スカイダイビング記-4

 

空へ スカイダイビング編-24 「ぺリス-1」

(ちなみに ここからの「ペリス日記」は、同行したメンバーの女性が結婚する時に、当時の思い出を小説風にしてプレゼントしたものが、
原稿となってます。
そんな訳で個人的な内容が多く、公開できそうな部分のみ選んで半分くらいに再編集しているので、今までと表現が異なり、ジャンプのシーンはそんなに多くありません)



新しい会社に就職し、バブルまっただ中で、休日出勤、残業の嵐。
しかし私は丁稚奉公なので、バブルの恩恵は全くありません

段々と仕事も忙しくなり、資格試験の勉強もあり、ドロップゾーンとは縁遠く、リパックの切れる時だけ飛ぶ幽霊会員になっていた私は、
久しぶりにドロップゾーンに遊びに行きました。

2回目のアリゾナから5年後の事です。



久しぶりのドロップゾーン。しかしそこは、私が知っている昔のDZではありませんでした。
桶川以外にも、新しく渡良瀬遊水地にDZが出来た為に、古いメンバーは半数になり、その代わりDZの中心になっていたのは、新しく入った若い女性達。

「最近、女の子多いね~」
この後しばらく相棒として飛ぶことになる、ヘビー級のK田氏に声をかけたところ、意外な答えが返ってきました。

「今度、あの子たちと一緒に、ゴールデンウイークにアメリカ行くんだよ」
「ええっ? K田さんと彼女たち? それはちょっと美味しすぎるよぉ~」


私は、その女性たちに歩み寄りました。
「ゴールデンウイークにアメリカ行くんだって?」
「ハイ そうです 楽しみなんですぅ~」
「へえー 偶然だねえ 俺も行くんだよ。」
後先考えず、即決でアメリカ行きを決めた瞬間でした。



この年のぺリス組は、桶川からは10人。
私は仕事の関係でK田氏より遅れて、3人で出発することになりました。
この3人は帰りも同じ、8泊9日の予定です。

大韓航空でロスアンゼルスへ。
ここから「ぺリス」まではレンタカーで行きます。

「あ~ あいをんと れんたかー ふるいんしゅらんす ね」
前回アメリカから帰った時に「英語勉強しよう」と誓った割には、進歩の無い英語力です。



車はカリフォルニアのハイウェイを時速70マイルで快走します。
片側4車線。これでタダ。日本に帰ったら金を出して高速なんて走る気がしません。

ハイウェイを南に1時間半ほど走ったところで一般道に降り、小さな丘を1つ越えたあたりが「ぺリス」の町です。

「飛行場 どこだろう?」
日本から持って来た道路地図には飛行場までは書かれていません。
丘の道から見下ろすぺリスの街並み。
なんとなく平らな部分が飛行場と目星をつけて向かいます。

「おおー キャノピーだあー」 
そう言えば7年前、初めてのアメリカジャンプの時、私を迎えてくれたのも、空に浮かぶ
キャノピーでした。



キャノピーに誘導されて、ぺリスのドロップゾーンに着きました。
「おおー やっと来たねえ」
先発隊のK田氏が、握手をしようと右手を差し出しました。
一週間先に来ただけなのに、そのしぐさはすっかりアメリカ人なっていて、ちょっと悔しいです。



1500mほどの滑走路に広いランディングエリア。
飛行機はDC-3にツインオッター
しかし私が気に入ったのは、これだけではありません。

「この先にチームハウスがあるから 荷物はそこに置いとけよ」
K田氏に案内されて着いたのは 大きなダイニングキッチンと4つのベッドルームがある憧れのアメリカンハウスでした。
「ここに住んで良いの?」

今までのアメリカジャンプでは、コンテナハウスや格納庫の間借りで、料理も満足に出来なかったのですが、ここには大きなキッチンと冷蔵庫。外にはジャグジーまであります。


バスルームのドアにはK田氏の手で 全員の名前と滞在予定が書かれたカレンダーが張ってありました。

私たち3人は帰国が5月7日となっている。
「間違いない。7日の朝ここを出て。夜には日本に着いて、8日から仕事のはずだ・・・」

この時誰も、これが間違いだと気付いていませんでした。
後日これが原因で大騒ぎになります。


空へ スカイダイビング編-25 「ぺリス-2」



憧れのアメリカンハウスに荷物を置いて、新入り3人はマニフェストに受付をしに行きました。
3人を迎えてくれたのは リンダ。...

「今から誓約書を渡すから ビデオカメラの前で読んでね」
「えっ? 読んでって・・・・」

私に、英語が読める訳は有りません。
「俺、読めないからカメラに向かって歌でも歌うよ」

しかし 良く見るとそこには。
『私は自分の意思で・・・・・・』

それは日本語でした。 ここは日本のジャンパーも多く、英語が堪能な先輩達が訳しておいてくれたのでしょう。
「漢字に、フリガナふってくれてるかな?」



さて、ペリスでのジャンプも2日目。
新しいDZでのジャンプにも、すっかり慣れてきました。
        
急角度で上昇するツインオッター。
キャラバンと同じ600馬力のターボブロップエンジンを2発装備しており、12,500ftまで僅か10分で運んでくれます。

「このスイッチを右に倒せば右に、左に倒せば左。左右に振ればジャンプランやり直し。カットはこのスイッチ」
K田氏が、ドアの上にあるスイッチで、スポットのやり方を教えてくれました。

桶川のキャラバンと違い大きな機体なので 指のサインだけではパイロットに伝わりません。

「でも ほとんど地元のジャンパーがやるから心配無いよ、パイロットも上手いしプライド持ってるから、修正はいらないよ」

しかしこの時、まさかこの後すぐ、とんでもない初スポットをやることになるとは、思ってもいませんでした。




オッターには およそ20人のジャンパーが乗っています。地元ジャンパーのグループ。日本女性陣の4ウェイ+カメラ。そして我々のグループです。

スポッターは毎日来ている地元のイケメンジャンパー マリック。
「CUT!!」 地元グループから出ていきます。

ソロ。 2WAY。 3WAY。 2WAY。 
「んっ? ちょっと長いぞ」



ようやく5グループ目。マリックのグループが出るところです。
下を見たマリックが私の耳元で怒鳴りました。
「&%#△#$¥●#$!!!」
「えっ?」

マリックはそれだけ言うと 自分はそのまま出て行ってしまいました。
「なんて言った?」 
「おそらく スポットが遠いから 2パスしろって言ったと思う・・・・」



下を見ると、ターゲットから既に1,000m以上離れ、飛行場の敷地から外れています。
「アウトになる! ジャンプラン入り直す!」

しかし、振り返ったターゲット付近には、かたまった雲が浮いていました。
「まずい。見えない。マリックあれでカットが遅れたな・・・」

機内には、取り残された日本人だけしか乗っていません。


空へ スカイダイビング編-26 「ぺリス-3」


ペリスは上空からみると、2本の道路と川で、2等辺三角形ができており、その底辺に南北に伸びる滑走路があります。その中央部が一応ターゲット。

滑走路上を平行にジャンプランに入り、三角形に入った所でカットすればOK。 ...
少々離れてもこの三角形の中に降りれば、トラックの迎えが来ることになっているので大丈夫。



「ジャンプラン!」
2パス目。パイロットの合図で、予期せぬぺリスでの初スポット。
「うっひょ~」
キャラバンとは比べ物にならない風圧に思わず首を引っ込めました。

ツインオッターは双発機。
当然目の前の翼には大きなプロペラが回っています。
もう一度首を出して前を見ます。
「ええっ雲? ダメだ・・見えない・・・・」

雲に覆われ滑走路が見えない。勝手知ったる桶川なら団地やゴルフ場でおおよその位置は分かるのですが、ここではまだ新参者。

(三角形の一部が見えれば・・・)
後に「ペリス・トライアングル」と名付けた三角形を必死で探します。



(何か目印は・・・・)
昨日の夜買い物に行った、大きな駐車場のあるスーパーが、すぐに見つかりました。

「これは安い!」
カートを押して店の中を走り回り、大きなTボーンステーキ用の肉を買った店です。
「この肉3ドルだってよ!」「日本なら2,000円だぞ!」

大量の肉とビールを買い込んで、チームハウスの冷蔵庫に入れたまま まだ手を付けていません。
(よし。スポットをバシッと決めて 今夜はバーベキューだ)




雲の間のスーパーから、車で走った道をたどります。
(あの道をまっすぐ行って、あそこで曲がって、踏切をわたって・・・)

「あっ! 見えた 解った!」
滑走路は見えませんが、チームハウスの赤い屋根が見えました。

「オンコース!」
「カットオー!」
初スポットは無事に成功しました。今晩はTボーンステーキです。




ぺリスではやはり予想どおり 私が炊事班長になりました。
「今日は Tボーンステーキと、一応“天ぷら”だ」
「一応って?」
「魚の代わりに豚肉。 茄子は大茄子。 エビは高いから買わなかった」

炊事班長に任命されるのを予測して、日本を出るとき お酢・ほんだし・キムチの素・中華だし・カレールー等を スーツケースに詰め込んで来ました。



「カレールーなら昨日のスーパーに有ったよ」
「んなこと言うなよ。苦労して持って来たんだぜ。成田のセキュリティーでカレーパックの銀紙が引っかかってさあ」

「見せて下さいって言うから 全部出したんだけど カレーだろ・お酢・ほんだし。みんな床に並べて・・・恥ずかしかったよ 高橋商店の棚じゃないんだから」

懐かしい高橋商店(桶川ジャンパー心の故郷)と言う言葉を聞いて、全員大笑いとなりました。



「しかし今日のスポット、カットっていう前に、パイロットがエンジン切ったぞ~」
「スポッター、いらなかったんじゃないの?」
「そんな事言うなよ、ログブックに ぺリス初スポットって書いたんだから」


当時はGPSは有りませんでしたが、航法用の無線電波をたどれば、雲の上でもおおよその位置は解ります。
オッターのパイロットは、計器だけで機体を誘導してくれたのです。


久しぶりの日本食で、にぎやかな夕食になりましたが、この時、誰が翌日に起きる、最悪の事故を予想したでしょう。


空へ スカイダイビング編-27 「ぺリス-4」

        

ラスト1つ前のジャンプ。この時間帯が一番危ない事を知っている私は、同じ間違いをしないように、いつも以上に神経を使い高めでプルをしました


「バサバサッー」
心地よいショック。
普段より1,000ft高く、3000ftで開傘。

いつもながら、ホッとする一瞬。すかさず廻りを見ます。
1つ・2つ・3つ。いつもの習慣です。
「よしっ! OK」

自分たち4WAYの全員開傘を確認して、次に真下を見ました。
そして・・・


 
「・・・・・・・!」  

一瞬。背筋が凍りつきました。
そしてこの時、人間は本当に驚いたときには、言葉が出ない事に気が付きました。



凍りついた目線の先には・・・
自分の真下で、からみあって竹とんぼの様に回転して落ちていく2つの傘。
我々の10秒ほど前に、飛び降りたグループです。

自分の高度計を見ると 2000ft。 彼らは1000ft以下か?
「カットしろー」


叫んでも聞こえるはずもありません。

さらに回転のスピードを上げ だんだん小さくなって行く2つの傘。
遠心力で飛ばされそうなジャンパー。小学校の回転ブランコを連想します。

そして ついに 土煙が・・・



(見てしまった。 まさかこんな事って・・・)
地面に叩き付けられた2人に向かって 四方から大勢の人が集まってきます。

その真上でゆっくりと旋回している自分。
(夢じゃないよなあ?)
まるで映画を見ているようです。



その日は、サンセットジャンプが中止になり、全員言葉も無くチームハウスに戻りました。

「救急ヘリが来てたよなあ」
「ヘリが来たってことは まだ生きてたのかなあ」
「真上から見てた?」
「あたし 下で全部見ちゃった・・・」

不謹慎ですが思う事は皆同じ。
(我々のグループじゃなくて良かった)
(しばらく閉鎖だろうから、どこに行こうか)
と思いながら、なんとなく口数が少ない夜でした。




翌朝。意外にもDZはいつも通りでした。

「マニフェスト開いてる?」
「ああ やってるよ」
「飛べるのか?」
「昨日の件は?」
「2人は残念だったねえって 言われただけ」

救急ヘリで2人とも搬送されましたが、生還する事は出来なかったとの事。



自己責任の国なので、死亡事故が有ってもドロップゾーンは普段どおり営業。
特に注意も無く「残念だったね」で終わります。

ふと初日の誓約書を思い出しました。
「俺が死んだら・・・ あのビデオが裁判所かどこかで流されるのかなあ?」



空へ スカイダイビング編-28 「ぺリス-5」


今日はメンバーの中で最年少のOLさん、M紀ちゃんが100回目のジャンプです。

「また未成年に見られちゃった~」...
アメリカでは、どう見ても17歳くらいにしか見えないM紀ちゃんは、街に飲み行くと、決まってIDを求められ、実はうれしそうです。



100回記念ジャンプは8WAY

1ポイント目は素早く成功。
2ポイント目は8人でスター。
まだまだ高度に余裕が有ります。
「よし次!」

今日の主役 M紀ちゃんをセンターにおいて、残りの7人が囲むようにおめでとうの輪を作り、主役はその場でゆっくりターンし、みんなに挨拶!

満面の笑みでゆっくりターンするM紀ちゃん。
記念ジャンプは大成功です。



夕食はお祝いと言うことで、みんなで外食。
行先は日本人ジャンパー御用達の、「Sizzler」
たった7ドルで、サラダバー食べ放題。(日本だと2,000円くらいかな)

本来はステーキ注文して、追加で頼むサラダバーですが、日本人はこれだけで満腹。
御存じのとおり、サラダと言いながら主食系・肉系も充実。
豪華客船「飛鳥」の朝食バイキングくらいの満足度です。



私には、バイキングと言えば苦い思い出が有ります。
某観光地で、友人同士で夕食バイキングに行ったとき、店内が混み過ぎて厨房が追い付かず、大皿に料理が並んでいない。
 
「時間制限があるのに、どういうわけだ」 と、店内のお客は殺気立っています。
ようやく料理が並ぶと、難民キャンプのように、四方八方から手が伸びますが、料理を取るトングは1つだけ。


当然トングの取り合いになりまが、トングが空くのを待っているほど、気持ちもお腹にも余裕はありません。
「こうなりゃもう手づかみだ!」と、手づかみで自分の皿に。

ウインナーや唐揚げは、まあ許せますが、ポテトサラダの手づかみは、いかがなものでしょうか。


仕方がないので、空になった皿から、こっそりトングを拝借。
今後はこれを「マイトング」としてキープ。
この作戦で、その後の弱肉強食の戦争を勝ち残りました。




アメリカでは、日本の観光地のように慌てることもなく、たった7ドルで、優雅な夕食が可能です。

さらにM紀ちゃんから、皆にビールふるまわれ、おめでとうパーティーもさらに盛り上がります。

「ぺリスにいる間に、何回まで行くかな?」
ぺリスでのジャンプも後半になり、K田氏が作ってバスルームのドアに貼った、特製カレンダーを思い浮かべながら、そろそろ帰国の日程が気になります。



空へ スカイダイビング編-29 「ぺリス-6」



一足先に一人で帰る 女性陣Aっちゃんの様子が、どうもおかしい。

「どうした?」
「飛行機のリコンファーム忘れてて・・・」
「リコンファームって 3日前だろ Aっちゃん あと4日じゃないのか?」

バスルームのカレンダーを思い浮かべました。毎朝見ているので間違いはないはずですが。
「あれ 間違いよ!」
「えっ?・・・間違い?」

驚いたのは制作者のK田氏。
「1日違ってるのよ。K田さん 帰りの日付 日本時間で書いたでしょう」
「・・・・・・・・・・・・」

全員が忘れていました。ロスに着いたとき1つ余計に貰った日付を 帰りには当然返さなければいけない事に。


その夜 K田氏は皆に責められカレンダーを書き換えました。
心配されたAっちゃんでしたが、半日かかって電話しまくり、リコンファームは無事に終わったようです。




私には毎朝の日課がありました。まだ、ほとんどのメンバーが寝ている頃
1人で滑走路まで歩き、ランディングエリアを1周すると言うものです。

5月のペリス。早朝は霧が現れ 一番朝が遅いジャンパーはが目を覚ます9時頃になって、ようやく青空が見えてきます。

さすがのカリフォルニアでも毎日飛べる訳ではありません。この日は特に霧が濃く、午前中は期待薄でした。



日課の散歩から帰ったころには、誰かが起きて朝食を作っています。
「お早う 」

「じゃんぷらんさん お早う お散歩?」
「うん」

「ほんとに飛行機好きなのねえ 毎朝見に行くんでしょう?」
「えっ? まあねえ」
(本当の理由は別にあるんですが・・・)


本当の理由は女性陣には内緒だったのですが、勘の良いK田氏は既にバレていました。

「じゃんぷらんは 飛行場のトイレに行ってんだよ  う・○・こ 」
「ダメだよK田さん、ばらしちゃだめだよ」

ここのトイレはバスルームと一緒になっており、私が起きた時には、いつも誰かがシャワーを浴びていました。
仕方がないので、滑走路脇のトイレまで行っていたと言う訳です。



「飛行機が好きなら 航空博物館に行ったらどう?」
「航空博物館?」
「北側の先に空軍基地があるでしょ。その隣りだよ」

私は頭の中で、昨日スポットで見た、ペリス・トライアングルの北側を探ってみました。
空軍基地は確かにハイウェイの先にありました。

「よーし、今日は午前中飛べそうもないし 飛行機見に行こう!」
と、同行したのは 飛行機マニアのK田氏達。



「ぬわおおおおお~~~」
博物館の飛行機を見て、雄叫びを上げたのは私です。

そこには大戦中の B-17・B-29の他 マッハ3のSR-71ブラックバードや、ロシアのミグ戦闘機までありました。

日本の「99式艦爆」もありましたが、どうやらこれは映画で使うために、T-6を改造した機体の様です。

「3度の飯より ご飯が好き」と、普段から言っている私ですが、やっぱり一番好きなのは飛行機のようです。



空へ スカイダイビング編-30 「ぺリス-7」



チームハウスでの生活は快適そのもの。
...
アメリカ映画そのままの、大きなキッチンで料理。
先輩の日本人が、置いて行ったらしい炊飯器もあるので、ご飯も炊けます。

全員そろって、ダイニングの大きなテーブルで宴会。
チームハウスに泊まっているのは、我々10人の他、ヒッチハイクでやってきた、関西の若いジャパーや、桶川のDZでは伝説になってるI口氏、外国からのジャンパーも集まりました。

だれかが出入りするたびに、歓迎会や送別会と称して毎日宴会です。
私が持ってきた日本食の素も、後半になると底をついて、最後はとっておきの「クックドゥーの八宝菜」
「八宝菜は日本食じゃないよ」
と言われながらも、肉タップリの八宝菜でした。



食後は隣のリビングに移って、ソファーで飲み直し。
ここでもやはりジムビーム。

さらに、ジムビームのロックを手にして、庭にあるジャグジーへ。
と思ったら、

「ちょっと待てー! ジャグジーちょっと待ったぁー!」
誰かが大声で叫びました。



「・・・・・・・・」
次の瞬間、室内は真っ暗に。

実はこのジャグジー。
そうとう電気容量を食うのか、それとも漏電しているのか、キッチンのレンジや、洗濯機と一緒に使うと、一発でブレーカーが落ちてしまいます。

そんな時はブレーカーを入れ直すのですが、
またしても 

「ブレーカー ちょっと待ったぁー!」の声。



「・・・あ~あ・・・」

ブレーカーを入れ直すと、なぜか洗濯機がリセットされ、自動的に洗濯機に注水開始。
「あ~あ 終わってたのに・・・」
洗濯が終わった後、宴会に夢中で中身を取り出していなかった衣類に、もう一度最初から注水されてしまいました。

終わるまでまた1時間、待つ事になります。



朝は霧がかかるため、午前中に2回飛んで、昼飯は前の晩飯の残りで作った弁当か、出前の注文取りにやってくる、サンドイッチ屋さんの大きなサンドイッチ。

午後は3回飛んで、夕食の買い出しにスーパーへ。
回数を増やすことにはこだわらず、このくらいのペースが、疲れなくて最高です。

天国のぺリスですが、後2日で帰国です。







空へ スカイダイビング編-31 「ぺリス-8」



「Mr じゃんぷらん telephone call」
私はパックの手を休めました。...
マニフェストのスピーカーは、確かに私を呼んだようです。

「じゃんぷらん  電話だってよー」
マニフェストの近くにいたK田氏に再度呼ばれた私は 不信な表情でマニフェストに向かいました。
(電話ってなんだ? アメリカに知り合いなんていないぞ?)



「This line」
リンダに受話器を渡され、恐る恐る声を出しました。

「ハッ ハロー・・・」
「じゃんぷらん 俺だよ」
以外にも 電話の主はジャンパーのK賀氏でした。

「おお~ K賀ちゃん びっくりさせるなよ~」
K賀氏は先日、桶川でも有名な美人ジャンパーと結婚して、これから新婚旅行でぺリスに来るところだそうです。

私は受話器をリンダに返して説明しました。
「アー リンダ・・ MrK賀 カム トゥモロウ エー・・・ハネムーン」

K賀氏は世界選手権の日本代表メンバーで、ここペリスでも有名でした。
「OH! HONEYMOON!」
リンダは両手を広げて驚きの表情です。



K賀氏がロスに着くのは明日の夕方。
「K田さん 俺 明日の昼 K賀ちゃんたち迎えに行って来るよ」

我々3人が帰るのは明後日の朝。
「と言う事は・・・明日の午前で 飛び収めだなあ」





ジャンプ最終日。この日は朝から撮影大会とサイン大会になっていました。
ペリスで知り合ったマリック達。もう少しペリスに残るK田氏達。

オッターの前でポーズを決め、ログブックやTシャツにサインを貰う。


ラストジャンプは 11WAY+カメラ になりました。
これが最後のオッターだ。またここに来れるだろうか?
(アメリカのラストジャンプでは、毎回同じこと考えます)

「ジャンプラン!」パイロットが振り向く。
(そう言えば 内緒で操縦させてもらったよなあ)
コパイ席に座ったとき 上昇中に何度か操縦桿を握らせてもらったことがあります。

今日のスポットはマリックでした。
(最後にもう一度スポットやっても良かったな)
あの雲で苦労したスポットの後。マリックが来ない時はスポットは私とK田氏の仕事でした。

今では完全に地形を覚えています。
眼下にはレイクペリスや航空博物館のあるマーチフィールド空軍基地も見えます。




「CUT!」 の声で我に返りました。

機外に5人 機内に6人
11人が一斉に 「GO!」

中から飛び出した私は、トラッキングの姿勢で下にいる10人を追いかけます。
その先には「ペリス・トライアングル」

・・・10000ft
ベースが固まってきた。
・・・8000ft 
揺れているフォーメーションに、ぶつからないようにゆっくり接近。
 ・・・7000ft 
ベースを基準に、2つのスターが完成、眼鏡の形になる。完成だ!
・・・4500ft
ブレイク! 11人が蜘蛛の子のように四方に散ります。
 ・・・2500ft
オープン確認 最高のぺリスラストジャンプでした。



「K田さん 最高のラストジャンプだったよ」
パックをしながら、K田氏に声をかけました。

午後には空港までK賀氏を迎えに行くつもりでしたが、しかし、
実はこれがラストではなかったのです。





空へ スカイダイビング編-32 「ぺリス-9」


「Mr じゃんぷらん telephone call」
私はパックの手を休めました。
マニフェストのスピーカーは、今日も私を呼びました。...

「K賀ちゃんか? もう着いたのか?早いな」
予定ではK賀氏は、まだ飛行機に乗っているはずですが。

「せんきゅー」
リンダから受話器を受け取りました。
「もしも~し」 相手がK賀氏だと思ったので日本語で話します。

しかし聞こえてきた声はK賀ではありませんでした。



「HELLO!」
聞こえてきたのは女性の声でしかも完全な英語。

「えっ? ハッ ハロー じゃんぷらん スピーキング・・・」
ここまでは言えた しかしあとが続きません。


「じゃんぷらん さんですね」
女性は突然日本語になりました。
「はっ?」

「こちらはシンガポール航空のロス支店です。K賀様からの御伝言をお伝え致します。航空機の到着時間が大幅に変更になりまして 今のところ明日の午前2時の予定です。申し訳ありませんが、お出迎えの時間変更をお願いいたします」



午前2時・・・。ここを夜中の0時に出なくてはいけません。
しかも空港を3時に出て5時にペリスに着いても またすぐに今度は自分達が帰る為に、空港へ戻らなくてはいけません。

「しかし、これなら、今日はまだ夕方まで飛べるぞ」

        


私は不思議な気持ちで、オッターに乗り込みました。しばらくは飛ぶことが出来ないと思っていたペリスの空に、たった1時間後に戻ってきました。

本当のラストジャンプは、K田氏 I塚氏達との5WAY

3500ft 「ブレイク!」
トラッキングに移りながら、K田氏を見ました。 
その瞬間、目が合いました。

「やるか?」

「やるか」と言うのは、たまに2人でやっていた度胸試しでした。
どちらが低くオープンするか。

(そうだ 最後のペリスだ、1秒でも長く楽しもう)
そう思うといつも以上に度胸が付きました。

2500ft 平行でトラッキングしながらお互いにまだ引かない。
2000ft 「引けよ!」
1800ft 「もう ダメだー!」 

ボサボサボサー
1500ftで キャノピーは完全に開きました。 
「まあ。 今日は 引き分けにしておいてやろう」

そのとき・・・

ボボボボボボーーー
私の下で1つのキャノピーが開きました。 完全に私の思考外にいたI塚氏でした。
「負けたよ・・・I塚さん・・・」


負けたと思ったのは、このチキンレースだけではありませんでした。

I塚氏は行きの飛行機で英語恐怖症になりましたが、彼の英語力はその後の1週間でめざましい進歩を遂げました。

I塚氏は、ぺリスに来る時の韓航空の機内で、CAさんに「Beef or Fish」と聞かれ、自信満々で「ソバ」と返答。

「・・・?・・・」
「いまのスチュワーデス、ソバかウドンかって聞いたよなあ~」

それがたったの1週間で、バーのカウンターでマスターと会話している姿は、地元のメキシカンのように、完全にアメリカに溶け込んでいました。

明日は帰国です

空へ スカイダイビング編-33 「ぺリス-10」



最年少のM紀ちゃんは、涙を浮かべていました。
最後の夜、翌朝は早いので今のうちにと、チームハウスまでオーナーが別れを言いに来てくれたのです。...

一戸建てのチームハウスに泊まり、夜は町のボーリング場やステーキハウス、
プールバーにも案内してもらいました。
私がペリスを好きになったのは この家庭的な雰囲気のおかげでした。


私は一旦自分のベッドルームへ走り、そして持ってきた物をオーナーに差し出しました。
それは、いつもDZで着けていた鉢巻のうちの一本。
日の丸に「一番」と書かれています。
(轟沈と神風も有ったのですが、内容を聞かれると困るのでこれにしました)

案の定、オーナーはこの意味を聞いてきました。
「ジス イズ ナンバー ワン ! 」
成田で買った安い土産物でしたが、今ここで渡せるのは、こんな物しかありませんでした。

さて、感傷に浸ってる時間はありません。これからロスの空港まで、K賀氏を迎えに行く時間です。




夜中の1時、どこまでも続く高層ビル群。光のシャワー。夜中だと言うのになんて明るい町でしょう。
その間を流れる、4車線のハイウェイ。

私は走りながら隣の席を見ました。
そこには看護婦のM理ちゃんが眠っています。

空港までK賀氏を迎えに行く私が、居眠り運転しないようにと、ついて来てくれたのでしたが、「寝ちゃダメよ!」と言った後、わずか10分ですっかり熟睡モードに入ったようです。

K賀夫妻を乗せたシンガポール航空機は、予定よりさらに遅れ、チームハウスに戻った時には既に朝5時を過ぎていました。



さあ、こんどは自分たちが帰る番です。帰りも来た時と同じ3人。
K田氏が作ったカレンダーのミスに気付かなければ、今日もまた知らずに飛んでいたかもしれません。

日本の道では大きすぎて邪魔になりそうな、レンタカーのビューイック。
それでもスーツケース3つと、パラシュート3つを積むと、トランクだけでは足りません。



車をゆっくりと動かします。
朝早いのに、K田氏達もみんなも起きて見送ってくれています。
「有難う! サンキュー!」

運転しながら半身を乗り出し、暴走族のハコノリ状態で、後ろに向かって手を振り続けました。

 

さて、その日の夜。

帰りの大韓航空では爆睡するぞと考えていたのですが、ドーパミンが脳内に充満しているのか、気分はハイのままで、まったく眠くありません。
西行きの飛行機は、太陽と共に移動するので、外も明るく眠る気にもなれません。

眠れなくて悔しいので、隣で寝ているI塚氏を起こしてやります。
「I塚さん 今ちょうど日付変更線の上ですよ、下見てください、線が見えるでしょう」
「ほんとか? カメラどこだカメラ・・・」

カバンの中のカメラを探し始めたI塚さん。
(ごめん 冗談です)



日付変更線を超えたら、日本時間に時計を合わせることにしましょう。
夕方には自宅に帰り、明日からまた忙しい仕事が始まります。