スカイダイビング記-3

空へ スカイダイビング編-16 「日本選手権でカット」


アリゾナから帰国して、ジャンプに中途半端な自信を持った私は、その夏、山梨の韮崎DZで行われる
「RW日本選手権」に参加することになりました。

チーム名「ダンディー4」(この時が初代です)
メンバーは 水戸黄門の忍者役で、アクションスターの F作氏。
その後、世界的ジャンプカメラマンになった Pレーモンド氏。
当時慶応医学部6年で、今では精神科医としてTVにも顔を出す 0見山氏

今考えると凄いメンバーでした。
もう一つ、今考えると凄いのは、全員200回前後の腕前で、よく日本選手権に出られたもんです。
 


メンバーもすごかったのですが、会場はもっとすごい。
なにせバブルの絶頂期。
不動産会社の全面バックアップで、特設ステージでは、ノリの良いDJが、音楽ガンガン流して生解説。
「おおっとぉ! この音楽はぁ~ ジャンプランだぁ~!」

トレーラーに乗ったオーロラビジョンで、エアカメラマンの映像を再生。
地上からは超望遠レンズで、地上からもマニューバーが解る仕組み。
大塚食品の提供で、カロリーメイト食べ放題。
レースクイーンのようなコスチュームの美女軍団があちこちに。



優勝候補は「マツダ・ウルフガン」
キャノピーには、スポンサーの「MAZDA」の文字が入っています。

会場には「TV東京」のカメラクルーも来ています。
前回から、TV放送も始まったようで、いいとこ見せようと気合が入ります。



さあ、1ラウンド。
ピラタス「PC-6」は200mで浮く短距離離着陸性能と、10,500ftまで10分と上昇力だけは素晴らしいのですが、
困ったことに機内は狭く、9人乗っただけで足が痺れます。



さあ EXIT! GO!
山梨の韮崎なので、富士山が近くに見えますね。

降りたらパックをする前に、オーロラビジョンとスコアボードで、ポイントを確認します。
「ダンディー4」は、35秒のワーキングタイムで5ポイント。
我々のレベルにしては良い数字です。



さあ、2ラウンド目。
ちょっとバラけて3ポイントか?4ポイントか?

粘りすぎて 3,500ftでブレイク。トラッキングして2,500で「プル!」

相変わらず開きの遅い我がキャノピー「RAVEN」
「ボボボボボ・・・・・」
覚悟はしていますが、今回はいつも以上に遅い。

見上げると、スライダーが降りてこない。
「まずい、今日はいつもよりプルが遅かったぞ、高度は・・・」



「急いでパックしたのがまずかったか?」
「キャノピーで汗ふいたのがまずかったか?」
「スライダーが降りないんじゃ、半開きで落ちが速い 高度は?」
「トグル引きたいけど、手が入らない」
「カットするか?」



いろんな考えが一瞬で頭をめぐりましたが、右手は反射的にカッタウェイハンドルを引いていました。
(開かないパラシュートを、ワンタッチで切り離します)
思ったより簡単に、スルッとケーブルが抜け、体はまた無重力状態に。

「あ~あ、引いちゃった」
「みんなにケースビア奢らなきゃ」
「今日は人数多いから、いくらかかるんだろう・・・」

またしても頭の中を駆け巡りましたが、一番大事なことを忘れていました。


「リザーブリップコード 引かなきゃ・・・・」
(当時 RSLはありません)

空へ スカイダイビング編-17 「リザーブ!」


「まだリザーブ引いてない・・」

当時のギアには RSLラインは付いていませんし、サイプラスも有りません。...
リザーブ(予備のパラシュート)は、必ず自分で引かなくてはなりませんでした。

あわてて思い出してリザーブをプル!
リザーブは一瞬でオープン。
「Kさん、有難う」畳んでくれたリガー(パラシュート整備士)に感謝します。
「参ったな~ ついにやっちゃったか~」



しかしここで「参ったな~」と思う一方、ふとあることに気が付きました。

「これはもしかして、美味しいぞぉ~」
「下にいるTVのカメラマン、おそらく俺を狙ってるぞ」

世間では危険と思われているパラシュート。これが開かず、カット・リザーブ。
TV的には良い絵になるはずです。
我がチームは成績下位で放送されなくても、このシーンは放送するでしょう。



上空からカメラクルーを探します。
「いたいた」ランディングエリアに、大きなTVカメラが見えます。
いつもの10倍気合を入れて、風を読んで、カメラクルーの前を狙います。

リザーブはメインよりワンサイズ小さくしてあるので、ランディングは難しくなりますが、ここで転ぶわけにはいきません。
いつのもの20倍気合を入れて、「フレアー!」(着地前のブレーキ)

どんぴしゃり、カメラクルーの前に綺麗に着地。
急いでゴーグルとヘルメットを外して、顔がハッキリ映るようにして、笑顔でカメラの前を通り抜けます。



「何やってんだぁ~」「大丈夫かぁ~」
みんなが集まってきて、輪になって大笑い・・・・・。
狙いどうり、カメラが近寄ってきて、この輪を映しています



後日、TV放送を見たら、まさに当日思い描いた通りの構図で、編集されていました。
「いや~ やっちゃったよ~」と言いながら私が帰り、みんなが集まって笑うシーンにテーマ曲がかぶさってCMイン。

おまけに空中で私を映していた、エアカメラマンの映像も解説付きで放送。

アナウンサー 「おっと開かない!」「おっ?これは?」
解説者    「これは、予備のパラシュートですね」
アナウンサー 「開かなかった原因は・・・」
解説者    「たたみ方の問題ですね」(意外に冷たい声)
アナウンサー 「こういう事は良くあるんですか?」
解説者    「いや、たたみ方が悪いんです」(結構冷たい)



初めての日本選手権参加に、TV放送。
かなり舞い上がっていたのですが、実はここまででジャンプ資金は枯渇。

またアメリカに行くために、貯金もしなければなりません。
ジャンプは数か月お休みです。


空へ スカイダイビング編-18 「またクーリッジへ」


「ジス スライダー(注) カット プリーズ」と私が言ったのは
アリゾナ クーリッジのロフト(パラシュート整備場)での事。

前回のアリゾナから帰国後、日本選手権に出て良い気になっていたのですが、4月から新しい会社に就職も決まり、アメリカジャンプもこれが最後になるだろうと考えてました。



「これが最後のアメリカだ、 思いっきり飛んでやるぞ!」
気合は十分なのですが、問題は愛用のメインキャノピー「RAVEN」
あまりの開きの悪さには閉口。

実はメーカーより次のような勧告が出ていたのでした。 
『スライダーが降りない場合は 穴をあけ空気抵抗を少なくすること』

(スライダー:傘が一気に開くとショックでムチ打ちになるので、開きを遅く調整するA2サイズくらいの布きれ。
私の場合、効果が有りすぎて開きが遅すぎました)



「メッシュのスライダーに変えれば? 30ドル位だよ」
アリゾナのリガー(パラシュート整備士)に言われましたが、そんな金はありません
それだけあれば Tボーンステーキが3回食えます。

パラシュートの開きより、飯が優先なんです。



「そうだ 自分で穴を空ければいいんだ」 しかし どうやって?
思い悩んだあげく 結局ロフトのドアをあけました。

「オー RAVEN OK OK」 
こんなことを頼んだのは どうやら私だけでは無かったらしいです。

リガーは、ロフトの奥から、ホットカッターと直径20センチ位の空き缶を持って来ました。
「スライダーを広げて押さえていろ」

私がテーブルの上にスライダーを広げると リガーは空き缶を乗せ、それに沿ってホットカッターで、
「・・・チリチリチリチリ・・・」

わずか5秒でスライダーには直径20センチの穴がポッカリと開きました。
「OK これでちゃんと開くよ」 リガーは言っているが 本当だろうか?



数日後。

いつものように 3500ftで ブレイク。 長めのトラッキングで 2500ft。
 「プル!」 ボボボボボボボ・・・・・またしてもキャノピーはキャベツ状態。簡単には開く気配が無い。

スライダーを降ろそうとトグルを引くが このときばかりは効果なし。
スライダーは中間で止まり、おまけにツイスト(紐のねじれ)。 

開いているセルは中央部の3つか4つ。(パラシュートは7分割か、9分割になっている)
おまけにツイストと同じ方向にスピンを始め、反動を付け体をねじるがまったく反応はありません。



一瞬 カットも考えましたが、半年前のファーストカットの苦い経験を思い出しました。

「あの時は高度が有ったのにカットしてしまった・・・ ビール代・リパック代・・・ そんな金は無い。 1000ftまで頑張ろう」
(リパック代:予備のパラシュートを専門の整備士に畳んでもらうと30ドル)

そう思い必死で体をねじる。

1500・・・1200・・・ 。
(注 現在はマニュアルが厳しく、1,500ftまでに決心しなければなりません)

「だめだ! カットか? いや まて。 何とかなりそうだ」
頭の中で悪魔と天使が喧嘩する。

「・・・まだまだ大丈夫。もっとねばれよ。 リパック代 無いんだろう?」
「・・・1000ft割って 回復しなかったらどうすんだ 早くカットしろ!」


空へ スカイダイビング編-19 「低い!」


体をひねり、ラインを引っ張り、必死で頑張った結果、 結局回復したのは500ftでした。
「危なかった・・・また馬鹿なことをしてしまった・・・・」



さて、回復はしたものの DZは遥かかなた。眼下はサボテンの林。
「あれに刺さると痛そうだ・・・・」
上から見ると小さいですが 実は3メートル程の高さがあり トゲの1本1本がトウモロコシ程もあります。

こんな所で「ハリツケ」は御免です。 わずかな隙間を見つけてハードランディング。

「何やってるんだ!」
スタッフがトラックに乗って、サボテンの間を走り迎えに来てくれた。
「やっぱりスライダーが降りないよ」
「ユーが先にツイストしたから降りなかったんじゃないのか?」



その後も開きにくい「RAVEN」を、だましだまし使い、さらに数日後 300回記念のジャンプを行いました。 

「イーハー!」
(最近 イーハーと言ってる芸人を見ますが、スカイダイバーが先です)

ジャンプに満足し奇声をあげランディング。
「コングラッチュレーション」
「センキュー」

キャノピー(パラシュート本体)を抱えたままハイタッチ。 そしてパックエリアにキャノピーを置き、たたもうとした時。
「あれっ? なんか 変だぞ?」

自分のキャノピーを良く見ます。 



ライザー・・・・ライン・・・。
「あっ!・・・・パイロットシュートが・・・・無い・・」
センターセルの上部が破れ、バックと、パイロットシュートが消えている。
「これは いったい・・・」

(パイロットシュート:メインの傘を引き出す為、先に出す小さなパラシュート)

パックでリングに噛んでいたのか? 
お得意の「いい加減パック」でも一応リングは、点検しているつもりだったのですが。

短期間で酷使しすぎたのか、それとも体重が重いのか。
開いた後で良かった。下手するとメインキャノピーは開かなかったかもしれません。

しかし、オープン後もまったく気付かなかったとは情けない。



それにしても、最後の仕事を終えたパイロットシュートは、どこまで飛んで行ったのか。
「バックとパイロットシュート 拾いに行かなきゃ・・・」

これでは300回記念のビールどころではなくなりました。
その後、気を取り直しサボテン林まで行ったものの、結局パイロットシュートは見つからず、ショップで80ドル出もして買うことになってしまいました。破れたキャノピーも補修しなくてはなりません。

「帰国したら、お金貯めて、新しいパラシュート買おうかな・・・・」

空へ スカイダイビング編-20  「右手にカメラ」


2回目のアリゾナなので、今回は余裕が有ります。
前年に再開を誓った「アルファベット」は、私の渡航直前に盲腸の手術をしており、一緒の飛べたのは、だいぶ後になってからでした。

ジャンプ回数も300回になった私は、アメリカ人と普通にファンジャンプが出来るようになり、練習ではなく、楽しいジャンプを繰り返していました。



「楽しいジャンプ」と言っても、繰り返すと飽きるのは贅沢な話ですが、今回もジャンプをサボって行った場所はグランドキャニオン。
クーリッジの空港から、セスナ206で 2時間くらいで飛んで行けます。

パイロットに交渉して、朝早くクーリッジを出発します。
断崖絶壁にある気流の悪いグランドキャニオン空港に、ガタガタ揺れながら着陸し、レンタカーで観光。

帰路は日が暮れたので、ラスベガスに寄り道し、上空から夜景を堪能。
これだけ楽しんで、セスナのチャーター代は、1人50ドルぐらいだったかもしれません。
パック旅行のオプショナルツアーだったら、10倍取られそうです。

今のようにデジカメが有れば、バンバン撮ったのに、フィルムをケチって写真がほとんど無いのが残念。



ジャンプでも、一般ジャンパーはカメラを付けることもなく、なかなか空中の写真は撮れません。
今のように、小さなカメラで動画まで撮れ、パソコンで見られるなんて想像も出来なませんでした。



「せっかくアメリカなんだから、写真欲しいよな」
「じゃあ 俺のカメラで撮ろう」
コンパクトカメラ(当然フィルム式)を手に持って、それで写そうと考えました。

右手にカメラを持って、ストラップを手首に通したのですが、なんだか外れそうな気がします。
「落ちないようにガムテープで巻こう」 カメラを握ったまま、上からガムテープで巻いて、これなら安心。



2回目のクーリッジはジャンパーが増え、平日でもDC-3で上がります。
仕事のように1日に何回も飛ぶと、疲れがたまり、上昇中の機内では眠い眠い。
DC-3の重低音は、良い子守唄になります。

「ZZZzzz・・・・・」
「ジャンプラ―ン!」
いきなり起こされて、寝ぼけたまま、「GO!」



カメラには36枚撮りのフィルムが入っているので、2秒おきにシャッターを押していきます。
今のデジカメのように、モニターが有る訳でもないので、適当に狙って押すだけですが、なかなか良い感じで撮れてそうです。

K賀氏が、カメラの前でおどけて見せます。
(K賀氏は当時から抜群の運動神経で、この後 例のマツダウルフガンを引き継ぎます)
こちらも左手でOKのサインを出し続け、右手は2秒おきにシャッターを。



4,000ftでブレイク、2人が離れたのを確認して、自分もパラシュートオープン・・・・

「ちょっと待てよ・・・」
「えええ~? 右手のカメラはどうすれば良いんだ?」

パラシュートを開くためには、右手で右後ろの腰にある、小さく畳んだパイロットシュートを引き出さなくてはなりません。

また馬鹿なことをしてしまいました。カメラを握ったままの右手で、必死にパイロットシュートを探ります。

「指が使えない、パイロットシュートが、引けなぁ~い!」


(DC-3の機内 こんなボロボロで飛ぶんです)

空へ スカイダイビング編-21  「またしても油断」


「パイロットシュートが、引けない!」
なんでこんな簡単な事に、上がる前に気が付かなかったのでしょう。



このまま引けないとどうなるか?


ケース1
まったく引けなければ、諦めて左手でリザーブ(左胸についている予備傘のハンドル)を引く。
・・・妥当な判断。問題なし。

ケース2
右手のカメラに、引っ張り出したパイロットシュートがからみ、メインのピンが抜けない。
・・・これも左手でリザーブ。リザーブが出るときパイロットシュートにからみそうで怖いけど、打つ手はこれしかない。

ケース3
カメラにパイロットシュートがからんだが、ピンが抜けてバックが出た。メインはバックから出ない。
・・・これは怖い、カットしたら右手を持って行かれるし、リザーブが上がる時からむ可能性がある。

ケース4
カメラにパイロットシュートがからんだが、ピンが抜けバックも出てメインも出て半開き。
・・・考えただけで恐ろしい。右手は思いっきり引っ張られ、カットしたら右手だけで体重を支える事になり、リザーブもからまる可能性大。




今だから考えますが、当時は何も考えず、高度に余裕が有ったので、演歌歌手のマイク持つ手のように、小指を立てて、
ポケットからパイロットシュートをほじくり出します。

「出て来い」
何回かのトライで、上手く引っかけそのままリリース。
「よし! からむな! 上がれ!」



「バサバサバサー」 ありがたいことに、パラシュートはキレイに開きました。
これが不完全だと、右手で切り離しをしなければならないので、これまた大変な事になるところでした。

「・・・アメリカボケだな・・・」
開いたパラシュートを見上げて、ため息をつきました。

仕事のように毎日飛んでると、飯を食うのと同じ感覚で、これが危険なスポーツという事を忘れてしまいます。
「油断したら、骨折くらいじゃすまないぞ」

「緊張感をもて」
と、自分に言い聞かせてジャンプを続けていたのですが・・・・




帰国3日前。この日最後のジャンプ。
やはり、緊張が切れた夕方ラストで、また何かがおきます。

この日はアリゾナにしては珍しく雲がかかり、DC-3は、8,500ftで上昇を止め、そのままジャンプラン。



3WAYで降りたものの、30秒ほどで2人が離れていきます。
「何やってんだ?」「なんで逃げるの?」「そんなマニューバーだったけ?」
「何?サプライズ?」

変だなと思いながら、ここで初めて高度計を見ると・・・「えっ?・・2,500だぁ?」
高度計の針は イエローゾーンにかかっています。

いつも、EXITして30秒くらいは高度計を見ず、6~7,000ftで初めて見る癖がついていました。
このときも自分の意識ではまだ 6,000ftはあると思っていたのですが。



「そういえば、雲でこれ以上上昇できないって言ってたっけ」
「出る前、8,500って言ってたな・・・」

上昇中の機内で居眠りしてて、夢の中で聞いた言葉が、今よみがえってきました


空へ スカイダイビング編-22 「帰国」


パイロットシュートが切れて飛んで行ってしまったり、
ツイストして1,000以下まで落ちたり、
カメラジャンプで失敗したり、高度忘れたりした3週間。...

ジャンプをサボって観光もしたので、結局キャンプ回数は70回にとどまりました。



そして、クーリッジとも、そろそろお別れです。

今回のクーリッジでは楽しいジャンプが出来ましたが、同時に危ないジャンプも多く、
300回くらいが、慣れてきて一番危ない時期だなあと考えました。



帰国したらすぐ、新しい会社に入社する事になっているので、もう長期の休みは取れないでしょう。
これが最後のアメリカかもしれません。

骨董品のDC-3には、もう乗れないでしょう。
(実は5年後に乗ることになりますが・・・)

地平線に沈む夕日も当分見れないでしょう。

帰国したら、ローダイで手術した時に足に入れた、ビスやプレートを抜く手術もしなくてはなりません。
考えたら気が重くなり、このままアメリカに住みつこうかと思います。



さて帰国前日。ジャンプ回数が減って、もったいないのですが、観光らしい事もしようかと考え、1日早くロスアンゼルスに帰り、街中を観光し、リトル東京も見てみます。

しかしまあ、リトル東京の飲食店で働く日本人の、偉そうなこと。
顔が日本人なのでつい「すいません」と声をかけたら振り向きもしません。

日系人で言葉が解らないのかな? 思ったのですが、声をかけられたら普通は顔を向けるでしょう。

3回目に 「エクスキューズミー」と言ったら、やっと振り向きました
・・・(やっぱ 聞こえてるじゃん)

食べ物注文したら、ちゃんとした日本語で、
「チップは別において下さい」
・・・(知ってるよ、こっちは今日来たばかりの観光客はじゃないんだよ)
「#$&%●“¥△・・・」
・・・(さっきは日本語で話してたろう。ちょっとくらい英語ができるからって威張るな)



リトル東京の回りを歩きたいのですが、空港からここまでくるタクシーから見た街中は怖そうな外人が多くたむろして、とても1人で歩ける雰囲気ではありません。

ここはいったん空港に帰り、空港の看板で見たモーテルに電話して迎えに来てもらいます。
もちろん看板には「日本語OK」と書いてあったからです。

モーテルの看板建てた、選挙カーのような派手な車に迎えに来てもらい、とりあえず宿へ。

リトル東京で頭にきて、飯を食べなかったので、モーテルの向かいにあるコンビニでアメリカ最後の晩飯とビールを買います。

明日は空港見物したら、そのまま帰国しなければなりません。
次は、いつ来れるのでしょうか。


空へ スカイダイビング編-23 「日本記録」


3回目のアメリカから帰り、直後に正社員として就職が決まった私は、しばらくはジャンプも控えるつもりだったのですが、
面白い企画に誘われて、またドロップゾーンに通う事になります。



1989年。なんといってもバブルまっただ中。
平均株価が4万円に迫ろうかと言う時代。

ホンダ航空もキャラバンを5機保有し宅配便を行ったり、バブル会社の社長を豪華ヘリでゴルフ場に送迎したり、
双発機で近距離定期便の計画を立てるなど、絶好調。

そこで我々も、キャラバン2機とピラタス1機で、BIGWAYをやろうと話が出て、24WAYに挑戦しました。

先頭がピラタス、左後ろ2番機と右後ろ3番機がキャラバン。
私は3番機からEXIT。
「GO!」

結果は22人だったようで、 ログブックには
「結局22人 でも日本新記録」と書いてあります。
その後 桶川ではどんどんBIGWAYに挑戦する事になります。




そして1990年。
NHKが衛星放送を導入し、その宣伝で、なんとジャンプの生中継を行う事になりました。

フォーメーション日本記録を作ろうというのです。
使える飛行機総動員。4機体制で33人の日本記録をめざします。



予行では、なかなか4機でのEXITがそろわず、未完成のままブレイク。
最終日はNHKの中継も入るので、確実に決めなくてはなりません。

今回はジャンプ代の補助も出てるので、作れないじゃ済まされません。
「おんしらあー 気合入れていかんかあー」
F原氏の声には凄味が有ります。



33人の中では私のレベルではブービー賞あたり。
それでも、ベースに関しては、当たっても壊れないと言われていたので、ヘビー級が集まったベースに混ぜてもらいます。

日本記録挑戦に最後のチャンス。
4機が編隊を組むので、エンジンカットは行いません。
プロペラの後流をまともに受けて、フローターでEXIT!

あっという間に、8人のベースは完成。
「さあ、みんな入ってこーい!」


ブレイク着前に最終ジャンパーがグリップ、3秒間ホールド出来たか?
「ブレイク!」外側から順番に逃げ、最後にベースがブレイク!
「どうだ?」




結果は・・・、  成功でした。

NHKの生中継は、下からの望遠カメラ。
急いでエアカメラマンのT木氏が、テープを渡してリプレイ。

映像を確認したら、少し波打ちながら33WAYが完成。
日本新記録の誕生でした。(公認ではありません)