!」
動き出したDC-3を追いかけ5人は走りました。

 「待ってくれー」
追いつけるのか?

第13話 「DC3」



プロペラの後流にあおられながら それでもなんとか追いついたものの ドアが高すぎて上がれない。

 「ヘイ! カモーン!」
アルファベットはドアの下で手を組んだ。

私はそれに足をかけ這い上がり、今度はドアの上から重いアルファベットを引き上げる。
「・・・このシーン・・どこかで見たことがある・・・」



そうだ これは映画だ。 

 「ワイルドギースだ!」

20人ほどの傭兵達が数百人の軍隊に追われ、撃たれながらも 最後の最後で動き出したDC-3に飛び乗って脱出する。
そんなシーンが頭をよぎりました。



DC-3は およそ15分で12、500FTに達しました。

 「クライムアウト!」
今回はフロントフローターだったので、プロペラの後流をまともに受けます。

 「GO!」



綺麗なEXIT。
一発で見事なスパイダーが出来ました。

体がスムーズに動く。思った通りのポジションにピタリと着ける。
文字通りスパイダーが踊っている様に見えるはずです。



彼等と飛ぶと 自分が上手くなったような気になります。

 「ユーのポジションは大きすぎる。軽い日本人に合わせようとしているからだ。
 コンパクトになってレートを早めればもっと自由に動ける」

アルファベットの言葉どおりだと感じました。



アリゾナに来て1ヶ月。平日の練習ジャンプと週末のアルファベットジャンプでだんだん自信を付けてきました。
そして



 「アルファベット ネクスト 200ジャンプ」

 「オー! ケースビア! OK ネクスト BIGWAY」

記念ジャンプは結局16WAYにりました。
DC-3からフリーで降りた16人は 最初に8WAYでベースを作り、外に8人が付くダブルスター。

あっという間に1ポイント、そして2ポイント。5,000ftでブレイク。
今考えると16人にしては低いブレイクです。

当時は少ない人数だと 3,500~4,000でブレイクが主流でした。




ブレイクしてトラッキングしたものの、どこに行っても 右も左も、上にも人が・・・
とにかく遠くにトラッキングし、安全を確認できて引いたのは2,000ft以下。

(当時は サイプラスは無いので・・・・・)



その夜も、もちろんアルファベットとジンビームを飲みました。

 「ユーアノット ステューデント」

 「センキュー アルファベット」




第14話 「オールドツーソンと銃」


 「たまにはジャンプ休ませてよ・・・」

アメリカまで飛びに来たのに、なんと変な事を言い出すのでしょうか。

まあしかし、毎日6回7回飛んでると、これが仕事のように苦痛になり、たまには気分転換が必要になります。

 「よし、気分転換にジャンプだ!」と、
不思議な事を言って、飛びに行く猛者もいましたが、私はそろそろバテ気味。

 「せっかくアメリカ来たんだら、どっか行こうよ」
そんな訳で、フェニックスから車で3時間。ツーソンにある「オールドツーソン」に行く事になりました。



ワンボックスの車に10人近くが乗って、ツーソンを目指します。
砂漠のハイウエーの道には、銃で撃たれたらしい穴だらけの車が転がり、弾痕のある交通標識もあったりで、
「明るいうちに帰らなきゃ」と、ちょっと緊張します。



「オールドツーソン」は西部開拓時代を模した町。日本でいえば「日光江戸村」でしょうか。
内部は西部劇のセットの様。


 「パン・パン・パン!」
いきなり近くで撃ち合いが始まり、撃たれた男が屋根の上から落ちてきます。迫力満点です。

もちろん銃は空砲ですが、ホームセンターで本物の銃が売っている国なので、間違って実弾撃つんじゃないかとヒヤヒヤします。

 「そうだ、アメリカなんだから俺も本物撃ちたい!」


「アイ ウヲンツ ガン ショット」 
DZに帰ってから、地元のジャンパーに相談しました。

この英語で通じたようで、「OK!」
Comeon だったか GO だったか Now だったか、
すぐ行こうと言われ、地元ジャンパーは車のトランクの中を見せてくれました。

そこには・・・「自動小銃?」
軍隊で使う、自動小銃(ライフルと機関銃の中間)が入っていました。



車に乗せられ、向かった先はDZ裏の砂漠。

 「GO!」

いきなり自動小銃を持たされ、前方のサボテンを撃ちます。



 「パーン!」

軽い反動で、サボテンに煙が上がりました。
 当たった!」と喜んでいたら、地元ジャンパーが銃の解説をしてくれました。

どうやらこの銃は 新兵でも使えるように、威力は小さいものの反動が少ない銃らしいです。



 「お土産に持ってくか?」 と実弾をくれたのですが、さすがにこれはまずい。

 「ノーサンキュー 実弾持ってくと ミーは トーキョーのエアポートで ポリスにアレストされて GO TO プリズンね」
そこで、飛んだ薬莢を探し、これをお土産に。


「なるほど、これだったか」

近所のハイウエーの交通標識や サボテンには、銃弾の跡がいくつも開いていましたが、
ギャングの銃撃戦の跡ではなく、射撃の的になっていたんですね。

第15話 「ジムビーム」 



アリゾナに来てそろそろ6週間。

80回だったジャンプ回数も、今では240回になり、10WAY位まで平気でこなせるようになってきました。
ようやくジャンプの楽しさが分かってきたところだったのですが、残念にも明日は日本に帰らなくてはいけません。



最後のジャンプは DC-3からのサンセットジャンプ。「27WAY」
ラストロードなので高度は13,500ftまでサービスしてくれます。

当分乗れないであろうDC-3に別れを告げ、「GO」で飛び出します。
65秒間のフリーフォールで、27WAYの完成です。

いつものようにアルファベットは「ABC」とサインを書いてくれましたが、最後なので、その後に長い本名も書いてくれました。



その夜、遅くなってから、アルファベットがバンクハウスに来てくれました。

 「最後にもう一度 おまえと飲みたかったんだ」
良く見ると、手には新しいジンビームのボトルが握られています。

 「サンキュー・・アルファベット。 ネクストイヤー・・」
来年もまた来るよと言いたかったのですが、涙が出てきてそれ以上言葉が出ませんでした。



翌朝は早いので、早く寝たかったのですが、アルファベットは許してくれません。



1本のジンビームを2人でラッパ飲み。

ピッチを抑える私にアルファベットは言いました。
「おまえは飲んだふりをしているだけだ。ボトルを貸せ。こうやるんだ」



アルファベットはジンビームを一気にあおると「ガラ ガラ ガラ~」大きな音をたてて うがいをして 「ゴクン」

 「ネクスト ユー」
これではごまかせません。
それにしても、何時間も何を話したのでしょうか。ジャンプの話だったのか、飛行機の話だったのか、はたまた仕事の話だったのか。



翌朝は当然アルコールが残ったまま、青い顔してフェニックス空港まで行く事になりました。

フェニックスからロスまで、例のアメリカウエストで1時間。
おや? ロスに着いたら空港の時計と自分の時計が違っています。

ロスとアリゾナに1時間の時差があるのは考慮しているはずだが・・・

 「ハッ! 今月からサマータイムだ!」
すっかり酔いもさめて 成田行きのカウンター目指して走りだしました。