Cの誘惑
 欠席裁判の結果、俺、五十嵐健人が、代理コン・マスになったのは、土曜のことである。

 欠席裁判になったのは、自業自得でもあるんで、文句はいえない。選挙があると知ってて欠席したのは、さぼりじゃなくって。同じチェロパートの延原さんのが留学壮行会に出席するっていう理由があったんすよ。
 まぁ、本音で言えば、コン・マス選考なんだから、バイオリンのなかから決めるんだろうって思い込んで、チェロの俺には全く関係ない話だって油断してたんっすけど。
 だからといって、出席してたら辞退できたかってことになると、たぶん、無理。
 そういう訳で、今の俺は、首席チェロ兼代理コン・マスなのである。そう、代理、あくまでも期限付き。
 火曜日の今日が、代理コン・マスデビューなんっすけど。


 フジミのコン・マスっていうのは、椅子出しまで仕事になっている雑用なんでも屋の一面もあって、せめて、初日くらいはと、がんばってやって来た、んだけど。
 こんな時間に来たことないんで、俺が知らなかっただけで、正コン・マスの守村先輩が、日コン入賞者のガラコンの準備の為という、一身上の都合で休み続けているこの最近、準団員のお子様たちが、マミーの、守村先生の代わりは立派に務めてみせると、毎回椅子だしをやってた、らしい。
 ありがたいことに、「守村先輩の負担を少しでも軽くする」をスローガンに活動中のふたりには、代理を引き受けた俺も、立派な同士であるらしく。今日も、椅子だしをしてくれてた。
 なにしろ、俺が辿り着いた時には、半分が終わってた。

 ・・・・・・年下の子供に「コン・マス、遅いっすよ」って、出迎えられる俺の立場って、どこ?



 最後のひとつを設置した時、最初の団員が到着。正直言って、間に合ったぁって思ったね。
 あの義理堅く堅実な守村先輩の代わりなんで、あまりに手際が悪いと、たっぷりと間を挟んで、「・・・・イガちゃんだものねぇ」ってお姉さまがたにいじめられる。
 いじめるくらいなら、手伝いに来いといいたいっす。・・・・・無理、だけど。
 それで、本日の一番乗りは、意外もなにも、M響チェリストの前畑さんだった。






 恐ろしい事に、この冬の真っ只中、コートも着てない。見ているこっちのほうが寒くなるようなカッコでやってくるのは、反則っすよ。
 そのうえ、普段は、ケッコー、かっちりとした服の趣味のはずの前畑さんがやってきたなり、脱いだジャケットの下は・・・・・
 かなり際どい、ランニング?―――いやいや、キャミソール。
「アツイわね」
 なんて、いいながら、そんなことはありえない寒さのなか、胸元をパタパタと扇いでいる。
「熱でも、あるんじゃないっすか?」
 1月の大会議室、まだ、練習は始まらない。ついでに言えば、暖房はつけたばかり。この条件下で、アツイとなったら、熱っすよ。
 ――――なんだから。

 頭ンなかの呟きとはいえ、自主規制する理性くらい俺にだってある。その単語を思い浮かべるだけで、伝わりそうな気がする。確実に、伝わる。

 薄着ってやっぱ、ムチャっすよ。
 口に出しては、絶対にいえない単語を察知されたのか、熱っぽい目を向けられて。
「やーん、イガちゃん、シンジランナぁイ」



「って、信じられんのは、おまえだっーつっーのっ。前畑」
 いつの間にかやってきていた三重野さんに、丸めたピースで「すぱこーんっ」と、それはいい音を立てて叩かれた。

「ナニ、そのカッコ。
 おまえは、どこの風俗嬢かっていうのっ」

 こういう時、気心が知れた同性の友達っていうのが、一番堪えるだろう。
 遠慮なんぞする気もなく、全くもって、言いたい放題なんだって。
 んでもって、遠慮なく叩かれた前畑さんは、物理的法則もなにもかも無視して、なぜだか、俺に向かって倒れてくる。
 俺に縋りつく格好にはなってるけど、どうにか倒れこまないようにと努力はしているんでしょうけど、前畑さん。
 ム、ムネが・・・・。
 できるだけ、離れるように、見下ろさないようにしてふんばる俺を、見上げて、きっかり2度瞬きをしてから。

「・・・・・えっち」
 コケティッシュに決めた一言。

「っ、は、おまえだっー」
 勢いよく、三重野さんに引き剥がされた。


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